(9)
「とても……パワフルで魅力的な方でしたね」
「あーーなんか、ごめんね?びっくりしたよね。初対面だし、もう少しまともな感じで対応してくれるかな、と思ったんだけど、ライブの後で興奮気味だったのと、ちょっと誤解があったみたいで、あんな感じに……」
「いいえ、おかげで、お友達が出来そうで嬉しいです。まさか、ここで恋のお話を出来るようなるなんて」
今度は照れずに言ったシルヴィアは、隣のアッシュを見上げる。
「あの、ミリィさんとアッシュは、恋人同士、なのですか?」
う、っと何かを詰まらせたような動きをしたあと、ぎこちない動作で首をシルヴィアに向ける。
「やっぱり、そう、見える?」
「はい」
「……だよね。いや、隠してたつもりでもないんだけど、なんか気恥ずかしくて」
幼年学校の同級生であるアッシュとミリィは、ミリィが他の男と付き合っていたときから友人として交流があった。アッシュは大分前から明るくて裏表のないミリィのことが好きだったのだが、政府高官の父を持つミリィは軍需産業で財を成した商人の息子と交際していた。容姿の整った美少女だったミリィに、少し強引で自信に溢れた美形の彼はお似合いで、当時、フリッツと養子縁組したばかりのアッシュには出る幕がなかった。
それでも、気さくなミリィはアッシュと良い友人関係を続けてくれていて、アッシュは彼女の恋愛相談に乗ることも多かった。
ところが、彼女の父が関わった帝国との戦争で軍民問わない多数の死者を出したことで失脚。それを理由に、彼女は振られてしまう。その後、少々男性不審気味だった彼女が、歌手として成功するまで傍で支え続けたのがアッシュだった。
一緒にいた期間は長いものの、付き合い始めたのは最近だという。一度自分から振ったものの、ミリィの歌手としての成功と「結婚したい女性No.1」の箔を求めてか、復縁を迫ってきた元彼に、ミリィが「私が好きなのはアッシュなの!」とキレたのがきっかけだった。ミリィの恋の歌を引き合いに出して「これは俺を想っての歌だろう?」と自信満々に迫った元彼に、「私の恋の歌はアッシュに向けて歌ってんのよ!」と叫んだらしい。
「僕から告白したかったんだけど、ミリィがまだ元彼のこと好きなんだと思ってて、勇気がでなかったんだよね。そこはちょっと、後悔してる」
「ミリィさんはそのようなこと気になさっていないのでは?『身近にあるぬくもりの大切さに気がついた』という歌詞は、アッシュさんのことだったのですね」
呼び捨てがどうにもすわりが悪かったシルヴィアが、さりげなくアッシュをさん付けで呼ぶ。自信に溢れて輝いて見えるミリィのその失恋の話も、ずっと傍で見守っていたアッシュとの恋も、シルヴィアには新鮮で美しいものに思える。
ミリィの元彼が、恋人をその親の肩書きで決める酷い男、という見方もあるのだろうが、親同士が決める政略結婚が主な帝国の貴族であったシルヴィアからみると、そう酷いことにも見えない。復縁を求めたという元彼も、もしかしたらミリィと別れたこと自体が彼の本意ではなかったのでは、とさえ思ってしまう。その後にアッシュと付き合う流れを見ても、親の承諾なしにそのような付き合いができて、それを歌にして公にするという自由さに驚くばかりだ。
と、ここまで考えて、第三者としてみる恋愛はこんなにも冷静に考えることができるのだと気がつく。完璧に客観的に、とはいかないけれど、既に結婚できているのにうじうじと悩んでいる自分の状態は、かなり滑稽だろうと思う。カルロに我儘をぶつけて家出をした、という自分の言動の幼さに、改めて後悔の念が湧く。
3日後、約束どおりにクロフォード邸を訪れたミリィは、所持品検査の上シルヴィアと二人で音楽室にこもった。ミリィを疑うわけではないが、一応それにあわせてフリッツも帰宅している。
初めのうちは時折笑い声が上がるだけで静かなものだったのが、途中からはミリィが弾いているのであろうピアノの音色が屋敷の中に響く。
3時間も二人でこもった上、ミリィのピアノが鳴り止まないうちに、アンジェだけがこそこそと階段を下りてくる。
「あの、共和国語の辞書を、お借りできませんか」
「辞書?」
「はい。こちらの言葉で、少し分からないことがあって」
