file1-1「heavens door」
これが終ったら、どこらから飛び降りようか。
それとも、どんな薬を飲もうか。
それとも、どっかで首くくろうか。
きれいな死に方ってあるのかな。
自殺マニュアルとか、真剣に読んどきゃよかったかな。
「なに、考えてるの」
彼はそう言って、私を後ろから抱きしめて、首筋にキスする。
せめて死ぬ前に気持ちよくしてもらおうと思った。
死を目前にしたセックスは激しく感じるらしいって、なんかの本で読んだっけ。
でも、私の死は、そんなに切羽詰ったもんじゃない。
じりじりと詰め寄ってくる死を、さっさと自ら絶ってしまおうとしているだけ。
じゃあ、そんなに感じないかな。
「シャワー、浴びてくるね」
「うん」
彼の腕をそっとほどいてバスルームへ向かう。
知り合ったばかりの男と寝るのも慣れてきた。
初めは何をされるかドキドキしてたけど、結局のところみんな同じ。
キスして、触って、入れて、出して、終わり。
誰でもいいってわけじゃなくて、それなりに気に入った人を選んで。
この時だけは、私のこと見ててくれて、可愛いって言ってくれて。
生きてるって、感じる。
裸になって鏡の前に立つと、やっぱり少し痩せたと思った。
骨と皮になって苦しむより、まだ女らしいこの身体で終りたい。
初めて人の死に直面したのは祖父の死。
高校生の時、入院していた祖父に母と一緒に付き添った。
鼻には酸素を送るチューブ、所々にアザのある腕には点滴針、まるで体中から無数のチューブが生えてるみたいに見える。
口を開けて眠っているが、ふと目を覚ましてみたり、また目を閉じたり、あっちとこっちの狭間をさまよい続けて、死んでいるようで生きている祖父に、私は言葉を失った。
真夜中、苦しいからと言って体を起こした祖父は、大きく息を吸ったあと、がくっと前に倒れた。
それが最期だった。
昔の人にしては背が高くて、土建屋だった体格のいい祖父は、見る影もなく痩せ細り、強引に入れ歯をはめ込まれて、頬に不自然に綿を詰められた。
最後のお別れにと棺に花を入れ、そっと頬に触れると、それは恐ろしいほどに冷たくて、私は思わず手を引っ込めたのを忘れられない。
私はそっと鏡に映る自分の頬に触れる。
まだ赤く柔らかそうな頬が、いつかへこんで口いっぱいに綿を詰められるなんて、私は嫌。
想像した自分を洗い流すように、わざと冷たい水のシャワーを浴びる。
「入るね」
突然の声に、私は思わずドアの方に背を向け背中を丸めた。
もうじき全て見られてしまうのだけれど、これだけ明るい場所でいきなり見られるのは、やっぱり恥ずかしい。
ゆっくりドアが開いて、人懐っこい笑顔で彼が入ってきた。
「びっくりした」
「ごめん、待ちきれないから」
じっと私の目を見て近づいて、キスする。
ちょっとだけ、あどけなさの残る顔が、少し年下に見えた。
若くて生命力溢れる体は、私の残り少ない体力を奪うように熱く、皮膚に吸い付いてくる。
私は、求められるまま体をすべて彼に任せた。
場所をベッドに移して、お互いの体を貪るように求めあった。
別に飢えてたわけじゃないし、そこまで物好きでもなかったはずなのに、今日の感覚はいつもと明らかに違っていた。
本で読んだことは、本当だったのかな……
なんて、色々考えることもだんだんできなくなってきた。
自分でも驚くぐらい、彼の肌に指に舌に敏感に反応する。
もう、本当に、このまま死んでもいい、このまま、死にたい。
最期が、彼でよかった。
私は仰け反ってシーツをつかんだ。
彼の呼吸が速くなって、喘いで同じように上体を反らした。
「いく……」
そう呟いて、私が目を閉じようとした瞬間、突然、視界いっぱいに現れたモノに目を見張った。
絶頂を迎えた彼の背中に開いた、大きく白い翼。
薄暗い中でも、それは真っ白く、綺麗に輝いていた。
「!?」
ついに、幻覚を見た。
そう思った。
お迎えが来た。
そう思った。
でもちょっと待って、最高に気持ちよかったのに、まだイッてない。
いや、待って、そんなんじゃなくて、何なんだ……!?
彼がぐったりと私に被さってくると、ピンと大きく開いていた背中の翼もゆっくりと力なく閉じていく。
「最高に気持ちよかったよ」
「……うん」
耳元で呟く彼に、私はとりあえず返事をした。
その妙な声の返事と、強張る体に気付いたのか、彼が顔を上げて首をかしげる。
「どうしたの?」
「どうしたのって……何、これ」
「へ……?」
私は手を伸ばして羽を掴むと、勢いよく引き抜いた。
「いでっ!」
「うっそ……」
「何すんだよっ!」
彼は体を起こすと、肩をすくめて歯を食いしばり、翼をバサバサと動かした。
白い羽が、ふわふわと床に舞い落ちる。
私は彼の動作を呆然と見ていた。
夢、なのか、やっぱり幻覚なのか。
痛みに悶えていた彼が、ふと動きを止めて私を見下ろす。
「見えるのか……?」
「見えないもんなの、これ?」
私は手に掴んだままの、彼からむしりとった羽を見てから、さっきの人懐っこい可愛い笑顔を失った、意地悪そうな彼の顔を見た。
面倒くさそうに舌打ちして、さっさとベッドを降り、携帯を手に取るとメールでもチェックしているようだ。
私も体を起こして、まじまじと彼の背中を見る。
どう見ても、どう考えても、その背中からは大きな翼が生えている。
「まあ、いっか」
彼は溜息をついて携帯を閉じて私の方を向く。
「じゃ、さっさと行こうぜ、屋上」
「え?」
「アンタ、今夜中にここのホテルの屋上から飛び降りるんだろ?ちょっとまだ時間早いけど、遅れるよりはいいし。ほら」
そう言って、私の服を投げた。
言ってる意味が理解できない。
「何言ってんの」
「だから、そういうこと。ほら、早くしろって」
「意味わかんない」
「今更なんだよ、さっきまでどうやって死のうか考えてたじゃん、迷うことなく屋上から飛び降りるって教えてやったんだから、感謝しろよ」
「ちょっと……」
「きれいな死に方なんてないし、苦しまない方法もない。このホテルはそんなに高くもないから、地面が近づく恐怖もあるだろうし、痛みも感じるな。もしかしたら、即死できなくて、散々苦しむかも。まあ、俺は死んだことないから、憶測でしかないけどなぁ」
全てを知ってるように、彼は服を着ながら淡々としゃべり続けた。
「ねぇ」
「ん」
「アンタ、誰?」
「俺?」
彼は振り返って、笑った。
「俺、天使」