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 三人はアッシュが用意したキッシュとスープとサラダ、という共和国としては一般的なランチを囲む。二人の視線を感じるシルヴィアは少し緊張気味だ。


「ごめんね。家の中に女の子がいるっていうのが珍しくて、つい。アッシュも、そんなにアンジェを見つめないで」


 フリッツの言葉にアッシュがはっとして視線をそらす。


「すみません。帝国の方と食事をするのは始めてで……お口に合うか心配だったのでつい」


 既に衣類で失敗しているアッシュが、恥ずかしそうに言う。


「あ、の。とても美味しいです。キッシュも、こういうパイ生地は初めてです」


 帝国のパイ生地は何層にもなっていて、パリパリと脆いものが主だ。アッシュが用意してくれたキッシュの生地は、層になっているようには見えないのにサクサクとしている。帝国のパイ生地よりもしっかりしていて切りやすいそれは、キッシュにはぴったりだった。最後の食事から大分間が空いたけれど、スープが優しく胃を満たしてくれている。満足している、ということを途切れ途切れに伝えると、アッシュが安心したように笑顔を見せる。


「よかった。急には難しいと思うけど、ここではリラックスしてもらえたら嬉しい。気兼ねせずになんでも言って」


 アマリアが言ってくれたのと同じ意味のことをアッシュが言う。敵国の捕虜の扱いとしては初めから異常だとは思っていたが、シルヴィアにとってあまりにも都合が良すぎる。

 シルヴィアの困惑を感じ取ったのか、フリッツがおっとりとしゃべる。


「まあ、急にリラックスは無理だよね。場所が場所だし。でも、気になることがあったら言ってよ。全て叶えることはできないと思うけど、悪いようにはしないよ。ここではお客様気分で」


 ね、とフリッツがやわらかく微笑むと、アッシュに呼びかける。


「アッシュ、スープおかわりある?」

「ありますよ。珍しいですね、ランチからそんなに召し上がるの」

「そうだね、なんでかちょっとお腹空いちゃって」


 シルヴィアは、その父子のやり取りを興味深そうに眺める。父と息子、というと自分の父でもあるヴァレリオとバルトロメオ、そしてカルロと父レオナルドの関係くらいしか見たことがないが、そのどちらとも違うように見える。なにが、と思っていたシルヴィアの疑問が、次に自分に向けられたフリッツの言葉で一部解消する。


「アッシュは料理が得意なんだよ。今日のこれも、全部彼が作った。すごいでしょ?」

「アッシュ様が、これを?」


 料理人顔負けの腕、というところよりも、まず、使用人でもない男性(アッシュ)、しかも家の主人の息子が食事を用意した、というところにシルヴィアが驚く。アッシュが食事をサーブしている時点から違和感があったのだが、その理由がこれだったのだ。

 帝国では、食事の用意は専ら使用人の仕事で、使用人がいない家庭では主に女性がその役割を担う。父子二人暮らしのクロフォード家のような場合には、基本的には使用人を雇うことになるし、それをしないならば()()()()妻を娶ることになる。主人の息子がその代わりをすることなど、あり得ない。


 シルヴィアの驚きに気がついてはいるものの、今ここで共和国と帝国の文化の差について会話するのが得策とは思わなかったフリッツは、さりげなく話題を変える。


「アマリアも食べていけばよかったのにね。ほんと、僕の部下は仕事熱心で困るよ」


 少しぐらいサボればいいのに、と続けるフリッツ。上司であるフリッツの「仕事をサボればいい」という言葉に、シルヴィアが目を丸くする。カルロも兄も趣味が仕事、という様子で、休みの日でも好んで仕事をするくらいだった。当然、二人の部下も二人ほどとは言わずとも同様の傾向があり、シルヴィアにとってはフリッツの様な軍人は想定の範囲外だ。

 それも、フリッツは海軍大将で、おそらくシルヴィアについての全権を任されている。それほどの人物が、こんなにもゆるい雰囲気であることにびっくりする。外面は整えても実態は怠惰、ということはあるだろうが、フリッツはそれをシルヴィアにも隠そうとしないし、アマリアへの対応を見るにそれはシルヴィアに対してだけではなさそうだ。


 カルロや兄ならどうだろう、とシルヴィアは考える。カルロの部下なら「休んでいて良い」と言われたら、顔色を変えることだろう。そして「どうか働かせて欲しい」と懇願さえするに違いない。

 フリッツはもしそういわれたら、その内情が謹慎であったとしても喜びそうだ。などと考えていると、すかさずフリッツから声がかかる。穏やかなのに、鋭い、と感じてしまうその声に、肩書きは飾りではないのだと悟る。


