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起承転結の起  作者: 東都エリ


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4/8

外来種

 灯りもなく閉された木の部屋で、ユグランは失望したかのようなため息を吐いた。部屋は湿気でカビ臭い。机には開封されたボトルが乱雑に転がり、床にはガラス片やパン屑が散乱している。それでもさほど汚いとは思わなかったのは、前にいた場所よりまだマシだったから。


 ユグランはそんな部屋の大半を占める大人二人を乗せても余りあるベッドにうつ伏せでいた。顔は扉とは反対にある木の板が釘打たれた窓の方を見ている。親指よりも太い板が外との隔たりを生んでいる。


 生まれてこのかた、まだ一度も外に出たことがない。この暗く狭い虫籠に羽を捥がれて入れられている。それでも外を知っている。


 どうせ外は明るいのだ。澄み切った青空に燦々と照り出す太陽が、その光の届かぬ闇に気づかぬフリをして平和を謳っているのだ。いつもと同じ。前と同じ。お天道さまは見ているだけ。


 そんな卑屈な気分を感じ取ってか、部屋の扉がガチャガチャと音を立てた。斧でもあればチョコレートを割るみたく簡単に壊せそうな扉にはしっかりと鉄の錠前がされている。文明水準の低い世界でも防犯意識はあるらしい。それとも奴隷を逃がさないためだろうか。


 扉が開き白い光が背中を照らす。ユグランはぴくりともしなかった。誰が入ってきたのか確認することもなかった。外の平和を一目見てやろうともしなかった。大きな影がその光を覆う。


 父だ。実父。血の繋がった第二の父。その顔は嫌というほど見てきた。不潔に伸びた髪と髭。脂ぎって絡まり埃を巻き込んでいる。彫の深い顔にある似つかわしくない蒼い瞳。それが自分の目にもあるという。


 ガチャリと念入りに鍵をかけ、父が近づいてくる。ギッギッと自重で軋む床の音は処刑台に首を預ける囚人の焦りを表しているようで、言うなれば死神の足音に思えた。


 熊のように肥えた父の体とは対照的に、ユグランの体は骨が見えるほどに痩せていた。その巨体で触れでもしたら簡単に折れてしまうのではないかというほどだった。そんな想像力がこの男にあったなら自分はお姫さまのように扱われていたはずだと、ありもしない幻想を鼻で笑う。


 ユグランはお姫さまではなかったが、女ではあった。


 だから、当然のように父はベットに横たわる娘の上に覆い被さった。体中から漂う咽せ返るようなベタつく悪臭を我慢する。顔を顰めれば殴られるから。下半身を広げ入り込む違和感を我慢する。抵抗すれば殴られるから。


 天井のシミを数えていればすぐに終わると前に何かの映画で見た憶えがある。残念なことにうつ伏せでは横の窓の木目くらいしか数えるものはない。それもこの暗さでは何もわかりはしない。そうやって別のことを考える。そうすればすぐに終わる。この行為も何年も続けていれば何も感じなくなってきた。


「っあ。んっ」


 それでも嬌声は漏らす。なんの反応もなければつまらないからだ。父の指示ではない。ユグランは生きるために喘いだ。

 反応がなければ行為はエスカレートする。首を絞められるかもしれない。刃物で切りつけられるかもしれない。殺されるかもしれない。


 人が求めているのはいつだって証。何かをしたのだから何かが返ってこないと人は満足しない。ただ棒を穴に突っ込んで気持ちいいだけでは物足りない。よがってほしい。求めてほしい。自分の行為に意味がほしい。ユグランはそれを知っている。その欲は自分という存在を認識するために必要なものだということを。


 だから無視なんて一番してはいけないことだ。相手の望む反応を返していれば、それ以上のことをされることはない。反抗も無視も崇拝もしてはいけない。受け入れること。それが被食者がすべきこと。


 体に淀みが流れ込むと、父はゆっくりと腰を上げ、ユグランの後ろ髪を引っ張って勢いよくベッドに叩きつける。何度も、何度も。硬いマットレスに血が染みても、自分の力を誇示するように、その存在を見せつけるように、ユグランの顔を叩きつける。

