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「ルヴィ。俺とバルトロメオはこれから忙しくなる」


 いつもどおり、ソファーの上でシルヴィアを膝に抱きかかえながらカルロが言う。もう少年とは言いがたい風貌のカルロに、少し大人びてきたシルヴィアが抱きかかえられている姿は、兄妹とは言いがたい。

 この二人が恋仲でないなど、バルトロメオ以外の誰が信じるだろう。シルヴィアにもカルロにも、それとなく苦言を呈してはいるものの、二人は全く聞く耳を持たない。流石に今回はカルロのほうが自重するかと思ったが、全く普段と変わらない。この状態で公の場に出ることもないのであまり厳しくは言ってこなかったが、そろそろ本格的にまずい気がする。


 そんなバルトロメオの胸中を知らず、目の前の二人はその距離感で会話を続けている。


「忙しくなる?領地のお仕事?お兄様も?」

「いや、戦争に行く」

「え?」


 カルロを見上げたまま、シルヴィアが固まる。その様子に気がついているだろうに、視線をあわさないままカルロが続ける。


帝国ここで、俺は上り詰める。そのために、バルトロメオが必要だ。しばらく俺に貸してくれ」

「上り詰め……?」


 言葉は分かるのに、内容が理解できないシルヴィアが、呆然と問い返す。


「誰よりも偉くなる、ってことだ。中々会いに来られなくなるけど、そう長くは待たせないつもりだ」


 そうじゃなくて、と言いたいが口がぱくぱくするばかりで言葉にならない。助けを求めるようにバルトロメオに視線を投げる。シルヴィアの視線を受け止めたバルトロメオは、少し諦めたよう笑みを浮かべて頷くばかりで、シルヴィアの望む回答をくれない。


「敵も多くなりそうだから、ルヴィ、あんまり外に出ないで。それから、貴族連中には出来るだけ姿を見せないようにしていて」


 シルヴィアの戸惑いに頓着せずに、カルロが更に続ける。

 今度こそ発言の意味が分からずシルヴィアの口から「兄様」と情けない声が漏れた。


「ルヴィ、久しぶりだし、街に下りよう。暫く行けなくなるかもしれないから」


 今までより変装は厳重にしてもらうけど、と付け足す。

 流石にシルヴィアにもはぐらかされたのは分かったが、カルロの、「これ以上この話を続けたくない」という意図ももちろん分かる。今日の初めのあの凍ったような空気を思い出して、シルヴィアは追求の言葉を飲み込んだ。



 カルロが帰ってから、シルヴィアは久しぶりに兄の部屋を訪れた。カルロの来訪が途切れたころから、バルトロメオも忙しくしていて食事時以外に顔を合わせることはめっきり減っている。


「お兄様。兄さ――カルロ様はどうしてしまったの?」


 いつもどおりカルロを「兄様」と呼びそうになって、慌てて言い直す。


「カルロが言ってたままだよ。軍に入って、戦争に行く。私と、カルロと一緒に。カルロはこの国の最高位を目指す」


「最高位って、本当に?そんなことができるの?」


 皇帝は、現在に至るまで世襲で、下位貴族が成ろうと思ってなれるものではないはずだ。可能性があるのは公爵家だが、それでも皇帝に子供がいない場合に限られる。代々大規模な後宮を持つ皇帝のこと、公爵家にさえそのお鉢が回ってくることはまずない。


「きわめて難しいけれど、不可能ではない。魔力を持っている時点で、遡れば皇帝と同じ祖先だからね」

「それは、そうだけど……」


 理論としてはそうだが、シルヴィアには目の前の兄も、カルロも正気とは思えない。シルヴィアがその瞳に疑念を乗せて兄を見る。

 バルトロメオは、妹のそのまなざしに苦笑いするしかない。


「カルロは本気だし、俺はカルロについていく。それに、帝国貴族である以上、戦争への参加はどの道免れないよ。それなら早いうちに志願して実績を立てておきたい。俺にも野心はあるんだ」


 最後は冗談めかして笑うが、シルヴィアはとても笑えない。険しい表情のままの妹をみて、バルトロメオが小さくため息をつく。


「レオナルド様が、伯爵位を賜った理由を知っている?」

「いいえ。何か功績があったのでは?」

「いや。夫人を――カルロの母親を陛下に差し出した」

「え?それはどういう?皇帝陛下に?それは、後宮へ、という……?」


 バルトロメオが目を伏せて頷く。今の皇帝は歴代皇帝の仲でも特に好色で有名で、後宮は増設に増設を重ねられている。貴族たちもそれを心得ていて、これはと思う女性を見つけては養女にするなどして積極的に後宮入りさせようとしている状況は、シルヴィアも認識していた。


