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目の前でにっこり笑い、背中に大きな翼を持った彼は、優しくない現実をずけずけと私に告げた。
そして、自分を天使と名乗った。
なんだか。
「うはははは、何それ」
おかしくて、私は大笑いした。
「天使だって? くくく、アンタが?」
「なんだよっ! そんなにおかしいか?」
「おかしいわよ、だって、天使よ、天使」
「……死を目前にすると、人間って壊れるんだな、やっぱり」
そうだ、私は壊れてるよ。
もうじき死ぬんだ。
それは間違いない。
例え、彼が言うように、今夜屋上から飛び降りなかったとしても、来年の24歳の誕生日を私は迎えることができない。
そう、この前医者から宣告されたんだ。
「へぇ、天使ねぇ。私は仏教よ、浄土真宗のお東よ。わかる? キリシタンじゃないけど、天使が迎えに来てくれるわけ?」
「完全に馬鹿にしてるだろ、オマエ」
「だって、おかしいじゃない。私、まだ死んでないのに、なんで来ちゃったの? もしかして、私があまりにいい女だから、ヤリたくなってやっちゃったわけ? そうよ、天使のくせにナンパしてセックスして、それでいいの? もしかして、死にそうな女ナンパしてやりたい放題やっちゃってんじゃないの?」
「うるせぇ女だな」
最近は、我慢しない。
どうせ死ぬんだからと思って、思ったことはすぐに口にするようにした。
そうしたら、いつのまにか、本当にひとりになった。
当たり前か。
うるせぇ女と言われて、腹が立って私は口をへの字に結んだ。
「オマエが死ぬ前に気持ちよくしてもらおうって思ってたから、せめてそれぐらい叶えてやろうと思ったんだよ。心優しい天使の俺サマが」
「へぇ、言い訳?」
「オマエ、どこまでひねくれてんだ?」
「あ、ちょっと待ってよ」
「あ?」
大事なことを思い出した。
「アンタの翼が見えたおかげで、私、イキそびれたんですけど」
「へ……?」
「ちょっと時間が早いんでしょ?だったら、お願い、心優しい天使サマ」
「それって」
すっかりガラの悪い天使と化した彼に、私はリクエストする。
「うん、もう一回、して」
コイツ、本当に天使なんだろうか。
天使であれ、何であれ、もうなんでもいい。
嫌な顔してたのに、今はやさしい顔して私の体を愛してくれている。
おかげで楽しい最期の夜になりそうだ。
どうやらコイツが本当に天使なら、私はもうじき死ねる。
最高に気持ちよくしてもらって、連れて行ってもらおう。
「気持ちイイ?」
「うん……」
「俺も…スゲー気持ちイイ。ねぇ、もっといっぱい声だして」
なんだこれは。
普通のカップルの会話みたいな。
天使がこんな、声だせとか言うの?
まあ、いいか。
もっと、もっと、気持ちよくして。
そして、天国に連れてって。
ジリリリリリリーッ!
「何!?」
耳をつんざくような警報機の音が突然鳴り響いた。
二人で顔を見合わせる。
「これも、予定されてたこと?」
ちょっと不安になって彼に聞くと、ううん、と首を横に振った。
警報機は鳴り止まず、なんとなく廊下がざわついてきたのがわかる。
そのとき、ドンドンドンとドアを激しく叩く音がした。
「お客さん!火事だよ!早く逃げて!」
切羽詰ったオバサンらしき声が聞こえた。
「どういうこと!?」
「こっちが聞きてぇよっ!」
慌てて二人でベッドから起き上がり、前も後ろも表も裏もわからないまま、とりあえず服を着て部屋を出ると、すでに煙が充満していた。
廊下の突き当たりに非常口を示す緑のプレートが見えて、ドアが大きく開いている。
次から次へとドアが開き、いろんなカップルが様々な格好で部屋を飛び出してくる。
「おい、早く行くぞ!」
「逝く?」
「早く逃げるんだよ!」
彼は私の手をしっかりつかんで、非常口へ走った。
煙を吸い込むと、喉が熱くて苦しくなって、思わずせきこんだ。
ほんの数メートルの距離が果てしなく長いようで、出口までたどり着けないような気がする。
「しっかり走れ!」
なんで。
アンタ、なんで私を助けようとしてんの?
そう叫びたかったが、声にならなかった。




