悪魔と契約する系2
我が父、マージュ・タインは仕事においても厳格で責任強かった。普通、領地経営というものは、その仕事のほとんどを執事に任せる。それは大半の貴族は忙しくてそれが手につかないからだ。もちろん、そういった仕事は下々がすべきという考えの貴族もいる。だが父はたとえ、王族のパーティに呼ばれていたとしても、その出発ギリギリまで仕事をしている。
忙しくとも領民を優先するのだ。それほどまでに責任のある仕事なのだと父は常々語っていた。
「クリム! なんだこれは!」
だからこそ父は仕事においてミスを許さない。たとえそれが書き間違えという些細なミスであってもだ。……いや、書き間違いは決して些細なことではない。訂正しよう。
「申し訳ありません父上。すぐに訂正致します」
「すぐにではない!」
下げた頭に罵声が飛びかかる。
「なぜ確認しなかった! 私に目通しする前から気をつけておけ!」
「はっ!」
すぐさま新たに書類を書き直し、何度も読み直し、ミスがないことを確認する。これでまたミスをしようものならもう二度と仕事を手伝わさせてくれないことだろう。もう時期十五歳を迎える俺をこの仕事場に連れてきてくれたのは公爵家の跡取りとして次期領主として認めてくれたからだ。その期待に背くことは絶対にないようにしなくてはならない。
緊張の面持ちで父に書類を渡す。と、そこで扉からノックの音が響いた。
「入れ」
「失礼しますマージュ様。お荷物が届いております」
「わかった。後で確認する」
執事はしかしと言い、父に耳打ちする。最初こそ苛立っていた父だったが次第に顔色を変えて、上機嫌に笑った。
「なに? わかった。クリム、今日はもう戻っていいぞ」
「はっ!」
俺は書類のチェックが気になりつつも、部屋を後にした。あれほど厳格な父だが、その反面彼は家族に甘いという一面を持っていた。もちろん俺に対してもである。
だが、その中には順番でもあるのか、俺よりも弟に対しての方が甘い。先程執事の言っていた荷物がそうだ。普段なら緊急でなければ仕事をし続ける父だが、たかが荷物にあれほど感情を露にするということは、十中八九弟が関わっているとみて間違いない。その中身がなんであれ俺には関わりのないことだが。
「あ、兄さん!」
父のもとから自室へ帰る途中の中庭で、俺に気づいたヨルトが手を振った。下ろした手には木剣が握られており、傍には美しいドレスを纏った少女もいる。俺は彼らに対して精一杯口角を吊り上げた。
「やあ、ヨルト。それからご機嫌よう、テリア様。稽古中かな?」
少女の名前はテリア・ハウンド。我が国の第三王女であり、ヨルトの許嫁でもある。まったく、王族と婚約できるとは羨ましい限りだ。これもヨルトの才能あってこその賜物である。
彼の才能は国の宝ともいうべきもの。彼が庶民と結婚することはないにしても、罷り間違えて他国の者と結婚することだけは阻止せねばならなかった。我が国のために尽力し、引いては我が公爵家のためにも我が国の王族との結婚は望ましいものである。
そう、いわばこれは政略結婚であり、望まぬ婚姻であるはずだ。それなのに彼らが嬉しそうに笑うのはなぜか。なぜ、その笑顔を見て俺が苦しまなければならないのか。なぜ――。
「兄さん? 大丈夫か?」
「はっ……いや、すまない、大丈夫だ。ありがとう心配してくれて」
俺は二人の頭を撫でた。ほら、彼らなんてなんともない。ただの年下の子どもだ。
「さて、そろそろ行くよ。それとヨルト、せっかくテリア様が来ておられるのだ、剣ばかり振ってないで、街を案内してはどうだい?」
「いえ、私はそんな……」
「ああ、そうかなるほど! じゃあテリア、街へ行こう!」
テリアはオドオドと困りながらも、最後には顔を赤らめて小さく頷いた。ヨルトが彼女の手を引いて街に出かけたのを見送って、彼が地面に置きっぱなしにした剣と本を拾う。彼の汗が染みついた木剣を見て、彼の努力を嬉しく思おう。開かれた本に書かれた読めない文字を見て微笑ましく思おう。それが兄としての勤めであるのだから。
そして、日は傾き夕暮れ時の食事の場へと足を進める。今日は来賓として、第三王女がいらっしゃるのだ。食卓には普段より豪勢な皿が並ぶ。俺が椅子に座り少しして、仕事を切り上げたと思われる父がやってくる。
「いや、遅れて申し訳ない。さて、頂こう」
食事の時間、父は常に頬を緩めていた。初々しい二人の若いカップルがいたからか、ただ単に権力の前では好印象を与えたかったからか。父はうむうむと二人の話を聞いていた。街であったこと、剣について、魔法について。
「ああ、そうでした。いよいよですねヨルト様」
「えっと……なにが?」
