file4「receive」
最近のカズオはすごく優しい。
相変わらずのヘラズグチだけど。
だけど、なんだかすごく、優しい。
ミヨちゃんが旅立って、2週間が過ぎた。
あれからチビちゃんは、すっかりうちのネコになった。
そして、私は。
言いようのない倦怠感に、ベッドで過ごすことが多くなった。
それでもカズオは。
気になるカフェができただの、新しいコートが欲しいだの言って、私を外に引っ張り出したり、相変わらず映画鑑賞会をやってみたり、忙しい。
私のために、おかゆも作ってくれるし、好きなイチゴをしょっちゅう買ってきてくれる。
なんか、わかってるから、やめてよね。
その行為自体が私のゴールサインみたいで。
馬鹿な天使。
「おくすりは前と同じですね、5日分出ていますので……」
毎度毎度、同じ説明を繰り返す薬剤師さんも大変だね。
先生は、週に一度はちゃんと通って、点滴うちなさいって。
早く入院しなさいって。
だけど、もし私が死んだとして。
魂はカズオが連れてってくれたって、こっちに残された抜け殻はどうなるんだろう。
誰か、焼いて灰にしてくれるのかな。
そのあとは、どっかにまいてくれるのかな。
まぁいいか、この体がどうなろうと、死んじゃったら何もわからないんだから。
売店で水を買って、ロビーで早速痛み止めを飲む。
副作用が出るからって、それを緩和する為の薬も飲む。
意味があるんだか、無いんだか。
病院には、カズオはついて来ない。
ここに来ると、翼の見える人間が多すぎるんだとか。
そりゃあ、院内はちょっとしたパニックになるだろうな……。
水をもう一口飲んで立ち上がったときだった。
「ヨーコ? ヨーコだろ?」
また、聴いたことのある低い声。
横を向くと、白衣に身を包んだ彼が、呆然と立っていた。
「……サトル」
なんで?
こんなことってあるんだろうか。
「やっと、会えた」
真っ直ぐ彼は私に向かってくると、いきなり私を抱きしめた。
他の患者さんや、看護師さんやらの目の前で。
強く、強く。
「川上くーん、ここをどこだと思ってんの?」
大柄のオバサン看護師さんが、通りすがりにサトルの頭をバインダーで叩いて行った。
それでやっと、サトルは私から離れて振り返り、去っていく看護師さんに頭を下げた。
「す、すいません!」
急ぎ足の看護師さんは、わかったとばかりにバインダーを上げる。
それを見て、サトルは胸をなでおろした。
私は思わず笑う。
「ヨーコが笑うなよ」
「あ、ごめん」
「そんな笑顔見たら、これ以上言いたかったこと、言えなくなるだろ」
「……ごめん」
わかってるよ、サトルが何言いたいかなんて。
それなりに、私たち付き合ってたんだし。
今の私の『ごめん』の意味も、わかるよね……?
ちょうど休み時間だというサトルは、わざわざコートを持ってきて、二人で外を歩くことにした。
「理学療法士、だっけ? なれたんだね」
「ああ。この病院に先輩がいたんだけど、出産で退職してさ。その代わりにオレが10月からここにきたんだ。ずっと整形にいたから、総合病院って大変だな」
「へぇ……」
「ヨーコは?」
「ん?」
「今、何してんの。そういえば、ダイスケたちと会ったんだって?」
「うん……」
私は、立ち止まった。
前を歩くサトルは、少し長かった髪の毛が短く切られてるくらいで、あとは何も変ってない。
背が高くて、広い背中。
振り返って、私の名前を呼ぶ低い声、笑ったらなくなっちゃう目。
「ごめん、ヨーコ」
少し、悲しい顔して、ゆっくりと私の頬に手を伸ばして。
どうして私に謝るの。
「あの時、側にいてあげられなくて」
「………」
「おばさんが入院したなんてわからなくってさ。電話したけど、電源入ってないし、メールも返事こないし。考えてみれば、ずっと病院にいればあたりまえだし、それどころじゃなかったんだよな」
ごめん、サトル。
「俺も仕事始めたばっかりで、忙しくて、ちゃんとヨーコの話、聞いてやれなかったんだよな。亡くなったって聞いてから、ヨーコのこと探したけど、見つけられなくてさ。ごめんな、辛かったろ……」
私はうつむいて、首を横に振った。
「ごめん、私、帰るね」
「待って!」
振り返ろうとした私の手を掴んで、サトルが私を抱き寄せた。
この、暖かい腕も、ずっと忘れてたのに。
「ごめん、ごめんね……私、わかってたんだ、サトルが私のこと探してくれてたの。でも、会えなかった。会いたくなかった」
「どうして」
「……自分が惨めで、情けなくて……そんな私、見せたくなかった。がんばろうと思ったけど、なんにもできなかった。毎日泣いて、ひどい顔してたし、誰も、誰にも私の気持ちなんてわかってもらえないって思ってたから」
「ヨーコ」
「世界で一番自分が不幸だって思ってた……思い込んでたら、本当になっちゃったけど、ね……」
何をべらべらと……。
よく喋る私の口。
それを、昔みたいにサトルがふさいだ。
そう、そうだった。
この人の唇は、私を幸せな気持ちにさせる。
どうして、あの時、素直に甘えられなかったんだろう。
もし、あの時、すぐにでもこうしていたら……。
この運命は、変ってたんだろうか?
「会えて、よかった」
唇を離して、優しく両手で私の顔を包んでくれるあなたは、間違いなく、あの時私が大好きだった人。
すれ違って、タイミングが悪くて、嫌いになったわけじゃなくて、好きだったのに、サヨナラした人。
私も、会いたかったよ。
でも、ね。
「私、もうすぐ死ぬんだ」
どんな顔して、私は言ってるんだろう。
でも、すごく、悲しい。
そして、後悔している。
あなたに甘えなかったこと。
今、こうしてまた、そんなあなたと再会してしまったこと。
ふと、カズオのことを思い出した。