第八話:王の復活祭という名の大宴会 ~包丁が握れず落ち込む黒猫執事と、絶品手作り料理~
魔法での掃除は効率が良かった。
いや、みんなで協力して行った大掃除と修繕のおかげだろう。
この荒れ果てていた離宮は、すっかり綺麗になり、快適な家へと姿を変えた。
私は大きく背伸びをして、凝り固まった肩の筋肉をほぐした。
「ふう、なんとか住める状態にはなったわね」
私がそう言うと、長机の上で毛繕いをしていたハクが、顔を上げて大きく胸を張った。
『うむ、我らの数百年の封印からの復活と、この新たな拠点の完成は、非常に喜ばしいことである』
ハクの力強い声が、綺麗になったホールに響き渡る。
彼は満足そうにヒゲを揺らした。
『よって、今宵はこれを祝し、王の復活祭を開くものとする! 大宴会である!』
「大宴会って、ハク、食材はどうするの? 私が王都から持ってきた干し肉しかないわよ」
干し肉はとても美味しいし長持ちするけれど、それだけで大宴会と呼ぶには少し寂しい気がする。
すると、私の足元にいたクロが一歩前に出た。
彼の緑色の瞳が、やる気に満ちてきらきらと輝いている。
『カトリーナ様、ご心配には及びません。この離宮の敷地内には、長い間人間が立ち入っていなかったおかげで、自然の恵みが豊富に残されているはずです。私がただちに食材を調達してまいります』
「調達って、クロ一人で大丈夫なの?」
『お任せください。執事たるもの、主の食卓を豊かに飾るのも重要な務めですから』
クロはピンと立てたしっぽを揺らしながら、開け放たれた大扉から真っ直ぐに外へと駆け出していった。
小さな黒い体は、あっという間に庭の茂みの中へと消えていく。
「なんだか、すごく張り切っているわね」
『ふはは、クロのやつ、腕が鳴っているのだろう。長きにわたって料理の腕を振るう機会がなかったからな』
私はハクの言葉に少し首を傾げた。
さっき、窓の金具を直そうとした時、クロは自分の丸い前足では細かい作業ができないことに気づいてひどく落ち込んでいたはずだ。
料理だって同じように、包丁を握ったり鍋をかき混ぜたりする細かい手作業が必要になる。
クロはすっかりそのことを忘れているような気がするけれど、今は口を出さずに見守ることにした。
私は開いたままの大扉から、庭の様子を眺めた。
屋敷のすぐ外には、昔は綺麗に手入れされていたであろう庭が広がっているけれど、今は背の高い草がたくさん生い茂っている。
その草むらの中で、クロの素早い動きが見え隠れしていた。
彼は風属性魔法をとても器用に使っている。
『風よ、捕らえよ』
クロの短い言葉とともに、目に見えない風の塊が草むらの一角を包み込んだ。
風の塊は網のように広がり、そこに隠れていた野ウサギや野鳥を、傷つけることなくふわりと空中に持ち上げたのだ。
彼らは驚いて足をバタバタさせているけれど、風の魔法からは逃げ出せない。
「本当に素晴らしい魔法ね。あんなふうに生け捕りにできるなんて」
私が感心している間にも、クロの狩りは続く。
今度は庭の隅にある、土が少し盛り上がった場所へと走っていった。
彼はそこで土属性魔法の『クリエイト』を応用している。
地面の土が生き物のようにうねり、避けていく。
すると、地中に埋まっていた大きな根菜類が次々と姿を現した。
それだけでなく、食べられそうな野草や山菜も、クロは的確に見分けて風魔法で集めていく。
彼は何百年も地下に封印されていたのに、野外の植物の知識までしっかりと持っているようだ。
執事としての高い能力を、こんなところでも発揮している。
しばらくして、クロが屋敷に戻ってきた。
彼の後ろには、風の魔法で浮かべられた大量の食材が、ふわふわとついてきている。