「ヨルト、口に物を入れて話すな。それから言葉遣いも失礼だぞ」
ヨルトは父に謝りながらも、再度テリアに尋ねた。
「ふふっ、学校ですわ。王立トゥト学園への入学」
ヨルトはああそうだったと思い出し、同時に父は待ってましたと言わんばかりに執事にある物を持って来させた。どうやら昼に届いた荷物のようだった。
「ヨルト、これは入学祝いだ。開けてみろ」
ヨルトはワクワクした表情を包み隠さずに荷物の包みを破き、箱を開いた。中にはおそらくトゥト学園の制服と思われるものと、一本の立派な剣、そして魔導書がでてきた。
「ありがとうございます! 父さん!」
「礼ならテリア様とその兄上のコリー様に言え。その制服はコリー様のお下がりであり、中等部を首席で卒業したありがたいものなのだぞ」
コリー様は俺と同い年であるが彼は建国以来の才英と噂されるほどのお方だ。直に会ったことはないが、きっと優れた人格者でもあるのだろう。ヨルトに贈られた剣は王国随一の鍛治師から、魔導者の表紙は極北に潜むと言われる獣の皮でできている。これらを集めるのにコリー様も一役買ったとのこと。知らぬ間に王族との繋がりができているヨルトと、まさに至れり尽くせりなその荷物に微笑ましく笑おうとする。
「そういえば、兄さんは学校に行かないのですか?」
だが、ヨルトのその言葉に食卓はほんの一瞬だけ凍りついた。楽しい談笑も食器の触れ合う音もピタリと止んだ。まるで触れてはいけない話題であるかのようないたたまれない空気になるのを察して、俺は貼り付けた笑顔のままでヨルトに説明する。
「俺は家を継がなくてはならないからね。学校ではそういったことが学べないだろ?」
嘘だ。トゥト学園は貴族のための学校。各国の未来を背負う者として、礼儀作法、教養、思考を養う場なのである。さらには魔法に武術に商売と、優艶たる貴族らしからぬ学問も学ぶが、それは我が国に根強い能力主義があるからだ。貴族たる者、平民より出来が悪くては示しがつかない。
そんな学校であるからこそ、当然家督のための授業もある。
だが、それでも実践して学ぶ方が良いと父は考えている。だから俺は学校に行っていない。
ヨルトは納得いかない顔だった。
「さて、まだ整理途中の書類があるから、部屋に戻るよ」
もちろんそんなものはなかったが、これ以上ここにいては理由のはっきりしない心苦しさが襲ってくる。俺は逃げるように自室に帰った。
「はぁ」
疲れきった体を癒す為にベッドに横たわる。なぜ疲れているのか――それすらも理由がわからなかった。食事の味も感じなかった。ただヨルトと話したくはなかった。でもその理由がわからない。
ふと、甘い果物の香りが鼻をくすぐった。上体を起こしてみれば、机に淹れたての紅茶が置かれていた。
それをなぜか懐かしく思い、その温もりに安堵する。誰が淹れたかもわからない紅茶を一口飲んだ。紅茶の熱は胸中の憂いを和らげようとするも、強い何かがそれを抵抗する。わからない。気づきたくない。思い出したくもない。
一体どれほどの時間が経ったのか、自室の扉が叩かれて紅茶が冷めたことに気がついた。
「兄さん。俺だ開けてくれ」
ヨルトの声だった。俺は……扉を開けた。
「兄さん、聞いてくれ……! っと、あ、悪い、仕事中だったか?」
「……いや、大丈夫だ。それでどうしたんだい?」
「ああ。聞いてくれ、なんと、兄さんも学校に行けることになったぞ!」
「…………え?」
驚く俺をよそにヨルトは話し続ける。彼が言うには、先ほど俺が戻った後、父に頼み込み、俺の入学を認めてもらったとのこと。トゥト学園は中等部も高等部も五年制であるため、もうじき十五歳である俺はちょうど良く高等部に入学できるわけだが。
「いや、しかし……」
「心配ない」
金色の炎のような自信を持った目が俺を見る。いつものどこか抜けた楽天家のヨルトとは違う力強い眼差しに口を噛みしめる。まるでこの世界の主役だと言わんばかりの万能感を主張するその相貌と双眸。それが、俺には、兄であるはずの俺には………………微笑ましいのだ。ああ、そのはずだ。俺は胸に渦巻く何かに蓋をする。
「それに、兄さんも学校に行きたかったんじゃないのか?」
そう言われて、どうだったかと考える。学校。幼い頃より座学は家庭教師を、剣術に魔法も王都からそれに秀でた人間を雇っていた。街に出ては同い年の子らの通う学舎に視察という名目で行ったことはあるが、学校に通ったことはない。それに今は跡取りとして父の仕事を手伝い、新たな学の習得も武を鍛えるようなこともしていない。
俺は学校に行きたいのだろうか。ヨルトにはそう見えたのだろうか。きっと、幼い頃はそうだったのだろう。でも、今はそうでもない。なぜか。