 そうして、ひとしきり満足したあとは机に置いてあったパンを千切り口に含む。かと思えばペッと吐き出して、残りをユグランの口に突っ込んだ。口を洗うように卓上の酒の入った瓶をひっくり返し、空だと知るとユグランの頭で叩き割る。残りはないかと探しても、ないと気づけば舌打ちをして、また部屋から出ていった。


 湿気でカビたパンだ、バァカ。ゆっくりと閉まる扉を横目に内心で悪態をついてモソモソとパンを齧った。とても食えたものではない。それでも食わなければ死んでしまう。喉が乾けば酒瓶か、床に染みた酒を舐めた。栄養が足りなければ虫だって食べた。そうまでして生きながらえようとすることに疑問は持たなかった。そもそも死ぬことなんて考えたことすらない。一度たりともない。今世でも、前世でも。


 ユグランは二周目だった。人生がの話である。前は地球の日本の東都の女子中学生だったのが、今は知らない星の知らない国の知らない家の知らない娘になっていた。


 地球にいたころはオモチャ一つ買って貰えないような極貧家庭だったが、今はそれを遥かに凌駕する暮らしの悪さだ。双方ネグレクトだったが、この家の主人は娘を奴隷として見ている。


 たとえ極貧でゴミ屋敷でネグレクトで児相に見放されていたとしても地球の方が随分マシだった。少なくとも奴隷としてではなく娘としては受け入れてくれていた気がする。その娘に何を与えるかは別問題として。


「学校」


 ポツリと言葉が溢れる。そう学校、学校だ。地球では学校に行かせてくれた。楽しかった。自分の居場所。従う友達。勉強も好きではないけれど、知らないことを知るのは楽しかった。知らないことが苦痛だったくらいに。


 もしかしたら学校に行かせるという行為を通して親としての満足を得たかったのかもしれない。たとえそうだとしても、今は感謝している。あの楽しかった日々を思い返すと生きたいと思えてしまう。また行きたいと思えてしまう。


 だが、それは叶わぬ願いなのだろう。そもそもこの低文明な世界に学校なるものがあるかも怪しい。電化製品などなく夜を照らすのは蝋燭だし、安全な水道なんてあるはずないから喉を潤すのは常に酒だ。


 この部屋だけが異常で他は違うのかもしれないと希望を持ちたくなるが、どこの家庭も不便な暮らしをしているようだ。まだ父に親心があったころに買い与えられた絵本にはおそらくこの世界の生活様式と見られる絵が載っており、半ば絶望した気持ちで見た覚えがある。


 その本には庶民と貴族の暮らしの差を描いたもののようで、子どもに反貴族精神を植えつける狙いがあるのか、庶民は貧困に苦しみ貴族は父のように肥えた姿で優雅に暮らす様子が描かれる。ただ、その貴族でさえも現代日本と比べれば、子どものままごとに見えるほどに文明水準が低い。

 あの頃の優しさは何処へやら。結局その本は父が酒代にでもするために売っぱらってしまった。


 それに、たとえ学校があったとしても、あの父が行かせてくれるとは到底思えない。実の娘を監禁するような男が監視の効かない場所に娘を手放すはずがない。ある種の信頼を感じながらユグランは身をよじる。


 外は日が出ている。父が日中何をしているのかは知らない。昼に帰ってきては娘を使ってまた出ていく。一度使えば夜まで帰ってこない。夜は語るまでもない。抱いて殴って呑んで寝て殴る。それを繰り返してもう何年になるのだろうか。栄養の足りない体は成長しない。母になることもない。


 ともかく、父が出ればしばらくは自由になる。だからといってなんでもできるわけではない。外に出ることはできないのだから。虫籠の中でできる自由しかない。それでも気が休まる時ではある。


 ユグランは顔の周りに散らばったガラス片を床に落とす。危ないが父は靴を履いている。ガラス片を踏んでも殴らないため靴底は厚いのだろう。

 そうして血と酒の染みるベッドで赤ん坊が寝返りを打つようにゴロンと転がる。細い体をポキポキと鳴らして伸びをする。これがユグランが唯一できる運動だった。それだけで息があがった。しかし、気分は確かにリフレッシュされた。


 ベッドを吸うように舐める。僅かな湿りは喉を濡らし強いアルコールが脳を揺らす。そして今度は仰向きになり目を瞑る。もうできることはなにもない。後は夜が来るのを待つだけ。動けばお腹が空き、お腹が空けば喉が渇く。誤魔化すためには眠るしかない。おかげでコアラ並みの睡眠時間を確保している。


 しばらく目を瞑ってからのことだった。ギィっと扉が開く音がしたのだ。まさか、父が帰ってきたのだろうか。いや、そんなことよりも


 ――鍵がかかっていなかった?


