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匿名集落  作者: 永住
8/8

第8話:無名の村、永遠の名

 東京のアパートに戻った夜、俺は初めて「帰ってきた」と思った。

 あの村での時間が夢だったのではないかと錯覚するほど、街の光はまぶしく、電車の音が現実を思い出させた。


 だが、ある違和感は、確実にそこにあった。

 俺は、家にあるすべての鏡が少しだけ歪んで見えることに気づいた。

 ガラスの奥に映る自分が、ほんのわずかに表情をずらしているような、そんな不快な錯覚。

 「戻ってきた」はずだった。

 でも本当に、戻れたのか?


________________________________________


 封筒を送ってから5日後。

 民俗学ゼミに立ち寄った時、教授は怪訝な顔をしていた。

 封筒は、確かに届いていた。

 だが、教授からの言葉に、俺は耳を疑った。


「差出人不明の古い封筒が届いたんだが、中に白紙の紙が何枚も入っているし、同封してるUSBにもデータは空だし……。佐原、何か知らないか?」


「え……?」


 俺はその場でUSBを確認した。


 しかし——中身は、まっさらだった。

 動画も、音声も、文書も、何もない。

 記録したはずのすべてが、消されていた。


________________________________________


 その夜、夢を見た。

 広場。焚き火。誰もいないはずの村。

 音がしない世界の中で、4人の影が焚き火の周りを回っている。


 森山、津田、浅井、そして——もう1人。

 それは、俺だった。

 “俺”は、仮面をかぶっていた。

 赤と黒の木彫りの仮面。無表情なその面の下で、俺の目だけがこちらをじっと見つめていた。


『名前を記録した者は、名前を忘れられない存在になる』


 声は、どこからか響いてきた。


『忘れられないということは、“語られ続ける”ということ』

『語られ続けるということは、“そこにい続ける”ということ』

『……あなたは、もう向こう側の人間だ』


 目覚めたとき、冷や汗が額から流れ落ちていた。


________________________________________


 数日後、研究室に届いた封筒が、なぜか机の上に置かれていた。

 差出人不明。中には手紙と、地図のコピー。

 内容は、かつて俺が見たものと——まったく同じ。


『この村は、存在してはならない。

 見た者は、記録してはならない。

 名前を呼んだ瞬間から、向こう側になる。

 地図を見たのなら、もう止まれない。

 この記録が届いたということは、私はもういない。』


 日付だけが違っていた。昨日の日付が記載していた。


 俺は恐怖とともに、ようやく理解した。

 あの手紙を最初に送ってきたのは、俺だった。

 俺が「まだ名前を思い出す前の自分」へと、記録を送り返していたのだ。


 全てのはじまりも、終わりも、佐原遼が“記録した”瞬間に起こっていた。

 記録は、存在の証明。


 だが、証明された存在は、忘れられないものとして語り継がれる。

 そしてその記録は、新たな誰かに届き——“祭”がまた始まる。


________________________________________

________________________________________

________________________________________


 ある日、ゼミの後輩が言った。


「先輩、これ見てくださいよ。なんか変な封筒届いたんですよ。差出人、不明で」


 俺はそれを見て、無言になった。

 ——あの封筒だった。

 地図。名前のない村。指紋のついた紙。震える文字。


「怪文書って感じですよね。調査しに行ってみます?」


 彼は笑った。かつての俺たちと同じように。

 俺は、止めなかった。

 止めることが、できなかった。

 俺の役割は、もう終わっていた。

 俺は“記録した者”ではなく、“語られる者”になっていた。


 窓の外、風に揺れる木々の向こう。

 俺には、見えていた。

 ——鳥居。

 ——焚き火の広場。

 ——仮面をつけた自分。

 そして、彼の口が、動くのが見えた。


『また、帰ってきたのですね』

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