「家のことを考えていた?」


 一瞬、緊張しかけたが、その声どおりに穏やかな、というよりもどこかとぼけた様子のフリッツを見て、シルヴィアは詰めた息を吐いて正直に答える。


「はい。少し」


 緊張が緩まろうとしていたアンジェリーナが、一転して気を張り詰めたのを感じて、フリッツはしまった、と思ったが、すぐにまた力を抜いた様子をみて内心ほっとする。

 フリッツとアッシュのやり取りや、共和国と帝国の違いについて気をとられていたアンジェリーナがどこか遠くを見るような目になったのを見て、つい声をかけてしまったが、タイミングが早すぎたようだ。


 フリッツは、上司や同僚からは毛嫌いされたり目の敵にされがちだが、年下にはウケがいい。野良猫にも。よく言えば懐かれる、悪く言えば舐められる。フリッツはそれを自身の悪くない特徴だと思っていたし、今回もその性質を存分に生かそうと思っていた。


 フリッツの家で引き取って欲しい、というのはつまり、必要な尋問もそこで済ませておいてくださいね、ということだ。少女への尋問など、仕事ならば当然やるが、誰も好き好んではしたくないのだ。国を守るために戦いはしても、女子供をいたぶる趣味はない。それが例え敵対国であったとしても。特にフリッツの部下にはそういうものが多い。

 午後は休み、ということになっているが、つまりアンジェリーナから情報を聞き出すため、家に戻ったというだけだ。


 アマリアを連れて自宅へ戻るまでの半日で、フリッツはアマリアとは別ルートである程度帝国の貴族子女情報を調べてきていた――貴族女性のスカート丈と履物については調べていなかったが――。明らかに「訳アリ」なアンジェリーナの機微な部分に触れずに、ある程度の情報収集をしたい。


「どんなことを?」


 おどけたようにフリッツが聞き、アッシュがそれに乗る。


「きっと、サボればいい、なんていう軍人は見たことない、ってところだと思いますよ。ねえ、アンジェ?父はいつもこうなんだ。本気出したらすごいんだから、いつもそうしていればもっと出世できるのに」


 フリッツ様、などと言う父に向けるとは思えない呼びかけとは裏腹に、随分と砕けた態度だ。


「出世、ですか?海軍大将というのは、海軍の最高位ですよね。十分出世なされているのでは……」


 帝国軍ならともかく、共和国軍の階級に疎いシルヴィアが戸惑いがちにコメントする。


「それはそうなのですが、父は過小評価されがちなんですよ。ロッシ卿と同じくらいのスピードで出世してもよかったと思ってるんです、僕は」


 シルヴィアがわかりやすいように配慮してか、アッシュが帝国軍人を例に挙げる。突然バルトロメオの名前が出てきて、シルヴィアは心臓が飛び出るかと思う。


「ロッシ卿」


 シルヴィアが努めて平坦に、兄の名を口にする。


「えぇ。ご存知でしょう?皇帝に次ぐ帝国の英雄。こちら側からみると強敵なのですが」

「アッシュ」


 およそ敵国の民同士の友好的な会話としては相応しくない流れになりそうなのを、フリッツが止める。


「あ、すみません、つい……」

「いえ、お気遣いなく。仰るとおり、ロッシ候は帝国内でも有名です。皇帝陛下の軌跡があまりに特異で、ロッシ候の出世については注目されることはありませんが……」


 バルトロメオの昇進は、伯爵子息であったカルロのそれについていく形だったため、帝国内では金魚の糞と揶揄する向きも多い。逆に、皇帝をくさすときには、バルトロメオに下から押し上げてもらった、などと言うのだから勝手なものだ。


「和平がなった後には、ロッシ卿は宰相になられるのでしょうか」


 カルロが新皇帝となったことに伴う、バルトロメオの次の役職については帝国内でも注目されている事柄だが、シルヴィアはそれを知らない。


「どうだろうね。このまま軍部をロッシ卿が統括することになるんじゃないかな。後は皇后と外戚で上手いことバランスを取るんだろうから、そこが皇帝の手腕の見せ所だろうね」


 皇后と外戚、という言葉に、シルヴィアはどきりとする。フリッツの言うとおり、バルトロメオの妹が皇后になるのでは、政治的なバランスが悪すぎる。


 表情を強張らせたアンジェリーナを見て、年頃の娘らしく美貌の皇帝の妻、という立場への思い入れかとフリッツはとらえた。高位貴族の令嬢であれば、それは手の届かない立場ではない。アンジェリーナの家柄によっては現実味のある恋の相手である可能性もあるのだ。


「まあ、皇后周りでそうしなくても、帝国の後宮は大規模だからね。その辺りで十分配慮可能なんじゃないかな」


 フリッツにしてみればフォローのつもりでも、年頃の娘にとってはフォローにならないフォローだったが、それを指摘する者はこの場にはいなかった。


 前皇帝アウグストの好色は共和国にも知られるところだが、それ以前から後宮は大規模なものが多かった。帝国では魔力を主な動力としている上、魔力は血に宿る。皇帝に限らず帝国貴族は、その血を分けた子を多く作ることが国益となる。魔力持ちは多ければ多いほど、国の力は増大する。

