第6話
ぶらぶらと歩いても、まだ若い男2人では数キロメートルの道もそれほど時間はかからない。
高木敦史との久しぶりの長話も、もうすぐ終わりだ。
内山浩則は若干の寂しさを感じていた。
「そうや、タツ爺にこないだ会ったで。ヒロにも会いたがってたわ。」
敦史は特に寂しさなど考えていないのか、明るい声のままだ。
高校時代の恩師で野球部監督だった龍野俊英、通称タツ爺の話を始めた。
敦史が久しぶりに母校の桂山高校を訪れたとき、ばったりとタツ爺に出くわしたらしい。
タツ爺は数年前に定年退職したが、非常勤講師として現在も桂山高校に勤めているそうだ。
「タツ爺、俺と話してるのにヒロのことばっか話すんやぞ。ワシは昔からアイツの才能を見抜いとったとか、アイツはワシが育てたみたいな自慢話がほとんどやったけどな。」
「俺、敦史に比べたら地味だったけど。そんなに覚えられてるのって意外だな。」
「そりゃ、自分の教え子から出たたった1人のプロ野球選手やぞ。他のヤツのことは忘れとっても、ヒロのことは絶対忘れんて。俺のことなんか、ホンマに覚えてたかどうか怪しいわ。」
「プロ野球選手って言ってももう引退したし、一軍にいたのなんてほんのちょっとの間だったんだけどな。」
「タツ爺にしたら、期間の長い短いは関係ないみたいやぞ。一軍で先発やってた時のアイツはホンマに輝いてた、そんなに身体も大きくないし球が特別速いわけやないのに、ホンマにすごかったって嬉しそうに言うねん。ありゃ、死ぬまで語り続けるな。」
「ふうん。そんなに懐かしがってくれてるなら、何年かぶりに顔出ししなきゃな。また時間見つけて高校に行ってみるよ。」
「そうしたってくれ。ヒロが来たら大喜びして、コイツはワシが育てたんやって言いながら色んな人に会わせたがると思うから。」
「ははは。まあ、上級生を差し置いて俺と敦史をレギュラーにするって決めたのはタツ爺だし、別に間違ってないよ。俺は感謝してる。」
浩則の言葉に嘘はない。
浩則と敦史は1年生の秋からレギュラーとなり、バッテリーを組んだ。
それを決めたのはタツ爺なので、彼の決断がなければ浩則のプロ入りもなかったかもしれないのだ。
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「何で滝田じゃなくて、内山なんすか!?」
怒号が飛んだのは、夏の大会が終わって新チームの体制が発表された場においてだった。
吠えたのは2年生キャッチャーの新井だ。
新チームのエースを内山浩則とし、受けるレギュラーキャッチャーを高木敦史にするという構想に異を唱えたのだ。
まあ、無理もない。
今年の桂山高校の夏は府大会2回戦で終わってしまったが、1回戦と2回戦のいずれにも2年生ピッチャーの滝田がマウンドに上がっている。
どちらも2番手ピッチャーとしてだったが、登板機会がなかった浩則と比べるまでもなく時期エースは滝田で決まりだと誰もが思っていた。
これまで控えキャッチャーだった新井もきっとそう思っていたはずで、彼は自分と滝田が新チームの主軸となることを信じて疑わなかったに違いない。
「滝田はコントロールに不安がある。今回の大会でそれがハッキリした。2試合合計でフォアボール7個は多すぎる。」
新井の抗議の声に反駁したのは、高木悟史だった。
夏の大会をもって3年生は全員引退したのだが、悟史はほぼ毎日練習に顔を出していた。
スポーツ科学を学びたいと大学進学を希望しているそうだが、元々野球をやりながらも成績は常に学年上位にいたくらいなので、「両立」が可能らしい。
悟史が言うように、滝田は2番手投手として登板した2試合でいずれも複数のフォアボールを出し、コントロールに難があった。
特に2回戦では3点負けている5回途中で登板し、そこから毎回の5四球を出して計4点を奪われ、7回コールド負けを喫していた。
相手投手を打ち崩せなかった打撃陣にも問題があったが、「滝田の乱調」が敗因のひとつであることは試合後の反省会でも指摘されたことだった。
「でも・・・ストレートは滝田の方が速いじゃないですか!変化球も、滝田の方がいいカーブ投げるし、フォークだって・・・」
「それかって、ストライク入らんと意味ないやろ?フォアボール連発で試合壊すのは、先発が一番やったらアカンやつや。」
「わかってますよ。それは改善せんとアカンって。それを俺と滝田の2人でこれから頑張っていこうって思ってるのに!」
「そんな悠長なこと言ってられるか?すぐに秋の地区大会が始まる。ここで勝ちあがって近畿大会で好成績残して、初めてセンバツに出られるチャンスがある。それともお前は来年のセンバツ諦めるんか?」
「諦めるわけないやないですか!せやけど、何で滝田がダメで内山なんですか!?」
「ヒロのコントロールは抜群や。それにこの2ヶ月で球速も伸びたし、変化球のキレもかなり良くなった。滝田よりヒロの方が総合力では上やと俺は思う。」
