第2話
(あ、抜けた。)
リリースの瞬間、内山浩則の頭に声なき声が響いた。
いつもなら最後に指先で押し出すようにスピンをかけて投げるのに、その時は指先が滑るような感覚が残ったのだ。
コントロールのいい浩則には珍しい、明らかな失投だった。
だが、この失投がとんでもない暴投であったことは、間もなく明らかになった。
ボールはホームベースではなく左バッターボックスに立つ青島将吾の方に向かって飛び、そのまま彼の頭に直撃したのである。
その瞬間は、浩則にとってスローモーションのように見えた。
ゆっくりと進む硬球。
バットを構えたまま、ピクリとも動かない青島。
やがて両者が1点で交わると、急に映像が動き出し、ボールの直撃でヒビ割れたヘルメットが飛び、青島が崩れ落ちるのが見えた。
浩則は目の前の光景が信じられず、呆然と立ち尽くした。
視界の隅には両軍ベンチからわらわらと人が出てくるのが映っていたが、浩則の意識には何の影も落とさなかった。
球審が危険球を投じた浩則に退場を宣告するジェスチャーをしたが、それすら気づかなかった。
やがて浩則はコーチに肩を抱えられるようにして促され、一歩ずつベンチへと向かった。
その様子はまるで背中の後ろに操り糸でもついているように頼りなく、顔面は蒼白だった。
「本当に申し訳ございませんでした。」
試合後、浩則は病院に青島を訪ね、土下座して詫びた。
あの後、青島は自分で起き上がって無事をアピールしたが、大事をとってそのまま病院の検査を受け、1晩の入院となったのだ。
一時のショックから立ち直っていた浩則は、自分が青島に謝罪すらしていなかったことに気づき、こうして病室を訪れたというわけだった。
「いいよ。気にしないで。俺、デッドボールは慣れてるから。」
青島は浩則に傍らの椅子に腰かけるよう促し、おどけた調子でそう言った。
確かに強打者で鳴る青島に対しては、どのピッチャーも厳しいコースを攻めるため、デッドボールは多くなる傾向にある。
ただ、青島は浩則に気を遣わせないよう、あえてそう言っているのは明白だった。
(いい奴だな。)
浩則は今まで話したことのなかった青島に好印象を抱いた。
甲子園で活躍し、エリートコースを歩んできた青島に、それを鼻にかけるようなところは全然なかった。
だからこそ、そんな好人物に危険なボールをぶつけてしまった自分に対し、怒りと悔しさが向いた。
「また、対戦しようや。」
最後にそう笑顔で話す青島に無言でうなずき、浩則は病室を後にした。
その表情は暗く、肩はガックリと落ち、どちらがケガ人かわからないくらいだった。
2日後、浩則に対するプロ野球機構からの処分が下された。
罰金と2試合の出場停止だった。
通常これほどの厳しい処分になることは珍しいが、投じたボールがヘルメットを破損させたほど危険なものだったことと、浩則が審判の宣告に対して不服そうな態度を取っていたためとの理由だった。
チームは処分が重すぎると抗議したが受け入れられず、浩則は黙ってこれに従った。
浩則はあの瞬間に呆然としていただけで、不服そうな態度を取った覚えなど当然なかったが、これは贖罪だと自分に言い聞かせた。
こうして、絶好調だった浩則の7月は終わりを告げた。
浩則の復帰登板の機会は、8月の1週目に与えられた。
いつも通り立ち上がりは良く、3イニングを9人で片づけた。
1本だけいい当たりのヒットをレフト前に飛ばされたが、後続をダブルプレーに打ち取り、ほぼパーフェクトの内容だった。
だが、浩則自身は自分の投球に違和感を覚えていた。
痛打されたレフト前ヒットは、真ん中の甘いフォーシームを引っ張られたものだった。
それ以外にも野手の正面をつくヒット性の当たりが3本外野に飛んでいた。
いずれも真ん中に投じられた甘い球で、いつもの浩則ならほとんど起きないコントロールミスによるものだった。
異変はバッテリーを組むキャッチャーの三木達也も感じていたらしく、ヒットを打たれた直後にわざわざマウンドまでやって来た。
「今日、どうした?インコース狙ったボールがみんな真ん中に入って来てるぞ。まだ感覚戻って来ないのか?」
「うーん、よくわからないんです。インコース以外は狙ったところに投げられてると思うんですけど・・・」
「そうか・・・今日は外角中心の組み立てに切り替えるわ。スプリットやカーブのキレはいいし、それで打ち取ろう。」
ベテランキャッチャーの三木はスパッと配球を切り替え、外角低めの変化球で相手バッターに内野ゴロを打たせて6回まで1失点でまとめた。
味方の援護もあり、浩則は5勝目を挙げた。
翌日の地元スポーツ紙には、「内山、完全復活!」「危険球の後遺症なし」の字が躍った。
その次の試合も浩則のインコースへのコントロールは今一つで、三木は外角中心にリードした。
5回までに3点を取られ、勝ち負けはつかなかったが、まずまずの投球との評価だった。
しかし、浩則は明確に異変を認識していた。
(内角に投げられない。)
