地上の勇者
地上――聖都レイネウス近郊、訓練区画・第三演習地帯。
午後の陽が、斜めに射していた。空は晴れ渡っていたが、空気には微かな鉄錆の匂いが混じっている。吹き抜ける風が、荒れた砂地を舐めるように駆け抜け、乾いた砂塵を巻き上げた。
その風の中、ひときわ鋭い剣閃が閃いた。
「はッ……たあああっ!」
小山田洋――光を背に跳躍したその少年は、流れるような動きで剣を振り抜く。狙いは一点、敵の喉元。刃が骨ごと断ち割り、魔物の身体は断末魔を上げる暇もなく崩れ落ちた。鈍い衝撃音と共に、赤黒い血が砂に染み込んでいく。
「さすが小山田くん! かっこいい〜!」
「見た!? 今の剣捌き!」
遠巻きにしていた女子たちの歓声が、一斉に上がった。彼女たちは洋一の一挙手一投足を目で追い、その戦果に無条件の賞賛を送る。
光の中心に立つ英雄。それが、今の小山田洋だった。
だがその喧騒の外――熱気の届かぬ位置で、じとりとした視線がその姿を射抜いていた。
「……また始まったな、あの茶番」
吐き捨てるように呟いたのは、小崎雄馬。丸渕眼鏡の奥に隠れた瞳が、洋一の背を冷たく見下ろす。
彼の前には、焦げた骸と、揺らめく残火が残されていた。術式の詠唱はすでに終わり、指先には余熱が残る。
魔法陣から放たれた火球は、魔物を一瞬で蒸発させていた。しかし、その鮮烈な戦果に対し、誰ひとりとして声を上げる者はいない。
「俺だって戦ってる。結果も出してる。ただ……目立たないだけで、誰も見てくれない」
唇を噛む。嫉妬ではない。いや――そう思いたいだけで、実際には心の底に黒い泥のようなものが澱んでいた。
一方、その地を蹴り飛ばすようにして進む巨体があった。
「どけぇえッ!」
石関平。巨棍を両手に握り、咆哮と共に突進する。並の魔物なら、その一撃で頭蓋ごと砕かれる。脳漿が地に飛び、骨が鈍く響く音を立てて砕けた。
だが、歓声は……ない。
彼は顔を歪めたまま、視線を遠くに送る。そこでは、女子たちに囲まれた洋が、笑顔で談笑していた。
「オヤマダばっか目立ちやがって……。力じゃ俺の方が上だろうが」
つぶやきながら棍を肩に担ぎ、唇の端を吊り上げた。
「戦場じゃ、女にチヤホヤされてる奴が先に死ぬんだよ……覚えとけ、クソが」
だがその声もまた、風に消えた。
さらにその背後――
黒髪の少女が、静かに剣を振るっていた。
中村海風。長く艶やかな髪が、動きに合わせて美しくなびく。無駄のない剣筋。攻防のひとつひとつが、まるで舞のように洗練されていた。彼女の戦いは、「力」ではなく「美」だった。
しかし、心の中は静謐ではなかった。
(小山田くん……確かに強い。でも、あの称賛は、どこか歪んでる。みんな……見たいものだけを見てる)
彼の笑顔が、時折ひどく不自然に見える。演じている。そう思わせる瞬間が、確かにある。
淡い違和感は、日を追うごとに濃くなっていた。
「くっそ……こいつ、なかなかしぶといな……!」
忌々しげに呻いたのは、吉岡奏。日焼けした褐色の肌に、金髪をひっつめたその風貌は、見るからに不良少女然としている。
両手の斧で魔物を押し返しながら、ふと横目に洋一の姿を捉えた。
「フン……あんな陽キャ男がよ……」
声には毒が混じっていた。だが、その奥にあるのは、否定しがたい焦りと、羨望。
奏は、顔を背けた。
そして、小柄な少女――小芝奈々は、震える手で杖を握りしめていた。
幼い印象の顔立ち。童顔と舌足らずな口調で、いつもどこか妹のように扱われていた彼女は、魔法の光で後方から仲間を援護していた。
だが、その視線はずっと前方――、洋一の背中に向けられていた。
(やっぱり……すごいな、小山田くん。あんなふうに、みんなの中心にいられて……私なんかが、近づいていい人じゃないよね……)
光を浴びる彼と、それを遠くから見つめる自分。手を伸ばす勇気もない。
杖を持つ指先が、細かく震えていた。それは、寒さでも、魔力の揺らぎでもない。
そして、第三演習地帯のさらに外れ――岩陰に、うずくまる影があった。
岸田卓也。内気な少年。眼鏡の奥の瞳は伏せられ、細い肩を抱くようにして膝を抱えていた。
誰も、彼の存在に気づかない。戦っていないからではない。そこに「居ないこと」にすら、誰も疑問を抱かないのだ。
「……やっぱり俺だけ、いないんだな」
蚊の鳴くような声が、ひとりきりの空間に落ちた。
(でも……俺だって、ランクAなんだ。数字じゃ……上なんだよ……なのに……)
感情が、うねる。
胸の奥からせり上がってくるのは、何もかもを黒く塗り潰す嫉妬と、存在の希薄さに対する焦燥だった。
彼の目が、ゆっくりと歪んでいく。
演習地のそこかしこでは、魔物の断末魔が響いていた。空気は乾いていたが、どこかに生ぬるい気配が、確かに満ち始めていた。
――パキン。
それは、空気に亀裂が走るような音だった。
次の瞬間、光の柱が演習地の中心に落ちる。天より降臨したかのように、王様の使いが姿を現した。
「ふむ……順調のようですね」
その言葉に、誰かが息を呑み、誰かが剣を構え直し、誰かがただ黙っていた。
「皆さん、恐れないでください。私は王様の使いです。ここまでよく戦ってくれました。ですが、仲間との信頼こそが、最大の力です。どうか……互いを思いやってください」
その言葉は、まるで説教のように響いた。
だが、誰もが口を閉ざしたままだった。
互いを思いやる?
すでに、心はすれ違い、嫉妬と不満が渦巻いていた。
――そして、皆気づいていなかった。
その「亀裂」が、やがて取り返しのつかない「断絶」へと育っていくことを。
勇者と呼ばれた地上の彼らは、静かに崩れ始めていた。