クリッカーゲームに転生
クリッカーゲーム。それはランキングの為なら日常生活をかなぐり捨てなければならない世界。
暗い部屋の中、無心で人差し指を動かし続ける。時刻は午前3時。健康な人間であれば寝る時間。
ホノルルは午前8時。健康な人間は起きている時間。もちろんたっぷりと睡眠した後に。
「……いつになったら寝るんだよっ!」
苛立ちのあまり指先に力が籠る。
現ランキング1位、ALOHAoeはハワイ島のプレイヤー。彼と僕の差は18億程度。それでもことクリッカーゲームにおいては誤差だった。クリック数に換算すれば百回にも満たないごく僅かな差。
それでもその差が埋められない。
もうずっとだ。多分、二日くらい。
今までなら彼も三時間は数字が変動しない時があったのに、どういうわけかこの二日間はスロットマシーンのように動き続けている。
「くそっ……!」
もう、指が限界まで来ていた。自分のものか疑わしいほどに感覚がない。炎症を起こした関節の熱だけが伝わり、マウスを押しているのか、そもそも触れているのかさえもわからない。
それでも画面内で数値が弾ける。インフレした数字が世界を覆い尽くしている。
目がチカチカする。もう休もう。そろそろ休もう。相手も人間だ。またアロハが寝た時に差を取り返せばいい。
甘い幻聴が聞こえてくる。でも、相手が眠らなかったら?
ホノルルは8時だ。その気になれば友人を呼んで、半永久的に数字を増やし続けるかもしれない。
「……クリッカーゲームを真剣にやってる奴に友達なんかいないか」
自嘲気味に笑う。当然だ。ランキングの為なら寝る間を惜しんで画面に齧り付く僕たちだ。糞尿をバケツに捨て、乾麺をそのまま食べる。電気代のためにパソコン以外はオフにして、風呂の熱さも忘れてしまった。そんな人間に友達がいるのなら、そいつは相当な嫌われ者なのだろう。
だから僕らは一人で戦う。ランキング1位という栄光のためにマウスをクリックし続ける。
それでも——少しくらいなら——…………。
「…………さい」
「……てください」
「起きてください」
誰かの呼ぶ声で目が覚めた。窓から差し込む光が眩しい。朝。朝だ。朝……?
「くそっ、今何時だ」
「今ですか? 9時ですけど……」
9時。ということは6時間も眠りかけていたことになる。一体その間にアロハ野郎はどれだけ指を酷使したのか。僕は慌てて……。
「誰だ、お前は」
何度も言うがクリッカーゲームにどハマりする異常者に友達はいない。家族にだって見放され、恋人なんてなぜ広辞苑に載っているのかもわからない虚構。
それなのに、今目の前にいる彼女は誰だというのか。不法侵入の泥棒か? いや、そもそもここはどこだ?
やけに広い部屋。柱のついたベッド。寝心地の良い羽毛布団。赤と金の装飾が多い家具たち。まるで貴族の寝室。
「お忘れですか? ひどいですよ男爵様!」
「だ、男爵?」
誰が? 僕が?
いや、待て。待ってくれよ。そういえば彼女のことを見たことがある。
桃色の髪。赤い瞳。飛び出た八重歯。羊のような角の髪飾り。
「め、メーリィ?」
「はいですよ! クリッカー男爵!」
メーリィはパァと顔を綻ばせて僕を間違いなくクリッカー男爵と呼んだ。
世の中には無数のクリッカーゲームが存在している。その中でも僕が何年も私生活を犠牲にしてプレイしているゲーム。
『魔石商人クリッカー』
このゲームには他のクリッカーゲームと違い明確なストーリーがあった。
貧乏領地のクリッカー男爵は何とか貧困を抜け出せないかと秘書のメーリィとともに躍起になっていた。そんな折に、領地内にあるダンジョンから全貌が見えないほどの巨大な魔石が見つかる。これだと目をつけた男爵は魔石の採掘作業を始めるのだった。
ざっくりと説明するならこんな感じだ。魔石をクリックし、資金を増やすことで領地が潤い、さらに効率よく魔石を掘れるようになり、他のダンジョンの探索も進んだりもする。ただ、終わりはないようで、国家予算以上稼いでも男爵のままだった。
その男爵が僕だって? 何かの冗談……だったならどれほどいいか。目を擦っても、頬をつねっても、現実は変わらない。
「何をしてるんですか?」
「…………」
「そ、そんなに見つめられると照れるんですよ」
メーリィも本物だろうか。本物だとして触ったらセクハラになるのだろうか。他人の肌。その温もり。僕はぐっと堪える。
「男爵様……? おーい」
冷静になればなるほど怖くなってくる。元の世界に帰られるのだろうか。そもそも僕は元の世界に帰りたいのだろうか。それがわからないのが怖い。自分のことなのに、決められないのが。
「男爵様!」
メーリィが大声を上げて顔を近づける。綺麗な顔だちだ。それはそうだ。ここはゲームの世界なのだから。彼女の赤い瞳の中にいる見慣れた顔を見て自覚する。鏡よりも見続けた顔。
「な、何だ?」
「もう、今の状況をお忘れですか?」
「朝起きて、メーリィが目の前にいる」
