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第8話

(あと一球。)


 内山(うちやま)浩則(ひろのり)はマウンド上で汗をぬぐった。

 季節のうえでは秋のはずだが、相変わらずグラウンドでは耐え難い暑さを感じる。

 そんななかで激しい運動をしているのだから、浩則(ひろのり)に限らずみんな滝のような汗をかいていた。


 ただ、浩則(ひろのり)は暑さも汗の不快さも、もうどこかへ飛んでしまっていた。

 9回ツーアウト、ランナー1,2塁。

 2対0でリードする浩則(ひろのり)たち桂山(かつらやま)高校にとって、初めての瞬間が近づいていたからだ。

 あと1球ストライクを取れば、秋の近畿大会に出場できる。

 近畿大会で結果を残せば、甲子園が見えてくる。


 強豪校の京都国際付属高校に競り勝ち、準決勝にまで進んだ桂山(かつらやま)高校だったが、準決勝では惜しくも洛陽(らくよう)高校に敗北した。

 浩則(ひろのり)の調子は悪くなかったが、強打でなる洛陽(らくよう)打線をかわし切れず、0対3で敗れたのだった。

 短い期間で研究されたようで、どの打者も内角を衝く速球を狙い打ってきて、そのなかでジャストミートした打球がいくつか単打や長打となり、小刻みに失点してしまったのだ。


 昨年であれば決勝に進出できなかったチームは近畿大会への夢が断たれたところだ。

 だが、今年は京都府に近畿大会への出場枠が3枠与えられる年に当たっており、まだチャンスは残されていた。

 3位決定戦に勝ちさえすれば、近畿大会へ進めるのである。

 その3位決定戦において、桂山(かつらやま)高校は勝利までもう少しというところにこぎつけていた。


(スライダーか。)


 カーブ2つでファウルを打たせ、カウントはノーボール、ツーストライク。

 キャッチャーの|高木(たかぎ)《たかぎ》敦史(あつし)のサインは外角のボールになるスライダーだった。

 バットがとても届かないところに投げ、あわよくば空振りを取ろうという敦史(あつし)の意図がよくわかる。

 この秋京都府大会を一緒に戦ったことで、敦史(あつし)の考えが浩則(ひろのり)には手に取るようにわかるようになっていた。

 敦史(あつし)が出したサインに対して首を縦に振った後、浩則(ひろのり)はセットポジションをとった。

 長打が出れば一挙に同点という場面だが、不思議と緊張はなかった。


 いつも通りのフォームで投球動作を開始する。

 やがて浩則(ひろのり)の左手から放たれたボールは、ホームベースのやや右側に向かって進む。


(よし!)


