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 アンジェを家に保護した翌日からの()()を終えて、フリッツは悩んでいた。アッシュに少し学校を休んでもらってアンジェと一緒にいてもらおうと考えていたのだが、アンジェを連れ帰った日以降の自宅のセキュリティログを見てため息をつく。

 何回か侵入を試みた形跡があり、武力行使された形跡もある。幸いセキュリティが作動して侵入されるにはいたらなかったが、ここ最近では減っていた襲撃が復活した理由など、アンジェを匿ったこと以外に考えられない。


 思いの外、和平を妨害しようとする勢力が力を持っていることがわかった今、アンジェの身の安全の確保するためにはアッシュだけでは心もとない。

 フリッツが付いていられればフリッツ自身がある程度守ることもできるし、フリッツに付く護衛がアンジェを守るだろう。

 しかし、引渡しの調整がつくまで欠勤し続けるわけにもいかない。溜まりに溜まった休暇を消化したい気持ちがあるが、状況がそれを許さないことはフリッツにもよくわかっていた。


「仕方ない」


 アッシュが淹れるのよりだいぶ味の落ちるコーヒーを飲み干して、フリッツは立ち上がるとアマリアに連絡を入れる。


「……そうだ。機密に関してのアクセスに少し気をつけてくれればいい。ある程度は構わない」



 翌日、出勤するフリッツとともに提督府に来たシルヴィアは、きょろきょろと辺りを見回したい気持ちを必死に抑える。バルトロメオもカルロも、シルヴィアを軍施設に連れて行ってくれることはまずなかったし、その必要があるときもカルロの執務室に続きの私室においておかれるばかりで、中を歩き回ることはさせてもらえなかった。

 フリッツにしても、現状敵国の民であるシルヴィアを軍の重要施設内に入れるのは本意ではないはずで、なんらかの事情でそうせざるを得なかったということはシルヴィアにも理解できる。当然、機密に当たるものは隠されているのだろうと思いつつも、できるだけ周りを見ないよう努める。


「フリッツ様、私……」


 どこか問題のない部屋に外から鍵をかけておいてもらえれば、お仕事が終わるまでそこでおとなしくしています、と提案しようとしたシルヴィアの言葉に、フリッツがかぶせる。


「この建物内なら、自由にしていていいよ。ここに君を害する人はいない。なにか困ったら、私でなくてもそこら辺の人を捕まえて言ってくれたら、皆君の力になる」


 シルヴィアは驚きすぎて立ち止まる。


 隣を歩いていたはずのシルヴィアが視界から消え、フリッツが後ろを振りかえると、驚いた表情のシルヴィアと目が合う。


「どうしたの?」

「いえ、その……ここを自由に歩き回っても良いのでしょうか。本当に?」


 軍事施設ですよね、ここ。と驚きから不安にその表情を変える。

 相手がフリッツでなかったら、この時点でもう帝国へは帰してもらえないものだと確信しただろう。


「あー、不安にさせたならごめん。見られて困るものは、まあ、厳密にはなくはないけど、大丈夫。君の口は堅いと信じてるし、友好国相手なら問題ないものばかりだよ」


 それに、とフリッツが付け加える。


「自由に外に出してはあげられないけど、折角だから、共和国の(うちの)人たちと交流していってほしい」


 帝国内ですら交友関係に制約が付いていたシルヴィアにとって、その言葉は気を抜いたら泣いてしまいそうなほど嬉しいものだった。



 フリッツの言葉に甘えて、シルヴィアは提督府の中を邪魔にならないように、でも「ここに部外者がいますよ」とわかる程度に存在をアピールしつつ、自由に動くことにする。 といっても、まずはフリッツが入っていった個室への扉がある執務スペース内をそろそろと見て回る。

 その場にいる職員は恐らく全員軍人なのだろうが、シルヴィアのことは周知されているようで、誰かしらが友好的に話しかけてくれるので退屈しない。常に誰かの視界に入っていることで、うっかり入ってはいけないところに入ってしまう心配もない。


 あちこち動き回らなくても、そこら中に置かれている魔力を動力としない設備や備品は、シルヴィアにとっては始めてみるものだらけで、この執務スペースの物を見ているだけで一日がつぶせそうだ。


