第二十一話:王の威圧と、堂々たる論破 ~次に姿を見せたら灰にしますよ?~
庭の空気は、ひんやりと冷たくなっていた。
目の前に立つ騎士たちは、誰一人として剣を抜くことができない。
クロが作り出した風の刃が、彼らのすぐそばで鋭い音を立てて回っている。
エルフたちが構えた弓の先端では、魔力が強く集まっている。
一歩でも動けばどうなるか。戦いの訓練を受けた騎士たちだからこそ、自分たちとエルフたちの実力の差を肌で感じ取っていたのだ。
「お、お前たち! 何をぼやぼやしているのだ!」
役人の甲高い声が、静かな庭に突き刺さる。
彼は自分を守るはずの騎士たちが全く動かないことに、ひどく焦っているようだった。
「さっさとその野蛮な連中を捕らえろ! 国王陛下の命令が聞こえないのか!」
いくら役人が大声を上げても、騎士たちの足は地面に固定されたように動かない。
いや、動けないのだ。
彼らの額からは大粒の汗が流れ落ち、呼吸は浅く、そして早くなっている。
彼らは自分たちの命が今、誰の掌の上にあるのかを正しく理解していた。
『無駄な命令ですね』
クロが低い声で言葉を放つ。
『私たちは、カトリーナ様に危害を加える者を決して許しません。武器を捨ててここから立ち去るか、それともここで命を散らすか。選ぶのはあなたたちです』
クロの言葉に合わせて、風の刃がさらに勢いを増す。
ヒュン、ヒュンと空気を切る音が、騎士たちの耳元で連続して鳴る。
数人の騎士が、たまらず剣の柄から手を離し、両手を少しだけ前に出そうとした。
降伏の意思を示そうとしたのだ。
その時だった。
ズン……!
屋敷の奥から、重く低い音が地面を伝わってきた。
足音のようでもあり、何か巨大なものが動いた音のようでもある。
ズン……! ズン……!
一定の間隔で、その重低音が近づいてくる。
私やクロ、そしてエルフたちは、その音が何であるかを知っている。
だからこそ、静かにその場にとどまり、次に起こることを待っていた。
しかし、何も知らない役人と騎士たちは、得体の知れない音にすっかりおびえてしまった。
「な、なんだこの音は! 何が来るというのだ!」
役人が悲鳴のような声を上げ、周囲をぎょろぎょろと見回す。
騎士たちも武器を構えるべきか、それとも逃げるべきか判断がつかず、右往左往し始めた。
やがて、屋敷の入り口の薄暗い場所から、ひとつの小さな姿が現れた。
『我の領地で、我の家臣に剣を向ける愚か者はどこのどいつだ』
低い声。
ゆっくりとした足取りで明るい場所へ出てきたのは、真っ白な毛並みを持つ小さな猫だった。
ハクだ。
彼は尻尾を高く立て、金色の瞳を鋭く細めてこちらへ歩いてくる。
その体は私の膝にも満たないほど小さい。
しかし、彼が放つ威厳は、背後にある巨大な屋敷よりもはるかに大きく感じられた。
「ね、猫……? ただの白い猫ではないか……」
役人が拍子抜けしたように言い放った。
巨大な怪物が現れると思っていた彼らは、ハクの愛らしい姿を見て、少しだけ安堵の表情を浮かべた。
それが、彼らの最大の過ちだった。
『ただの猫だと? ……人間どもは、本当に何も見えていないのだな』
ハクが階段の一番上の段で立ち止まり、彼らを見下ろした。
その瞬間、ハクの小さな体から、目に見えない強大な力が爆発的に解き放たれた。
伝説の魔獣としての本能、彼自身が生まれ持った固有能力。
『王の威圧』だ。
ドゴォォォォン……!
