第4話
その日のうちに高木敦史と全体練習後の自主練を一緒にすることになった内山浩則だったが、何のことはない。
元々敦史が兄の高木悟史と一緒にやっていた自主練に加わる形だった。
「兄貴、今日からヒロも自主練に混ぜるわ。ええやろ?」
敦史が兄にそう言って、手続きは終わりである。
なお、敦史による「ヒロ」呼びはその時が初めてだったが、あまりにも緊張し過ぎていて、浩則はそのことに気がつかなかった。
「えっと・・・内山やったっけ?」
悟史は、自信なさげに浩則に聞いてきた。
どちらかと言えばおとなしい浩則は影が薄く、名をはっきりと覚えられていないことも珍しくない。
「はい。内山浩則です。」
「そっか。ポジションは・・・どこやったっけ?」
「兄貴。ちょっとの間、ヒロとキャッチボールするから見ててくれ。すぐわかると思うわ。」
「わかった。」
しばらく敦史とキャッチボールをしていると、敦史の後ろに回り込んだ悟史が何度もうなずいた。
「な。兄貴の後釜、見つかったやろ?」
「・・・そうやな。」
「よし、決まり、決まり!」
敦史のその一言で、高校時代のほぼ毎日を占めることになる自主練は幕を明けた。
かつて2人が所属していたリトルリーグの練習場の片隅を使わせてもらい、かわりに時々後輩たちへの指導をする。
特に悟史は後輩たちに慕われているらしく、「コーチ」と呼ばれていた。
実際、リトルリーグの監督は本業が消防士だそうで、どうしても仕事で抜けなければならない時がある。
そんな時に悟史はコーチ役を短時間任されるのだ。
「臨時コーチ」みたいなものだろうか。
自主練が始まって、浩則が悟史コーチから最初に指摘されたのは下半身の貧弱さだった。
浩則は元々大柄な体型ではないうえに、筋肉もそれほどついているとはいえない。
疲れるとコントロールがうまくいかなくなり、何十球と速球を投げ込むうちに、徐々にバラツキが目立ち始める。
下半身、特に太ももなどのインナーマッスルを鍛えることで、投球時の動作が安定し、余分な力を使わずにすむ。
それがスタミナ消費の抑制にもつながる、と悟史は言うのだった。
練習場に屋根はなく、雨が降った時には自主練自体が休みになった。
そういう時は、悟史から教わった変化球の握りや腕の振り方を自宅で確認した。
浩則の持ち球はカーブとスプリットだったが、悟史から教えられてスライダーとツーシームを新たな球種に加えた。
スライダーは悟史の決め球だった球種で、握りから腕の使い方まで詳しく伝授してくれた。
おかげでベースの手前でキュッと曲がる球筋は打ちづらく、実際の変化量以上に脅威となった。
また、浩則のフォーシームの綺麗な軌道を見て、武器になると言ってツーシームの握りを教えてくれた。
見た目の速度はフォーシームとほぼ変わらないが、スライダーやカーブとは逆のシュート回転を帯び、「ストレートが来た!」と思って振りにきたバットの芯を微妙に外す嫌らしい球だ。
もうひとつ悟史が浩則に重要性を説いたのが、投球の際の腕の振りだった。
これも最初の頃に指摘されたのだが、浩則は速球と変化球を投じる際の腕の振りに微妙な違いがあった。
特にカーブを投げる時には手首をひねることを意識するあまり、リリース位置がかなり斜め下になっていたのだ。
これでは動体視力に優れた好打者には球種を見破られ、打ち込まれてしまう。
「ヒロ。お前は球威で押すピッチャーやない。だから、変化球が生命線なんや。どれだけキレを磨いても、次に何が来るかわかったら、イチコロや。絶対に腕の振りを見分けつかんくらいに持っていかなアカン!」
悟史は繰り返しそう言って、浩則に腕振りの再現性を求めた。
新しい変化球の習得も大変だったが、本当に大変だったのはこっちの方だった。
何しろ、自分では同じように投げているつもりなのに、悟史や敦史からはできていないと言われるのだ。
家でも鏡の前でチェックをしたり、投げているところを動画に撮ったりして、それこそ気の遠くなるくらい確認をした。
