(8)
「ライブでも見に行こうか?」
「ライブ?」
アッシュの誘いに、『ライブ』という言葉に心当たりのないシルヴィアが首をかしげる。
「あ~えっと……帝国語ではなんていうんだろう?ミュージカル?いや、ちょっと違うな、そうだ、コンサート!クラシックなものじゃなくて、もっと世俗的な音楽のコンサートのことを、ここではライブって言うんだ。人気の女性歌手のライブチケットがあるから、シルヴィアも一緒にどうかと思って」
「共和国で人気の女性歌手?見てみたいです」
フリッツから「帝国を思い出して少し落ち込んでいるみたいだから、気晴らしにどこかに連れて行ってあげてくれ」と頼まれていたアッシュの誘いに、シルヴィアが目を輝かせる。
もちろん、必要な護衛その他はフリッツが手配するため、事前に相談済みだ。共和国の風俗にも興味がありそうなシルヴィアが断ることをアッシュもフリッツも想定しておらず、準備は既に完了している。
「ちょっと激しいからびっくりするかもしれないけど、最近共和国では大人気なんだ」
アッシュの言葉どおり、想像以上の激しさにシルヴィアは怯んでいた。
オペラでもなんでもドレスコードがある。シルヴィアは、その「ライブ」のドレスコードに合わせた服を――多少丈が短くても――着るつもりでアッシュに申し出たのだが、アッシュは「いや、いつもどおりの服でいいよ。多分、ほんとに、無理だから」と取り合わなかった。
車の中から、会場に続々と集まっている観客の服装を見て、アッシュの言葉の意味を痛感する。
膝丈どころの騒ぎではない。もう足はどこも隠れてないようなショートパンツやミニスカートに、網タイツ。身体にピタリと密着したレザースーツなど、どんなに「共和国の風俗に合わせよう」と決意していても、今のシルヴィアに合わせられるものではなかった。
メイクも、黒やシルバーをメインに隈取をしたり、目蓋に星を描いたりとシルヴィアからみたらかなり奇抜なものだった。
集まる観客を見て唖然としているシルヴィアを、アッシュが心配そうに覗き込む。
「あー……ごめん、やっぱりびっくりするよね。一応説明すると、これが共和国民の一般的なライブのドレスコードって訳じゃないからね。ミリィっていう歌手のファンなんだけど、ミリィがこういう格好をして歌うから、ファンも皆同じ傾向の服を着てくる」
そういうアッシュは、いつものシャツよりも全体にダークトーンで、メタリックな装飾が施されたものを着ている。シルヴィアも、丈こそ長いもののダークブルーの細身のワンピースにビスやイミテーションクリスタルのごつごつした飾りをつけたものを着ているが、目の前に集結しているファン達の服装になじめるかと言うと疑わしい。
「大丈夫、そんなに浮かないよ。っていうか、警備の都合上ちょっと裏方の特等席から見てもらうことになるんだ、ごめんね。その代わり、って言ったらなんだけど、終わった後に楽屋に入れる」
「楽屋に?」
「ちょっと……知り合いで。アンジェにも紹介するよ」
車が会場の地下駐車場につく。さあ、と差し出された手をとったシルヴィアが案内されたのは、舞台のすぐ下、オペラであればオーケストラピットのある辺りだ。ミリィのライブでは、楽器も全て舞台上にあるので、今は機材が置かれていて、スタッフが何名か慌しく行き来している。
その真ん中辺りの簡易な椅子に、シルヴィアを案内する。下から見上げる形になる舞台は、足元も奥も見えない。
「ごめんね、ゆっくり聞けるような席じゃなくて。でも、まあゆっくり聞くような曲でもないから」
と、舞台上から大音量で楽器の音が響く。チューニングなのか、断片的なその音を聞いてさえ、既に入場していた観客が歓声を上げる。
知っているどんな劇場とも違うその熱気にシルヴィアが怯む。それに、オーケストラとは違う、一つの楽器からでもとても大きく、割れるように響く音に驚いたシルヴィアが肩を跳ねさせた。
「大丈夫?」