 ふと、シルヴィアがいる位置から室内の反対側で、職員が空間ヴィジョンで見ているものに、目が釘付けられる。

 それは皇帝の即位式での演説の様子で、バルコニーで演説するカルロとそれに熱狂する帝国民を映したニュース番組の録画のようだった。ヴィジョンの裏側からその映像を見て固まっているシルヴィアに気がついた職員が声をかける。


「これ、気になる?アンジェリーナちゃんはリアルタイムで見てたのかな。共和国内(ここ)では帝国の放送は見れないんだけど、軍施設の一部では受信できるようになってるんだ。承認は必要だけど、録画もこうして見れる」


 カルロがこの演説をしているとき、シルヴィアは部屋の中にいた。映像もなく、遠くで聞こえる声だけを聞いていた。表情、声のトーン、身振り。天性の美しさだけでなく、その全てで見るものを魅了する帝国の若き皇帝。国のこれからのあり方を民に向けて語るその姿は、幼いころから見知っていた筈のそれとは随分違って見える。それに熱狂する民の姿も初めて見る。


「……私、見ていなくて。初めて見ました。皇帝陛下の演説」


 帝国民でありながら、新皇帝即位の演説を見ていない、というアンジェリーナの言葉をどう受け止めたらいいかわからず、話を振った本人は言葉を返せない。新皇帝に反発する者だったから、演説など見なかったのかと思ったが、皇帝の映像を見るアンジェリーナの目に否定的な色は見受けられない。むしろ、憧れや懐かしさを浮かべているように見えた。


 魔力を通さない設備や備品に興味を持っていた。

 新皇帝の演説をどうやらここで初めて見たらしい。


 アンジェリーナの今日の様子として、フリッツは部下から詳しく報告を受ける。彼女の身分がどうにも分からない。フリッツとしては、それはわからないままとっとと帝国に返すのが一番楽なところだが、興味がないといったら嘘になる。


 職務的な理由というより、むしろ個人的な興味で、フリッツはアンジェリーナのことが気になっていた。アンジェリーナは帝国の一般的な教育をまともには受けていない、と言っていたが、共和国共通語をかなり流暢に話している。軍属や一部の男性ならともかく、帝国の貴族を含む一般女性が共和国共通語を習うことはまずない。


 本人が貴族ではない、と言っていたことと何か関係があるだろうか。つい最近まで帝国中枢に居た亡命者に面通ししたが、彼女の情報は得られなかった。

銀髪に赤い目というのは帝国でも珍しいらしく、一度見たら忘れないと、どの亡命者も口を揃えて言っていたから、面識がないのは本当らしい。赤い目に関しては、数人から同じ特徴を持つ人物についての情報が上がってきていたが、それはフリッツにとって既知のものだ。

フリッツも知っている、帝国の赤い目の人間は、血濡れの悪魔と呼ばれるあの男―――バルトロメオ・ロッシ。彼の身内が共和国内に捕虜として在る。想像するだけで十歳は老けそうだ。事実であれば一日中ため息をついていられそうな事態に、フリッツはその可能性をとりあえず頭の片隅に追いやった。


それから数日間、シルヴィアはフリッツと共に出勤し、フリッツが帰れるときには一緒に、それが難しいときにはアマリアとクロフォード邸へ帰った。家では学校から帰ったアッシュが夕食を作って待っていて、フリッツかアマリアと三人で食事をする。

共和国の家庭にホームステイでもしているかのような生活で、シルヴィアの緊張と警戒も早いうちに解けてしまう。


提督府の執務室でも、すっかり顔なじみになったシルヴィアは、許可を得てお茶だしや掃除をするなど、差し支えない範囲で仕事の手伝いをしている。

いくつか揃えてもらった丈の長いワンピースやスカートで、ヒラヒラと執務室を動き回るシルヴィアを、フリッツの部下達は微笑ましく見ている。女性が働くことが一般的な共和国でも、軍には女性が少ない。数少ない女性軍人も、アマリアのようにピシッとしたタイプが多く、(敵国民ではあるが)民間の「女の子」が職場にいる状況に、場が華やいでいるのだ。


シルヴィアと言えば、フリッツの秘書として忙しく動きまわるアマリアが執務室を通る度、目で追っている。

ひっつめたブロンドに、タイトスカートの軍服。きりっとしたその姿は、帝国ではまず見かけない女性の姿だ。帝国では文官でさえ女性の勤務は認められていない。

女性の勤務に関して明確な禁止がされているわけではないのだ。しかし、官吏になれるのは基本的に貴族かそれに近しい家柄のものに限られる。そして、そういう家の女性が労働する、ということがまずない。平民であっても、乳母やシッター、メイドなど、特定の職業以外に女性が付くことがほとんどないくらいだ。シルヴィアが働く女性を目にすることは稀だった。