丸々と太った野ウサギや野鳥、土のついた新鮮な根菜、それに緑が色鮮やかな山菜の数々だ。
『お待たせいたしました。まずは庭に生息していた獲物と、自生していた野菜を確保いたしました』
「これだけでもすごい量よ。クロ、お疲れ様。さっそく料理を始めましょうか」
『いえ、ハク様のための偉大なる復活祭です。これだけではまだ少し物足りません。果物や、もっと上質な肉も欲しいところです』
クロはそう言うと、今度は屋敷の入り口近くで待機していた山猫たちの方へと向き直った。
山猫たちは、私と一緒にここまで来てくれた道案内の群れだ。
ハクの恐ろしい気配を感じて、屋敷の中には入らずに外で待ってくれているのだ。
クロは堂々とした足取りで、自分よりも何倍も大きな山猫のボスの前に進み出た。
『森の者たちよ、よく聞くが良い』
クロの低い声が響く。
私の耳には、固有スキルの『猫語完全通訳』のおかげで、彼らの会話がはっきりと人間の言葉として聞こえてくる。
『この屋敷の地下に長らくお眠りになっていた偉大なる王が、ついに復活を遂げられた。今日はその喜ばしい日を祝うための、大宴会である』
『おお、それはめでたいことだ。王の復活、我ら森の者にとっても喜ばしい』
山猫のボスが、低い声で応じた。
彼らはクロの小さな体を見下すことなく、同じ猫科の仲間として、そして王の側近として敬意を払っているようだ。
『王はとても寛大であられる。お前たちがこの屋敷の周辺を守ってくれていたことも、大層喜んでおいでだ』
『本当か! それは光栄なことだ』
『そこでだ。お前たちのさらなる忠誠を示すための、良い機会を与えよう。偉大なる王の宴にふさわしい供物を用意するのだ。そうすれば、王の恩恵がこの森全体に広がるであろう』
クロの言葉は、とても堂々としていて説得力があった。
山猫たちを上手く乗せて、自分たちから進んで動くように仕向けているのだ。
山猫のボスは、クロの言葉を聞いて目を輝かせた。
『供物だな! わかった、任せておけ! 我らが知る限り、とびきりの美味い獲物と果物を持ってくる! 野郎ども、行くぞ!』
山猫のボスが声を上げると、周りにいた数十匹の山猫たちが一斉に森の奥へと散っていった。
彼らの素早い動きは、あっという間に木々の間へと消えていく。
「クロ、あなた本当に交渉が上手なのね。まるでベテランの商人みたいだったわ」
『お褒めいただき光栄です。これも執事として当然の嗜みでございます。他の者たちを動かし、最高のものを集めるのも私の仕事ですから』
クロは得意げにしっぽを揺らした。
それから一時間も経たないうちに、森から山猫たちが次々と戻ってきた。
彼らの口には、北の森でしか採れないような珍しい果物や、香りの強い香辛料の束がくわえられている。
さらに、大きな山猫数匹が協力して、イノシシのような大型の動物の肉まで運んできた。
霜降りのような見事な脂が乗った、とても上質な肉だ。
『持って来たぜ! これが俺たちからの供物だ! 王によろしく伝えてくれ!』
『うむ、ご苦労であった。王も必ずや喜ばれるだろう。お前たちの働きには感謝する』
クロが鷹揚にうなずくと、山猫たちは満足そうな顔をして、再び森の奥へと戻っていった。
彼らにとっては、偉大な王に贈り物をすること自体が名誉なのだ。
これで、食材は信じられないほど豊富に揃った。
王都の市場でもなかなか手に入らないような、新鮮で高級な食材の山だ。
『さあ、カトリーナ様。これで準備は整いました。ただちに配膳室へ食材を運び込み、極上の料理を作り上げましょう』
「ええ、かまどの掃除も終わっているし、すぐに取り掛かれるわね」