「そうじゃないですよ! 私たちの領地は今、危機的状況にあるんですよ」
不況による不況。領民から税を絞り取るのも良心が痛むほどの危機。知っているわかっている。その対策法だって。
結局のところ、元の世界に帰るにしてもその方法はわからない。この世界にどうして転生したのかもわからない。考えても仕方がないのなら、考えず今自分に出来ることをしようじゃないか。
男爵として領民のために。
「大丈夫だメーリィ。もうすぐそれも解決する」
僕の言葉にメーリィは眉を顰ませる。彼女の言葉から察するにまだ魔石が見つかっていないのだろう。つまりチュートリアルも済んでいない。
「何を言って……」
「大変です伯爵! ダンジョンで巨大な魔石が!」
「ほらな」
場所を移してダンジョン。ゲームならクリックも要らないけれど、現実だと馬車に揺られなければならない。
「当たり前だけど、クリックするために移動するとロスタイムがな……」
「クリック?」
「こっちの話」
そんなことより魔石だ。連れられるがままダンジョンに来たが、件の魔石が見えてこない。ダンジョンに入ってすぐに魔石があるわけがないのもわかるが、もう随分と歩いている。
「そろそろです。男爵様」
そう言って、案内役の男が足を止める。どうやらこの先の洞窟の中に魔石があるようだ。彼の前を横切り先を進む。
大きい。蒼い輝きが満たす洞窟の中、それは悠然と聳えていた。まるで山。クリッカー男爵が三人いても頂上には手の届かない巨石。それでも僕は知っている。これは氷山の一角。その全貌は掘ったところで見えない。
「す、すごいですよ男爵様! これだけの魔石があれば、領地の皆さんを数年は養えますよ!」
数年どころじゃない。下手をすれば未来永劫ずっとだ。しかも領民だけじゃない。この世界のすべての生物を金から解放することだってできる。魔石というのはそれほどに価値のあるもの。
「早速、掘ってみよう」
「はいな! って男爵様、道具も持たずに」
今目の前にあるのは現実だ。それでもこの世界はゲームだ。ただのゲームじゃない。クリックすることに命をかけるクリッカーゲーム。
魔石を掘るのはツルハシか? いいや違うクリックだ。
僕は試しにと魔石に触れた。
「………………」
ツルハシというものは中々の重労働だ。硬い魔石に触れる度に腕が痺れていく。
「だ、男爵様。恐れ多いです。後は私に任せて男爵家へお戻りになさってくだせぇ」
不機嫌な顔でツルハシを振り下ろす僕に案内役だった男が言う。何がクリッカーゲームだ。結局は現実じゃないか。
「嫌だ。お前一人で作業するより人数はいた方がいい」
そのくせゲームの要素も残っている。プレイヤーがクリックするのと放置して任せるのでは圧倒的な差があるのだ。
見たまえ、僕が魔石を砕く間に彼は振りかぶる動作の途中だぞ。ありえない。給料泥棒もいいところである。
「なら、人を雇ってくだせえ。これだけの魔石があればできるはずです」
確かにその通りだ。それでも、街に戻る間彼一人に採掘させればその分効率が下がる。この世界は現実だ。悔しいかな夜がくれば作業を止める必要があるだろう。それまでは手伝ってやる。
「頑張ってください。男爵様ー!」
メーリィはツルハシがないため応援しかしていない。それでもいいのだ。彼女には彼女にしかできない仕事がある。
夜。作業終了。案内役だった男は終始申し訳なさそうな顔をしていたが、仕事から解放されると露骨に安堵の息を吐いていた。
「男爵様、男爵様。それにしてもこれだけの魔石どうするんですか?」
重労働に荒く呼吸をする僕に一つも汗をかいていないメーリィがそんなことを尋ねてくる。
「そうだな。どこかで換金できるといいんだけど」
その言葉を待っていたかのようにメーリィは手を挙げた。
「任せてください男爵様。私がすべてお金に変えてみせますとも」
「そうか。悪いな助かるよ」
「はいな。任せてください」
男爵秘書メーリィ。彼女の役割は魔石の換金。
「今日はもう遅いのでお休みください。寝て起きれば枕元に金銀財宝宝の山ですよ」
男爵家に戻ればすっかり夜も更けている。一日中元気なメーリィに後を頼んで僕はベッドへと入る。
「男爵様。寝ましたか?」
「………………」
そんな可愛らしい声の後、聞こえてくるのは悪魔のような笑い声。
「ふっふっふっ。馬鹿な男ですよ男爵様。あれだけの魔石があれば我らが魔族の悲願、魔王様の復活も容易。男爵様には魔王様が目覚めるまであの魔石を掘り続けて貰いましょう」
男爵秘書メーリィ。そして魔王軍幹部メーリィ。彼女の役割は魔石を使った魔王の復活。
そんな企みを子守唄に安心して眠れる夜を過ごした。
ゲーム世界に転生系の起
古今東西ゲームの世界に迷い込むジュマンジ小説は数あれど、クリッカーゲームは見たことなかったので試しに一稿。
意外とアイデアが湧いてくるのでいつか連載するかもしないかも。