それに、アマリアが着こなす軍服が、かっこいい。自分の、踝まであるスカートとアマリアの膝丈のタイトスカートをちらちらと見比べる。

初めに用意してもらったスカートも、ヴィジョンやアマリアを初めとする女性軍人の短いスカート姿を見慣れた今となっては、共和国風でおしゃれだ、と思い始めている。

気にはなるが、足を出す勇気があるかといわれると、まだ悩ましい。


 真剣にファッションについて考えていると、会議室から出てきたフリッツに声をかけられる。


 「アンジェ、外でランチでもどう?アッシュがお弁当作ってくれたんだ」


 海を見ながら食べよう。そう言うフリッツの声にかぶせるように、執務室からシルヴィアにいくつもの声が飛ぶ。


 「アンジェリーナちゃん、閣下のことよろしくね。時間になったら戻るよう言ってね!」

 「そうそう。アマリアさんいないとすぐサボるから」


 「お前達ね……」


 まいったな、と頭をかく姿を見て、シルヴィアが口元を押さえて笑う。大分ここに馴染んだようすのシルヴィアをみて、フリッツも目じりを下げた。


 港が見下ろせる丘の上で、二人はアッシュが作ってくれたサンドイッチを食べる。

 軍服のフリッツは短く刈られた草の生えた地面にそのまま座っている。シルヴィアは、フリッツが脱いだ上着の上に座らせてもらっている。


 「随分、アマリアを熱心に見ていたみたいだけど」


 バレているとは思っていなかったシルヴィアが、ぎょっとしてフリッツを見上げる。

 スカートについて考えていました、とは言えず、少しはマシに聞こえそうに言い換える。


 「こちらでは、女性の軍人もいるのだな……と思って。国では、女性の軍人というのは聞いたことがありません」


 「そうだね。海軍(ここ)はそれでも少ないほうで、陸軍になるともっと多いよ」


 良いことかどうか分からないけどね、と言って、フリッツは港の軍艦に目を落とす。

 

 「良いことではない、と?」

 「働くという選択肢があることはいいことだと思っているよ。共和国民だからね。でも、軍で働くことしか選べない、ということもある」


 長引く帝国との戦争で未亡人や孤児が多く、その受け皿として、戦死者による人手不足を補う目的を兼ねて、軍勤務を条件に費用援助をする施策がとられている。アッシュもアマリアも、戦死者の遺族だという。


 二人が、どういう気持ちで帝国民である自分に親切にしてくれているのだろう。謝るのも違う気がして、シルヴィアが黙ってしまう。


 「あぁ、気にすることはないよ。そういうつもりで言ったんじゃない。それに、お互い様だからね、戦争は。共和国側も、帝国の人間を数え切れないくらい殺している」それに、とフリッツが続ける「戦争を続けるかどうか、決めるメンバーを選んだのは、共和国民自身だ」


 「共和国民を尊敬します。どのような失政であっても、完全な被害者ではいられないのですね。民主主義の、私はそれが恐ろしい。為政者であるなら民主主義を、民であるなら専制君主制を、私だったらそう望みます」


「では貴女は、今望みの立場にいる」


 意外なことを言われた、というようにシルヴィアが顔を上げる。


「……そう、なるのでしょうね」

 

 帝国での自分の立場に思いを馳せる一方、このような会話が新鮮でシルヴィアは自分が高揚するのを感じる。

 バルトロメオもカルロも、もちろんその他の周囲の人も、シルヴィアに政治の話などしてくれない。女性はそのようなことを知る必要がないとされている。

 政治の話から他愛もない話まで、はぐらかすことなく向き合ってもらえるのが嬉しい。

 


 自分に気安く接してくれる年上の男性、というのがシルヴィアには酷く新鮮だった。父と呼べる人は一人だけだが、あれが一般的な親子関係だったのかは分からない。父親代わりの兄は、母親の代わりも兼ねていたし、自分より6つ上の兄と、父親世代とはやはり感覚が違う。