 扉はゆっくりと開かれる。ほんのわずか数センチから白が入り込む。絵の具とは違い白はその領域を守るように黒を消している。人は入ってこない。


 ユグランは薄目を開けて、扉を見ていた。扉の前には確かに人がいた。開いた隙間からこちらを覗いていた。父ではない。それはわかる。あの大男がわざわざ部屋を覗くわけがない。それにと、入り込んだ光とそれを防ぐ影から、その人物が子どもだと推測する。もし父が身を縮めているのであれば滑稽だ。


 子どもは中を覗くが何も見えてはいないようだった。この暗さではユグランの姿さえ見えやしない。だから、扉はまた静かに音を立てる。白昼の泥棒が慎重になっても意味はない。ユグランは身を起こし、今に扉を開けようとする子どもを見る。


 忌々しいほど白い光が目を焼いた。それと同時に痩身が照らされる。およそ女性とは思えぬ貧相な身体。扉の子どもには始めそれが目に入る。一糸纏わぬその身体。白いキャンバスに広がる青い痣。その痛々しさに色気はない。


 子どもは殴られたことがないのだろう。その痣が何なのかも理解できず、ただ痛そうだという哀れみに支配され、口をポカンと開けたまま、目線を上にズラしていく。

 黒く長く乱れた髪。その毛先の間から覗く不気味なほど澄んだ美しい蒼い瞳。その目が自分を捉えている。逸らそうとしても逸らせない。子どもは腰を抜かして尻餅をついた。


「痛っ」手のひらを何かが切った。見れば血が出ている。


「だぁ……よぉぶ」


 掠れた声だった。喉の内を爪立てながら出てきたその声にユグランも驚いた。嬌声ばかり上手くなって人の声が出せなくなったのか。子どもは切れた手から次第に恐怖が湧き立って、慌てて逃げ出そうとする。


「あっ……」


 ユグランは引き留めようと手を伸ばしたが、声が出てくれない。伸ばしたその腕に引っ張られて前に倒れる。――ガタンッ。腕にガラス片が突き刺さる。眼前のガラス片が反射する。危うく失明するところだったと体を起こそうとするが、力が入らない。ズルズルと体が前に落ちる。一瞬先の惨事を想像し目をぎゅっと閉じた。


 落ちない。それどころかゆっくりと体が引き上げられている。さてはと首を動かせば、子どもが脇に手を入れて後ずさっている。身長は同じ。されど体重はまるで違う。肉のない体はさぞ軽いのだろう。ユグランは簡単にベッドに転がされた。


「あい、あとぉ」助けられたら礼を言う。人として当然のこと。


 間近に来て子どもの容姿がはっきりと見える。男の子だろうか。髪は短い。服装は小綺麗で身なりがよくも見える。あの絵本の貴族とは派手さが足りないが、生まれが良いことは伺える。彼はユグランを興味深そうな眼差しを向けていた。


「の、の、ののどが……」


 そんな彼の目を見てつっかえながらも言葉を発した。音が喉に釣り針を刺しているような引っ掛かりを堪えて、渇きを訴える。まるで砂漠を練り歩いた放浪者が陽炎に手を伸ばすように彼に震えた細腕を伸ばす。


 少年は使命感に駆られたように扉へと駆けていき、数分もしないうちに酒瓶を持ってきた。それを奪って、ぐいっと口に流す。弱い酒が喉を鳴らす。アルコールが鼻を突き抜ける。酒瓶から口を離せば、荒く息を吐く。