いつものように、三木が構えるミットめがけてインコースギリギリのボールを投じているつもりなのに、ことごとくボールひとつ分以上真ん中に寄っていく。
そこはど真ん中という、どんなバッターにとっても打ちやすいコースであり、当然ながら痛打された。
それを避けるために三木は外角中心に構えるしかなく、ピッチングの幅は明らかに狭まっていた。
調子を取り戻すべく、浩則はいつもより念入りに投げ込みを行うようにした。
だが、キャッチャーだけを座らせた状態ならば、両コーナーに思うように投げられるのに、バッターボックスに誰かが立つと、途端に内角の厳しいコースには投げられなくなった。
バットを持っていないコーチが立っても内角攻めができないのだから、重症だった。
人に当てないようにする意志が、無意識に働いているとしか考えられなかった。
8月最後の登板は、因縁の東京パワーズ戦だった。
浩則はこの日の初球を内角へのフォーシームから始めた。
自分では完璧に投じたつもりのボールは、真っ直ぐど真ん中に向かって飛んだ。
相手の1番バッターの関はこれを強振したが、打ち損じてファウルとなった。
(やっぱ、ダメか。)
浩則は、続けて内角への投球を促す三木のサインに対して首を横に振り、外角低めのツーシームを投じた。
際どいコースだったが、選球眼のいいバッターの関は、余裕をもって見送った。
続いてフォーシームや変化球を立て続けに外角へ投げ込んだが、関はボール球に手を出さず、際どいボールをカットして粘り、7球目に再び投じたツーシームを見送って四球を選んだ。
関はすね当てなどを外しながら、2番バッターの永井と何か話をしているようだった。
永井がチラッとこちらに視線を向けた時、浩則は思わずビクッとした。
(ひょっとして、もうバレてるのか?)
そんなはずはない、と浩則は首を何度も横に振り、バッターに向き直った。
いくら日本のプロ野球チームの分析が優秀だからと言って、内角へボールを投じられないという最近の浩則の傾向を割り出せるものか。
浩則はそう自分に言い聞かせて、永井への初球を投じた。
カーン。
快音を残して永井の打球は一二塁間を抜け、ライト前に転がった。
外角高めに投じられたフォーシームを綺麗に流し打ちされた格好だ。
続く3番バッターの松岡に対しては、外角球を見極められ、2個目のフォアボールとなった。
強打者というよりも巧打者というイメージの松岡は、明らかに外角に狙い球をしぼっており、いつも以上に厳しいコースをつこうとしてストライクゾーンを外れた結果だった。
無死満塁。
この状況で、打席に立ったのがあの日以来の再会となった青島将吾だった。
浩則の目には、青島の姿がいつもよりさらに大きく映った。
「ヒロ、初球は内角を攻めよう。ちょっとくらい甘くなってもいい。インコースを見せとかないと、青島は絶対打ち取れんよ。」
マウンドにやって来た三木がそう言い、浩則は小さく頷いた。
わかっている。
その通りだ。
でも、できるのか?
大きく息をついた浩則は、覚悟を決めて三木が要求するインハイに向かって渾身のフォーシームを投げた。
カーン!!
青島が繰り出したバットに浩則が投じたボールが吸い込まれたかに見えた刹那、鮮やかな音が響き渡った。
浩則はガックリと首を項垂れた。
ど真ん中、142キロの甘いフォーシームを打ち返した打球が、パワーズファンがひしめくライトスタンドに突き刺さったであろうことは、見るまでもなかった。
結局、この日内山浩則は2回途中6失点で降板した。
そこからは毎試合、前半戦とは打って変わって失点が増えた。
外角しか投げられない浩則の投球に対し、各バッターはしっかりと踏み込んで打つことができるようになった。
こうなると、速球の球威がない浩則はお手上げだった。
防御率は辛うじて3点台後半でシーズンを終えたが、後半戦の出来だけで見ればローテーションピッチャーとして失格の烙印を押されかねない内容だった。
浩則の「不調」は翌シーズン以降も続いた。
オープン戦や2軍戦ではまずまずの成績を収めるのだが、1軍に上がると途端に打ち込まれた。
2軍の選手相手なら外角攻めだけでもかわし切れるにしても、1軍の好打者たちは内角攻めのない浩則を「カモ」にしたのだ。
そして、昨年10月。
ついにその時がやって来た。
球団からの呼び出しを受けた浩則は、その場で戦力外通告を受けた。
まだ27歳になったばかり。
ケガらしいケガもなく、これから全盛期を迎えるはずのピッチャーは、結果的にたった1球の危険球によってその野球人生を絶たれることになったのだった。
ただ、球団は浩則の真面目な性格を高く評価してくれたらしく、そのままお払い箱にはしなかった。
浩則のフォーシームの綺麗な軌道とコントロールの良さを見込み、バッティングピッチャーとして球団に残ることを提案したのだ。
皮肉なことに、真ん中にしか投げられなくなった投球が、浩則の第2の人生を切り開くことになったのだった。
少し考えた浩則は、年俸500万円の球団職員として来期以降も球団に残ることを了承した。