 兄とカルロが凄まじい勢いで出世してしまったため、彼らより年上の軍人は皆、彼らより等級が下になる。必然、シルヴィアへの対応も上司へのそれに準じたものとなり、気安さとは程遠かった。


 兄二人をマザコンだと笑っていたが、もしかしたら自分はファザコンなのか。シルヴィアは、隣にいる、軍人とは思えない穏やかさを持った監視者を見上げる。


 「ん?どうした?」

 

 シルヴィアの視線に気がついたフリッツが、たった今好ましいと思っていた気安さと穏やかさを持ってシルヴィアを見た。


 「いえ。フリッツさんがとても優しいので……一般的なおとうさんって、こういう感じかなって」


 お父さんよりお兄さんの年齢に近いんだけどな、という気持ちはアッシュを息子として引き取ったときと同じだ。言葉には出さずに脳内でやれやれ、とぼやいて、シルヴィアの発言の気になるところを探ろうとする。


 「お父さんは」

 「あ、いえ。父は居て、いえ数年前に亡くなったのですが、その……」


 フリッツの質問を先回りするように早口でしゃべっていたシルヴィアが、言いよどむ。


 「母は、父の正妻ではなくて。私は母の元で育ったのですが、その母が亡くなってから父に引き取られて。父は良くしてくれたと思うのですが、6つ上の兄がいつも私の面倒を見てくれて。だから、兄より年上の男性と親しくすることがあまりなくて……」


 最後の方は理由になってない、とシルヴィアも苦しく感じてはいたが、あまり詳しくしゃべるわけにもいかない内情を、うまくとり繕うこともできない。自分の情報を出しすぎた、と思っているのを感じ取ったフリッツは、あえて彼女を追い詰めることはしなかった。


 「そう。私なんかが父親と思ってもらえるなんて光栄だよ。アッシュに対してもちゃんと父親らしくできている気もしないしね。彼は良く出来た子だし、基本的に僕が助けられるばかりでね。せめて、君のことを少しでも助けられたらと思うんだけど」


 冗談めかしてウインクするフリッツに、シルヴィアもつられて笑ってしまう。


 「フリッツさんには、十分に助けてもらっています。私、こんな待遇してもらえるはずじゃなかったと」

 「ほら、敬語もやめようか。普通は父親に敬語を使ったりしないよ。アッシュはいくら言っても聞かないから、せめてアンジェ、君だけでも」


 シルヴィアが驚きに目を丸くする。負い目があるシルヴィアだけでなく、バルトロメオやカルロを含むシルヴィアの知る人たちは、皆両親には敬語を使っていた。共和国では違うのか、それとも貴族とそれ以外で違うのか。


 「そんなにびっくりされるとは思わなかったな。共和国<ここ>では大体どこのうちもそんなもんだよ」

 「そう、なんですか。考えられなかったので、少し驚いてしまって」

 「だから、敬語」

 「あ、はい。じゃない、うん?」

 「はは。返事はどっちでもいいよ」


 和やかな雰囲気に巻き込まれて、直前にしゃべりすぎた、と後悔した気持ちが薄れる。

丘の上から港の艦艇を見下ろしながら、サンドイッチを食べ終えたシルヴィアは膝を抱えるように座りなおす。お忍びで下町に出るときくらいにしか許されない仕草だが、それをフリッツが見咎めないことは確信できている。


 貴族であることは認めないものの、家出して船に乗っていた、とシルヴィアが漏らす。衝動的に出てきた、と言っていたが、その原因については話す気がなさそうだ。膝を抱えて海を見つめる横顔が寂しそうに見える。

 

 「なんで船だったの?街で買い物するとか、流行の場所に行ってみるとか、もっと年頃の女の子が家出する先はありそうだけど」

 「乗ったことがなかったから。船に乗るチャンスは何度かあったのだけど、家族にどうしても乗せてもらえなくて。海に出てみたかったの」

 「初めて海に出て、海賊に襲われて、外国に連れてこられるなんて、散々だったね。海、嫌いになった?」

 

 シルヴィアは首を横に振る。

 

 「小さい頃から海が好きで、仲良くしてくれていたお兄さんたちと浜辺に遊びに行くことが多かったの。いい思い出で……その頃からずっと、今も、海が好き。それに、アズーロって、海の青のことなの」


 もう一度、目の前の海に視線を戻して、シルヴィアはその色の瞳を持つ人を思い出す。


 


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