ジョー・アレディ ~世界一幸せな死刑囚~
ジョー・アレディ(Joe Arridy 1915 - 1939)という名の実在したアメリカの死刑囚についてのお話です。
皆さんの思う『幸せ』ってなんですか?
※この作品はPixivに掲載したものを加筆修正・再掲載したものです。
1936年8月26日、とある青年がアメリカ ワイオミング州の鉄道駅構内で逮捕された。
「こんばんは、名前を聞いても良いかな?」
「ジョー。ジョー・アレディ」
「そうか。よし、ジョー、君はこれからどこへ行こうとしていたのかな?」
「ぼくはジョーだよ?」
「ん?質問を変えるよ。どこから来たんだい?」
「ジョーだよ!電車、好き!」
何を聞いても自分の名前しか言わないジョーを前に、警察官たちは目を見合わせる。
「こいつ・・・」
「ああ、怪しいな。精神障害を装って逃がしてもらおうって魂胆かもしれない。よし、捕まえろ!」
「はい!よし、一緒に来い!」
こうしてジョーは何が何だか解らないというような顔で手錠をかけられ、警察官たちに連れていかれてしまった。
さあ、何故ジョーは逮捕されてしまったのか。
駅での一件から約十日前、アメリカのコロラド州 プエブロの街で凄惨な暴行殺人事件が起こっていた。
幼い姉妹であるドロシーとバーバラが自宅の寝室で、侵入してきた何者かに斧で襲われた。
留守だった両親が帰ってきたころには犯人の姿は消えており、妹のバーバラは重傷、姉のドロシーは瀕死の状態で更には性的暴行まで受けていた。
直ぐに二人は病院に運ばれ、バーバラは奇跡的に一命を取りとめたが、姉のドロシーは治療の甲斐も虚しく息を引き取とった。
「まだ犯人は遠くには行ってないはずだ。だが、鉄道を使って逃げた可能性もある。
周りのワイオミング、ユタ、カンザス、ニューメキシコの鉄道駅も慎重に探せ」
こうしてワイオミングの駅構内にいたジョーが容疑者として逮捕されてしまったというわけだ。
では、何故ジョーは自分の名前しか答えなかったのか。
次は彼の生い立ちについて話していこう。
逮捕から約20年前の1915年4月29日、ジョーは事件の舞台でもあるプエブロの街で生まれた。
物心ついても他の同年代の子どもと何かが違ったジョーに違和感を覚えた両親はすぐに彼を病院に連れて行き、診察の結果、重度の知的障害を患っている事が分かった。
両親の意向で養護施設に預けられることになったジョーだったが、彼のもつ障害は周りの子達のそれよりも遥かに重く、上手く馴染めないどころか酷いいじめを受けていたそうだ。
成人し施設を出ることになったジョーだったが、大人になった今でもIQは46しかなく、数字は5までしか数えられず、5つ以上の単語をつなげて話すこともできず、色は赤と青の区別がつかず、精神年齢も5,6歳ほど。
子どもの頃から電車がすきで、偶然電車に乗り込みワイオミング州に行きついたのだろう。
行く当てもなくふらついていたところを犯人捜索に当たった警察官に逮捕されてしまったようだ。
ジョーの取り調べを担当することになったのはジョージ・J・キャロル保安官だ。キャロル保安官はジョーを犯人だと見定め、彼を尋問し始める。
「なぜあの駅にいた?プエブロから逃げたんじゃないのか?え?」
「ぼ、ぼくはジョー」
「名前を聞いてるわけじゃない。お前が少女達を襲ったんだろ!?答えろ!」
「ジョー、電車のおもちゃ、欲しいなあ」
「ふざけるな!」
キャロル保安官は脅しだけでは通用しないとなると、今度はジョーに対して手を上げるようになった。
同じころ、一人の男が逮捕されていた。
男の名はフランク・アギイラー。
彼の自宅からは血の付いた斧が見つかっており、事件が起きたプエブロの住民であること、更に、少女たちの父親が経営する会社を解雇された過去があり、それが動機でもあったことから事件の真犯人としての疑惑がかかっていた。
キャロル保安官はかつてプエブロの街で悪さをしていたギャング団を壊滅させ、英雄として称賛された過去があった。
