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イライラするのは、薬のせいもあるんだと、主治医が言った。
そして、精神科にも行ってごらんと言われてしまった。
これじゃあ、あの人と同じじゃないか。
あの、父親と。
「入院、しないか」
「……嫌」
「ヨーコ」
「だって、知ってるでしょ、サトルだって」
あの父親の壮絶な最期を。
当時、それを私はサトルに全部吐き出すように話していた。
聞いてもらうことで、受け入れようと必死だったのかもしれない。
それとも、吐き出すことで忘れようとしていたのか。
どんなことも、サトルは黙って聞いて、私を慰めてくれた。
父を失ったあと、サトルがいてくれたから、支えてくれたから、私は私でいられた。
結局私は、まだカズオのことを正面から見れないでいた。
診察もないのに、ほとんど毎日のように病院に来て、サトルに会っている。
「これだけここに通ってるんだから、入院した方が早いだろ」
「でも、嫌」
「……誰か、いるの?」
「え……?」
「ヤスコから、ちょっと聞いたから」
「……それは、関係ないよ」
「ふうん」
納得してない顔で、サトルは私を横から覗き込む。
ヤスコ、何言ったんだろう。
カズオのことは、サトルには知られたくなかった。
私、逃げ道を確保しようとしてる?
けど、今更逃げてどうするんだ?
逃げるって、何から逃げるの?
どこにいたって、それはもうすぐ確実に私の身に起こることなのに。
馬鹿みたい。
「だったら、入院しろよ。そのほうが安心だし、今の痛みだってもっと楽になるよ」
「楽って……怖いよ」
「………」
「怖いよ、楽になろうとすればするほど、それが切れた時が怖い。あの人みたいに、ベッドの上で暴れるのよ、叫ぶのよ、死んでるみたいに生きたくないし、生かされたくない。だから、入院なんてしたくない、病院で死にたくない」
少し、声が大きくなってしまった。
病院のロビーでこんな話、しちゃいけないよね。
近くに座っていた人たちが何事かと私たちの方を向く。
私は、うつむいた。
「大丈夫だよ」
「何が?」
「俺が、側にいるから。最期まで、側にいるから。何があっても、暴れたって叫んだって、俺が一緒についててやるから」
真剣な目で私を見つめ、手をぐっと握ってくれる。
そんなふうに、優しくしないで。
「ごめん、考えとく……」
「よし」
「え?」
「『嫌』から『考えとく』になったからさ」
今度は満足そうに笑ってみせる。
時間だと、時計を見てサトルは立ち上がった。
「もし、本当に大切な『誰か』なら……」
そう言って、大きく息をはく。
「後悔しないように、ちゃんと話して、たくさんの時間を一緒に過ごして、存分に甘えとけよ。俺みたいな思いするのは、俺だけで十分」
「……サトル」
「それとも、今更俺に乗り換えて、死ぬまで罪な女をやり通すか?」
笑ってじゃあなと手を振った。
私も手を振った。
そうだよね……
私、何やってるんだろう。
せっかくの残された時間を、どうして安らかに楽しく過ごせないかって病床の父を責めたのは、この私だ。
家族の為にも、本人の為にも、そうすることが一番いいと思ってた。
父からは、そんな余裕なんてないと言われて、私にはわからなかった。
これだけの恐怖を、あの人が味わっていたなんて。
だから。
帰ったら、カズオに謝ろう。
観たいって言ってた映画、一緒に行ってあげよう。
早く、帰ろう。
「ただいまー」
にゃーとチビちゃんの返事が聞こえて、ゴロゴロ喉を鳴らしながら足に擦り寄ってくる。
私はチビちゃんを抱き上げてリビングに向かった。
静かだ。
「……カズオ?」
いない。
ビデオでも、借りに行ったのかな。
いいや、待ってよう。
私は荒れた部屋を見渡した。
最近は何もしたくなくて、掃除もろくにしてないし、洗濯物だってその辺に置いたまま。
鏡は私の視界を広げて死亡予告を見せるから、叩き割ってしまった。
その破片も、そのまま。
冷蔵庫の中も、昨日買ってきてくれたイチゴ以外は、シワシワになりかけの野菜や、賞味期限の切れた豆腐、いつ買ったか忘れた卵……ごめんね、何にもしてあげられてない。
アイツ、ここんとこ、何食べてたんだろう。
鏡の破片も掃除しなきゃ、怪我しちゃうよね。
このままじゃ、病院で死んだって、どこで死んだって、結局同じ気がしてきた。
どこで死ぬかなんて、きっと関係ない。
大切なのは、私自身の気持ち。
薬が替わったからなのか、それともちゃんと自分のこれからを受け入れられたのか、気分は悪くなかった。
体も少し調子が良くて、部屋中久々に掃除をした。
洗濯なんて、洗濯機に入れてスイッチを押せば、勝手にしてくれる。
時間をみて、手紙を書いてから買出しに出た。
冷蔵庫の中身から想像すると、たぶん、アイツはまたイチゴしか買ってこないだろうし。
でも、帰ってきても、カズオはいなかった。
自分の書いた置手紙が、虚しくテーブルの上でカズオに読んでもらうのを待っている。
「どこ、行ったんだろう……」
もうとっくに日は落ちた。
考えてみれば、アイツが現れてから、これだけ離れた時間を過ごすことはなかった。
どうしよう……。
でも、きっとどこかで私のこと、見てるんだよね……?
とりあえず、ごはんでも作って待ってようかな。
私はテレビのスイッチを入れて、キッチンへ向かった。
おなかをすかせたチビちゃんにエサをやると、勢いよく食べてくれる。
カズオも、おなかすいてないかな……。
テレビで交通事故のニュースが読まれている。
天使って、事故には遭わないか……でも、もしこの世で死んじゃったらどうなるんだろう……。
CMに切り替わると、カズオの観たがってた映画のワンシーンが流れる。
「……どうしてだろう」
カズオは、どうしてずっと私と一緒にいるんだろう。
『斉藤さん』みたいに、離れて監視することだってできたはずだ。
でもたぶん。
あの橋の上にカズオが現れなかったら、私、オッサンに同情して一緒に川に飛び込んでたかもしれないし、そうじゃなくても、ヤスコに会う前に、また死のうとしただろう。
あの時、私なんか、この世に存在する意味なんてないと思ってたから。
だけど、今は。
「どうしよう……」
たぶん、カズオが帰ってこなくても、私にはもう、受け入れてくれる人がいる。
支えてくれる友人がいる。
その準備を一緒にするために、そばにいてくれたの?
それだけ?
それだけじゃ、ないよね。
これで、サヨナラじゃないよ、ねぇ?
「そんなの、やだよ」
私は、コートを羽織って、家を飛び出した。