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「はぁ…っ……あぁ……」
苦しい。
けど、探さなきゃ。
言いたいことが、あるから。
思ってて、ずっと言ってなかったことが、あるから。
「もう……本当に、私を殺して早く帰りたいの?」
限界。
ちょっと休もう。
あれ、ここって、この橋って。
あのオッサン、元気かな。
ここから、飛び降りようとしてたんだよね。
私は欄干にもたれて座った。
見上げれば、真っ暗な空にいくつかの星が輝いてる。
「ねぇ、どこから見てるの?」
どこかで見てるはずのカズオに話し掛ける。
「ごめんね、私がわがままなことばっかり言うから、愛想尽かしちゃったんだよね」
息を整えてから、再び立ち上がる。
「だけどさぁ、ちゃんと天国に連れてってくれるんだよねぇ! ここで、そう言ってくれたよね!」
返事は、ない。
橋の上のひとり芝居。
ただの馬鹿な風景にしか見えないかもしれない。
他人からどんなふうに見えたって、かまわない。
「ねぇ、聞いてる? 私、アンタに会えて良かったよ。あの時、死ななくて良かったって思ってる。だって、死んじゃってたらヤスコやダイスケに会うことなんてなかったし、謝る事だってなかった。陽子にだって、会えなかった」
会いたかった人に会えた。
会うはずの無かった命を、迎えることができた。
「こんなに嬉しい気持ちになる事だって、知らなかった」
生きていく喜びは、自分ひとりじゃわからない。
誰かを愛して、愛されて、はじめてわかること。
カズオが私を愛してくれなかったら、父親の死に方をずるずる引きずって、たとえあの時死ねなかったとしても、きっとまた、自殺してた。
「ミヨちゃんに会えなかったら、あんな幸せな死に方だって、知らなかった」
乾いた冷たい風が喉にしみる。
早く、出てきてよ。
「自分が死ぬ事だって、いつまでも受け入れられなかった。アンタの翼見たら、嫌でも受け入れなきゃいけないじゃん。嫌だったけど、もう平気。カズオが、一緒にいてくれるなら、何が起きても平気だよ」
あとね、言いたいのは。
「だから、お願い、最期まで一緒にいて。最期も、私の側にいて。ずっと、抱きしめてて。アンタじゃなきゃ、だめなの!」
虚しく響く告白は、誰も聞いてくれないみたいで。
真っ黒く広がる空は、いままでのこと全てを、彼の存在までも打ち消しているような気がした。
でも、確かに彼はいたのに。
私はコートのポケットから、白い羽を取り出した。
彼がくれた、ここでくれた、白い羽。
私は欄干に手をかけて、必死で細い平均台みたいなその上に、よじ登った。
バランスをくずせば、道路に落ちるか、それとも、黒々と冷たく重く流れていくこの川へ落ちるか。
今、川へ落ちたとして、あのオッサンみたいに水面に顔を出すことは、私には無理な気がする。
水面が近づくろころには意識を失って、呼吸することも忘れる。
浮かび上がる体力は、無い。
留まることなく流れていく川面は、私を呼んでいる気すらする。
「ねぇ、もう、言わないよ」
本当に、天使、だよね?
右手に持った羽に私はキスをする。
「私は、天使を、愛してる」
告白したくらいじゃ、出てきてくれないか。
でもね、信じてる。
「あなたが本当に天使で、私を迎えに来てくれてありがとう。もう、終わりにしてあげるよ。ごめんね、本当に、ありがとう」
私は手を広げた。
死んだら、あなたに会えるの?
手を繋いで、天国に連れてってくれる?
もう一度、抱きしめて欲しかったけど、キスして欲しかったけど。
「会いたい……」
そう言って目を閉じると、頬を冷たい涙が伝った。
そして、私は、蹴った。
感じるのは、痛いほど冷たい風。
川に沈んだ体が、どうか、浮かび上がりませんように。
「バーカ」
風が止んだと思ったら、柔らかい感触に包まれた。
そして、聞きたかった声。
「何やってんの、オマエ。せっかく俺様が助けてやった命、また無駄遣いしようとしてんじゃん。言ってることと、やってることは違うんじゃねぇ? 『アンタがいなくても、私は最期まで生きていけるわ』とか、言えないわけ?」
ゆっくりを目を開けると、ふてくされた顔したカズオが私を抱きかかえてくれている。
彼の背中から広がる大きな翼が、二人を包み込んでいるようだった。
私は黙ってカズオの首にしがみついた。
「やっと、出てきてくれたね。ありがとう」
「………」
「会いたかったよ」
「半日、離れてただけじゃん」
「うん。そうだけど」
「帰るぞ」
「うん」
カズオが、なんだかいつもと違って見えた。
翼を羽ばたかせて、橋の上へと戻る。
体全体が白く光って、輝いて。
薄い瞳の色は、どこかを強く見つめていて。
すうっと通った鼻筋も、柔らかそうな唇も、すこし赤い頬も。
触れてはいけないような気がした。
そして、全てが止まっていた。
川の流れも、風も、空も、星の輝きも、車の流れも、何もかも。
それが、カズオが橋に降り立ったとたん、再び動き出した。
「はい、到着」
そう言って、カズオは私を地面に下ろした。
見上げると、そこにはいつものカズオがいる。
さっきまでのは、本当の、天使のカズオだったのかな。
「ねぇ、さっき言ってたこと、全部聞こえてた?」
「さあねぇ」
「でも、もう言わないからね」
私はカズオに抱きついた。
「あとちょっとだけ、もう少しだけ、私に付き合ってね」
「うん」
「最期はちゃんと、カズオが私を天国に連れてってね」
「当たり前だろ、それが俺の仕事なんだから」
偉そうな口調で言ってから、私の体を優しく抱きしめる。
翼の生えたカズオも、愛してるよ。
私の知らないところで、手から離れた白い羽が、川面に落ちて流れていった。
どこまでも、ずっと、遠く、遠くへ。