 ストライクと判断した打者が、スイングを始めた。

 それを見た浩則(ひろのり)は、心の中で確信を持った。

 投じたボールは、ホームベースの手前で急激に変化し、ベースの外側に向かって外れていく。

 その刹那、浩則(ひろのり)の眼には相手打者の表情がゆがみ、目が吊り上がったように見えた。

 一瞬の後、ボールは敦史(あつし)のミットに吸い込まれた。


「ゲームセット!」


 ストライクコールの後、主審がそう発したはずだったが、浩則(ひろのり)らの耳には届かなかった。

 野手やベンチメンバーが総出でマウンドへ駆け寄り、大きな輪になって歓喜の声をあげていた。

 その咆哮(ほうこう)はしばらく止まなかった。


 それはそうだ。

 いったいいつぶりかわからないくらい久しぶりに、桂山(かつらやま)高校の近畿大会進出が決まったのだ。

 誰もが信じられない出来事が現実になり、まるで今の自分たちの境遇が夢ではないことを確かめようとしているかのようだった。


「ようやった、ホンマにようやった・・・!」


 試合後、前キャプテンの|高木(たかぎ)《たかぎ》悟史(さとし)は、そう言って絶句した。

 だが、大粒の涙が彼の感情を雄弁に物語っている。

 自分が成しえなかったことを、後輩たちがかなえてくれたのだ。

 試合ごとに増えた応援団のなかにも目を泣きはらして喜ぶ人が多く、浩則(ひろのり)たちは改めて自分たちが勝ち取ったものを意識した。


「よーし、お疲れさん。また明後日な。」


 みんなが感情を爆発させるなかで、監督のタツ(じい)だけは飄々(ひょうひょう)としていた。

 さすがに勝った直後は顔をほころばせていたが、じきにいつもの顔に戻った。

 学校に戻っても普段の練習のときと同じように()めて、解散となった。


「何や、タツ(じい)はノリ悪いな。もうちょっと喜んでくれてもええのに。」


 みんなそんなことを言いながら帰路につく。

 別に野球の指導をしてくれなくても、せめて一緒に喜んでほしいのに。

 誰もがそんな想いを持っていた。


 しかし、翌日学校にあらわれたタツ(じい)は、右足のつま先部分に包帯を巻き、歩きにくそうにしていた。

 昨日は何のケガもしてなさそうやったのに、と野球部のみんなはいぶかしんでいた。


 タツ(じい)のケガの原因は、間もなくみんなの知るところとなった。

 何でも、家に帰ったタツ(じい)は玄関先で喜びを爆発させ、段差にしたたかに足先を打ち付け、右足の甲を骨折したそうだ。

 どうも人前で喜んでる姿を見せたくなかっただけらしい。

 部員たちは「何やってんだよ!」と表面上は呆れていたが、内心ではタツ(じい)の本心がわかってニヤニヤしていた。


 2週間後。

 浩則(ひろのり)は近畿大会1回戦のマウンドにいた。


(くそっ・・・!ここまで耐えてきたのに・・・)


 大阪の強豪・桐山(きりやま)学園高校との試合。

 6回まで浩則(ひろのり)は何とか相手を0点に抑えてきた。

 ヒットはここまで6本打たれたが、内野ゴロでゲッツーを取るなどして毎回のように抱えたランナーに3塁は踏ませなかった。


 だが、7回表、ついに相手ランナーが3塁に達した。

 ワンアウト後にヒットでランナーが1塁に出、次の打者の送りバントの処理にもたついてオールセーフ、さらにダブルスティールをされて2,3塁となっていた。


 この時点で桂山(かつらやま)高校は1対0とリードしている。

 初回にフォアボールで出たランナーを送りバントで2塁に送り、ライト前にポテンと落ちたヒットで先取点を取っていたのだ。

 しかし、ここでもしヒットが1本出れば、一気に逆転される。


(外角、スプリット。)


 敦史(あつし)のサインを確認し、浩則(ひろのり)はふうっと息を吐いてからセットポジションを取った。

 2塁ランナーに一瞬目をやってから、浩則(ひろのり)敦史(あつし)が構えたコースにスプリットを投げた。


 コンッ!!


 やや鈍い音がして、バットの先っぽにかろうじて当てた感じの打球がライト方向へ飛んでいく。

 その角度と方向を見たとたん、浩則(ひろのり)はしまったと思った。

 慌てて首を振って打球の行方を確認すると、一塁手の頭上を越えてライト線に向かって行くところだった。


(切れろ。頼む、切れてくれ!!)


 浩則(ひろのり)の声なき祈りは届かなかった。

 打球が地面に落ちるや、パッと白い粉が宙に舞う。

 白線上に落ちたボールがライン引きに使われた石灰を巻き上げたのだ。

 それを見た1塁の塁審が手を横に突き出し、ボールがフェアゾーンに落ちたことを示す。

 その様子を見届けると、浩則(ひろのり)はホームの後ろに向かって走り出し、カバーに回った。


 3塁からランナーが手をたたきながらホームに還ってくる。

 続いて2塁ランナーが大回りに3塁を回り、必死の形相で還ってきた。

 ボールはようやくライトの手を離れ、中継に入ったセカンドに向かって投じられたところだ。

 間に合わない。

 逆転された。


 こうなると、桂山(かつらやま)高校のナインは焦りが生じてくる。

 次のバッターの打球も決して良くはなかったが、二遊間の深いところに飛ぶラッキーな当たりで、捕球したセカンドは投げられずに内野安打となった。

 その次のバッターこそキャッチャーフライに抑えたものの、ツーアウト、ランナー1,3塁からショートの左にボテボテと転がった打球はまたしても桂山(かつらやま)高校に不運な当たりとなった。

 捕球したショートが無理な体勢から2塁に投げたボールはやや高く、送球を受けたセカンドの足が離れ、セーフになってしまったのだ。


 あっという間にスコアは1対3。

 2回以降は2塁さえ踏めない桂山(かつらやま)高校にとっては、重すぎるビハインドだった。

 結局、桂山(かつらやま)高校はこのリードを跳ね返せず、9回裏に回ってきたツーアウト満塁のチャンスも最後のバッターがセンターフライに倒れたことで逸した。

 桂山(かつらやま)高校の秋は終わり、選手たちは失意を抱えて帰路についた。


 さすがに1回戦で負けてしまっては、センバツに選ばれる可能性は限りなく低い。

 というか、まず無いと言っていい。

 彼らがつかみかけた甲子園出場という夢は、夢のまま終わりそうだった。


 桂山(かつらやま)高校野球部のメンバーにとって唯一のなぐさめは、その後の桐山(きりやま)学園の快進撃だった。

 桐山(きりやま)学園は桂山(かつらやま)高校以後の相手チームに二桁得点で勝ち続け、ついに決勝でも10点を奪って優勝を果たした。

 そんな「近畿最強チーム」に対し、ロースコアでの接戦を演じられたことが、桂山(かつらやま)高校が近畿大会で唯一誇れることだった。

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