答えに辿り着かないように考えを巡らせる。言い訳を並べようと頭を働かせる。だって、それに気づいてしまえば、俺は――。
「あ、そうだ。入学の件で父さんが話があるって」
「あ、ああ、わかった。すぐに行くよ」
ヨルトはそう言って部屋を後にした。俺は終始彼に学校へ行く気はないことを伝えようとしたが、その理由が思いつかず、そもそもどうして自分が行く気がないのかさえも気づこうとしなかっため、流されるままに入学を喜んだ。
いつのまにか、冷めた紅茶は淹れ直されて、白い湯気を踊らせていた。それを一気に流し込む。
しばらくして、俺は父の書斎へと向かった。ノックに反応した父が入れと命じる。父は算術器具を打ち、俺の言葉を待った。
「父上、トゥト学園入学の件ですが、認めてくださりありがとうございます。タイン家を継ぐものとして、立派に勤めを――」
父の手が止まった。
「果たして参りま――」
「クリム。貴様、よもや今だに自分が天才だと思ってはおるまいな?」
「いえ、決してそんなことは……」
わからなかった。父がどうしてそんなことを聞くのか。冷たい空気に緊張が走り、父は俺の言葉が気に入らなかったのか、激昂する。
「ならば立派な勤めとはなんだ! 貴様をトゥトに入学させる条件を自ら理解しておらんのか! 貴様がすべきことは立派な勤めなどではなく、ヨルトや我がタイン家に泥を塗らないことだ!」
衝撃の言葉だった。唖然としてる間に、いいか、と父は言葉を続ける。
「良い機会だから教えてやろう。お前の幼い頃の才能の正体を」
混乱する俺に向けて、言い放つ。
「我が国の識字率は約三十。王都やこの街のような一部の土地でしか、平民に向けられた学舎はない。たとえあったとしても高い値で雇われた家庭教師よりもその教育の質は低い」
言っていることがわかるかと父は言う。つまりは勉学であろうが剣術であろうが魔法であろうが、その全ては高い教育の質を与えられる環境があったからだと言うのだ。
「貴様が幼い頃に自らを天才と称し、恥ずかしげもなく街に出ては平民の子らと競い勝っていたのは全て環境のおかげなのだ。そして、トゥトにはそんな環境下を生きた貴族の子が多くいる」
そこまで聞き、ようやく父が怒っている理由がわかった。わかりたくはなかった。今からでも耳を塞ぎたかった。だが、そんなことは許されない。何かが蓋を開こうとする。
「貴様はトゥトの中では平凡も平凡。いや、中等教育を受けていない分、さらに下かもわからん。故に貴様がトゥトに行けば恥をかくのは必至。ならば自ら動きその名を轟かせようとはするな! 貴様はただヨルトの兄として、恥をかかぬよう努めるのみだ!」
ヨルトの頼みでなければ貴様をトゥトになど入学させなかったと父は最後まで不満をぼやき、俺はただ、はいと返事するのみであった。悔しかった。
「あ、兄さんどうだった? 大声が聞こえてきたんだけど……」
廊下に出るとヨルトとテリア様の姿があった。どうやら父の声に驚き、様子を見にきたらしかった。
「いや、なんでもないよ」
「本当か……?」
ヨルトの目が俺を見る。
「お前は眩しいな」
「え?」
天賦の才とそれに見合った実力を身につけ、この世に起きる全ての不条理を解消できるという自信。俺にはないもの。圧倒的な才能と人々に気に入られる愛嬌。父も母も雇った人々すらも彼に愛を与える。
ああ、そうか。俺はヨルトが嫌いだったのだ。
人望も名声も力も手に入れて、それでいて驕らず高ぶらず、こんな俺をも尊敬し続ける。それがまるで強者の余裕であり、万物を見下しているかのようで、とにかく俺はそれから逃げたかったのだ。彼が興味を示さなかった勉学に励み、彼は家を出たがっていたから家督を継ぐ。剣も魔法も彼には敵わないから街にも降りなくなり、彼と比べられたくないから自室に籠った。
それでも彼はやはり、俺を兄と慕うのでそうあろうとした。感情に蓋をし、彼の成長を喜ぼうとした。だが、もう無理だ。
忘れていた感情の蓋は開かれる。
俺はヨルトに――劣等感を抱いていた。
「兄さん?」
彼に微笑みを向けて頭を撫でた。その胸中は再び日の目を見れた感情が騒ぎ、鼓動を加速させていた。彼と同じ金色の目は彼ほどの力強さを持たずに、酷く冷めていた。俺は徐に立ち上がり、困惑するヨルトの視線を浴びながら、自室へと戻る。
「おかえりなさいませ。クリム様」
自室では一人のメイドが紅茶を淹れていた。部屋には何度も嗅いだ甘い果物の匂いが立ち込める。俺は旧知の友に話しかけるように笑みを見せる。
「アガリア。契約をしよう」
主人公最強系の起
ただ主人公最強系は読んだことがないので全くストーリーが思い浮かばない
怒る人を書くの苦手