「それって、高木先輩が決めたってことすか?何で引退した3年生が勝手にそんなことするんすか!?キャッチャーだって、自分の弟にやらせたいから決めたんちゃうんですか!!」
新井の声が一層高くなった。
引退したはずの3年生がレギュラーの決定に口を出しているとわかれば、激高もするだろう。
しかも身内びいきしているとなれば、なおさらだ。
いつの間にか当事者にさせられた感じの浩則は、ものすごく居心地の悪さを感じていた。
こんな形で上級生に恨まれるのはごめんだ。
自分から辞退しようと思い、口を開こうとしたとき、しゃがれ声が響いた。
「ワシが決めたんや。ワシが内山をエースにするって決めた。」
タツ爺だった。
いつものどこか面倒くさそうな声色ではなく、ズシッと響くような声だ。
「確かに推薦してきたのは高木や。けどな、内山に背番号1を付けさせるって決めたのは、監督のワシや。ワシは高木の眼力を信頼しとるけど、だからって言いなりになったりはせん。」
タツ爺はジロッと選手の方をひと睨みした。
普段と違い過ぎるタツ爺の雰囲気に、みんな息をするのも忘れているようだった。
「夏の大会でフォアボールで自滅する滝田を見て、ワシはこれではアカンって思った。それやのに、滝田が次のエースで決まりって言ってるヤツが何人もおった。ワシは野球のことは詳しゅうない。けど、ラグビーでも似たような状況のときになあなあで済ましたチームが何も成長せえへんだのを見てきた。」
タツ爺がこれほど雄弁に語るのも珍しい。
誰もがその言葉を黙って聞いている。
「だから、ワシは今の滝田にエースを任せることはせん。コントロールがいい内山をエースにする。けどな、それは現時点での話や。滝田は今の実力がすべてなんか?違うやろ?努力して、今度は内山を抜けばいい。いいチームってのは、そういうのが大事なんや!」
普段悟史に仕事を丸投げしているようにしか見えなかったが、タツ爺なりにチームのことを考えていたようだ。
タツ爺のそういうところがわかっていたから、悟史は熱心にチーム運営について意見を続けていたのかもしれない。
適当なおっさんに見えていたが、任せるところは任せ、責任を取るべきところはきちんと取る男なのだと浩則はタツ爺を見直す想いがした。
「内山。ちょっといいか。」
「はい・・・。」
最後はタツ爺の独壇場になったミーティングの後、浩則は滝田に声をかけられた。
普段あまり話をする間柄でもないので、声をかけてくるのは珍しい。
と言うか、滝田のポジションを奪ったような形になった直後なだけに、浩則は少し警戒した。
何を言われるかわかったもんじゃない。
「内山って、高木さんと自主練してるってホンマ?」
「はい。敦史に誘われて・・・悟史先輩に色々教えてもらってます。」
「始めてどれくらい?」
「5月からなんで・・・3ヶ月くらいになりますね。」
「そっか・・・3ヶ月か。やっぱそれのせいだよな。それだけ自主練一緒にやってたから、お前がエースになれたんやろな。」
ああ、やっぱり。
浩則はそう思った。
滝田も新井と同じようにえこひいきしていると考えているのか。
何だか、無性に虚しくなる。
「あ、ごめん。勘違いさせてるよな。そうじゃなくて、最近お前の力がどんどんついてるなって思ってたんだ。それでも、自分がエースナンバーもらえるって思ってたけど、甘かったわ。」
「・・・」
「俺、さっきタツ爺に言われてハッとしたんや。内山らが自主練頑張ってるらしいって話は聞いてたけど、俺は全然気にしてなかった。普通に練習するだけでいいって思ってた。そりゃ、後輩にポジション取られるよな。」
「・・・すみません。」
「何で謝るん?謝らんでええよ。手抜いてた俺が悪いんやし。それより、謝るのは俺の方や。」
「え?」
「新井のことな、許してやってほしい。あいつはお前に悪意があるわけじゃないねん。俺とバッテリー組んで甲子園行く夢があって、だから新チームでレギュラーになりたいんや。今はカッカしてるけど、あいつのことやから明日になったら内山のところに謝りに来ると思う。だから・・・アイツのこと許したってくれ。」
「わかりました。俺、別に気にしてませんから。」
いい先輩だ。
これなら、1年間揉めずにやっていけそうだ。
次の日、浩則は新井からも謝罪を受けた。
内山は何も悪いことしてないのにあんな言い方して悪かった、と頭をかきながら何度も謝る新井の姿を見て、この人もいい先輩なんだなと思った。
後で聞くと、新井はタツ爺や悟史、敦史にも謝罪し、他のチームメイトにもみっともないところを見せたと頭を下げたそうだ。
ただ、このままでは終わらない、絶対にレギュラーをつかんで見せる、とも言っていたらしく、強力な競争相手になりそうだった。
(何か、やる気出てきた。いい競争ができそうだし、これなら強いチームになれるかも。)
浩則は間近に迫った秋の府大会を前に、浩則はものすごい充実感を感じていた。