アッシュが怒鳴るようにしてシルヴィアの様子を伺うが、それでも声が聞こえ辛い。
「大丈夫、です。音が大きくて、びっくりして」
背伸びをしてアッシュの耳元に口を近付け、負けないように、声を張り上げる。
「楽器の音を機械で大きくしているんだ」
楽器の種類ではなく、音そのものを大きくする技術。帝国にはないその機能に、シルヴィアが目を瞠る。その技術を詳しく知りたい、と質問するために更に口元をアッシュに近付けようとさらにアッシュに近寄ったとき、会場の照明が落ちる。
驚いたシルヴィアが思わずアッシュの腕を掴んでしまう。
「アンジェ?大丈夫だよ、今から――」
アッシュの声が終わるより前に、舞台上に火花が散り、視界が突然明るくなる。輝く舞台から前に進み出たのは、会場の観客と同様に黒いミニスカートに、さらさらの茶色い髪を靡かせ、目元に黒い化粧をしたアッシュと同い年くらいの女の子だった。
その堂々とした佇まいとオーラに、シルヴィアの目が釘付けになる。そして、シルヴィアは、その女の子が一瞬、舞台上からアッシュとシルヴィアを見た気がしたが、え?と思った次の瞬間には、彼女の伸びやかな声で曲が始まっていた。
その後は、もうアッシュもシルヴィアもライブに夢中だった。
帝国では聞いたことがないリズムに、メロディー。叫ぶように歌っているのに、聞き惚れてしまうミリィの声。見た目とそのメロディーからはイメージできないけれど、よく聞いていると、それらは全て恋を歌っているのだとわかる。スラングが多くてシルヴィアには聞き取れない部分も多かったけれど、素直でない言い回しであっても、その中身は好きな人への想いだ。
こんなにも大勢の前で堂々と、自分の恋心を吐露するなんて、シルヴィアには考えられない。聞き取れた歌詞の内容に共感したり、リズムに乗ってみたり、何もかも全てに衝撃を受けて、ライブが終わったあともシルヴィアは少々放心状態だった。
観客が順番に退場する間も、ぼうっと椅子に座ったままのシルヴィアにアッシュが声をかける。
「アンジェ、そろそろ動ける?楽屋に行こうと思うんだけど」
「あ、はいっ」
隣のアッシュの存在を今思い出した、というようなシルヴィアに、アッシュが苦笑する。
「気に入ってくれた?共和国のライブ」
わざと、少し得意げな風に胸を張ってみせるアッシュに、シルヴィアが素で答える。
「はい!ライブも、ミリィさんも、とても素晴らしかったです」
手放しで絶賛されて、改めて敵対国の民とは思えない、とアッシュがシルヴィアを見つめる。そんなアッシュには気がつかず、シルヴィアが興奮のまま言葉を続ける。
「ミリィさんの恋のお相手ってどなたなんでしょう。あんなに熱烈な恋心を歌われるなんて、どのような気持ちかしら」
アッシュの口元が僅かに引き攣る。
「いや、確かに彼女が作詞と作曲をしてるけど、恋の曲を作っているだけで、彼女自身の恋の歌と言うわけでは……」
「あ、そう、そうですよね。ご自身で作っていらっしゃるって聞いていたのと、あまりにも想いがこもっている様子だったから勘違いしてしまって。感情を込めて歌うなんて、プロの方ですもの、当然ですよね」
思い込みを恥じてシルヴィアが視線を落とす。
「ちなみに、ミリィは共和国の若者の中で、結婚したい女性No.1なんだよ」
「結婚したい?歌手と?」
ぱっと顔を上げたシルヴィアの驚き方が思いのほか大きかったので、逆にアッシュがびっくりして立ち止まる。
「え、そんなに意外だった?女の子にも人気の歌手なんだけど……」
「あ、いえ、そういうことではなく……。帝国では、歌手や踊り子はどんなに技量や人気があっても地位が低くて、正妻という立場にはなれることはほとんどありません。特に共和国<こちら>は帝国のように一夫多妻制ではないと聞いておりましたので、結婚したい女性として歌手の名前が挙がるというのに驚いてしまいました」
「あ~……なるほど」