耳には聞こえないはずの轟音が、頭の中に直接叩きつけられたような感覚があった。
周囲の空気が急激に重くなる。
「がっ……!?」
「ひぃっ……!」
一番前に立っていた騎士たちが、見えない巨大な手で上から押さえつけられたように、バタバタと膝をついた。
彼らは両手で自分の喉を押さえている。
口を大きく開けて酸素を求めているが、うまく息が吸えないようだった。
『我は、この北の地を統べる偉大なる王。そして、そこにいるカトリーナは我の最も大切な家臣である』
ハクがゆっくりと、一歩だけ階段を降りる。
たったそれだけの動作で、圧力はさらに何倍にも跳ね上がった。
「う、うわぁぁぁ!」
騎士たちはついに耐えきれず、次々と地面に這いつくばった。
重い金属の鎧が地面にぶつかる音が、あちこちで鳴る。
彼らは剣を抜くどころか、指一本動かすことすらできず、ただ地面の土に顔を押し付けて苦しそうにうめき声を上げるしかなかった。
「な、なんだこれは……! 息が……息ができない……!」
役人も両手で自分の服を強くつかみながら、膝から崩れ落ちた。
彼の豪華な服が泥で汚れる。
先ほどまでの傲慢な態度は、もうどこにもない。
影響は人間だけにとどまらなかった。
門の外に繋がれていた三台の馬車を引く馬たちが、強烈な魔獣の気配にパニックを起こしたのだ。
「ヒヒィィィン!!」
馬たちは前足を高く上げていななき、繋がれていた手綱を力任せに引きちぎった。
そして、主人の命令を聞くこともなく、馬車を引いたまま王都の方向へと猛烈な勢いで逃げ出してしまった。
ガラガラと大きな音を立てて遠ざかっていく馬車の音が、彼らの退路が断たれたことを示している。
『我の食卓を支え、我の毛並みを整える重要な役目を持つ者を、貴様らのような下等な人間が脅かそうとは。絶対に許さんぞ』
ハクが金色の瞳を細め、鋭い牙をのぞかせた。
周囲の空気が急速に熱を持ち始める。
威圧だけでなく、火属性の魔法まで準備し始めたのだ。
私は、ハクの力が味方に向いていないことを理解しながらも、そのすさまじい圧力に少しだけ後ずさりしそうになった。
クロがそっと私の足元に寄り添い、体を支えてくれる。
エルフたちも、ハクの圧倒的な力を前にして、深い畏敬の念を込めて弓を下ろし、その場に膝をついて頭を垂れた。
これが、伝説の魔獣の本当の力。
普段のわがまで食いしん坊な姿からは想像もつかない、王としての絶対的な力だ。
「お、お助けを……! 許して……許してくれ……!」
役人が地面に顔を擦り付けながら、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして命乞いを始めた。
騎士たちも同様に、ただ小さくうずくまっている。
もはや彼らに戦う気力など少しも残っていない。
彼らが持ってきた令状も、権力も、この圧倒的な力の前ではただの紙切れと同然だった。
私はハクの横まで歩み寄り、這いつくばる役人を見下ろした。
彼らの惨めな姿を見ても、可哀想だという感情は湧かない。
彼らが王都でやっていること、そして私にやろうとした理不尽な行いを思えば、これでもまだ生ぬるいほどだ。
「これ以上無礼を働くなら、この地の主が黙っていませんよ」
私は極めて冷ややかな声で、言い渡した。
「あなたがたの言う不正な財産の証拠とやらは、どこにも見つからなかった。そういうことですね?」
「は、はい! 見つかりませんでした! 私の勘違いでございました!」
役人は首が折れそうなほど激しく上下に動かし、必死に私の言葉に同意した。
「ならば、二度とこの北の離宮に足を踏み入れないでください。次に姿を見せた時は、警告なしでこの地の主があなたがたを灰にするでしょう」
