第4話:記録が消えていく
朝、目を覚ますと、時計の針が動いていなかった。
津田が腕時計を確認するが、秒針は止まったまま動かない。俺のスマホも、真っ暗な画面を映したまま反応しない。
「電池切れか……?」
「いや、そんなことはないはず」
俺はスマホをモバイルバッテリーに繋ぐ。充電の表示は……出ない。
浅井のスマホも同様だった。バッテリーはあるのに電源が入らない。
そして——津田のノートPCが、勝手に初期化されていた。
「……全部、データが……飛んでる」
津田が顔面蒼白になっている。
「どういうことだ?」
「昨日保存してた映像もメモも、消えてるどころか、ドライブそのものが“初期化”されてる」
「誰かが操作したのか?」
「鍵付きのケースに入れてた。そもそも夜中、誰も起きてない」
浅井が、バッグから自分のメモ帳を取り出した。
「俺、手書きなら残ってるだろって思って、昨日記録書いてたんだ。けど、これ……」
彼が見せたノートには、奇妙なことに——文字が消えかけていた。
筆圧の痕跡だけがわずかに残っており、インクが吸い込まれるように薄くなっていた。
「これ、昨日ちゃんとボールペンで書いたんだぞ?」
「インクのせいじゃない。これ……“何か”が、意図的に消してる」
俺は、背中に冷たいものが流れるのを感じた。
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俺たちは広場に戻り、再び撮影と記録に挑戦した。
津田が持っていた予備のデジカメで、石柱や建物を撮影。録画した音声も確認する。
「今度はちゃんと録れてるな」
「じゃあ、しばらく別の場所行って、戻ってきてから再確認しよう」
30分後、再確認した津田が、無言で立ち尽くしていた。
「……また消えてる」
「は?」
「ファイル名は残ってる。けど、中身がゼロバイト。データが存在しない」
「そんなバカな……」
俺は津田からカメラを受け取り、再生画面を開く。確かに、先ほどまであったはずの映像が再生されない。
「記録を、“残すこと”そのものが拒絶されてる」
浅井が呟いた。
「まるで……この村が、撮影や記録を“認識”して、意図的に壊してるみたいな」
「存在を記録されると、まずいんだろうな」
俺は、屋根裏で読んだノートの一文を思い出す。
『名前を思い出せば、“そこ”に引き込まれる。』
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午後、村の北側の森を探索することにした。
地形図上ではこの先に谷があるはずだが、歩けども歩けども、風景が変わらない。
「……なあ、ここ、さっき通ったとこじゃないか?」
「似てるだけじゃ……」
「いや、この倒れた杉、絶対さっき見た。折れ方が同じ」
俺たちは無言になった。
GPSは無反応、太陽の位置も頼りにならない。
“空間そのものが、同じ場所を繰り返している”ような感覚。
帰ろうとしたとき、俺の耳に、かすかな音楽が聞こえた。
笛の音。どこか、遠くから。
「……聞こえるか?」
「なにこれ……?」
音は森の奥から聞こえていた。俺たちは吸い寄せられるようにそちらへ足を向ける。
だが、数十メートル進んだところで、突然、空気が変わった。
耳が詰まり、鼓膜が圧迫される。音は急に消え、静寂が落ちた。
その瞬間、後方から“カシャ”というシャッター音が鳴った。
振り返る。——誰もいない。
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夕暮れ、村に戻ったとき、俺たちは再び衝撃を受ける。
民家の配置が、変わっていた。
「え……?」
「これ、さっきまで井戸があった位置だよな?」
「違う、今はあっちにある」
「いや、絶対におかしい。家が一軒増えてる。なかったはずの家がある」
「写真で確認しよう……」
津田が唯一残っていた紙の地図と、以前プリントした写真を見比べる。
明らかに違う。“存在していなかった建物”が、写っている。
「おい、これ、俺たちが泊まった家じゃないか?」
「え……?」
「俺たち、どの家に泊まったんだ……?」
記憶すらも——ぐらついている。
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その夜、森山が熱を出した。
38.9度。意識は朦朧としているが、喉から時折、音にならない声が漏れる。
「……ム……ラ……ノ……ナマ……」
「まただ……名前を言おうとしてる」
「止めろ、呼んだら……」
そのとき、ランタンの火がふっと揺れ、窓が小さく軋んだ。
外には誰もいないはずなのに、“誰かが立っている気配”がした。
俺はゆっくりと窓のカーテンを開けた。
そこには——誰もいなかった。
だが、窓に付いた結露に、明らかに手の跡が残っていた。外側に。人の掌。大人ほどの大きさ。
それが、こちらに向けて、じっと見ていたように。
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深夜、目を覚ました俺は、再びデジカメを確認した。
その中に、見覚えのない動画が保存されていた。
「また……勝手に撮られてる……?」
再生する。そこには、また俺たちが映っていた。
焚き火。奇妙な舞。笑い声。
だが、映っている“佐原遼”は、俺ではなかった。
皮膚が……妙に白く、髪が短い。だが、表情だけは、確かに俺と同じ“顔”だった。
動画の最後、男がカメラに向かって、こう言った。
『オレは、オマエだ』
画面が暗転し、音声だけが残った。
『名前を……思い出せば、お前もここに戻ってくる』
『ここは、お前の、村だから』
その声を聞いた瞬間、俺の頭の中で、名前の断片が響いた。
ム……ラ……ノ……ナ……マ……エ……
だが、その続きがどうしても思い出せない。
そして、俺は確信した。
——この村は、記録を拒むのではない
——記録された者を、ここに閉じ込めようとしている
記録とは、存在の証明だ。
だが、存在を証明されたことで、逃れられなくなる“名前なき何か”があるのだ。