「レオナルド様は、そのためにカルロ様を引き取ったのですか?」

「いや。そういうわけではないらしい。陛下がご臨席なさった夜会に、レオナルド様が奥方を伴って出席していて、それを陛下が見初めて後宮入りを打診した、とか」


 打診、と言いつつそれは実質逆らえない命令だ。経緯を理解したシルヴィアが顔色を悪くする。


「カルロは、レオナルド様がそれに逆らわなかった、と言って怒っていたが、まあレオナルド様が陛下に逆らえるはずもない」


 それに最近、同じようなことが何回か起きているようで地方では妻や娘を強引に召し上げられた貴族が挙兵するなどの事態も起きているらしい。


「それで、カルロ様が、陛下を?」

「滅多な表現をしないでね、シルヴィア。カルロはただ出世しようとしているだけだよ」


 危うい言葉を発しそうになったシルヴィアを、バルトロメオが穏かに制する。


「カルロはお前を心配してるんだよ」

「お兄様も?」

「もちろん。だから、カルロの言ったように、あまりで歩かないでくれ。出かけるときは、髪を隠して。できれば顔も。貴族の集まりには中々行けなくなるだろうけど、支障ないはずだ」

「私も、お兄様たちと一緒に行きたい」


 承諾されることなどないことは分かりきっていても、寂しさと不安からそう訴える。月が欲しいと泣く子供を宥めるような表情で、バルトロメオがシルヴィアの頭を撫でる。

 シルヴィアからしたら、月が欲しいと泣いているのはカルロのほうだ。実際、シルヴィアを戦場に連れて行くほうがはるかに容易い。


「無茶言わないでシルヴィア。カルロも言っていったとおり、そんなに時間はかけない。いい子で待っていて」


 その言葉どおり、海に出て(戦争に行って)は大きな勝利を得て帰還する二人は、たまにシルヴィアに会いに来るたび、新しい肩書きや称号を携えてくる。

 肩書きだけでなく、見た目も帝国軍人らしくなっていく兄二人と、ほとんど屋敷からでることもなくドレスを着ているだけの自分の距離が、年を経る毎に開いていくのをシルヴィアは寂しく思いながら過ごしていた。


 二人が働いているところを見たい、シルヴィアが毎回言うので、途中からは海に出かけることが多くなった。職場にも連れて行ってはもらえないし、船にも乗せてはもらえないが、帝都や領地の近くの海に出かけては海に出ていた間の出来事を聞かせてもらうのが、シルヴィアの数少ない楽しみだった。


 そして、共和国との数多の戦と大規模な内乱の末、カルロは皇帝から禅譲を受けた。十年足らずで、バルトロメオと共に、本当に帝国のトップに上り詰めたのだ。




「ルヴィ」


 王宮の応接室で、カルロに呼ばれていつもの様にその膝に乗ろうとするシルヴィアを、傍に控えていたバルトロメオが咎める。


「シルヴィア、不敬です」

「なぜだ。俺がいいと言っているのに」

「カルロ様も、いつまでもシルヴィアをそのように扱っていただいては困ります。そろそろ嫁にやる準備も――」

「嫁!?ルヴィを誰かにくれてやると言うのか!!あの好色ジジイの魔の手をようやく排除したのに!!」

「好色ジジ……カルロ様。言葉が過ぎます。別に政略結婚させようというのではありませんよ。ですが、シルヴィアももうそういう歳です。そうでなくても、カルロ様と私の地位目当てに、シルヴィアには沢山の結婚の申し込みが。面倒なことになる前に、シルヴィアが納得できる縁談を調えたほうが良いかと」

「ダメだ!ルヴィはどこにも嫁にやらん」

「誰目線ですか、カルロ様」


 まるで娘の父親の様な台詞をはいて、横に立つシルヴィアの腰を引いて膝上に抱き込む。

 そこまで密着しておいて、一切の男女の色を感じさせない二人の様子に、バルトロメオがため息をつく。


「ですから、過度の触れ合いは止してください、と」


 こちらに来なさい。と、バルトロメオがシルヴィアに命じる。シルヴィアの目にも、カルロ(と、自分)の分が悪いことはわかる。おとなしく従おうとカルロの腕を抜けようとするが、その腕に更に力がこもる。


