静穏の終わり
街に入ってから三日が経った。
服も買い替え、夕暮れの赤い陽が、石畳の路地を黄金に染めている。だが、その光景には、妙な“静けさ”が漂っていた。
街の人々は穏やかに見える。酒場は営業しており、屋台では焼き魚の匂いが漂っている。けれど、なぜだろう――そのどこかが“演技めいて”見えるのだ。
「なあ、リュシア……この街、どこかおかしくないか?」
夕食を終え、宿の廊下に佇んでいた俺は、隣に立つ彼女にそう問いかけた。
「感じていたわ。妙に外の話を避ける人が多い。それに、街の外へ出ようとする人が、ほとんどいない」
「まあ、魔獣が徘徊する外に出たがらないのは当然だろうけど……それにしたって、全員が全員、まるで“忘れてる”みたいなんだよな。外の世界を」
リュシアがわずかに眉をひそめた。
「……魔核による記憶操作。可能性としてはゼロじゃない」
そのときだった。
宿の扉が勢いよく開き、ひとりの少年が駆け込んできた。
まだ十歳前後。短く刈った栗毛の髪、泥だらけの服、肩で息をしている。
「お願いです……! この街の人じゃ、誰も、話を聞いてくれない……!」
少年は俺たちを見つけると、まっすぐに駆け寄ってきた。
「どうした、坊主。何があった?」
「森の向こうの村が……化け物に襲われてるんです! 村の人たちが……父さんも、母さんも……!」
俺とリュシアは一瞬、顔を見合わせる。
「この街の兵士や番兵には、頼んだのか?」
俺が問うと、少年は目に涙を溜めながら、必死に首を振った。
「話そうとしたんです。でも、誰も“森”のことを覚えてないって言うんです……! 地図にも載ってない、そんな村は存在しない、って……!」
リュシアがはっと目を見開く。
「……この街全体が、何かに“封じられて”いる」
「俺たちには見えて、住人には見えない? そんなバカな……」
だが、魔核の力が絡んでいるなら、ありえない話じゃない。封印、記憶障害、領域操作……高位の魔術や、特殊な魔核に触れた者ならば。
「村の名前は?」
「リデル村です。森を越えて、東に向かって半日くらい……」
少年は必死に説明を続けた。自分の足で、街まで走ってきたらしい。
「街の中を何人にも声かけたけど、みんな“村なんてない”って……でも、お兄さんたち、旅人ですよね? 街の人たちと違って、ちゃんと話が通じる……!」
なるほど。だから俺たちに縋ったのか。
リュシアが優しく、少年の頭を撫でた。
「えらいわ。ここまで、一人でよく頑張ったわね」
「……助けてくれるんですか?」
その問いに俺は頷いた。
「ああ。行ってみよう。話が本当なら、見過ごせない」
この街が何かに封じられているとして、助けを求める人間がいるなら、それを無視するわけにはいかない。
「私たちの宿に泊まって。朝になったら、一緒に出発しましょう」
リュシアの言葉に、少年は何度も何度も頭を下げた。
廊下の外、窓の向こうには、もう星が出ていた。
静かで、平和で、けれど――偽りのように整った街の空。
森の先で“何か”が起きている。
俺は森の方を見据えた。