「わ、わかりました! 二度と、二度と近づきません! お許しください!」
「……お帰りください。馬車はもうありませんから、自分の足で歩いて帰ることですね」
私がそう言うと、ハクが鼻をふんと鳴らし、ほんの少しだけ『王の威圧』を弱めた。
圧力が弱まった瞬間、役人と騎士たちは弾かれたように飛び起きた。
彼らは武器を拾うことすら忘れ、お互いを突き飛ばすようにして門の外へと駆け出していく。
泥だらけの服で、みっともなく転びながら、何度も後ろを振り返り、そのたびに悲鳴を上げて走っていく。
王都から意気揚々と乗り込んできた調査団の最後は、あまりにも無様で滑稽なものだった。
彼らの姿が街道の奥へと見えなくなり、すっかり気配がなくなるまで、私たちはその場で見送った。
◇
静けさが戻った庭で、私は大きく息を吐き出した。
肩に入っていた力が抜け、急に足元がふらついた。
『カトリーナ様、お疲れ様でございました。見事な対応でした』
クロが素早く私の横に回り込み、体を支えてくれる。
彼は深い安堵と称賛の気持ちを込めて、私を見上げていた。
「ありがとう、クロ。あなたやみんなが一緒にいてくれたから、少しも怖くなかったわ」
私がクロの頭を優しくさすると、彼は嬉しそうにしっぽを揺らした。
「そうだわ。地下に隠れているみんなを迎えに行かなくちゃ」
私ははっと思い出し、足早に屋敷の中へと向かった。
クロとハク、そしてエルフたちも私の後ろをついてくる。
屋敷の奥、頑丈な石の扉で守られた地下室の前には、山猫たちが見張りに立ってくれていた。
『姉ちゃん、終わったか?』
「ええ、終わったわ。みんな、見張りをありがとう」
私がエルフたちに視線を向けると、彼らはうなずき、入り口に施していた結界の魔法を解いてくれた。
私は重い扉を開け、地下室の中へと足を踏み入れた。
「みんな、もう大丈夫よ。外の人間たちは帰っていったわ」
私が明るい声で呼びかけると、部屋の奥で固まっていた避難猫たちや山猫たちが、一斉にこちらへ駆け寄ってきた。
銀色の子猫も、短い足で一生懸命に走ってきて、私の足元に抱きついた。
『みゃあ! みゃあ!』
「いい子でお留守番できたわね。怖かったでしょう。もう心配いらないわよ」
私はしゃがみ込んで、銀色の子猫を両手で抱き上げた。
子猫は私の顔に小さな鼻をすりすりとこすりつけ、喉をゴロゴロと鳴らしている。
子守をしてくれていた山猫や町から来た猫たちも、ほっと息をついていた。
『人間たちが帰ってくれてよかったニャ。地下室は安全だったけど、やっぱり外の空気が一番だニャ』
『そうだな。姉ちゃん、よく追い払ってくれたな』
「私一人の力じゃないわ。ハクやクロ、エルフさんたちのおかげよ」
私は立ち上がり、みんなと一緒に地下室を出た。
無事に家族全員の安全を確認できて、ようやく心から息をつくことができた。
◇
再び庭に出ると、エルフの青年が駆け寄ってきた。
その後ろには、四人の仲間たちも続いている。
彼らは長弓を背中にしまい、とても晴れやかな表情をしていた。
「無事に終わってよかったです。あの者たちのおびえようを見れば、もう二度とこの地を脅かすことはないでしょう」
「ええ。皆さんが味方についてくださったこと、本当に心強かったです。森の奥からわざわざ駆けつけてくださり、感謝の言葉もありません」
私が深く頭を下げると、青年は慌てて両手を振った。
「とんでもない。我々は、大切な友を守りたかっただけです。それに、偉大なる王の本当の力を間近で拝見することができ、これ以上の光栄はありません」
青年の視線の先には、庭の石のテーブルの上でふんぞり返っているハクがいた。
『ふはははは! 見たか、人間どものあの無様な逃げっぷりを!』
ハクは尻尾をピンと空に向けて立て、非常に満足そうに胸を張っている。