そういえば、シルヴィアを迎えた翌日に共和国語と帝国語の辞書を手配しようと思っていたが、彼女が想像以上に共和国語を上手く操るのですっかり忘れていた。
「ごめん、今はないなぁ。辞書なら明日もってくるよ。でも、わからないことって?」
「えっと、その……」
控えめにシルヴィアが口にしたその単語を聞いて、アッシュがマグを取りおとし、フリッツがむせる
「あ、アンジェ、それ……?」
「やっぱり、あまり良い言葉ではないですか?もしかしてそうかな、と思って調べてみようと……」
「辞書には載っていないかも。なんていうか、スラングで、意味は、つまり……」
アッシュが助けを求めるようにフリッツを見る。
フリッツがなんと説明したものか逡巡していると、ピアノの音が止んでミリィが階段を下りてくる。
「アッシュ!フリッツさん!!アンジェの恋バナ聞いてたら、いい歌できたの。聞いて!ほら、アンジェ、一緒に歌うよ!!」
「え、あの、でも」
ミリィに引き摺られるように階段を昇るシルヴィアを追いかけるように、階下で一度顔を見合わせた親子が続く。
フリッツとアッシュが音楽室を覗いたときには、既にピアノの前に座ったミリィがイントロを弾き始めていて、その隣に立たされたシルヴィアが歌うかどうか迷っているのが伝わってくる。
相変わらずの激しい曲調で、サビから始まるらしい。歌い始めたミリィが、まだ躊躇っているシルヴィアを肩で小突いて催促する。ミリィの催促をかわしきれず、かといって男性の前で口をあけて歌うのも憚られたシルヴィアが、ミリィのほうを向いてユニゾンで歌い始めた。
フリッツとアッシュは、実際にシルヴィアが歌い始めたことにも、そのアップテンポの曲に彼女が付いて行けていることにも驚いていた。そしてなによりも、その歌詞が過激だった。ミリィが言っていたとおりシルヴィアの恋の話が元になっているのだとしたら、大分衝撃的だ。
曲もいいし、ミリィとシルヴィアの歌も上手い、歌詞も、内容の過激さを問題視しないならば曲ともマッチしているし印象的な言い回しもある。少なくとも今までのミリィの曲と同程度には売れるだろうな、とも思う。ミリィが一人で作って一人で歌ったなら、ここまで衝撃は受けなかったかもしれない。
曲が終わって、「どう?」と誇らしげな表情で感想を求めてくるミリィに、「よかったよ」と答えつつ、ミリィの背後に隠れるようにしているシルヴィアに
「シルヴィア、歌すごく上手だね。今まで歌わなかったなんてもったいないよ」
と声をかける。
しかし、フリッツとアッシュが若干引いた様子であるのを察して、羞恥に顔を染めてさらにミリィの背後に下がろうとするシルヴィアを、腕を掴んでミリィが止める。
「言っとくけど、言い回しは私だよ。こんなお上品なお嬢様が、こんなスラング使うはずないだろ」
「だろうね!!でも、もう、意味分かってないとしてもアンジェの口からこんな単語出てくるの、心臓に悪いから無理矢理歌わせないでくれるかな!?そもそも、内容も随分脚色したんじゃ……強気な内容でびっくりしたよ」
「――実話です」
「へ?」
アッシュとミリィのやり取りが、シルヴィアの言葉でピタリととまる。
歌に引き続き聞き役に徹していたフリッツも、その言葉には目を見開く。
「言われたことがあって」
あぁ、言われたほうね、言った方じゃなく……と一瞬安堵しかけるが、そういう問題でもない。帝国のご令嬢方のやり取りは中々怖いな、とフリッツが脳内でぼやく。
――帝国 王宮内 回廊
目の前から歩いてきた人物を認めて、シルヴィアは足を止めた。相手――ビアンカも、同様にシルヴィアを見て足を止める。
通常であれば、相手がシルヴィアに臣下の礼をとるべきところではあるが、カルロとの婚姻は公にされていない。家の爵位としてはビアンカが上だが、今をときめくバルトロメオの妹と、爵位が維持されるかも怪しい落ち目の公爵家の令嬢。
互いの逡巡を目線でかわした後、一瞬早く、シルヴィアがカーテシーをしたので、ビアンカが声をかける。
「ごきげんよう、シルヴィア様。今日はバルトロメオ様とはご一緒でないのね」
優雅に微笑むその姿は、かつてカルロが評したとおり天使のように美しい、とシルヴィアは思う。第三者から見れば、まだ少女の面影を残す銀髪のシルヴィアのほうが余程天使然としているように見えただろうが、当事者にはわからないものである。