知識としては知っていても、実際に当事者から聞く帝国の社会制度はアッシュにとって興味深かったが、淡々と話しているシルヴィアの目が少し悲しげに見えて、知識欲よりも目の前の少女を慰めることを選ぶ。
「アンジェは、歌は好き?」
少しの逡巡の後、シルヴィアは頷く。
「楽器を弾くことは嗜みとして許されているけど、子守唄や教会で歌うこと以外ははしたない、って怒られるます。ミリィさんみたいに、自分の気持ちを歌にするのはとても気持ち良さそうで、羨ましい」
「好きなだけ歌えばいいよ。ここでは誰もそれを咎めない。家にはピアノもあるし、恥ずかしかったら僕は一番遠い部屋にいるから」
アッシュを見上げて数回瞬きをしたシルヴィアは、笑顔になりそうなのを堪えるように顔を引き締めると「本当に?」と問う。もちろん、とアッシュが応じると、ぱっと顔を輝かせた。
シルヴィアの表情の変化を微笑ましく見ていたアッシュが、あるドアの前で立ち止まる。
「さ、ここだ」
楽屋のドアをノックする。
「入るよ、ミリィ」
名乗りもせず、声をかけただけでアッシュがドアを開ける。そのままアッシュは中に入り、シルヴィアを手招くと後ろ手にドアを閉めた。
中には、顔にタオルを乗せたミリィがソファーの背もたれに沿って身体をそらせ、足をローテーブルに乗せた状態でいた。
「アッシュ?」
タオル越しのくぐもった声が聞こえる。
「そうだよ。ライブ最高だった。お疲れさま」
「……」
「ミリィ?」
「ありがと。そういえば、誰かと来てた?」
顔の上のタオルを緩慢な動作で掴んで、ローテーブルの上に投げる。
「ステージから見えてた?紹介しようと思って――」
アッシュがシルヴィアを紹介するより先に、顔を上げたミリィがシルヴィアを認識して眉を上げる。
「なんだよアッシュ。どっかのお姫様でも連れてんのかと思った。恋人?」
「違っ、アンジェは今うちに住んで――」
「はあ?!一緒に住んでんのかよ!!」
目を剥いたミリィの誤解を解こうと、シルヴィアも口を挟む。
「あ、あの!私はフリッツ様に保護されて家においていただいているだけで、アッシュ様ともフリッツ様とも、ご想像されているような関係では――」
「*****!!」
「――っ、やめろ!アンジェの前でそんな言葉!!」
シルヴィアには聞き取れない単語が連発されて、それを聞いたアッシュが顔を赤らめてミリィに怒鳴る。
「なんだよアッシュ、こんな言葉くらいでムキになって。あんたこの子が好きなの?」
「はあ!?そんなこと言ってないだろ、なんでそんな」
言い合う二人を見ながらシルヴィアは一人合点がいく。ライブが始まったとき、ミリィがこっちを見ていた、と思ったのも、きっと勘違いじゃない。
人の恋心と言うのは、当人達よりも傍で見ているほうが良くわかるものだ。
「あの。今日初めてミリィさんの歌を聞いたのですが、とても素敵でした」
「素敵?あんなスラングだらけの下品な歌、オヒメサマには聞き苦しかっただろ」
「ミリィ!」
どこまでもシルヴィアに突っかかるミリィを、アッシュが咎める。
好きな人への恋心を歌った歌を、その好きな人が別の女性と聞いていた、なんて状況、面白いはずがない。アッシュのためにも誤解は解きたい。
「いえ。全ては聞き取れなかったのですが、『好き』と言う単語を全く使っていないのに、相手が好きだと伝わってきて。ある意味真っ直ぐで、こんな風に好かれた方は幸せだろうな、と」
シルヴィアの感想を、ミリィはおとなしく聞く。
「そう思う?」
「えぇ、とても。それに、昔別の人が好きだったけど、今は…という内容の曲も、とても格好良かったです。身近な手のぬくもりの大切さに気がついた、というところが――」
目を輝かせて、一度聞いただけの歌について熱心にしゃべるシルヴィアに、ミリィは幾分か機嫌を直している。
「そんなお綺麗な言い回しはしなかったけど、気に入ってもらえて嬉しいよ」