私はクロと一緒に、食材を配膳室へと運び込んだ。
そこには、私が綺麗に磨き上げた立派な調理台と、大きなどんぶりや鍋が用意されている。
クロは調理台の前に立ち、やる気に満ちた顔で食材を見つめた。
『ふふ、久しぶりに腕が鳴ります。まずはあの肉の筋を切り、香辛料を擦り込んでからじっくりと焼き上げましょう。それから根菜は大きめに切り分けて、濃厚なシチューに仕立てます。果物は綺麗に切りそろえて、見栄え良く盛り付けましょう。さあ、始めますよ』
クロは勢いよく言い放ち、前足を高く上げた。
しかし、その前足が調理台の上にある包丁の柄に向かった瞬間、彼の動きがぴたりと止まった。
『……』
クロが前足で包丁の柄を掴もうとするが、丸くて柔らかい肉球は、木製の柄の表面を持つことができない。
彼はあきらめずに、今度は両方の前足を使って、包丁を挟み込もうとした。
よいしょ、よいしょと押し付けるように力を入れているけれど、やはり包丁は持ち上がらない。
今の彼の姿は小さな黒猫であり、手には指が一本もないのだから。
包丁を握って食材を細かく切ることなんて、できるはずがないのだ。
「クロ、どうかしたの?」
私はわざと気づかないふりをして声をかけた。
クロはゆっくりと私の顔を見上げ、それから自分の丸い前足を見つめた。
彼のピンと立っていた耳が、みるみるうちに頭にくっつくようにぺたんと下がっていく。
『私は……またしても自分の無力さを忘れておりました……』
クロの声は、先ほどの元気な様子が嘘のように弱々しい。
『先ほど、窓の金具を直そうとした時に、自分には細かい手作業ができないと学んだはずなのに……。私は包丁を握ることもできない……。ハク様の大事な復活祭の料理を作ることすらできないなんて……。私は本当に、無能な執事です……』
彼の小さな体から、どんよりとした暗い空気が漂い始める。
しっぽは床にだらりと垂れ下がり、今にも泣き出しそうな顔をしている。
私は彼がこうなることを予想していたので、慌てずに彼の横にしゃがみ込んだ。
「クロ、そんなに落ち込まないで。さっき、私と役割分担を決めたじゃない」
『ですが、カトリーナ様……。私は料理の知識と技術には、誰よりも自信があるのです。かつてはハク様に、毎日違う料理をお出ししていたほどです。その知識を活かせないとは、執事としての存在意義が……』
「大丈夫よ、その知識はちゃんと活かせるわ」
私はクロの頭を優しく撫でた。
彼の毛並みは本当に滑らかで、撫でている私の方まで落ち着く。
「私がクロの手になるわ。クロが料理長で、私が助手。クロが細かい指示を出して、私がその通りに包丁を動かして料理を作るの。それなら、クロの素晴らしい知識をしっかり活かせるでしょ?」
私の提案を聞いて、クロはハッとしたように顔を上げた。
『……なるほど。私とカトリーナ様で協力して、一つの料理を作り上げるということですね』
「そうよ。クロが監督してくれれば、きっと最高の料理ができるわ」
『それならば、私の技術を間接的にハク様に捧げることができます。……わかりました。カトリーナ様、私の指示は厳しいですよ。覚悟しておいてください』
「ええ、望むところよ。お手柔らかにお願いね、料理長」
クロの耳がピンと立ち、しっぽが再びパタパタと動き始めた。
すっかり機嫌を直してくれたようだ。
私たちはさっそく、調理に取り掛かった。
私は袖をまくり上げ、しっかりと包丁を握る。
『まずはその肉の筋を切ってください。そうすることで、火が通りやすくなり、食感も柔らかくなります』
「わかったわ。こんな感じでいい?」
