第7話
高校野球といえば甲子園が注目されがちだが、そこにつながる大会も含めれば年中大会があるような感じだ。
暑い夏がまだ終わったという実感がないうちに、もう秋の大会が始まる。
秋の京都府大会は8月末から10月初めまでの長丁場で、決勝まで勝ち上がると秋の近畿大会出場のキップが手に入る。
ただ、今年は幸運にも京都府には出場枠が3枠与えられており、準決勝で敗れても3位決定戦に勝てば近畿大会への出場権が得られる。
新チーム発足直後の桂山高校が甲子園を目指すには、まず京都府大会で3位以内に入ることが絶対条件だった。
「いいか。ウチは夏の大会でベスト8にも入れんかった。強豪の多い京都で勝ち抜くのはそれだけ難しいってことや。けど、新チームで戦う秋大会となればちょっと話は違ってくる。ウチは早めに新チームをつくって準備ができてる。十分に夏以上の成績が狙えるんや!」
前キャプテンの高木悟史が檄を飛ばす。
すっかりコーチが板についてきて、監督がしゃべりそうなことを彼が言っても違和感がなくなってきていた。
「うまいこと言うなぁ・・・!物は言いようやな。」
当の監督であるタツ爺はそんなことを言って、飄々としている。
大会初日を明日に控えた練習終わりでも、彼の様子はいつもと変わらない。
何だか頼りない限りだが、締める時は締める監督だとわかった今は、こういうものだとみなが受け入れていた。
その後、悟史から明日の試合の先発オーダーが発表された。
内山浩則は9番ピッチャー、高木敦史も5番キャッチャーで先発だった。
新チーム発足時にはひと悶着あったが、今ではこの起用に異を唱える者はいなかった。
2人の力が目に見えて伸び、実力でスタメンを勝ち取ったと認識されたからだ。
この1ヶ月で桂山高校は多くの練習試合を重ね、時には大学生や社会人のチームともやり合った。
その中で2人が力を見せたのだ。
浩則はほとんど同じ腕の振りですべての球種を投げ分けることができるようになり、速球の球速も常時120kmを超えるようになった。
もっと目を見張る成長を見せたのが敦史で、地道に続けてきた筋力トレーニングが実を結び、前より強い打球を打てるようになっている。
悟史から口を酸っぱくして選球眼を磨くように言われ、それを意識した結果、打率だけでなく出塁率も向上した。
今では敦史はクリーンアップを任されるようになり、打者としての期待が高い。
リード面についてはいまだに悟史に小言を言われているが、浩則は敦史が着実に成長していると感じていた。
新生桂山高校野球部の緒戦は、丹波連合チームだった。
部員数が9人に満たない丹波地方の3つの高校が合同し、1つのチームをつくることで出場を認められたチームだ。
桂山高校にとって、これはラッキーな対戦相手だった。
相手は普段から一緒に練習できず、どうしても技量や連携で不利だからだ。
試合は事前の予想通りの展開となり、決して強打といえない桂山高校の打線が爆発し、5回コールドで勝利をおさめた。
浩則は3回まで投げ、後を先輩の滝田に託したが、いずれも無失点に抑えた。
次の試合も桂山高校は危なげなく勝利をおさめた。
相手の府立舞鶴北高校も強豪校ではなく、7回まで浩則を打ち崩せなかった。
浩則は相手打線をわずかに1安打に抑え、7回に敦史の初ホームランとなる3ランでダメを押し、2試合連続のコールド勝ちとした。
近年の桂山高校では一番のすべり出しだったが、あまり注目を浴びることがなかった。
京都には甲子園出場の常連のような学校が4,5校あり、彼らがいずれも17点とか20点とかの大量得点を奪い、5回コールドで試合を決めていたからだった。
さすがに3回戦の洛陽学院高校との試合は接戦となり、4対1で勝った。
浩則は4対0の7回まで投げ、リリーフの滝田が1点を失ったものの8,9回を投げ切った。
ここまで浩則は3試合に投げていずれも無失点に抑え、球数は80球以内にとどまっていた。
ヒットこそ打たれていたが、いずれも単打しか許さず、与えた四死球はゼロだった。
相変わらず注目度は低く、地元のテレビ局も強豪の龍南高校が3回戦敗退となったことを大きく報じ、桂山高校は試合結果が流されるだけだった。
「ヒロ。次はリベンジやな。」
洛陽学院との試合直後、浩則は敦史からそう声をかけられた。
次の相手は府立丹前高校だ。
言うまでもなく、つい3ヶ月ほど前に散々なデビュー戦を喫した相手だ。
ここに勝てばベスト8に入れるという試合に、対戦を渇望していた相手と再び野球ができるのだった。
丹前高校との試合は、これまたロースコアでの展開となった。
初回、桂山高校はフォアボールと送りバントの処理にからむ相手のエラーでチャンスをつくり、ライト前にポトリと落ちるヒットと犠牲フライで2点を先取することに成功した。
そこからは互いにゼロ行進が続き、終盤に入っていった。
浩則の調子は良い方だった。
コントロールは上々で、ほぼねらった場所に投球できる。