 極端な話、一人の女性と十人の男性、十人の女性と一人の男性では、どちらが()()()()子供を多く残せるかといったら後者だ。女性蔑視という観点を別にしても、帝国では一夫多妻の形態をとることが多くなる。皇帝ともなればできるだけ多い子供を求められる。それは皇帝の趣味趣向とは全く別次元の話なのだ。


「皇帝はやっぱり女の子から人気があるの?」


 これ以上はあり得ないという最高位に、そこまで上り詰める力、そして類稀な美貌。女性から見て非の打ち所がないのでは、とフリッツがアンジェリーナに問う。もちろん、アンジェリーナの帝国内での地位についての情報を得る狙いだ。


「そう、ですね。即位なさる前の陛下には見向きもしなかったご令嬢方が、目の色を変えていらっしゃいます」


 思わず棘を含んだ答え方をしてしまって、シルヴィアが自己嫌悪に陥る。問題は含まれた棘よりも、皇帝周囲の女性情報を知っている立場だ、ということがわかる発言の方だが、そこにシルヴィアは気付かない。


「そんなにあからさまだったら、さすがに皇帝も嫌がるでしょう?」


 アッシュの悪気のない問いかけに、シルヴィアが苦い表情になる。


「そうでしょうか?殿方は、どのような女性にでも言い寄られたら嬉しいものでは?」


 現に、そんな令嬢の一人である、というかむしろ筆頭のスフォルツァ公爵令嬢ビアンカについて、カルロがシルヴィアに上手くやれ、と言ったことが今回の家出のそもそもの始まりだ。


 より棘々しくなったアンジェリーナの物言いに、アッシュが少し怯む。

 フリッツは、想定よりも上手くアンジェリーナの情報を聞き出せたことに安堵した反面、想像以上に皇帝に近しい様子に、想定していた面倒ごとが更に大きくなったのを感じて内心ため息をついた。



 ひと段落着いて、アッシュが食後のコーヒーをサーブする。フリッツはランチ前にコーヒーを飲んでいたので、マグに入っているのはカフェオレだ。

 フリッツの軍人らしからぬ気の抜けた態度と、歳の近いアッシュとの会話は、シルヴィアの口を年頃の娘らしく滑らかにさせた。

 相手が敵国の軍人だと後で改めて認識したら頭を抱えてしまいそうなやり取りではあったが、今のところシルヴィアはそれに気がついていない。


 フリッツも、差しさわりのない範囲で報告書に記載するつもりだが、どこかの誰かにとってエサになりそうな情報は伏せるつもりでいる。必要となれば後から分かったことにすればよいだけで、平和条約締結目前の今、これ以上余計な波風を立てたくない。


「さて、アンジェ。君には、君の処遇が決まるまで――つまり、帝国側となんらかの調整がつくまでここで生活してもらうことになる」


 正確には、調整がつくか、調整がつかないことがはっきりする(と共和国側が判断する)まで、ということになるが、あえてそれをシルヴィアに伝える必要はない。


 先ほどまでより改まった雰囲気のフリッツの言葉に、シルヴィアも居住まいを正す。


「共和国としての対応には何の保障もしてあげられないけれど、少なくとも私とアッシュはこの家では君の味方だ。ズボンを履きたくなったら遠慮なく言ってくれていいし、帝国式の食事が食べたければそう言ってくれればアッシュが頑張る」フリッツがちらっとアッシュを見ると、アッシュが力強く頷く「共和国としての判断が必要なこと以外は何でも叶えたいと思っている。逆に、言ってもらえないとわからない。我慢しないで。君に必要な努力は我慢ではなく、言葉で我々に伝えることだ。いいね?」


 ズボンを履きたくなったら、はスカート丈についてのことを指しているのだろう。真剣なトーンで告げられたそれは、シルヴィアへの気遣いに満ちている。


「はい。フリッツ様」


 ずっと、恐ろしいと思っていた敵国の人間、しかも高位軍人の意外な姿ばかりを見せられ、温かい気持ちで返事をする。


 その国民個人の善良さと、国としての善良さは違う。頭ではわかっていたけれど、目の当たりにすると戸惑いも大きい。それが軍の中枢近い立場の人間であればなおさらだ。

 シルヴィアは、「良い人」にしか見えないフリッツに安心しつつも、胸の奥につかえるものを感じる。アッシュの口から兄の名前が出て思い出した。バルトロメオが指揮した戦いで、唯一の黒星。その時、共和国の艦隊を率いていた提督の名として、カルロがクロフォードの名を口にしていたことを。


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