『はい、お見事です。次はそこに、先ほど山猫たちが持ってきた赤い香辛料と塩を擦り込んでください。分量は……私が前足で示した量です』
「はい、料理長」
クロの指示はとても的確で、無駄がない。
私が食材を切るたびに、彼は調理台の上から真剣な目でチェックしている。
野菜の切り方から、鍋に入れる順番まで、彼の頭の中には完成された手順がしっかりと入っているようだ。
私は言われた通りに手を動かすだけで、どんどん料理の形ができていく。
『次は火加減が重要です。そこは私にお任せください』
クロがかまどの前に立ち、風属性魔法をわずかに使って、燃える薪の火の強さを調節した。
強すぎず弱すぎない、絶妙な火加減だ。
魔法をこんなふうに日常の生活に使うなんて、とても便利で賢い使い方だと思う。
やがて、配膳室の中にたまらなく良い匂いが広がり始めた。
肉の表面が香ばしく焼ける音。
厚手の鍋の中で、シチューがコトコトと煮える音。
どれもが食欲を刺激する素晴らしい音と香りだ。
すると、その匂いにつられたのか、ハクが配膳室にのっそりとやってきた。
『おい、まだなのか。我はもう腹が減って倒れそうだぞ』
「もう少し待っててね、王様。クロの指示で、とびきり美味しいものを作っているから」
『ふん、早くしろ。我を待たせるなど、本来なら許されないことだぞ』
ハクは文句を言いながらも、私の足元にすり寄ってきて、鼻をくんくんと鳴らしている。
本当は楽しみで仕方がないのだ。
そんな彼の様子を見て、私は思わず口元を緩めた。
そしてついに、すべての料理が完成した。
私たちは出来上がった料理を、大きな皿に盛り付けて食堂のテーブルへと運んだ。
テーブルの上には、豪勢な肉のロースト、山菜と根菜がたっぷりと入った温かいシチュー、そして色鮮やかな果物の盛り合わせが並んでいる。
王都の宮廷料理のような飾り立てた美しさはないけれど、素材の良さと手作りの温かさが伝わってくる、最高の食卓だ。
「さあ、王の復活祭の始まりよ。たくさん食べてね」
『うむ、見事な出来栄えだ。どれも非常に美味そうだ。では、遠慮なくいただくとするか!』
ハクはテーブルに飛び乗り、さっそく肉のローストに顔を近づけた。
そして、大きな口を開けて肉に噛み付く。
『むぐ……う、美味い! これは美味いぞ! 肉の旨味が口いっぱいに広がる! 香辛料の風味も絶妙だ!』
ハクは目を細めて、夢中で肉を食べている。
その顔は、ただの食いしん坊の猫にしか見えない。
伝説の王としての威厳はどこへやら、本当に幸せそうな顔だ。
『ハク様に喜んでいただけて、執事としてこれ以上の喜びはありません』
クロも自分の取り皿に分けられた料理を、とても上品に食べている。
彼は食べる姿も美しい。
「私もいただこうっと。……ん、本当に美味しい!」
私は自分が手伝って作ったシチューを一口食べて、驚きの声を上げた。
野菜の甘みと肉の出汁がしっかりと溶け出していて、とても深い味わいになっている。
クロの料理の知識は本物だ。
王都にいた頃、冷え切った家族関係の中で食べていた、味のしない豪華な食事とは大違いだ。
今の食事には、温かい気持ちがたくさん詰まっている。
食堂の暖炉には、クロが魔法でつけてくれた火がパチパチと心地よい音を立てて燃えている。
その暖かな光の中で、私たちは初めての本格的な食卓を囲んだ。
美味しい料理を食べて、お腹がいっぱいになる。
ハクは食後の毛繕いを始め、クロは満足そうに目を細めている。
私は温かいお茶を飲みながら、この不思議な二匹の猫たちを見つめた。
今日出会ったばかりなのに、もうずっと昔から一緒にいるような気がする。
彼らと一緒に過ごすこの時間は、私にとって何よりも心地よく、安らぐものだった。