再び名を上げたかったのか、その功績ゆえ自分の担当を見誤るという失態から目を逸らしたかったのか、彼はジョーに自白させ、真犯人に仕立て上げた。彼のハンデを利用して。
「ん?ああ、そうか。なあ、ジョー『僕がやりました』と言うんだ。いい子だから。な?」
「叩くの、やだ」
「ああ、すまなかったな、ジョー。もう叩いたりしないよ?だから、な?『ぼくがやったんだ』と言ってくれ。ジョーはお利口さんだ。な?」
「ぼくが、やった」
「・・・よし」
裁判の日、ジョーとフランクは被告として法廷に召集された。証人として事件の生き残りであるバーバラも出席している。
「この人がやったんです!」
バーバラはフランクを指さして言った。
被害者の証言はこの時代では最も強い証拠だった。
「動かぬ証拠だな。真犯人も確定したようなものだ。アギイラー被告、何か言いたいことはあるかな?」
裁判官に発言を求められたフランクは歯ぎしりした。もう何の言い逃れもできない。
しかし、彼はジョーの障がいについても理解していた。
「俺は手伝わされただけです、裁判長!ジョーがやったんです!だよな?ジョー!ジョー!!!!お前がやったんだよな!!!!!!!!」
激しく怒鳴られたジョーは過去にキャロル保安官に脅された時の事を思い出したのか、
「うん、ぼくが、やった」
と、震える声で自白した。
「よし、では判決を下す!フランク・アギイラー被告、ジョー・アレディ被告両名を、暴行殺人の罪で死刑とする!」
「いやだ!ふざけんな!助けてくれ!」
悲痛な叫び声を上げるフランクをよそに、
「ガタン、ゴトーン。電車が通りまーす!」
弁護士のペンケースを電車に見立てて笑顔で遊ぶジョーであった。
この判決はプエブロ中を駆け巡り、各地で裁判のやり直しを求める声が起こった。
ジョーの看守となったロイ・ベストもその立役者の一人だ。
今まで多くの死刑囚を見てきたロイだったが、ジョーほど優しく純粋な犯罪者は見たことがない。彼のその天使のような笑顔は他の看守だけでなく別の牢屋の囚人たちにまで愛されていた。
何故ジョーが死刑にならねばならないのか。どんなに考えても彼が納得することはなかった。
「ほら、ジョー、君にこれをあげよう」
ロイが手渡したのはずっとジョーが欲しがっていた電車のおもちゃだった。
「わー!ありがとうロイ!ガタン、ゴトーン!ガタン、ゴトーン!」
ジョーは、それはそれは幸せそうな笑顔ですぐに床にしゃがんで遊び始めた。その横顔を見るロイの心にひとつの確信が芽生えた。
(こんな可愛い子どもが死刑になるなんてきっと何かの間違いだ。必ず裁判はやり直しになり、ジョーは釈放されるに決まっている!)
しかし、彼らの熱心な助命活動もむなしく、ジョーの死刑執行日が確定してしまった。翌年に入ってすぐだった。
12月24日、時間が残されていないジョーに少しでも楽しんでもらおうと思ったロイは制限付きの外出許可を申請し、ジョーを自宅のクリスマスパーティーに招いた。
おいしそうな料理、そして綺麗なツリーを見たジョーは大喜び。そして何よりも彼が嬉しがったのは、ロイの甥っ子との電車ごっこだった。
最初もお話しした通り、ジョーは幼少期を養護施設で過ごしたが、そこでの思い出は決して楽しいものではなかった。初めて他の子どもと心から遊べたジョーは本当に嬉しそうだ。
疲れて眠くなるまで温かい暖炉のそばで二人は遊んでいた。ロイや他の家族は皆幸せそうに二人を見守っていた。
翌朝、ジョーは歓喜の声を上げた。その手には新しい電車のおもちゃが握られている。
「新しい電車!おもちゃ!やったー!」
「おはよう、ジョー。お?サンタさんが持って来てくれたのかな?」
「サンタさん?」
「ああ、クリスマスの夜に素直で優しい子どもにプレゼントを届けに来てくれたんだよ。よかったな、ジョー!」
「わーい!ありがとうサンタさん!ガタン、ゴトーン!ガタン、ゴトーン!」
「よかったなあ、本当に、よかった、なあ・・・」
ロイの目に浮かぶ涙にも気づかないまま、ジョーはベッドの上ではしゃぎ続けるのだった。
