月下の鐘
森を越え、草の茂る小道を進んだ先に、その村はあった。
街からの距離はさほど離れていないはずだったが、妙に長く歩いたような気がする。
道中は静かで、鳥のさえずりすら耳に入らない。不自然な沈黙――まるで周囲が“何か”を警戒しているかのようだった。
「……ここが、お前の村か」
俺は少年の後ろ姿に問いかけた。
小柄な背中は、振り返りもせず、ただ真っ直ぐに進み続けていた。
けれど、その小さな肩がは、ずっと震えていた。
「あの、ありがとう……本当に、ありがとう」
ようやく振り返った少年は、顔を上げた。
「大人たちは……もう、何も言わなくなったんです。夜になると“連れていかれる”のに、誰も騒がないし、何も言わない。まるで……それが“当たり前”みたいに振る舞ってる」
言葉に宿るのは、恐怖と無力感だった。
リュシアはそっと少年の肩に手を置き、柔らかく微笑んだ。
「あなたは、よく声を上げたわ。私たちはあなたの味方よ」
少年の目が潤んだ。彼は黙って、こくりと頷く。
村の入り口に差し掛かると、低い石垣と、簡素な木の柵が見えてきた。
家々は古く、小さな灯火がほそぼそと灯っている。
人の気配は……ある。
だが、まるで“気配だけが残っている”奇妙な違和感があった。
窓のカーテンは閉ざされており、扉の隙間から覗く目はすぐに隠れてしまう。
誰も、出てこない。
まるで俺たちが“見えていない”かのように。
「……これは、魔力の痕跡?」
リュシアがわずかに眉をひそめた。
「街」では感じなかった、うっすらと空間に漂う魔力の揺らぎ。
それは自然なものではなく、どこか“人工的な痕”が混じっていた。
「ここ、夜になると……“鐘の音”が鳴るんです」
少年がぽつりと漏らす。
「誰が鳴らしてるのかは分からない。でも、それが鳴ると、誰かが……いなくなる」
「鐘?」
「ええ。塔なんて、この村にはなかったんです。でも……ある日、突然、村の奥に“鐘のある塔”が現れました。気づいたときには、もう建っていたんです。誰も、建てた覚えがないのに」
リュシアが小声で俺に耳打ちする。
「空間歪曲の痕跡がある。……魔核の力が、局所的に“異界化”を起こしているのかもしれない」
「異界化?」
「本来この世界に存在しない構造物や空間が、異なる魔力の干渉で“現れる”現象。滅多にないけれど……人為的に起こされたものなら、何者かが“意図して”いるわ」
つまり、誰かがこの村で、魔核の力を利用して何かを試している。
それが、夜ごと人が消える原因だとしたら――
「僕の名前はカイ。今日は……ここで泊まってもいいよ。うちに、空き部屋があるから」
カイの案内で、俺たちは彼の家に招かれた。
その家は、木と藁で作られた小さな二階建てで、外見は古びていたが中はきれいに整えられていた。
カイの両親は、俺たちを見てもほとんど表情を変えなかった。
まるで“心を閉ざした人形”のように、挨拶をして、部屋に戻ってしまった。
夜が来る――
村の空気が一変した。
風がやみ、空は曇り、夜の帳が村全体を包んでいく。
そして――
――ゴォォォォン……
低く、濁った鐘の音が、村の奥から響いてきた。その音を聞いた瞬間、カイの両親の顔色がさっと青ざめた。
部屋の中に閉じこもり、何重にも鍵をかける音が響く。
「始まった……!」
カイが窓辺に駆け寄る。
俺とリュシアは武具と装備をした。そして、ゆっくりとドアを開けて、夜の村へと足を踏み出した。




