第9話
秋の近畿大会が早々に終わり、桂山高校野球部は新たな日常を迎えていた。
全体的に貧打が目立った打撃陣はとにかくバットを振る毎日となり、好投した内山浩則もさらなるレベルアップに取り組んだ。
下半身を中心に筋量アップを目指し、秋から冬にかけての数ヶ月で浩則の体幹は見違えるように安定した。
後年プロ入りした浩則は、このときに身につけた「土台」が大きかったと振り返ったくらいだった。
桂山高校野球部の照準は、ほぼ夏の京都府大会に据えられていた。
相手が優勝校とは言え、さすがに1回戦負けしたチームにセンバツ出場枠が与えられると考えるほど彼らは楽観視していなかった。
夏に向けてどれくらいレベルアップできるか。
それが彼らの共通課題となっていた。
年が明けて1月下旬、桂山高校野球部はその日もいつものように練習を行っていた。
センバツ出場校が決まるという、甲子園を目指す球児たちにとって特別な日であったが、桂山高校野球部は半ば気持ちの整理を終えていた。
可能性の低いセンバツより、これから目指すべき夏の大会に向けて限られた時間の中で練習を積んでいかねばならないのだ。
そんないつも通りの練習場へ、慌てた様子で大人が走って来るのが見えた。
教頭の森田だ。
眼鏡をかけ、いつも七三分けにし、ほとんど足音を立てずに歩くことで知られる男性教師である。
廊下でふざけているといつの間にか後ろに森田教頭が立っていて、そのまま説教をくらった経験は桂山高校の生徒の多くが持っていた。
そのため生徒から「忍者」とあだ名をつけられるくらい、いつもは気配のしない森田が走っているのは初めて見る光景だった。
森田は監督のタツ爺のところへ行くと、何やら慌てた様子で話しだした。
冬だと言うのに額には汗がふき出していたが、森田はそれをぬぐう様子も見せずに一気にしゃべり、話し終わると肩で息をした。
向こうを向いたタツ爺は、しばらく固まっていた。
数瞬後、大きくうなずくと、部員たちを呼び集めた。
何事かと集まってきた部員たちに対し、仏頂面で話し始めた。
みんな、ある期待を胸に、タツ爺の言葉に耳を傾けた。
「おい、お前ら。今連絡があって、春のセンバツ出場が決まったぞ!まあ、わしの指導が・・・」
タツ爺は長々と話したそうにしていたが、部員たちのワッと言う声でかき消された。
みな狂ったように腕を天に向かって突き出し、言葉にならない歓声をあげていた。
誰かがかぶっていた帽子をとって投げ上げると、周りの全員もそれに倣った。
無数の帽子が宙に舞う様子は、かつて桂山高校が味わったことがない光景だ。
残念なことにメディア関係者は全然来ておらず、この一生モノの光景を目に焼き付けたのは桂山高校の関係者だけだった。
この日の練習は何だかよくわからないうちに終わった。
でも、みんなの顔は晴れやかだった。
タツ爺は相も変わらず無表情を装っていたが、部員たちにはその心のうちが読めていた。
次の日、タツ爺の額には絆創膏が貼ってあったが、部員たちはまた家に帰ってからコケたのだろうと噂した。
そして、それは事実だった。
「ヒロ。今日も自主練行くか?」
完全に相棒となって久しい高木敦史が、浩則にそう声をかけてきた。
さっきまで兄で実質桂山高校のコーチのようになっている高木悟史と話していたが、どうやら今日の自主練について話していたらしい。
「もちろん!」
浩則は即答した。
内心はちきれんばかりの喜びに襲われていたが、それとともに落ち着かない気持ちがいっぱいだった。
家に帰っても何も手につかないに違いなく、それならもうちょっとボールを握っていたかった。
「甲子園、行けるんやな。」
キャッチボールをしながら、敦史がそんなことを話しかけてきた。
浩則はそう言われても、どこかまだ信じられない思いがしていた。
とんでもなく嬉しいのに、それでいてどこかフワッとした不思議な感覚だった。