落ち着いた様子のミリィに、その機会を逃さずにアッシュが改めてシルヴィアを紹介する。帝国民で捕虜、などと紹介するわけにはいかないが、「父の仕事絡みで家で保護している」と言う説明で、クロフォード家の事情をそれなりに知っているミリィには十分伝わる。
「なんだ、腕なんか組んでライブ見てるから、てっきりアッシュの彼女かなんかだと思ったけど。違うんだ?」
「はい」
横目にアッシュが真剣な表情をしているのが見える。お世話になっている人の恋路を、こんなことで邪魔をしたくはない。そして、ミリィからみて自分の存在がたとえアッシュとの間に恋愛感情がないとしても、心をざわつかせる存在であろうことはシルヴィアにも良くわかる。
「私、好きな人がいます。ライブを観ているときにアッシュ様の腕に触れてしまったのは、初めてで、その、驚いてしまっただけで。ミリィさんがご心配なさるような関係では、決して」
「別に、心配しているわけじゃ……ていうかなんなの、アッシュ様って。あんた、家で保護してる女の子に様付けで呼ばせてんの?キモい」
誤解はすっかり解けたのだろう、いつもの調子を取り戻したらしいミリィが、アッシュに絡む。
「キモいって!アンジェは丁寧な子なんだよ、俺だって様付けなんてしなくていいって……アンジェ、頼むから呼び捨てにして。俺がなんか不本意な誤解を受けるから」
「あ、はい」
脱力した様子のアッシュに懇願されて、反射的に返事をする。
「で、その好きな人とは付き合ってんの?」
知り合ったばかりとは思えない遠慮のなさで、ミリィがシルヴィアに椅子を勧めつつ聞く。
ミリィは自分自身の気持ちや経験から曲を作ることが多いが、他人の恋愛も大いに参考になる。浮気相手かと思えばとげとげしくもなるが、そうでないならアッシュ絡みの人間というだけで、シルヴィアは興味の対象だった。
それに、今まで回りに居た女性とは大分趣が異なる。「お上品な」人々の恋愛模様も面白そうだ。
ミリィの勢いに飲まれて、シルヴィアも普通に答えてしまう。
「は?え?……あ、いいえ」
「好きだって言った?」
シルヴィアが首を横に振る。
「ミリィ。初対面で失礼だよ。アンジェ、答えなくていいから」
シルヴィアの好きな人、が当然帝国の者だと推測できるアッシュが、この話題を止めようとする。二度と会えない可能性さえ脳裏にあるだろうシルヴィアに、この問答を続けさせるわけにはいかない
「はあ?何言ってんの。恋バナは女子のコミュニケーションの一貫よ。自己紹介の一部。大体、あたしの歌を聞いてよかったって言ってくれてんだから、恋してないわけないのよ」
強引だが、シルヴィアに関する部分は間違っていないその発言に、シルヴィアは感心してしまう。
「そういう問題じゃなくて」
「アッシュさ…あの、アッシュ?私、ミリィさんと、お話したいです。その、恋……」
アッシュを呼び捨てにするのと、「恋バナ」という言葉の響きに照れたシルヴィアが語尾を小さくして俯く。
その恥じらう様子に気をとられた風なアッシュを、ミリィが睨みつける。
そういえば同年代の女の子と触れ合う機会はなかったな、とアッシュは思う。アマリアは女性だが、年齢的にはフリッツに近い。
「わかったよ。それって、俺はここにいないほうがいいやつ?」
アッシュの立場上、ここでシルヴィアから目を離すわけにはいかない。警備もこの部屋の中には入れていないが、シルヴィアにとってミリィが危険人物でない確証も今のところないのだ。
アッシュが難しい顔をしたのを、ミリィは見逃さなかった。かなり自由な振るまいをしているように見えて、こういう本当にダメな(強調)ポイントを彼女は外さない。
「じゃあ、近いうちにオジサマの家に行くよ。そこでならいいだろ。音楽室貸して。アンジェ、今日明日で都合つけるから、待ってて」
手早くまとまった話に唖然としながら、打ち上げに行くというミリィの楽屋をアッシュと共に辞した。