「ありがとお」そう言って笑う。「そういえば、あなたは、誰?」


 名前を尋ねながら脇に置いていたカビたパンを齧る。深緑の粒が硬いパンの表面に浮き出ている。

 彼はそれを見て名前も言わず待っててとまた外へ出ていった。


 そうしてまた数分と経たずに腕いっぱいにパンや肉を抱えて戻ってきた。ユグランは驚いた顔を作って一つ手に取り口に運ぶ。


「お、美味しい。ありがとお。あなたは、優しいね」


 少年はその言葉に嬉しそうに笑った。ユグランも笑った。


「僕はスルド・ナルバナ。君は?」

「ユグラン」

「ユグランはここに住んでるの?」

「うん」


 スルドは辺りを見回して顰めっ面を浮かべた。とても人が住む場所ではないとでも考えているのだろう。


「あなたは、この辺に住んでるの?」

「この辺りっていうと、タンバ領のこと? ……いや、僕は――」


 そこまで答えて彼の目は背後の塞がれた窓に移る。


「なんで、窓が……」

「生まれた時から、そうだよ」

「生まれた時……?」


 少年が困惑した表情を向けるのも気にせず言葉を続ける。それがまるで当たり前のことだと言うように。どこでもそうでしょと。


「ずっと、扉の鍵も、閉まってたんだよ」

「なんで……?」

「お父さまが、外は危険だって。危ない目にあうからって。窓を塞ぐのも、危険から守るためだって」


 当然そんなこと言っていない。疑問を呈せば殴ればいいのに、娘を誤魔化す言葉を使うわけがない。


「ユグラン、外に出たいとは思わない?」

「出たら駄目なんだよ」

「大丈夫、僕が守ってあげるから。ね?」


 少年は笑顔で手を差し出す。華奢で傷一つない柔らかそうな手のひら。ユグランはその手を取らない。


「蝶々はね。虫籠に入れておくと、飛べなくなるの」

「え?」

「狭くて、弱ってしまうの」


 そういえばこの世界に蝶々はいるだろうか。虫取りなんて概念があるのだろうか。彼の表情からわかりやすく伝えようとする。唐突に虫の話をしたから面食らっただけかもしれない。


 スルドは痩せ細ったユグランの身体を見てその言葉の意味を察する。


「……君もそうだと?」

「まさか」少年の言葉にくすりと笑う。

「私だけじゃないわ。みんなそう。みんな、飛べなくなった」

「み、みんなって、僕もかい?」

「さあ?」

「なんだよそれ」


 彼の不貞腐れた顔を見てユグランは楽しげに笑う。そういえば、狭さともう一つ、蝶々が衰弱する原因がある。それは、天敵が側に居ること。人間も蝶々からすれば天敵。餌をあげたら消えてあげないとストレスを与えてしまう。ずっと観ていても、蝶々は懐かない。


「……」

「ユグラン?」

「弱った蝶々は死ぬしかない。逃しても、飛べないからどうせ死ぬ」

「そんなこと……」

「生きるには、環境に適応するか、環境を改変するか」


 そこまで言ってユグランは自嘲するような笑みを浮かべた。


「でもね。もう、死んでもいいかなって」


 全てを諦めたような目で、扉の先を見る。眩しい光はその風景を網膜に映さない。


「お父さまも、お前なんか、死ねばいいって……言ってたから」

「そんなことない!」


 笑顔を作る。背後の少年からは見えない。いやいやこれでは笑いすぎかなと、儚げに全てに期待しない望み薄な笑みを作る。


「死んでもいい人間なんていない。いていいはずがない」

「……」

「待っててユグラン。僕が君を自由にして見せるから」


 その顔を彼に向ける。


「うん。ありがと」


 スルドはユグランのその顔に怒りに似た感情が湧いた。それが表情にも表れている。だが、それを彼女にぶつけるのは違うともわかっている。落ち着けるように目を閉じて、キッと扉の先を睨みつけた。子どもを監禁し、死ねばいいなどと言い放つ親をスルドは許さない。それから少しの会話をして、スルドは部屋から出ていく。その顔は決意に満ちているようで悲しげでもあった。


 ユグランはその後ろ姿を眺めて肉を頬張った。


 その日、父が帰って来たのは変わらず夜になってからだった。酒の入った父は扉の鍵を開けても開かなかったことに苛立ち、帰ってそうそうユグランを殴りつける。散らかった机の燭台に火を灯し、満足げに眠るユグランの鳩尾に拳を沈めた。


