〜プロローグ〜 ショートスリーパー異世界転移!?
人間が健康に生きるために一日に必要な睡眠時間は、8時間ほどとされている。
しかし、この俺、朝日田蓮太の睡眠時間はわずか三十分。
二十四歳の朝日田蓮太にとっては、それこそが日常だった。
目覚まし時計の電子音が鳴り響くより早く、蓮太の意識は鮮明に覚醒する。
充血を知らない冷徹な瞳、異常なまでに研ぎ澄まされた五感。世間では超ショートスリーパーというより、不眠症と呼ばれるような領域だ。
だが、わずか三十分の睡眠で事足りてしまう、奇異な体質だった。
いつも通り睡眠を終え、狭いワンルームの天井を見上げ、起き上がろうとした刹那――足元の空間が不気味に歪んだ。
視界が深紫色の光に呑み込まれ、重力が足元から剥ぎ取られる。
平衡感覚を粉砕するほどの眩暈の直後、蓮太の身体を打ち付けたのは、アスファルトでも畳でもなく、冷たく湿った石畳の感触だった。
反射的に跳ね起き、周囲を鋭く見回す。そこは崩落しかけた巨大な大聖堂の廃墟だった。
外へ視線を走らせれば、空は灰色、浮かぶ月は二つ――明らかに現実離れした場所にいた。
ただの異常事態ではないと五感が警告を発したその瞬間、張り詰めた静寂を切り裂くように、空間を震わせる大声が響き渡る。
「――勇者よ!! 召喚成功じゃ! やっと魔族に虐げられていたこの≪アハリア王国≫が救われるぞ!!」
(俺は、異世界にでも転移したのか? ただの1日30分睡眠のショートスリーパーだぞ? それに周りの連中、いま俺のことを勇者って言ったか?)
「――はぁ!? どーいうことだ!? ここは一体どこなんだ!?」
俺は冷静さを欠き、思わず声を荒げてしまった。すると、俺を召喚したであろう長い髭を生やした老人が答える。
「君には、この世界を魔族から救ってもらいたいんじゃ!」
「なんで俺なんだよ!! 俺にだって自分の生活があるんだよ!! 早く帰らせろよ!!」
感情を爆発させ、ブチ切れる俺に、老人の表情が険しくなった。
「……まさか、帰れないなんてことないよな!?」
「そのまさかじゃ。帰る方法は……ないのじゃ」
俺は老人を睨み付け、ありったけの怒りをぶちまけた。
いつもなら、イラッとしても我慢する。社会人として、いや、人間として当たり前のマナーだ。
だが、今回はアニメで見るような訳の分からない異世界へと勝手に召喚されたんだぞ? ブチ切れて当然だろうが!!
「なんでだよ!! なんで帰れないんだよ!! もう、イライラするなぁ!!!!」
「静粛に!!! 勇者殿!!!」
「俺は勇者じゃねぇよ!!! 朝日田蓮太、ただの社会人だっての!! 勝手に勇者呼ばわりすんな!!! あーもう!! イラつくなぁ!!!!」
老人は俺の怒りを意に介さず、悲壮感を漂わせながら淡々と話を続けた。
「勇者朝日田蓮太よ。世界を救ってくれ……! これでは、この世界が終わってしまうのう……」
「あ、そうですか!! 俺には一切関係ないね!!」
「勇者がいないと……ふぅ、もしこの世界を救ってくれるなら、めちゃくちゃ可愛い女の子を紹介しようと思ったんじゃがのぉ……」
(んんんんん??? かわい子ちゃんだと……!? 女を紹介してもらえるなら話は別だぞ! 異世界の女といえば、みんな胸が大きくてスタイル抜群のべっぴんばかりじゃないか!!! よし!! この世界、救ってやってもいいぞ!!!)
