(3)
――ルヴィ
目を覚ますと、そこは見慣れない天井だった。カーテン越しに差し込んでくる光は、もう朝日とは呼べない色合いをしている。シルヴィアは、はっと身を起こし置かれた状況を思い出す。直前に、カルロに呼ばれたような気がしたのに、そんなはずはないということも。
帝国の港から、共和国の海軍大将の自宅の客間。昨日自分が辿った経路を思い出して、寝起きだというのに鼓動が早くなる。これからどうなるのだろう、と考え込みそうになるも、既に昼の日差しが差し込んでいることを思い出して、シルヴィアはベッドから下りた。昨日は夜遅かったこともあり、ここについてすぐにこの部屋に通され眠ってしまった。テーブルの上を見ると、どうやら服が用意されているようで、シルヴィアは久しぶりに自分で着替えることにする。
与えられた衣類のうち、スカートは帝国の女性であるシルヴィアには短すぎた。さらに、家の中では靴を脱ぐ、という方式をとっているクロフォード家では、室内履きはサンダルだった。当然、シルヴィアに与えられた室内履きもサンダルであり、ソックスはない。つまり、令嬢にあるまじき丈のスカートに、素足でサンダルである。
着替えたは良いものの、部屋の外に出る決心がつかないうちに、ドアがノックされる。
「アンジェリーナ?起きている?そろそろランチが出来上がるから、一緒にどうかと思って」
ここで寝た振りをしたところで、服が増えるわけでもない。シルヴィアは諦めてドアを開けた。
薄いソックス一枚もない状態は、シルヴィアにはあまりに心許無かった。こんなに足を異性に見せたことはない。アッシュに、階下のリビングへ案内されているシルヴィアは、何も気にしていない様子のアッシュを前にして、羞恥で震えそうになる。しかし、与えられるものに文句を言える立場ではない。
実際、フリッツが職場で調達してきた衣類は、共和国内では一般的な丈のスカートだし、素足にサンダルなど、共和国内の女性にとっては日常だ。そこまで共和国の風俗に詳しくないシルヴィアは、これが自分を辱める目的の嫌がらせの一種ならば甘んじて受け入れるしかないし、共和国の一般的な装いであるならそれもまた受け入れるしかないと考えていた。それでも、少々動きがぎこちなくなる。
シルヴィアの鈍い動きに、先に階段を下りていたアッシュが振り返る。
「どうしました?アンジェ」
「いえ、なんでも……」
追いかけるように階段を降りかけたシルヴィアに、階段の中ほどから自分を見上げるアッシュの視線は、本人の意図とは無関係に彼女を追い詰めた。家族でもない男性の視線に、自分の素足がさらされていることを否応なく意識してしまって、シルヴィアは軽くパニックを起こして涙ぐむ。
「アンジェ?」
シルヴィアの心の内など推し量りようもないアッシュは、庇護対象の少女の突然の涙にうろたえる。踵を返してシルヴィアの元へ戻ろうとしたとき、呼び鈴と同時に玄関が開いた。
「ただいま、アッシュ」
男所帯のこの家で預かることになったシルヴィアのために、秘書のアマリアを連れて帰宅したフリッツは、階段上で涙を浮かべるシルヴィアと慌てた様子の息子を見て首をかしげる。
「一体何事だい?アッシュ、女の子を泣かせるものじゃないよ」
アッシュが泣かせたとは思っていないが、ここは適当にとぼけておいた方がいい。見た感じ、アッシュもなぜシルヴィアが泣いているのか分かっていない様子だし、いつもの飄々とした態度を崩さずに、一応状況を確認してみる。
ところが、さらされる異性の視線がもう1つ増えたことに、シルヴィアが耐えられなかった。足先までスカートで覆うようにしゃがみこんで顔を覆ってしまう。
自分の登場がさらに少女を追い詰めたらしいことを察したフリッツが、困り顔で隣の秘書に助けを求めた。
足を見られるくらいなんだというのだろう。数ヶ月前であれば、もっと酷い辱めをうけたに違いないのに、本当にどこまでも覚悟が足りない。滲んだ涙を拭いて、隣で落ち着くのを待ってくれているアマリアを見る。
ベッドに隣り合って座っているので、俯いたシルヴィアには彼女の足が目に入る。低めのヒールを履いてやってきたアマリアは、室内に入るためにサンダルに履き替えていた。
膝丈しかない軍服のスカートから伸びた足は素足で、同性であるシルヴィアさえはっとさせる。
自分が与えられたスカートはこれよりも大分長い丈だった。これでも大分配慮されていただろうことが、シルヴィアにも察せられる。嫌がらせでなんかあるはずがない。
「お見苦しいところをお見せしてしまって、申し訳ありません。もう、大丈夫です。アッシュ様にも、フリッツ様にもお詫びしないと」
「もう少し、ここで待っていてくれる?1時間もかからないわ」
シルヴィアの謝罪を遮って部屋を出て行ったアマリアは、着替えを持って戻ってきた。彼女が調達してきたスカートはくるぶしまである長いもので、室内履きとしてスリッパと、ソックスもいくつか買ってきてくれている。
「着替えたら、リビングまで来れる?」
問いかけにしっかり頷いたシルヴィアを確認して、アマリアは階下でそわそわしているだろう上司とその息子に状況を伝えに戻った。
「なるほど。スカート丈ねぇ……」
考えもしなかった、とコーