第5話
「この道、よく通ったよな。」
ビアガーデンでの楽しいひとときの後、他の連中がもう一軒と誘うのを断り、内山浩則は高木敦史と一緒に帰ることにした。
お互い今夜は実家に帰ることがわかったので、どうせなら一緒に帰ろうと敦史が誘ってきたのだ。
最寄り駅に着くと、敦史は「酔いをさます」とか言ってぶらぶらと歩き始めた。
浩則はタクシーでも拾うつもりだったが、もっと敦史と話したかったので並んで歩くことにした。
自主練で何百回も通った道を通る。
敦史が言うまでもなく、懐かしさがどんどんこみ上げてくる。
「俺さ、この道何回通ったかわからんけど、一番悔しかった時はハッキリ覚えてるわ。」
急に、敦史がそんな話をした。
さっきまでとはテンションが違い、静かな夜道に敦史の低い声が響く。
「それっていつ?」
「覚えてへんか?ほら、俺とヒロが初めて練習試合で先発した日。」
「ああ、あのメチャクチャ打たれた日か。」
「そうや。ヒロとは色んなことがあったけど、ここ通るたびに思い出すんが、いつもその日のことやねん。」
そう言われて浩則も、もう10年以上前のその日のことを、昨日のことのように鮮やかに思い出していた。
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(いくら何でも打たれすぎだろ・・・)
浩則は、途中からそう思いながら投げていた。
府立丹前高校との間で行われた練習試合、浩則は先発を任されていた。
相方のキャッチャーは敦史がつとめた。
先日、キャプテンで敦史の兄の高木悟史が告げたとおりの起用だった。
浩則の調子は、別に悪くなかった。
コントロールは、いつも通りいい。
腕の振りもちゃんと意識している。
でも、2巡目以降、相手バッターは浩則が投じた球を好打してくるようになった。
野手の正面をつく当たりもあるが、外野に飛ぶ打球も増えた。
鋭い当たりがいくつも外野手の間を抜き、半分は長打だった。
3回に3点、4回に2点を取られ、なお敵の攻撃中である。
2アウトながら、ランナーは2塁と3塁にいる。
一打出ればさらに2失点となる局面だ。
(次が目安の80球か。ここを抑えないと、交代させられるかもな・・・。)
2人のランナーに視線をやり、その動きを軽く牽制する動きを見せながら、浩則は内心焦りを感じていた。
事前に悟史からは投球数の上限が80球程度になるだろうとの話があった。
監督から直接言われたわけではないが、悟史の進言どおり浩則らを先発させた以上、目安となる投球数も悟史が言っていたとおりになる可能性が高い。
(外角のスプリットか・・・。相手は4番だし、決め球はそれしかないか。)
セットポジションをとった浩則は、敦史が出したサインを確認する。
1塁は空いているが、敦史は相手の4番バッターと勝負する気だ。
サインに頷き、浩則は投球動作に入った。
腕の振りを意識し、他の球種と同じ投げ方になるようにする。
ここでも浩則はそれを忠実に守り、相手の外角低め、ストライクゾーンのギリギリを狙ってスプリットを投げた。
カキーン!!
金属バットの甲高い音が響き、相手バッターが強く引っ張った打球は左中間に飛んでいく。
ボールの行方をチラッと見やり、すぐに浩則はホームベースに向かって駆け出した。
レフトとセンターのちょうど真ん中めがけて打球が伸びていくが、一瞬でそれを見切った浩則はベースカバーに意識を切り替えたのだ。
浩則の眼にマスクをとった、敦史の姿が映る。
口は半開きだが、何か指示を出すでもない。
仁王立ちというよりは、棒立ちといった印象だ。
3塁ランナーがホームインするのにわずかに遅れて、浩則はホームベースの後ろ側に回り込む。
振り返ると、2塁ランナーがまさにホームインするところだった。
打ったバッターはすでに2塁に到達し、塁上で味方ベンチに向かって大きく右腕を回して何かを叫んでいた。
中継のボールはようやく外野まで走っていたショートの西に返ってきたところで、西はどこにも投げられずただ歩いて内野に向かうしかない様子だった。
浩則はゆっくりとマウンドへ向かった。
歩み寄って来る西からボールを受け取る。
いつものように、両手の中でボールの汚れをとるようにこね回す。
「おい、内山・・・」
そう言って後の言葉を呑み込んだ西の視線を追い、浩則が振り返ると、ベンチから2年生ピッチャーの滝田が出てくるのが見えた。
監督の龍野俊英、通称タツ爺が審判の方へのっそりと歩いていくのも見える。
ピッチャー交代だ。
(終わってしまった・・・)
浩則はボールを滝田に渡すと、マウンドを降りてベンチへと歩き出した。
足取りが重い。
当初の予定投球数での交代とは言え、心の中は敗北感でいっぱいだった。
散々なデビュー戦だった。
80球を投げ、四死球こそなかったが、9安打を浴びて7失点。
どの球種もまんべんなく打たれた印象で、自分では収穫と言えるものはなかった。
強いてあげるならば、腕の振りを最後まで意識し、同じ投球フォームで投げ続けられたことだ。
自分の感覚では、その点に関しては完璧にできたと思っている。