「老人!!!!!! 気が変わった!!!!!! 俺は性欲に飢えている!!!!!!!!! 女を紹介してくれるってんなら!!!! この世界、俺が救ってやりましょう!!!!!」
「なんという現金な男じゃ……。しかし、契約は成立じゃな!」
老人は引き気味に大きく頷くと、廃墟の奥から一本の古びた羊皮紙を取り出した。
「では、お主のステータスと固有能力を測定する。このステータス測定の宝珠に手をかざすがいい」
「おう、とっとと測ってくれ! で、その可愛い子にはいつ会えるんだ!?」
「女女ってうるさいのう。うるさいと会わせんぞ?まずは、手をかざせい!」
「それだけは勘弁してください!!黙ってやるんでぇ!」
俺は鼻鼻息を荒くしながら、老人が差し出した透明な水晶玉へと勢いよく手をかざした。
すると、宝珠が怪しい紫色の光を放ち、無機質な声が響き渡る。
『――個体名:アサヒダ・レンタ。異界からの召喚を確認』
『――固有能力の覚醒プロセスを開始します』
「おお……! アニメでよくあるやつだ!てか、宝珠ってしゃべるのか!?」
『はい!魔力がある限り話を続けることができます。それでは、スキル判定します。それでは、スキルを判定します――』
「頼むぞ!最強の能力来てくれ!!頼む!!」
『条件照合:極限の短時間睡眠適性、過剰な欲望、覚醒した五感――完了【極・ショートスリーパー(不眠の支配者)】が反映されました』
「ユニークスキル……【極・ショートスリーパー】じゃと!?」
宝珠に浮かび上がった文字を見て、老人が目を見開いた。
「おい老人、なんだそのスキルは? 俺の30分睡眠体質がそのままスキルになったのか?」
「うむ……。説明を見る限り、この能力は……対象の睡眠サイクルを強制操作する権能のようじゃ」
「睡眠サイクルの操作……?」
首をかしげたその瞬間――ドォン!! と、大聖堂の分厚い石壁が激しい音を立てて粉砕された。
「ひっ……!? もう追手が追いついてきたか!!」
老人が悲鳴を上げる。崩れ落ちた瓦礫の煙の中から姿を現したのは、体長3メートルを超える巨躯を持った、漆黒の狼型の魔族だった。鋭い爪と凶悪な牙、そして血に飢えた赤い目が俺たちを射抜く。
「ガルルル……召喚の光を見て来てみれば、ヒョロい人間が一匹か。それが我ら魔族を脅かす勇者だと? 笑わせるな!」
魔族が地響きを立てて突進してくる。
速い。人間では到底反応できないスピードだ。
「蓮太殿! 逃げるのじゃ!!」
老人が叫ぶ。だが――俺の研ぎ澄まされた五感は、その凄まじい速度をはっきりと捉えていた。
恐らくだけど、異世界特有の魔力とスキルを授けた恩恵だろう。
(逃げる? 冗談じゃねぇ。ここで逃げたら、俺の『かわい子ちゃん紹介プランが白紙に戻っちまうだろうが!!)
恐怖よりも勝ったのは、圧倒的な欲望と元の世界へと帰れないことでのイライラだった。
俺は逃げるどころか、一歩前へ踏み出し、向かってくる魔族へ向けて右手を突き出した。
「おいクソ野郎……! 俺の今後の女との甘い未来を邪魔してんじゃねぇよ!!」
脳内で【極・ショートスリーパー】の概念が弾け、使い方が瞬時に理解できた。
俺の体質は「30分で体力を全回復する」こと。
そしてこの能力の本質は――『相手の睡眠時間を極限まで奪い、強制的に極度の睡眠不足(ショートスリーパー状態)に叩き落とす』ことだ!
「スキル発動――≪短眠の呪縛≫!!!」
俺の手のひらから、深紫色の波動が放たれ、突進してきた魔族の全身を包み込んだ。
「ハッ、そんな生ぬるい魔法がこの俺に――……なっ!?」
魔族の動きが、ピタリと止まった。
巨体がガクガクと震え出し、凶悪だった瞳がみるみるうちに赤く充血していく。
「な、なんだ……!? 頭が……割れるように重い……!? 身体に、力が入ら、ん……!?」
「フッ……当然だろ。お前は今、過去10年間、毎日たった3秒しか寝ていない状態の極限疲労と脳の破壊を一瞬で叩き込まれたんだよ」
人間どころか魔物であっても、睡眠不足には勝てない。
本来なら何日も徹夜しなければ訪れない絶望的な頭痛、目眩、筋肉の弛緩、そして強烈な倦怠感。それが一瞬で魔族を襲ったのだ。
「カハッ……! 息が……頭がボロボロだ……寝させてくれ……頼む、一秒でいいから眠らせてくれぇええ!!」
直前までの威圧感はどこへやら、魔族は膝から崩れ落ち、頭を抱えて石畳の床をのたうち回った。
睡眠を奪われた生物は、戦うどころかまともに立つことすらできない。
「へっ、ざまあみろ。ちなみに、俺が『解除』してやるまでお前は一生ぐっすり眠れねぇからな」
「ひぃい!? た、助けてくれぇええ!!」
号泣しながら許しを乞う巨体を見下ろし、俺はニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
(なるほどな……。相手の睡眠を奪って超・疲弊状態にする短眠付与。逆に、俺自身はたった数十秒目を閉じるだけで体力を即座に全回復できる超急速休息。……この能力、凶悪すぎるだろ!)
「す、凄まじい……! 一瞬で強力な魔族を無力化してしまった……! これぞまさに勇者の力!!」
後ろで見ていた老人が、ガタガタと震えながら俺を崇めるように見上げてくる。
「おい老人。約束は覚えてるだろうな?」
俺はのたうち回る魔族を踏みつけながら、老人に指を突きつけた。
「もちろんでございます、蓮太様! すぐに我が国一番の美女たちを集めさせますじゃ!!」
「よっしゃあああ!! 異世界無双の始まりだぁあああ!!!」
こうして、わずか30分睡眠の男・朝日田蓮太の、睡眠と欲望を巡る異世界攻略が幕を開けたのだった。




