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赤き番人

 ――カツ、カツ、カツ。


 岩肌を伝うように、重たく鈍い足音が響いてきた。

 それは不規則で、音の余韻が異様に長い。まるで、音そのものがこの空間に囁くように染み込んでいく。

 音の主は、暗闇の彼方から、ゆっくりと姿を現した。


 赤い外套――。

 それはまるで、血の海を全身に浴びたような深紅の布で、闇の中でも異様に浮き上がって見えた。

 その外套の奥、仄かに覗いた顔――否、顔ではない。仮面だ。

 無機質で表情のない鉄の仮面に、ただ一本、縦に裂けたような黄金の眼孔が光を放っていた。

 生物のようでもあり、機械のようでもある。どちらでもあり、どちらでもない。

 人間の姿をしていながら、その存在は明らかに「人ならざるもの」だった。


 その異形が、朝陽の目の前でぴたりと足を止める。


 全身の血が凍るような感覚。言葉にならない恐怖が、喉を締めつけた。


「……観察開始。否――意識はあるな。ならば話は早い」


 仮面の奥から発せられた声は、濁った金属のようだった。鈍く、低く、耳の奥を振動させる。

 声に抗う力などなかった。喉は渇ききり、何も言葉が出てこない。

 だが――口だけが、勝手に開いた。


「……月島……朝陽。つき、しま……あさひ」


「人間界出身、E級の落ちこぼれ……確認。対象適合率、八十九・四パーセント。……予想を上回るな」


 その言葉に、全身の血が逆流した。


「な、なんなんだよ……お前は……」


 震える声で、ようやく問うた。


「我は《赤き番人》。この遺跡の監視者にして、魔王直属の実験官だ」


 その名を聞いた瞬間、背筋が凍った。

 魔王――この世界の最も忌まわしい名。存在するはずのない絶対悪。

 それが、目の前の異形と繋がっているというのか?


「お前は捨てられた。だが、我らの手に拾われた。今この瞬間より――お前は《人間》ではなくなる」


 朝陽の理解が追いつかなかった。

 何を言っているのか、頭が拒絶している。だが、現実は容赦なく続いた。


「選べ、月島朝陽。死ぬか、魔獣になるか。お前に残された道は、その二つだ」


 言葉と共に、赤き番人が右手を差し出した。

 その掌に乗っていたのは――黒い、脈動する物体。

 形は心臓に似ていた。けれど、それは明らかに“人のもの”ではない。

 どくん、どくんと、不気味な音を立てて、生きていた。


「これは……何だ」


「《魔獣核》――魔王陛下の生体魔術によって創り出された、融合の鍵だ。お前の肉体に埋め込めば、生き延びることができるだろう。ただし、代償は大きい。二度と、人としての純粋を取り戻すことは叶わぬ」


 選べと、言うのか。


 ここで死ぬか、化け物になるか――。


 思考が千々に乱れる。

 死の恐怖と、未知の恐怖。どちらも救いはない。


 けれど――


(……ここで死ぬぐらいなら……)


 腐食の音が耳に蘇る。魔獣の咆哮。断末魔。

 この遺跡の外に出られる保証など、どこにもない。

 ならば――


「……わかった。俺に、その核を」


 震える手を伸ばす。

 指先が、黒い心臓に触れた瞬間――


「……実に良い返事だ。では、実験を開始しよう」


 赤き番人の指が、静かに動いた。


 ――次の瞬間。

 朝陽の目の前が、真紅に染まった。


 鋭く走る激痛が、全身を貫く。


「ぐあああああああああああッッ!!」


 叫びが、洞窟を震わせた。

 黒い核が、朝陽の胸に強引に埋め込まれていく。


 肉が焼ける音が聞こえた。

 骨が軋み、血が逆流し、内側から何かが這い出ようとしていた。


「力を授けよう。絶望の底から這い上がるにふさわしい、“獣”の力をな」


 背中がのけぞる。白目を剥いた瞳が、赤く染まっていく。

 牙が伸び、爪が裂け、皮膚が黒く変色していく。

 筋肉が膨張し、意識が、遠のく――魔獣との融合が静かに始まった。

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