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便利な世の中になった

作者: lemoncurry



 新幹線の車窓からは富士山が見えている。今日は珍しく空気は澄み渡り青い空を背景に、富士はその立派な威容をそびやかしている。こうやって高速で移動する車窓から富士を眺めるのは何度目だろうか?


 初めて新幹線に乗ったのは僕がまだ小学校にも入ってない頃だ。祖母が実家に里帰りしたとき僕もついて行ってこの高速鉄道を体験したのだ。


「昔はね、江戸から京都まで二週間もかけて歩いていったんだよ。大変だったねえ。日の出前、朝の早いうちから日が暮れる寸前まで、歩き通しでそれだけかかったんだよ」


 しみじみと感慨深く彼女は語る。


「それっていつの話なの? おばあちゃんの子供だった頃?」


 彼女はにっこりと笑ってから首を振る。


「いんや、昔々の大昔、あんたが生まれてなかった頃のことだし、あたしも生まれてなかったねえ」


 祖母は自分が経験したわけでもないことを、さも自分のことのように語るから子供の僕はよく混乱した。でも、そんなこと彼女はまったく気にもしていなかった。


「それがどうだい。この新幹線のぞみは、二時間ちょっとで着く。すごいもんだろう? ええ、すごいもんだ。便利な世の中になったもんだねえ」


 彼女は自分のことのようにほめたたえ自慢して満足げにうなずく。



「すごいもんだ…………」


 僕は何がすごいのか具体的には何もわからないまま、彼女の言葉を繰り返していた。窓の外は景色が次つぎと流れて行っていた。それだけで充分だった。まるで新幹線の速度で未来へと向かっているようなワクワクする気持ちが心の中に満ちていた。



     ―――――――――――――――――――――――――――――――――



 あれからどれほど年月が流れ、いったい何度、新幹線に乗っただろう。今日も僕は新幹線に乗っていた。相変わらずの速度で窓の外の景色は流れていく。

 祖母はとっくに亡くなって時の狭間に消えてしまった。


 僕もまた年を取った。

 

 だから、僕は知っている。


 新幹線を運営するために鉄道会社の数多の職員が日々8時間以上の時間と労力を費やしていることを。


 だから、僕は知っている。


 鉄道を引くためにこれまた数多の工夫が日々8時間以上の時間と労力を費やしていることを。


 だから、僕は知っている。


 車両を作るための製造工場では数多の工場労働者が日々8時間以上の時間と労力を費やしていることを。


 だから、僕は知っている。


 車両が走るレールを作るために製鉄所で数多の労働者が日々8時間以上の時間と労力を費やしていることを。


 こうやって僕が東京から京都まで二時間で移動することが出来るようになったのは、二週間と二時間の間にある時間を、別の誰かの時間が埋めているからにすぎなかった。人は時間を創り出すことはできないのだ。便利になって時間が短縮されたというのは、つまるところ別の誰かの時間によって差分を埋めているだけだった。それが文明というものだった。


 僕はそれを知ってしまった。だから祖母のように便利になったと単純には喜べない。

 そんな僕の思いなど関係なく車窓からは景色が流れていく。そびえる富士山が今日も現れる。



 実は、本日乗っている新幹線は予定していたのより二本ほど乗り遅れていた。寝坊だとかその他諸々の諸事情によりそうなってしまったのだ。

 けれど僕はもう慌てない。僕が慌てて時間を短縮したところで、その分の時間は結局、別の誰かが使うことになるのだから。

 

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