おっとりと優しげな声音を纏った言葉は、他意を感じさせない。あまり顔を合わせることがない相手な上に、兄と一緒にいるときよりも、茶会などの男性のいない場で会った事のほうが余程多かったはずだけど、と思いつつ、当たり障りのない対応をしなくては、と思う。
カルロのことがあって、シルヴィアが一方的にビアンカに複雑な気持ちを抱いているだけで、今までの数少ない交流からは、「美しくて優しい天使」を否定する要素はなかった。抱えている感情が表に出ないように、意識しなくてはならない。
「ごきげんよう、ビアンカ様。はい。私ももう大人ですもの。いつまでもお兄様の後ろを付いていくわけにはいきませんわ」
シルヴィアの返答に。すっと、その目が細められる
「そう。それで、バルトロメオ様の代わりに陛下に?」
優しげな声音は変わらないのに、棘を感じる。それが自分の思い過ごしなのかどうか、シルヴィアは戸惑う。
「――仰る意味が、わかりませんわ」
何とか吐き出した言葉は、バルトロメオの妹として相応しいものだっただろうか。
「いえね。最近、シルヴィア様がカルロ様のお傍にいらっしゃることが多いと聞いたので。お兄様のご威光があれば、陛下の傍に侍るなんて簡単ですものね」
今度こそ明確に棘のある言い方に、シルヴィアの表情がピクリと動く。
「そんなことは――」
反論しようとしたシルヴィアを、ビアンカが遮った。
「バルトロメオ様が進言なされば、陛下は貴方を皇后になさるでしょう。でも、このような形で即位なさった陛下をお支えするには、貴方では力不足です」
一息置いて、言い聞かせるように殊更ゆっくりと続けられた言葉には、シルヴィアは反論できなかった。
「私のほうが相応しい」
完全に沈黙したシルヴィアに、畳み掛けるようにビアンカは続ける。
「それに。政治的な利点をおいておいても、妹扱いの貴女よりも余程、私のほうが上手く陛下をお慰めできると、そう思わない?私も個人的に、陛下のことをお慕いしておりますのよ」
ビアンカとのやり取りを思い出しながら、シルヴィアは自分との間柄や肩書き、名前等、推測されそうな情報を伏せて簡単に説明する。
「その流れでこの歌詞になるかな!?脚色しすぎでしょ。私のほうが上手に***して気持ちよくさせてあげられるとか――」
「なんだよ、アンタの方があたしよりドストレートに言ってるじゃん」
「あ」
「そういう……意味の言葉だったんですか」
よく分からず歌ったっていた歌詞の意味に、シルヴィアは顔を赤らめるよりも目を白黒させている。
「まあまあ」
とフリッツが三人の間に入る。
「こういうところもミリィの歌の良さなんだから。でも、歌わせる前にちゃんとアンジェに意味を教えてあげて」
「はあーい、おじさま」
フリッツに返事をしたミリィが、くるりとシルヴィアのほうに首を回す。
「話の途中で歌思いついちゃったから続き聞き損ねたけど、その彼はアンジェを選んだんでしょ?」
確信を持った様子のミリィの問いかけに、驚いた様子でアンジェが振り返る。
「どうして……」
「だって、今も悩んでる風だったから。それで彼に振られてたら、落ち込みはするけど悩みはしないでしょ」
楽屋でのやり取りもそうだったが、粗がありそうな推測なのにミリィはそれを外さない。
「選んだ……。彼が、今でも彼女を好きだとは思いません。でも、多分、私のことが好きなわけでもないんです。彼は、どの女性のことも特別に好きなわけじゃない」
「今でも?何、その彼元々その女のこと好きだったの?」
「あ、はい。彼がそう言っていたのを傍で聞いていたので」
「ふうん……。幼馴染とか?それで、アンジェはずっと彼が好きなんだ?」
「え、っと……あの、それは」
消え入るように「はい」と答えたシルヴィアを見て、ミリィがばんっと、鍵盤を叩く。
突然の大きな音に驚いて、シルヴィアが目をしばたかせる。
「よし、わかった。アンサーソング作ろう」
「はい?」
「私のものよ!って言い返すんだよ」
実際に起きたことじゃなくていいから、アンジェの気持ちを教えてよ。こうだったらいな、っていう理想でもいいから、と身を乗り出すようにして矢継ぎ早にミリィが言う。
勢いに押されたシルヴィアが考え始めるのを見て、フリッツとアッシュは顔を見合わせて、再び階下へ下りた。