『我の威光の前にひれ伏し、地面に顔を擦り付ける姿は傑作であったな! 我がいれば、あのような連中など何百人来ようがどうということはない!』
彼が大声で自慢していると、見張りをしていた山猫たちや、地下から出てきた野良猫たちがわらわらと集まってきた。
『さすがは王様だぜ! あの嫌な人間どもを、手も触れずに追い返すなんて!』
『かっこよかったニャ! 王様、万歳ニャ!』
猫たちから次々と褒め言葉を浴びせられ、ハクはさらに機嫌を良くして鼻高々になっている。
私が抱き抱えている銀色の子猫も、私から飛び降りてトコトコと歩いていき、ハクの足元に体をすりすりとこすりつけた。
「ふふ、本当にハクのおかげね。あなたがいてくれて、助かったわ」
私が素直にお礼を伝えると、ハクはコホンとわざとらしく咳払いをした。
『うむ。我の家臣として、これからはさらに我を敬い、尽くすように。さて、カトリーナよ』
ハクは金色の瞳をキラリと光らせ、私をじっと見つめた。
『これほどの働きをしたのだ。我の体は今、すさまじい疲労を感じている。王の働きに対する正当な報酬を要求するぞ』
「報酬って、あれのこと?」
『いかにも! エルフどもが持ってきた、あの極上肉を使ったフルコースだ! 今日は出し惜しみせずに、ありったけの肉を調理するのだ!』
ハクが前足を力強くテーブルに叩きつけて宣言すると、集まっていた猫たちからも『おおー!』という歓声が上がった。
みんなで美味しいものを食べる。
これ以上の勝利の宴はない。
「わかったわ。今日は特別に、一番美味しい料理を作ってあげる。皆さん、もしお時間があるなら、ぜひ一緒に食事をしていきませんか?」
私がエルフたちに声をかけると、青年は目を丸くして驚いた。
「我々も、よろしいのですか? そのような貴重な宴に同席するなど……」
「もちろんです。一緒に戦ってくれた大切な仲間ですから。それに、あなた方が持ってきてくれた命の実をソースに使えば、お肉がもっと美味しくなりますよ」
私の言葉に、エルフたちは顔を見合わせてから、とても嬉しそうにうなずいた。
「ありがとうございます。喜んで参加させていただきます」
こうして、私たちは招かれざる客を無事に追い払い、北の離宮に再び平和を取り戻した。
残る仕事は、みんなのお腹を満たす最高の料理を作ることだけだ。
◇
厨房は、かつてないほどの熱気と活気に満ちていた。
大きなかまどには火属性の魔石がくべられ、ごうごうと音を立てて燃え盛っている。
私は袖をまくり上げ、大きなまな板の上で、エルフたちが持ってきてくれた極上肉の塊と向き合っていた。
「すごいお肉ね。脂の入り具合も、赤身の美しさも、王都の高級食材なんて目じゃないわ」
包丁を入れると、力を入れなくてもすっと刃が入っていく。
私はお肉を、全員が食べやすいような厚さに次々と切り分けていった。
『カトリーナ様、火加減は私が調整いたします。風を送って火力を上げることも、空気を遮断して弱火にすることも自由自在です』
クロが前足を器用に動かしながら、かまどの前で火の番をしてくれている。
彼の風魔法による細やかな調整のおかげで、フライパンは常にお肉を焼くのに最適な温度に保たれていた。
「助かるわ、クロ。じゃあ、まずはこの分厚いお肉の表面を強火で一気に焼いていくわよ」
私は熱したフライパンに、切り分けたお肉を並べていった。
ジュワァァァッ! という派手な音とともに、香ばしい脂の匂いが厨房いっぱいに広がる。
表面にこんがりとした焼き色がつくまで、じっくりと火を通す。
これだけで、お腹が鳴ってしまいそうなほどの良い匂いだ。
『姉ちゃん、俺たちに手伝えることはあるか?』
山猫のリーダーが、厨房の入り口から顔をのぞかせた。
