春分の車窓
乱れた呼吸で電車に飛び乗った僕は、息を整える間もなく席を探した。4人掛けのシートが主な車両ではあったが、1号車であったため一番奥には4人掛けの席があった。奇跡的に4席全て空いていて周りにも誰もいなかったので、1番端の席にドスンと体を地球に任せるよう落とした。
一息ついて、呼吸を整える。隣の彼女も同じように、もしかしたら僕よりも苦しそうにマスクを顎のにかけ深呼吸をしていた。
外は滝のような雨の流れる音がして、窓に勢いよく当たり潰れては、歪んだ桜色の世界との境目を示していた。
3月の終わりはいつも桜が咲いたと思えば、その儚さを強調するかのように風が吹き雨が花びらを地面に落とす。落ちた花のすぐ根元には青々とした新緑が芽を吹き季節の変わり目を人々に知らせてくれている。
僕はだからこの季節の儚さがとても好きだ。区切りをつけるのが難しい人生のなかで、年の度の末、終わりと始まりを知らせてくれるような唯一の時期な気がする。年度末とはよく言ったものだと感心した。
隣の彼女は首と視線をグッと下に合わせ、スマホを真剣な面持ちで覗き込んでいた。チラッと目を流して画面をみると、西洋風な建物の上に飛行機がデカデカと飛んでおり、画像の上には(安心、安全。添乗員同行のヨーロッパ8日間ツアー)と書かれてる。
「ねぇ、意外と安くない?でもこんなに長く休み取れないなぁ。」
マスクで隠れていても分かるほど目尻が下がった笑顔はもう気持ちはヨーロッパなのだろう。
僕は、そーだね、と簡単な返事で返した。
正直言うと、僕はあまり海外に関心が持てない。言葉の壁とか食事とか、お金とか理由をあげればキリがないけど、きっと一番は移動時間の作業感だと思っている。特に飛行機の時間だ。10何時間も変わり映えのない景色の中で座っているだけ。こんな生産性を感じない部分が理由だろう。電車なら景色が変わり、人が立ち替わり、気が向けばすぐに街の空気に入り込める。でも飛行機はもちろん外に出ることなんか出来やしないし、街や自然の景色だって空から10分も見れば、只の鉄と木々が立ち並ぶだけだ。
でもこんな事言っても冷めた人としか言われないと知っているから、僕は口を積むんで瞼を下ろす。ガタンゴトン、カタンコトン。小気味の良いリズムにゆっくりと暗闇に溶け込んでいった。
「まもなく、3月31日、お出口は明日です。」
聞きなれない言葉にハッと目を醒ました。
あれ、目的地は宇都宮だったはず。というか、こんな駅存在しないし、明日?なんだこれ。
しかも、隣の彼女はなぜかいないどころか、電車の中は空っぽだった。
意味のわからないアナウンスに慌てて窓の外を見た。ドアとドアの間、座席の後ろの窓には突風に拭かれ何かを包むかのように青緑色の花びらが渦巻いていた。花吹雪の中の隙間からはチラチラと人の影が見える。6歳くらいの子供だろうか、必死に足を振り上げは落ちてを繰り返していた。坊主頭のその子はどこか懐かしくて、土の熟れた匂いに桜餅の匂いがすーっと鼻を抜けていった。
瞬きをすると黒色ランドセルと、頭り黄色い帽子を被った子が、一生懸命に今度は腕を振り下ろしていた。バンっ、ガンっとボールが壁や柵に当たって跳ね返る音が窓越しでも、振動で耳に伝わる。なぜか心地の良いリズムは胸の辺りがソワソワした。
そこからは、竹刀を振り下ろしている姿や、机で何かを書いて…。
あぁ、そうか。これは僕の一番青々して青臭くて、綺麗な花を咲かせていた時。そしてこれから緑が色づいて、また満開の花を咲かせるだろう。その時の花は果たしてどんな色で、どんな匂いで、その周りではどんな音ぎ響いているのだろうか。
「まもなく、4月、お出口は目の前です。」
アナウンスが鳴った。その瞬間強い光に包まれ、僕はグッと目を閉じた。白が黒に変わり、ゆっくりと先を見ると、窓の先には大きな蕾をこれ程かと実らせた桜の木があった。
僕は花咲くその瞬間を目指して、目の前のドアを開け蕾に向かって歩き出す。
あれだけ強かった風は柔らかく、僕の体を撫でながら、包むように螺旋を描いていく。桜色が視界を覆い尽くし視界が遮られ、そっと目を閉じた。
「大丈夫?着いたよ。」
彼女が僕の左肩を小気味良く叩いていた。
窓の外は宇都宮駅と書かれた看板がみえ、桜の木などあるはずもなかった。でもあの時見た色と、風の柔らかさはハッキリと体に残っている。
ゆっくりと腰を上げホームに降り、深呼吸をして口を開く。
「ヨーロッパ行ってみようか。」
隣の彼女は目を見開きながら口角をあげたと不思議な表情をしている。
「おはよう4月。」
ゆっくりと風に乗せるように呟いた。