試合後、浩則は敦史とともにいつもの自主練に向かった。
疲れてはいたが、そのまま帰るのは嫌だった。
たぶん家に帰っても滅入ってしまうので、軽くでも身体を動かしておきたかった。
敦史も同じ考えだったのか、浩則が自主練に行こうと誘うとついてきた。
打ち込まれたのがショックだったのか、いつもより口数が少ない。
気になった浩則が話を振っても、どこか上の空だ。
それは2人で軽くキャッチボールを始めてからも続いた。
いつもなら軽口をたたく敦史なのに、真顔でボールを投げ続けている。
「おーい。ちょっとこっち来てくれ。今日の反省会をやろう。」
後からやってきた悟史が2人のキャッチボールを中断させた。
「反省会」という言葉に、浩則は身体を固くした。
「まず、ヒロ。俺から見て、今日のヒロは合格や。」
「えっ!?俺、あんなに打たれたのに?」
思いがけない悟史の言葉に、ヒロは素っ頓狂な声を出した。
何しろあんなに打ち込まれたのだ。
自分のボールがまったく通用しなかったのは誰よりもわかっている。
合格なんて出せるはずがない。
「確かに打たれたけど、ちゃんと敦史が構えたところに投げていた。フォアボールもなかったし。腕の振りも最後まで意識できてたし、何回か怪しいのはあったけど、ほぼほぼ全部変わらんフォームやったと言える。練習したての変化球は変化量もまだまだやし、打たれたのはしゃーないよ。」
「は、はぁ。・・・あ、ありがとうございます。」
「それに比べて、敦史。お前は全然ダメやった。打つのもそうやけど、特にリードが・・・」
「わかってる!そんなん、俺が一番わかってる!!」
「じゃあ、何が悪かったんか言うてみぃ!」
自分の言葉を遮られたのにイラッときたのか、それともすべてわかってるという弟の言葉にカチンときたのか、悟史も不機嫌そうな声を敦史に浴びせる。
ハラハラしながら、浩則は見守るしかなかった。
「球数が決まってるからって、全部ストライクゾーンで勝負しに行ってた。投げるからには完投させてやりたい。今日の試合は7回までやったから、80球の球数制限あってもバッターひとりの球数抑えたら完投できる。その気持ちが強すぎて、ヒロにストライクばかり投げさせてた。最後のバッターに打たれて、やっと気ぃついたんや。1ボール2ストライクで追い込んでるのに、何で俺はストライクゾーンにミット構えたんやろうって。」
あぁ、それで、と浩則は最後に打たれたときに棒立ち状態だった敦史の心境が理解できた。
口では「打たれてナンボ」と言っているが、敦史の負けん気の強さはわかっている。
たとえ打たれるにしても、もっとマシな状況にしたかったのだろう。
「それもある。けど、俺が一番問題やと思うのは、そこやない。」
「じゃあ、兄貴は何がアカンって言いたいねん!」
「今日のお前のリードで一番アカンかったんは、逃げに走ってたことや!」
「・・・」
「丹前高校はウチとそんなに力は変わらん。けど、どっちかと言えば打のチームや。そんな相手にヒロの球威と変化球じゃ通用せぇへんって考えたんやろ。違うか?」
「・・・そうや。兄貴が腕振り同じにせぇってヒロに注文つけたから、球速はいつもより遅いし、カーブも使えん。決め球がスプリットしかないってなったら、外角中心に勝負するしかないやろ・・・!」
「それで思いっきり踏み込んで打たれたら、意味ないわ!!違うやろ、だからこそ内角のきわどいとこに思い切って投げ込んで、相手が踏み込めなくする。それがキャッチャーのリードってもんやろが!それができるコントロールをヒロは持ってる。そもそも、ヒロのコントロールは一級品やって、最初に言い出したのはお前ちゃうんか!?」
「・・・」
「内角に投げたら、今のヒロの球なら打たれるかもしれん。けど、逃げたら何の成長もない。これからお前は相手が打ちそうなチームやったら、全部逃げの組み立て考えるんか?そんなキャッチャーにヒロはもったいない。別の奴にマスクかぶってもらえ!!」
「兄貴、俺が間違ってた。俺は逃げてるつもりなんてなかったけど、やっぱどっか逃げてたんやと思う。」
さっきまでの勢いはすっかり消え失せ、敦史は憑き物が落ちたように静かになった。
敦史は小さく頷くと、浩則の方へ向き直った。
「ヒロ、ごめん。今日ヒロがあんなに打たれたのは、俺のリードが悪かったからや。これからこんな逃げは絶対せぇへん。絶対に、や!!ホンマに悪かった。」
そう言って頭を下げた。
敦史の坊主頭を見つめて、浩則は今度は無性に自分が恥ずかしくなった。
自分の球威がもう少しあれば、敦史はもっと積極的に内角攻めをしただろう。
自分の変化球にキレがあれば、敦史はもっとボール球を有効に使えただろう。
敦史にだけ頭を下げさせるのは、何か違う気がした。
「いいって。打たれたのは俺なんだし、俺の力が足りてなかったせい。頼むから、頭上げてくれよ。」
浩則は敦史に頭を上げさせた。
頭を上げろと言われた瞬間に、いきなりグンと頭を持ち上げた敦史を見て、浩則はちょっと可笑しくなった。
「それにさ、俺達って打たれてナンボ、なんだろ?」
そう言って笑いかけたのは、今度は浩則の方だった。