右バッターには内角のスライダーでバランスを崩し、外角のスプリットやツーシームで内野ゴロを打たせた。
左バッターには内角ツーシームで腰を引かせ、外角のスライダーやカーブで詰まらせた。
三振も5つ記録し、回を追うごとに相手バッターが首をかしげる場面が増えた。
後にプロで活躍する浩則のスタイルの原型がそこにはあった。
「カーブ狙いだしたな。カーブはきわどいとこにだけ投げて、速球主体に切り替えよう!」
7回表の攻撃から、相手は決め球をしぼってきたようだった。
それを察した敦史は、1アウトからレフト前ヒットを打たれた直後、マウンドへやって来て浩則に告げた。
確かに、打たれたボールはカウントを取りに行った緩いカーブで、その前のバッターもカーブを振ってセカンドゴロに倒れていた。
「大丈夫や。向こうはカウント稼ぎの緩いカーブだけねらって、勝負球に使ってる大きいカーブには手を出してへん。緩いカーブの割合を減らしたら、かわせると思う。」
浩則はこのとき2種類のカーブを使い分けていて、変化量の緩いカーブをストライクカウントを稼ぐために使い、より変化の大きいカーブを決め球に使っている。
緩いカーブを序盤から意識的に多く投げて印象づける作戦に出ていたので、相手がこれにねらいをつけてきたのは想定通りだった。
浩則はスライダーやスプリットの割合を若干増やしつつ、ツーシームとフォーシーム主体の投球に切り替えた。
特にバッターの手元で微妙な変化をするツーシームには相手バッターは対応しづらいらしく、当たりがパタッと止まってしまった。
試合はそのまま9回まで進み、結局浩則は9回107球散発3安打で完封勝利をあげた。
四死球もゼロで、文句のつけようのない出来だった。
ここまで来ると、ようやく浩則にも注目が集まるようになった。
ただ、ここまで無失点という成績に焦点があてられ、その投球内容が深く取り上げられることはなかった。
せいぜいフォアボールのない、コントロールがいいピッチャーという位置づけだ。
浩則の球速は目を引くほど速くなく、変化球にしてもまだまだ特筆されるほどのキレはなく、中堅校に良い1年生ピッチャーがいるという認識だった。
「このままあんまり注目されへんかったら、相手もナメてかかってきてくれるんやけどなぁ。次は国際付属やから、格上って言われてるし。」
敦史は地元紙で自分たちが特集されているところを見ながら、敦史がそんなことを言う。
紙面には、白い歯を見せて笑う敦史とその横ではにかむ浩則の写真が載せられている。
ただ、その扱いはそれほど大きくなく、「無我夢中で頑張ってたら勝つことができました!」という敦史の発言が目立っていた。
敦史は兄の悟史とともに毎試合相手バッターの分析を怠っていないのだが、相手の油断を引き出そうとあえてそんなことを話していたのだ。
次の対戦相手である京都国際大学付属高校は古豪と位置づけられるチームだ。
かつては甲子園常連だったが、20年ほど前を境に次第に力を失い、かろうじて強豪校に数えられる程度にまでその地位を下落させた。
しかし、ここ最近は再び力をつけ、おととしの夏に甲子園出場を果たしている。
飛びぬけた選手はいないが、今年のチームも上位に食い込むだけの力を見せており、下馬評では相手の勝ちを予想する者が多かった。
どちらかと言えば守りのチームであり、敦史が言うようにナメてかかってきてくれれば、桂山高校の勝機が増すというわけだった。
「ヒロ、いけるぞ!!向こうは選手に打ち方任せてるんやろ。速球好きなヤツは速球しか振らんし、変化球打ちが得意なヤツは変化球しか待ってへん。」
敦史が喜んだのにはわけがある。
めいめいが好きなボールをねらっているということは、国際付属の各バッターに監督からの指示らしい指示がないに違いない。
球速もなくわかりやすいウイニングショットもない浩則を、いずれ打ち崩せると見ている証拠だった。
これならば、事前に用意したデータをもとに組み立てを考えば、そうそう連打を浴びることもない。
回が進むごとに相手の焦燥が手に取るように伝わってきて、ますます内野ゴロの山が積みあがった。
試合は投手戦となった。
貧打でもって鳴る桂山高校打線もなかなか相手ピッチャーを打てず、試合が動いたのはようやく6回になってからだった。
この回の先頭バッターであった桂山高校の1番西がセーフティーバントを決め、ピッチャーの悪送球でノーアウト2塁のチャンスをつくった。
送りバントから3番に入った敦史が犠牲フライを打ち、ようやく1点をもぎ取ったのだ。
打線の援護はこの1点だけだったが、浩則はこれを最後まで守り抜き、相手に狙い球をしぼらせずに9回110球で完封した。
1対0という渋いスコアだが、勝ちは勝ちだ。
強豪相手の勝利に、さすがに次の日の紙面での扱いが大きくなった。
いまだに無失点であることと、長打も四死球も許していないことがクローズアップされ、ようやく浩則の真価を理解したようだった。