年が明け、ロイは牢屋の中にいるジョーに声を掛けた。
「ジョー・アレディ、君の死刑執行をここに宣告する」
「ねえロイ、電車で遊ぼう!」
他の看守や囚人たちは皆、ロイに微笑んだ。
「ああ、遊ぼう!ガタン、ゴトーン!電車が入ります!」
「ガタン、ゴトーン!ガタン、ゴトーン!」
ひと段落着いたとき、ロイはジョーに尋ねた。
「ジョー、何か好きなものが食べられるとしたら、何が食べたい?」
「好きなもの?」
「ああ、何でもいいよ」
「ジョー、アイスクリームが食べたい!」
直ぐに他の看守が器一杯分のバニラアイスを持ってきてくれた。
「おいしいかい?」
「うん、おいしい!」
ご馳走様。と、ジョーが差し出した器を受け取りながらロイが尋ねる。
「おや?まだ残っているじゃないか。もうお腹いっぱいかな?」
「ううん、また後で食べる!」
「『後で』、か・・・」
そう、ジョーが食べたアイスクリームは所謂最後の食事だった。だが、死刑の意味も最後の食事が何なのかも解らなかったジョーは、訪れることのない『後で』を楽しみにしていたのかもしれない。
『今度はロイや他の人達とも一緒に食べるんだ』と。
「さ、行こうか」
「うん!」
お気に入りの電車のおもちゃを他の囚人に手渡し、ロイに手を引かれジョーは長い廊下を歩いていく。
まもなくして重そうな鉄製のドアが見えてきた。
今までなら、まだ、ロイの心に微かな余裕があったのかもしれない。しかし、今ではジョーの純粋無垢な暖かい笑顔が彼の胸を締め付ける。
「ジョー、君はここが何なのか解るかい?」
「ううん?」
「ここは『ガス室』だよ。ジョー」
そう、当時のアメリカの死刑は電気椅子やガス室によるものが主流だった。案の定その名を聞いてもジョーの顔から笑顔が消えることはなかった。
(私はこれから、この子の命を・・・)
込み上げてくるものを抑えることは出来なかった。滝のよう涙があふれだし、ロイはしゃくりあげる。
「ロイ、どうしたの?どこか痛いの?」
「君が、死ぬのが、私には耐えられなくてね・・・。なぜ、こんなに優しいこの子が・・・。なぜだ、どうして・・・」
それから先は言葉にならなかった。
ロイの脳裏に様々な思い出がよみがえってくる。
初めてジョーを見た時、おもちゃをあげて喜んでくれた時、甥っ子と遊ばせたクリスマスイブの夜、新しいおもちゃに喜んでくれたクリスマスの朝。
涙が止まらないロイの肩を、温かい手が優しく触れた。ふと顔を上げると、ジョーが心配そうな顔で覗いている。
その顔は直ぐに笑顔に戻り、こう言った。
「ノー、ノー!ジョーは死なないよ!」
(No, no, Joe won't die.)
それが最後のジョーの言葉だった。
ロイがジョーを椅子に座らせ、手足を拘束し目隠しをする。目の前が見えなくて不安になったのか、ジョーが軽く震えだした。
「・・・大丈夫だよ」
ロイがその手を握って声をかけてやると彼の口元は再び口角が上がり、笑顔が戻ったようにも見えた。扉が閉じられ、ハンドルが大人二人掛かりで締められた。
ジョーはアトラクション気分なのか、ワクワクしてたまらないというように僅かに動かせる指先でリズムを刻んでいる。
「ロイ、やれ」
「はい」
レバーを下げると、室内から「シュー・・・」という音が響いてくる。
涙で霞む視界の中に、笑顔のまま毒ガスの中に消えていくジョーの姿があった。
1939年1月6日。ジョー・アレディは23歳という若さでこの世を去った。
時が経ち2011年、コロラド州はジョーの免罪を認め、無罪とした。あまりにも遅すぎる恩赦だった。
その後、ジョーの墓はそれまでの囚人用のものではなくなり、新しくきれいな墓石に成り代わった。
その墓には今でも当時ジョーが遊んでいた電車のおもちゃが供えられている。
無実の罪で死刑となっても、ロイをはじめ多くの人々に愛されて幸せな日々を過ごし、命奪われる瞬間までその笑顔を振りまき続けた彼を、
世間は『世界一幸せな死刑囚』と、呼ぶのだった。