「そうね、それなら裏の温室から、つけ合わせに使う葉野菜と、ハーブを少し摘んできてもらえるかしら? あと、エルフさんたちが持ってきてくれた赤い木の実も洗っておいてほしいの」
『任せておけ!』
山猫たちは元気よく飛び出していき、すぐに新鮮な野菜と木の実をカゴに入れて戻ってきてくれた。
彼らが水場でお行儀よく木の実を洗っている姿は、見ていてとても微笑ましい。
「ありがとう。じゃあ、次はこの赤い木の実を使って、お肉にかける特製のソースを作るわよ」
私は小さな鍋を用意し、細かく刻んだ赤い木の実を入れた。
そこに、少しのお水と、温室で育てた甘いハーブ、そしてお肉から出た旨味の詰まった脂を少しだけ加えて、弱火でことことと煮込んでいく。
木の実が形を崩し、とろみのある真っ赤なソースへと変わっていく。
味見をしてみると、果実の強い甘みと爽やかな酸味が、お肉の濃厚な味をさっぱりとさせてくれる、見事な仕上がりになっていた。
『すばらしい香りです、カトリーナ様。これなら、王様も間違いなく満足されるでしょう』
クロが鼻をひくひくと動かしながら、感嘆の声を漏らした。
「ええ、自信作よ。さあ、どんどん焼いていくわよ! みんな、たくさん食べるんだから!」
そこからは時間との勝負だった。
大量のお肉を焼き、ソースを絡め、大きなお皿に野菜と一緒に綺麗に盛り付けていく。
山猫たちや野良猫たちが、盛り付けられたお皿を背中に乗せたり、口にくわえたりして、食堂の長机へと器用に運んでくれる。
エルフたちも、森から持ってきていた果実水や、手作りの木の器を並べて、宴の準備を手伝ってくれた。
全員が息を合わせて作業を進める一体感が、とても心地よかった。
◇
準備が整い、食堂の長い木のテーブルには、山のようなご馳走が並べられた。
メインとなる極上肉の厚切りステーキ特製ソースがけ。
温室の新鮮な野菜をふんだんに使ったサラダ。
私が朝に焼いておいた、ふかふかの丸いパン。
そして、エルフたちが用意してくれた、花の香りがする甘い果実水。
机の周りには、エルフたち、クロ、山猫たち、三毛猫をはじめとする野良猫たち、そして銀色の子猫が勢揃いしている。
そして、机の一番奥の場所には、ハクがふんぞり返って座っていた。
『うむ! 見事な料理の数々だ。我の働きに対する報酬として、十分に値する出来栄えである!』
ハクが偉そうにうなずき、口の周りをペロリと舐めた。
「それじゃあ、みんな。今日は本当にありがとう。北の離宮の平和と、私たちの絆に乾杯しましょう!」
私が木のコップを高く掲げると、全員が一斉に歓声を上げた。
『乾杯だニャ!』
『いただきます!』
宴が始まった。
ハクは一番大きなお肉にかぶりつき、「うまい! うまいぞ!」と大声で叫びながら、ものすごい勢いで平らげていく。
彼が食べるたびに、尻尾が嬉しそうに左右に大きく揺れていた。
エルフたちも、私が作った料理を一口食べて、とても驚いた顔をした。
「これは……すばらしい。お肉の力強さを、果実のソースが見事に引き立てています。我々が普段食べているものとは全く違う、とても繊細で豊かな味わいです」
銀髪の青年が、感心したようにうなずきながらお肉を口に運ぶ。
彼らが喜んでくれているのを見て、私はほっと息をついた。
『カトリーナ様、このお肉、本当に最高です。噛むたびに肉汁があふれてきます』
クロも上品な手つきでフォークを使いこなしながら、とても幸せそうな顔で食事を楽しんでいた。
山猫や野良猫たちは、お皿についたソースまで綺麗に舐めとり、お腹を真ん丸にして床に転がっている。
誰もが笑顔で、美味しい食事と楽しい会話に満たされている。
外の寒さを忘れてしまうほど、食堂の中は暖かくて、優しい時間だった。
王宮での窮屈な夜会よりも、ずっと豪華で、ずっと価値のある宴だ。