「1日に投げる球数は、どんなに多くても100球までだ。それ以上は絶対に放るな!」
悟史は、そのことも繰り返し浩則に言い続けた。
キャッチボールはともかく、遠投や投球練習、シャドーピッチングに至るまで、浩則は1日数十球、多くても100球分の投球動作しか許されなかった。
「何でこれだけしか投げたらダメなんですか?」
一度、浩則が悟史に聞いたことがある。
そうすると、悟史は表情を曇らせ、ポツリと言った。
「俺みたいになるな。肩を壊したら、選手はもうできなくなる。失って初めて、大事やって気づくもんもあるんや。」
そう言われて、悟史が自分を気遣ってアドバイスしてくれていることが身に染みた。
それからの浩則は、悟史の言うことを今まで以上に素直に受け入れるようになった。
一方、自主練仲間となった高木敦史とは、浩則は自然に仲良くなった。
彼は彼で兄の悟史から配球に関して学んでおり、自分でもプロをはじめとして色々なキャッチャーのデータを集めているようだった。
行き帰りなどで敦史が自分の理論や他の選手の特徴について熱く語り、浩則が穏やかな笑みを浮かべて頷くというのがありふれた日常となった。
正キャッチャーになり、浩則とバッテリーを組む。
敦史がそのことに情熱のすべてを傾けているのが、浩則にはありありとわかった。
「タツ爺の許可をもらった。今度の練習試合、投げることが決まったからな。」
敦史からそう言われたのは、自主練が始まって1ヶ月ちょっとが経った、6月半ばのことだった。
部の練習では投球練習を始めたのも最近のことで、浩則は秋以降新チームになってからピッチャーをやるものと考えていただけに、これには面食らった。
ちなみに、「タツ爺」とは桂山高校野球部監督のことだ。
龍野俊英という戦国武将みたいな厳めしい名前を持っているのだが、見た目は総白髪のちっちゃいお爺ちゃん。
部員たちの中では「タツ爺」の通称で定着している。
体育教師だが、元々ラガーマンだったらしく、「ワシは、野球のことはよくわからん。」が口癖だ。
普段の練習メニューから試合のオーダーまでキャプテンである悟史に丸投げであり、そのことも部員たちに軽い印象を与えていた。
「敦史、お前はヒロのボール受けろ。キャッチャーデビューや。」
呆然としている浩則を尻目に、悟史は弟にも通告した。
敦史はと言えば、むしろ待ち望んでいたらしく、パッと表情が明るくなった。
「任せとけ、兄貴。俺がヒロをリードして、夏の大会のエースに押し上げたる!!」
随分鼻息が荒い。
敦史のことをよく知らない人にはハッタリに見えるが、本人は大真面目だ。
「ただし!」
興奮する弟に冷水を浴びせかけるように、悟史が声を上げた。
何事か、と浩則と敦史は注目する。
「ヒロは腕の振りを意識して、絶対に同じ振りになるように投げること。」
「えっ、でも・・・」
「わかってる。球速が出ないし、カーブが使えないって言うんやろ?」
浩則が腕の振りを同一にする練習に取り組み始めて、まだ間もない。
意識して投げるとなると、本来120キロ台が出る速球も球速が10キロ以上落ちるだろう。
カーブの投げ方はまだまだ工夫しているところなので、ほぼ使うことができない。
元から投げていたスプリットはともかく、覚えたてのスライダーとツーシームをかなりの割合で織り交ぜて組み立てなければならず、苦戦が予想された。
「いいか。デビュー戦と言っても、あくまで練習試合や。抑えることよりも、自分たちが目指す投球を意識しろ。思いっきり打たれてもええ。速球と変化球、全部を1試合通して同じ腕の振りで投げること。それが目標や。それができたら、必ず来年や再来年に活きてくる。」
「わかった、兄貴。練習の成果ってやつを見せたらいいんやな。よし、ヒロ。兄貴の言うとおりにしよう。どんだけやられても、じっと我慢してやり抜こう。打たれてナンボ、や!!」