現代迷宮
日本にダンジョンが出現した頃、姉との喧嘩で「行き遅れババア」が禁止カードになった。
一体なぜ?
答えは単純。姉の彼氏が行方不明となったからである。
姉には付き合って三年になる彼氏がいた。すでに我が家にも相手方の家にも顔合わせが済んでおり、実質結婚、プロポーズ待ちの状況であった。しかしマイペースな彼氏とプライドの塊である姉は中々その話とはならず、娘はやらんと素っ気ない父がまだ結婚しないのかと焦るほどだった。
弟である僕も、結婚式で鱈腹美味い飯を食たいがために「行き遅れるぞ」と急かすのだが、理想を捨てきれないのか、姉は彼氏からの言葉を待っている。
そんな彼氏は実に温厚な人間だ。顔立ちも言葉遣いも育ちの良さからくる優しさが見え、姉には勿体無いほどの人物である。
ただ、欠点をあげるとすれば、何もかもが遅いことだろう。動作が遅い。反応が遅い。応答も遅い。周りが見えていないのかと疑いたくなるほど世界と彼とでは時間にズレがあった。どうもそれは遺伝によるものなのだろう。蛙の子は蛙なのだ。
浅ましい我が家の人間たちはノロマな彼氏及びその家族にイライラさせられることが少なくなく、直に苦言を呈することもなくはなかった。
……我が家の名誉を守るため弁明するが、これでも彼氏一家を受け入れているのだ。嫌いなのは性格であって彼らではないのだから。
とはいえ彼氏自身もそろそろプロポーズするべきなのではと考えており、先々月、学校帰りに車に乗せてもらった時、そのような話を持ち出した。
「プロポーズってどうすればいいのだろうね」
知るか。こちとらまだ高校生だぞ。恋愛のれの字も知らないんだぞ。
そんな言葉を飲み込んで、「早くしないと愛想尽かして別の男に行くかもよ」と脅しておいた。いくら亀ほど歩みが遅くても、そうハッパをかけられれば急ぎ慌てる他ない。細目な彼の瞳孔が確かに開くのを確認する。
ついぞやる気を出してくれた彼氏は、僕を頼りにプロポーズを考えることにしたのである。
なんで姉へのプロポーズ計画に僕がアドバイスしないとならないんだ。
不満は積もれどアイデアは出した。どれも何処かの創作の真似事だが、彼氏はなるほどと食い気味に頷き、終いには僕を恋愛マスターだの、師匠だのなんだの言っていたのを思い出す。
難航したのは指輪であった。さすがにこればかりは僕も軽率に口を挟めない。馬鹿にならない値段のものを僕の一存で買っては後悔するだろう。
それに姉にとっても嫌な筈だ。どれだけ口封じしたとしてもこの彼氏はふとした瞬間に「この指輪、玉烏に選んでもらったんだ」と言うに違いない。その瞬間の姉の激昂っぷりは想像に難くはない。自分が被害者だと言わんばかりの顔でヒステリックに喚くのだ。僕に対して。
誰しも、大切な人から貰う贈り物は、大切な人が精一杯悩んでくれれば、どんな物でも嬉しいものだと思う。それも、人生に一度あるかもわからない重要な贈り物。姉の喜ぶ顔を思い浮かべ知恵熱が出るほど悩めばいい。そんな助言をする。彼氏はマセたことを言うものだと目を丸くして、確かにそうだと笑った。気恥ずかしく思いながらも、これも誰かの受け売りだと弁明する。
そんなわけで頭を悩ませるが、これが中々決められない。東都中にある宝石店をあれやこれやと見物してはショーケースを険しい顔で睨んでいる。
つい横からこれでいいのではと口を挟みたくなるほどだが、彼氏は言う。
「特別な人だからね。特別なものを贈りたいんだ」
姉は特別な人間ではない。これまで出逢ったことがない人間で、出逢ってからの時間が楽しかったから特別に思えただけだだろう。しかしあんな我儘お嬢様を特別と思えるとは。彼の方がよっぽど特別な人間に思えた。
白昼に明るい光が灯る宝石店。反射する宝石を鑑定士のように眺める姉の彼氏。宝石のついていない普通のリングでいいだろと考える僕。和やかな面して胸中何を考えているか定かではない店員。そんな時だった。
長く続く地震。ショーケースの指輪がカタカタと揺れ、遠くの何処かで雷が呻くような音がする。大丈夫かと、姉の彼氏は僕を庇いながら蹲る。洒落た店内に身を隠せる場所はない。
次第に揺れが大きくなれば、セキュリティブザーが鳴り響き、宝石店のシャッターが閉じ始める。吊り下げられた白いライトが振り子のように大きく揺れていた。
そして、突然のように揺れはおさまった。嘘のようにピタリと。遠くの地鳴りも止んで、ブザーだけがけたたましく鳴り響く。僕らは顔を見合わせて、店員の誘導のもと、外へと逃げた。
「なんだ、アレ」
はじめに見えたのは、斜めに傾くビル群だった。地面に垂直に建てられたビルが、地面に垂直に傾いていた。
「丘だ」
アスファルトが不自然に盛り上がり、こんもりとした丘のようになっていた。地面には無数のヒビが走り、数台の車が横転している。僕らはその光景を前に、困惑と恐怖の混ざった顔で立ち尽くしていた。