「カルロ様……?」

「様はいらない」


 顔を伏せているカルロの表情は見えない。


「カルロ?離して」

「嫌だ」


 シルヴィアはカルロの腕と身体の隙間からバルトロメオに助けを求める。当惑した様子の妹をこれ以上責めることも出来ず、バルトロメオはこの場での説得を諦める。


「わかりました。もう今日はそのままでいいですから。シルヴィアの縁談についてもとりあえず保留で」


 バルトロメオが降参したのを見て、カルロがようやく力を緩める。


「やっと面倒な手続きやらなにやらがひと段落付いたんだ。煩いこと言わずに茶くらい好きに飲ませろ」


 シルヴィアを抱きかかえたまま、紅茶を手にしたカルロが背もたれに身体を預ける。

 頭をそっと引き寄せられたシルヴィアは、そのままカルロの胸に頭をつけて凭れ掛かる。


「折角ここまできたんだ。ルヴィは嫁になんかいかずに、ずっと俺達のところにいればいい」


 天井の照明辺りを見ながら、カルロが呟く。その内容に、打つ手なし、とバルトロメオが肩を竦めた。



 そんな出来事から二月後、王宮内のバルトロメオの部屋にシルヴィアは呼び出された。カルロが即位してから、仕事に都合がいいからと王宮に住んでいる。そして、何だかんだと理由をつけたカルロによって、シルヴィアもバルトロメオについて王宮で生活していた。


「お兄様?今日はどうされたのですか。わざわざお部屋にお呼びになるなんて珍しい」


 バルトロメオの部屋だと、部下や使用人の目があり、いつものように気安く対応するわけにもいかない。今日は人払いがされているようだが、お小言をもらわないように注意して言葉を選ぶ。


「シルヴィア。カルロ様のことをどう思う?」

「え?」


 想定外の質問に、いつもだったら注意されそうな声で聞き返してしまう。


「好きか、嫌いか」

「もちろん、大好きです」

「それは……男性として?」


 兄が何を聞きたいのか、シルヴィアにもわからないわけではなかった。だが、そこで本心を兄に話すのは躊躇われた。是と答えれば、今までのすっとぼけたスキンシップの本意を知られることになる。

 シルヴィアの沈黙を、バルトロメオは否ととった。

 思えば、このとき、ちゃんとカルロを異性として好きだと伝えておけば、この後の面倒ごとは回避できたかもしれない。


「シルヴィア。カルロ様と結婚しろ」

「はい?」

「教会でサインをするだけだ。結婚式もしないし、積極的に隠しはしないが、公示もしない」


 シルヴィアが話題についていっていないことを分かっているだろうに、矢継ぎ早に告げる内容は、理解しがたいものだった。


「待ってください、お兄様。話が全然分かりません。この前はお兄様も反対なさっていたではありませんか」


 数週間前に、カルロが同じことをバルトロメオに言ったとき、シルヴィアの言葉を待たずに反対したのはほかならぬバルトロメオのはずだった。

「俺のどこが不満なんだ」と珍しく拗ねて見せたカルロに、バルトロメオは「カルロ様の問題ではありません。シルヴィアに皇帝の妻は務まりません」と言い切った。その上、「シルヴィアを御所望なら、公妾にでもなさればよろしい」とまで言って、妻はひとりしか持たないと宣言していたカルロを怒らせていたのは記憶に新しい。


「もし、シルヴィアに好きな人ができたら」


 急な話の転換に、シルヴィアが怪訝な顔をする。


「下賜しても構わない、とカルロ様は仰ってる」


 言われた内容を理解するのに数秒かかったシルヴィアが、今度は怒りに顔を紅潮させる。怒りのポイントはいくつもあるが――むしろありすぎて――怒鳴りたいのに言葉にならない。


 ――なにを、どこから言えばいい。私は何に一番怒っているの。


 カルロが好きだ。異性として、ちゃんと。だから、彼が私を同じように好きだと言うなら、結婚できるのは嬉しい。色々気になることはあるけど、やっぱり好きな人と結婚できるということは、大きさの程度に違いはあれ、シルヴィアを喜ばせた。

 だけど、下賜してもいい、という言葉が示すのは、カルロの気持ちはシルヴィアにはない、ということだ。公示しないのも同様。カルロが自分を好いていてくれることに疑いはないが、それは妹か家族としてだ。


 しかも、この結婚話、カルロにうまみはほとんどないはずだ。妹を嫁に出したくないという子供じみた、あるいは父親じみた感情があるにしても、すでに忠誠を誓っているバルトロメオの妹をあえて妻にする必要は全くない。

 ある意味皇位を簒奪した立場のカルロとしては、皇后にはもっと自分の立場を磐石にできる出自の女性を据えるのが一番良い。


 と、ここまで考えて、シルヴィアは自分が何に怒っていたのか気がついた。自分がカルロに女性として好かれていないことと、それでもこのカルロとの結婚を嬉しく思う気持ちが自分の中に皆無でないことだ。この話を断って、カルロが他の人と結婚してしまうことが何より怖い。カルロにも、バルトロメオにも怒っているけど、なによりも自分自身に失望している。


 今にも怒り出しそうだったシルヴィアが、その興奮具合を納めたことがバルトロメオにも伝わる。


「深く考えずとりあえず結婚しておけ。追い追い好きになれれば御の字だし、ダメでも他の道がある」


 慰めるように言われた言葉は何の慰めにもなっていなかったけれど、シルヴィアはそこで頷くしかなかった。


 



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