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「着いたよ」
カズオの声に、私は顔を上げた。
随分眠っていた気がする。
ホームに下りると、まだ少し冷たい澄んだ空気が、私の目を覚ましてくれる。
「で、これからバス?」
「うん、一時間に一本出てるはずなんだ」
「一時間に一本?」
カズオは一瞬うんざりしたようだったけど、タイミングよくバスがやってきた。
私たちは乗り込んで、一番後ろの席に座る。
昔は、祖父が軽トラで迎えに来てくれた。
母と祖父の間に私が乗って、父も一緒の時は、父だけがバスで。
「すごく、懐かしいな」
空き店舗の多いアーケード。
古びた町並みに、異世界のようにポツンとコンビニがあったりする。
そんな風景は、あっという間に過ぎて、畑が広がりはじめる。
「ここから、どれくらい?」
「う…ん、四十分くらい乗るかなぁ……」
私はカズオに降りるバス停の名を教えて、また目を閉じた。
「俺がいて、本当によかった?」
小さな声で、耳元でカズオが聞いてきた。
「うん、良かったよ」
「そっか……」
カズオの肩に頭をのせ、体も一緒にあずけると、優しく肩を抱いて、頭を撫でてくれる。
カズオの隣はいつだって居心地が良かった。
私のココロをあっためて溶かしてくれる。
目を閉じていると、夢を見た。
心配そうな顔で私を覗き込むサトル。
病院だ。
入院してるみたい。
私に向かって、必死に何か言っている。
なんて言ってるのか、私には聞こえないけど、名前でも呼んでるのかな?
サトル、あなたにもちゃんと言ってなかったね。
「ありがとう……」
そう言ったら、サトルはじっと私を見つめて目を潤ませた。
『ヨーコ』って口が動いて、私の手をしっかりと握ってくれるみたい。
握り返してあげたいけど、夢だから、力が入らないみたいだ。
サトルが、ふと顔を上げると、そっちの方向からダイスケが現れた。
ダイスケも『ヨーコ』って私を呼ぶ。
その後ろにヤスコがいる。
「あり…が…と……」
腕の中に陽子を抱いて。
だめだよ、こんなバイキンだらけの病院に、陽子なんか連れてきちゃ……。
ヤスコ、泣いてる……。
涙を拭いて、陽子の顔を私に見せてくれる。
かわいい寝顔。
触れたくて、手を伸ばそうとしたけど、届かない。
どうしてこう、夢って体が自由にならないんだろう。
「陽子……」
かろうじて声が出る。
でもこれって、寝言になるのかな?
起きたらカズオに馬鹿にされるかも。
今日、帰る途中に陽子に会いに行こう。
もう一度、抱っこしてあげたい。
「ヨーコ」
「ん……」
「降りるよ」
「うん……」
バスから降りると、カズオが私をおぶってくれた。
白い翼の生えた背中は、思ってたより広くてあったかくて、気持ちいい。
「今ね、夢見た」
「へぇ」
「私、たぶん病院のベッドにいるの。サトルがいて、ダイスケとヤスコも来て。陽子もね。私、みんなにありがとうって言った……」
「ああ、なんかモゴモゴ寝言いってたぜ」
「やっぱり……? なんか、現実みたいな、夢みたいな、変な感じ」
「んで? 一体ここからどれくらい歩くわけ?」
「ああ、えっと……」
記憶の糸をたどって、私は向かう方を指差しながらカズオに教えた。
林の中に入ると、日差しが遮られて肌寒いくらいだ。
規則正しく植えられた木々の合間を、獣道が続く。
たぶん、今も誰かがあの場所を知って、通っている証拠かと思う。
古い人工林の中にある天国。
一体、誰のいたずらだろう……?
「ここ、か……」
どれ位、歩いてきただろう。
カズオが立ち止まって、私は顔を上げた。
眩しくて、思わず目を細める。
「まだ、満開じゃないみたいだけど、すげぇ、きれい」
カズオの言う通り、まだ花は咲き始めたばかりだった。
そう、ここ。
薄暗い林の中に突然現れる天国。
光が燦々と差し、それを受けて菜の花が天へ向かって一斉に伸びている。
早起きの蝶が目覚めてひらひらと舞い、小鳥がかわいい歌を歌っている。
「天国、でしょう?」
私はカズオの背中から降りて、そこへ足を踏み入れた。
暖かい日差し、ほころび始めた菜の花の匂い。
「満開になるとね、本当に金色に輝くの。きらきらして、もっともっときれいで」
振り返ると、そこにいるのは天使。
大きな白い翼を広げて、物憂げに青く澄んだ空を見上げてる。
私を迎えにきた、天からの使者。
夢のような景色に、私は見とれていた。
その視界が微かに歪む。
「ヨーコ!」
天使が駆け寄ってきて、崩れそうな私の体を抱きかかえた。
「あなたに、ふさわしい場所、だね……」
「そう言ってもらえると、光栄だね」
天使はそう言って私を抱き上げると、この場所の中央へとゆっくりと進んだ。
「ありがとう、ね……」
「俺も、ここに来ることができて良かったよ」
「うん……でも、それだけじゃなくて……今まで、ありがとう」
ここに来たら、大きく息をすって、たくさん元気をもらおうと思ってたのに、うまく息ができなくなってきた。
さっきの夢の中みたいに、あんまり力も入らない。
でも、カズオの腕の中の温かさを感じる。
それだけでも、しあわせ。
カズオは足を止めて、哀しくて優しい笑顔で私を見下ろす。
「私を迎えに来てくれたのが、あなたで良かった……」
暗闇から救い出してくれたのは、まぎれもない天使。
返事のかわりに、天使はキスをしてくれる。
私の目が、ゆっくり閉じた。
「ヨーコ」
重たい瞼を、私は懸命にこじ開けようとする。
「ヨーコ、俺……」
遠くなる、声。
愛しい声。
「俺も……」
ありがとう。
聞こえたよ、ちゃんと。