私は果実水を飲みながら、この景色をいつまでも忘れないようにと、心の中にしっかりと刻み込んだ。
◇
宴が終わり、エルフたちが森へと帰っていった後。
夜の静けさが降りてきた屋敷の居間で、私は暖炉の前のソファーに座っていた。
暖炉の中では、火属性の魔石がパチパチと心地よい音を立てて燃えている。
そのすぐ目の前、一番暖かくて居心地の良い絨毯の上で、ハクがごろんと横になっていた。
彼のお腹は、たくさんのお肉を食べたせいで、いつもより少しだけふくらんでいる。
『ふぅ……。今日はよく働き、よく食べた。我は満足だぞ』
ハクが大きくあくびをして、目を細めた。
「お疲れ様、ハク。約束通り、食後の手入れをしてあげるわ」
私は手元に用意しておいた、動物の毛でできたブラシを手に取り、ハクの背中にそっと当てた。
そして、毛並みに沿ってゆっくりと、丁寧にとかしていく。
ハクの真っ白な毛は、とても柔らかくて、指先を通るたびにさらさらと流れていく。
『うむ……そこだ。もう少し右のあたりを念入りに頼む』
「はいはい、わかってるわよ」
私が彼の首の付け根から背中にかけて、ゆっくりとブラシを動かすと、ハクは気持ちよさそうに目を閉じ、喉の奥からゴロゴロという低い音を鳴らし始めた。
昼間に見せた、あの恐ろしいまでの王の威圧の欠片もない。
ただの甘えん坊の、平和な猫の姿だ。
『カトリーナのこの手入れの腕前だけは、褒めてやってもよい。他の人間には決して真似できない心地よさだ』
「それはどうもありがとう。毎日やっているから、ハクの気持ちいい場所は全部わかっているのよ」
私が微笑みながら作業を続けていると、足元にいたクロが静かに話しかけてきた。
『カトリーナ様。今日の一件で、王都の人間たちはすっかりおびえきったはずです。次はどう出るでしょうか?』
「……アレクセイ様やマリアは、自分たちの間違いを素直に認めるような性格じゃない。むしろ、使節団の無様な報告を聞いて、自分たちの顔に泥を塗られたと逆上するかもしれない。失敗をごまかすためなら、今度はもっと強引な手段で、騎士団を送ってくる可能性だってあるわ」
『……では、まだ戦いは終わっていないと』
「ええ。でも、不思議と怖くはないの」
私は窓の外を見た。
頑丈な石の壁に守られたこの屋敷の向こうには、私たちが自分の手で作った温室や畑が広がっている。
厳しい冬を乗り越え、暖かさとともに手に入れた、何にも代えがたい大切な場所。
「たとえ王都からどれほどの脅威が迫ろうとも、今の私たちにはハクという底知れない力がある。それに、クロやエルフさんたち、たくさんの猫たちとの強い絆もあるわ。みんなが一つになってこの場所を守ろうとしてくれた事実が、私の胸をとても温かくしてくれているの」
「明日からは、また畑の世話が忙しくなるわね。新しい野菜の種もまきたいし、エルフさんたちに教えてもらった薬草の栽培も始めたいわ。何が起きても跳ね返せるように、もっとここを豊かにしていきましょう」
『はい。私が全力でサポートいたします』
『ふぁ……明日のことは明日考えればよい。我はもう眠いのだ……』
ハクはそう言って、私の足に体をすり寄せたまま、眠りに落ちてしまった。
私は彼を起こさないように、ブラシを置いて、その温かい体をそっと両手で包み込んだ。
王都を追放されたあの日、私はすべてを失ったと思っていた。
だけど、この北の辺境の地で、私は本当の自由と、温かい家族と、自分の力で生きる強さを手に入れた。
もう、誰かの顔色をうかがって怯える必要はない。
この温かく優しい居場所は、私が命に代えても絶対に守り抜く。
暖炉の火が優しく部屋を照らす中、私は先の未来へ向けて静かに腹をくくり、満ち足りた気持ちで目を閉じた。