 そうして痛がる娘を見てはまたいつものように覆い被さるのだ。ユグランは慣れた演技で鳴いてみせたが、父の様子が幾分かおかしく感じた。


 必死なのだ。生物は死に直面すると子孫を残そうとするらしいが、父の様子はまさにそれだった。それでもやる事は変わらないと嬌声をあげれば、頬を叩かれた。


「黙れ、黙れ黙れクソっ!」

「……」


 相当焦っているのだろう。その理由は何かは知らないが、ここまで激昂する父を見るのも初めてかもしれない。余計な刺激を与えてはそれこそ殺されてしまいそうだと、無表情に事が終わるのを待つ。


 そして布に血が染みていくようにジワりとした温もりが下腹部に起こると、父の動きが止まった。普段ならこの後、気絶直前まで殴り始めるのに。その気配が全くない。どうしたのかと父を見れば、虚となった蒼い瞳にユグランの細い体を写している。分厚く太い両手に収まるほど痩せた腰。そこに目線を落としている。


「お前も俺を殺すんじゃねぇだろうな」


 父の口からそんな言葉が聞こえた。怒っているのか、それとも言葉通り恐怖しているのか。どっちともわからない声が投げかけられる。なんと答えるべきかわからず、聞き返してしまった。


「なん、ですか」

「……あの野郎俺を売りやがった。ナルバナめ。アイツらさえ来なければ――」


 また殴られると目を瞑ったが、その気配は無く、父はぶつぶつと言葉を呟いている。ナルバナ。どこかで聞いたことがあるような、ないような。


「これはなんだ」


 記憶を辿ろうとしたところで父は何かに気づいたのか、ユグランの首元に落ちる小さな破片を拾って見せた。ガラス片ではない。パン屑でもない。薄紅色の欠片。柔らかく美味しそうな肉片。ユグランはそれを見てさてと恍けるほかなかった。


「肉だ」


 父はそれを口に入れて言った。そして何かに気づいたように扉を見て、ユグランを見た。驚いているようで、焦っているようで、間抜けな顔。大きく見開いた蒼眼がユグランを写す。その目はだんだん鬼ように吊り上がり、馬鹿にするなと拳が落ちる。鉄槌の如き太い腕がユグランの頭目掛けて振り落とされる。


「誰だ、誰が来た」

「し、知らない」

「ガキか男か?」

「暗くて、見えなかった」

「見えないだぁ? クソっ、どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって」


 ひとしきり殴った後で、父は徐にベッドから降りると、燭台を手にする。何をしようとしているのか。訝しげな眼差しを父に向ける。


「俺の酒を飲んでんだ。こいつが火酒だって知ってんだろ」


 父は最後の晩餐だとでも言うように、持ち帰ってきた酒を飲む。


「ま、待って」

「もう無理だ。終わりだ」


 そして少量を蝋燭の炎に垂らした。


 瞬間、勢いよく燃え盛る青い炎。それが父の服に燃え移り、その熱さに燭台を手放す。長年木に染み込んだアルコールがその時を待っていたかのように、火を猛々しく燃え上がらせた。


 熱い熱い。ゴオっと燃える火の海に火達磨と化した父が踊る。ユグランはその様にただ驚くことしかできなかった。逃げようにも足はもう、その体を支えるほどの力は無かった。


 熱と光が目を突く。それでも瞼を閉じた瞬間に身体ごと焼かれてしまうのではないかと思い、魅入るように火を眺める。火勢は留まるところを知らず、その広がりは、ついにベッドの元へとやってきた。後ろに後ずさるも、開かない窓にぶつかる。


「――ラン!」


 どこかで誰かが呼ぶ声がした。聞こえたところでどうしようもない。ユグランは酸素を吸うので精一杯だった。頭を締めつけたような刺激が思考もあやふやにする。


「――グラン!」


 意識が遠退いている。くっきりと揺れ動いていた炎が、水中にいるかのようにぼんやりと見えだした。これで、死ぬのも二回目になるのか。しかし、どこか実感がない。


 まるで起伏のない映画のエンドロールを観ている気分だ。肝心の本編が一切思い出せない。こんなものにお金を払ったのか。そんな嘆きすら湧かないほどの虚無。前世でさえ……ああ、前世すら状態の記憶しかないじゃないか。学校も楽しかった以外に思い入れがない。


「ユグラン!」


 また声が聞こえる。名前はなんだったけ。酒と肉を持ってくる人。こうなったのも全部こいつのせい。

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