まるで巨大な怪物が地中から顔だけを出して、口を開けているみたいだ。
丘に開いた穴を見て僕はそう思った。
車道に引かれた白線が、その丘の中へと吸い込まれていた。何かに誘われるように、黒くぽっかりと空いた穴の奥へと続いている。わずかな傾斜が、引き摺り込もうとしている気がして、僕は無意識に一歩、後ずさった。
その怪物は、瞬くように日本各地で目を覚ます。警察や消防が、規制線を引いてはいたが、それでもやはり全部とはいかなかった。
その穴の内部を写したと思われる映像が各所へと出回れば、人々は理解する。
これは、ただの地割れでも、自然の洞窟ではない。先人が積み上げてきた常識は、もう、守ることができないのだと。
延々の暗路。異形の怪物。垂涎の宝。
まるでゲームに出てくる人工洞窟のようであり、誰が言うでもなくそれらはダンジョンと呼ばれた。
「これだ」実際に聞いたわけでもない姉の彼氏の声が聞こえる。
ダンジョンは地中の奥深くへと続いている。しかし、その地質は、地球のものとは大きく異なった。別の世界が縫合されたようだ。学者先生がそう言った。
「常識も理も通用しない。何が起こるかもわからない。未知の生物、未知の物質が転がっていようとも不思議ではない」
それを証明するように、ダンジョンから帰還した者が完璧を体現する宝玉を持ち帰る。明らかに地球由来の成分ではない。淡い虹を丸めたような宝玉は海外オークションで非現実的紙の束と化した。
人々は一攫千金に目が眩む。調査も法整備も不十分だった内に、ダンジョンへ潜る人が後を絶たなかった。そして、姉の彼氏もまた、その一人と考えられる。
「もう二ヶ月だ」
彼氏が失踪してそれくらい経つ。警察に捜索願は受理されなかった。同じく行方のわからなくなった者が、あまりにも多かったからだ。
この二ヶ月の間に、ダンジョンに関する整備はかなり進んでいた。各地のダンジョンは全て封鎖され、自衛隊が中へと潜っている。ただ、彼らが行方不明者を見つけたという話はほとんど聞かない。
一向に報せのないことに姉は苛立っていた。僕がダラダラとソファに座っているだけで舌打ちをして、蹴ってくる。通知が来るたびにスマホを見ては、苦虫を噛み潰した顔で無造作に投げ捨てている。夜になれば、ダンジョンに潜ろうとして、迷彩服の男たちに連れられ帰ってくる。
その度に姉は暴れ、役立たずと暴言を吐いた。きっと、行方不明者の親族らは皆、姉と同じ心情なのだろう。彼氏一家も言葉には出さないが、その表情は穏やかとは言い難い。
鬱々とした日々が過ぎるある日、自衛隊が全てのダンジョンから立ち退くという噂が流れた。なんでも、想定以上に損害が出たためだとか、宝を独り占めする気かと外圧が入ったためだとか。噂の真偽は定かではないが、もし真実なら姉の彼氏を探す千載一遇のチャンスとなり得るだろう。
そして数ヶ月。その噂は真となった。
とはいえ、ダンジョンを無制限に解放するわけではない。国家資格と言うべきか、国に認められた者だけが、ダンジョンに潜ることができるようになる。
それを知り、姉は自分が取るんだと荷を詰めた。しかし、娘が可愛いのか父は反対し、息子は可愛くないのか男のお前が行けと言う。息を吐くかのような男女差別である。
「でも高校が」
「もう卒業だろ」
「大学が」
「落ちただろ」
「……ダンジョンは化け物がいて危険だって言うし」
「行かなきゃ化け物の代わりにお前を殺す」
「いや、だいたい試験内容もおかしいよ。なんだよ適性検査だけって」
「かえって良かっただろ。普通の試験でも勉強しないくせに」
「するよ」
「してないだろ」
「うるさい。早く申請しろ」
乗り気では無かった僕だったが、姉に散々蹴られ渋々承諾した。弟とは姉の奴隷だと何処かで聞いたことがある。まさにその通りだ。
「いい? 絶対にあの馬鹿を連れ帰るの」
「わかってるよ」
「落ちたら殺すから」
資格を取る日。姉は僕の肩を掴んで揺らし、絶対だと何度も念を押す。獣のような眼光が網膜から脳へと入り込んで怖気を呼ぶ。散々聞いた殺害予告が今日ばかりは本気だと感じ「わかったから」と語気を強めて目を逸らす。
「……わかってるよ」
僕だって姉の彼氏のことは嫌いじゃない。未来の兄でもあるわけで、心配だってしている。それでも少しくらいは僕の心配だってして欲しい。
心のどこかにちっぽけな寂しさが生まれ、バックレてやろうかと石ころを蹴る。
どうして僕はそうしなかったんだ?
現代迷宮モノの起
現実に寄せると軍関係を書かなきゃで主人公無双も難しいし、軍関係を無視したりスキルがあったり現実からかけ離れてくると現代でやる必要もなくなってくる。
難しい。