敦史もそうなのか、何かを確かめるようにいつもよりゆっくりとキャッチボールをしている。
「俺はな、もしセンバツ選ばれんかもって思いながら、選ばれたらかなりいいとこまでいける気がしててん。最近のヒロの速球、速いときは130キロは出てる気がすんねん。それで、投球の幅ってやつ?がかなり広がってきたと思うし。」
敦史はそんなことを言いだす。
周囲の諦めムードをはね返すことまではできなかったが、敦史はそれなりに自信があったらしい。
そう言われると、浩則も自分の成長には手ごたえを感じているところだった。
まだ常時とは言えないが、130キロ近くの速球を投げられている自覚はあった。
腕の振りやリリースポイントを意識し、どの球種もほとんど同じ投げ方で投げることができている。
超高校級のピッチャーのような飛びぬけて秀でたボールはないかもしれないが、甲子園に出場してもまず恥ずかしくないレベルにまでようやく達した観がある。
「だから、ヒロの投球と俺のリードがどこまで通用するか見てみたい。どこと当たっても、俺らより力は上のチームや。そんな相手と甲子園で真剣勝負ができる。こんな嬉しいことなんて、他にないやろ!!」
興奮しているせいか、敦史はいつも以上に多弁だった。
バッテリーを組んでようやく半年が立ち、このところはお互いに充実感を日々感じている。
夏の県大会までしばらく公式戦はないと思っていたところ、センバツ出場の話が降って湧き、思わぬ腕試しの機会が与えられた感じだった。
浩則にとって願ってもない話だったが、浩則よりも敦史の方が甲子園での試合を楽しみたいと思う気持ちが強いようだ。
「でも・・・センバツまであと1ヶ月ちょっと。変化球はまだまだキレが良いわけじゃないし、球速も他の学校のピッチャーに比べたら遅い方だと思う。俺達って、本当に通用するのかな?」
喜ぶみんなの前ではとても言えなかったが、浩則は喜びと同じくらい不安があった。
甲子園に出てくるチームのエースピッチャーともなると、球速が130キロを超えるのは当たり前、140キロを超える者も決して珍しくない。
中には150キロ超という、すぐプロ入りできそうな剛速球を投げる者までいたりする。
それに、球速だけでなく凄まじい変化量を持った変化球をウイニングショットとしているピッチャーばかりだ。
そんなピッチャーに比べて自分が優れているとは、とても思えない。
自分の投球は誰の目から見ても見劣りがするのではないか。
散々に打ち込まれ、試合を壊してしまうのではないか。
そんなネガティブな考えも浮かんでくる。
「通用するに決まってる!」
「本当に?」
「ああ、ホンマや。まずヒロほどコントロールがいいピッチャーなんて、他におらん。それは俺が断言する。」
「でも、それだけじゃ・・・」
「いや、それだけやないぞ!ヒロの腕の振りは、もう完成されとるって思う。俺は次に何を投げてくるかわかってるから捕れるけど、ヒロの投球モーションだけ見て何の球種が来るか見抜くのはホンマに難しい。一番多くヒロのボール受けてる俺が言うんや、間違いないやろ?」
「・・・」
「変化量とか球速はもっとすごいピッチャーがいるかもしれん。でも、ヒロみたいなピッチャーは他におらん。打たれるとしたら、次に何を投げるか読まれたときや。それはつまり・・・俺のリードがアカンかったときってことや!!」
「・・・ありがとう。そこまで言ってくれるんだったら、これ以上グチグチ言うのやめる。甲子園でも緊張せずにいつも通り投げられるように頑張る。」
「そうや!周りがどんな景色になっても、ヒロが投げるのは俺のミットに向かってなんや。俺のリードを信じて、どんどん投げ込んで来い!!」
正直言って、浩則の不安がすべて解消したわけではない。
でも、ここまで言ってくれる相棒がいることは、浩則にとって心強かった。
ピッチャーとしての自分は大したことなくても、バッテリーというユニットとして戦える存在になろう。
浩則はそう心に決めた。