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一気に階段を駆け下りて、そのまま地面に倒れるように座りこむと、駆けつけたばかりの救急隊員が駆け寄ってくる。
煙を吸ったせいなのか、こんなに体を動かしたのが久々だからなのか、息が苦しくて、何度も咳き込んだ。
横を見ると、彼は炎を上げ始めたホテルを見ながら、大きく息をしている。
「大丈夫ですか?」
救急隊員に聞かれて、苦笑しながらうん、と頷く。
天使だけど、普通の人にも見えるんだ、と私は思った。
そして。
気がついた。
翼が、ない。
「どういうこと?」
騙された?
「取り外し可能な翼は、あの火の中で燃えちゃってるわけ?」
「……え?」
彼は呆然と私を見た。
できるなら、私も同じ顔で彼を見てやりたい。
やっぱり幻覚だったのかな。
ご親切にも彼は頭イカレちゃった私の幻に付き合ってくれたのかな。
それなら、どうして私が死にたいことを知ってたんだろう。
天使じゃなくても、超能力者か、それとも私がサトラレか。
まあ、どっちにしろ私の幻想か。
馬鹿すぎて笑えない。
考えすぎて、疲れた。
「マジで? 見えねぇの、翼?」
そう言って彼は立ち上がって、見て、とでも言うように背中を向けて見せる。
「あはは、ごめん、もう私の幻覚に付き合ってくれなくていいんだよ」
私も立ち上がって、まだ違和感のある喉をさすった。
帰ろう、とりあえず。
どうやら私が飛び降りようとしたホテルは煙に巻かれて立ち入り禁止みたいだし、気がつけばびっくりする量の野次馬に囲まれてる。
いまなら消防も救急もいるから、丁度いいのかもしれないけど、こんなたくさんの人間の前で最期の瞬間を見せるのは、やめとこう。
見世物になんか、なりたくない。
ゆっくりと歩き始めた時、私のどこからか、足元に白い物がふわふわと落ちていった。
「羽……」
拾い上げて振り向くと、彼が面倒くさそうに私に向かって携帯電話を差し出した。
「マキノヨーコ、23歳、本日11時37分死亡予定」
「何よ……」
手に取るよう促されて受け取ると、メールには今彼が言った通りのことが書かれていた。
回収命令
牧野陽子
23歳 女
本日11時37分死亡予定
死因 飛び降り自殺
その下に、私の写真があった。
いつ、誰に撮られたかも身に覚えのない、でも、間違いなく自分の写真。
こういうのを悪質ないたずらというのか?
それとも、手の込んだストーカー?
「余命半年って言われたんだろ。その半年、有意義に生きようって思わないのか」
「ちょっと、どうして、そんなことまで知ってんの」
「だから、天使だから」
「馬鹿?」
「どっちが」
「なによ、なんなの? 全然意味わかんない」
夢?
いや、限度を越えた幻覚幻聴、それともとっくに死んだのか?
「とにかくさぁ、俺、オマエ連れてかなきゃ、帰れないわけよ。俺の翼が見えなくなったってことは、死亡時刻が大幅に延びたんだろうな。少なくとも、オマエが望むように近いうちには死ねないぜ」
「………」
「オマエが嫌でも、俺はオマエについてかなきゃなんないの。監視しなきゃなんないんだよ。ったくよぉ、長期出張コースだな……」
「スミマセン、付き合いきれないので、帰ります」
コイツが言ってることは本当なのか嘘なのか、よくわからない。
もしかしたら本当なのかもしれないけど、信じられないし、新手の宗教勧誘なのかもしれないし。
まぁいいや、夢だったことにして、早く帰ろう。
私は携帯を返して、彼に背を向けて歩き出した。
野次馬の中に紛れると、あっという間に彼は私を見失ったらしい。
呼ぶ声が聞こえるけど、振り返らなかった。
天使だったら、また死ぬ間際に会えるでしょう?
「天使……ねぇ」
左手に持ったままだった羽を高く上げて見る。
真っ白く柔らかい羽。
なんだか急に笑えた。
「天使も死神も一緒、なんてね」
『余命半年』、もう聞かないはずだった言葉を、アイツにまた宣告されるなんて。
ああ、やっぱりさっき飛び降りるんだった。
じゃなきゃ、この耳を壊して、目を潰して、口を埋めて。
全て閉じて。
終わりの時が来たのもわからないくらいに。
私は羽をぎゅっと握り締めてから、手を大きく開いた。
ふわり、ふわり、羽はゆっくりと私の手を離れて飛んでいくように見えた。
「早く、私を天国に連れてってよ」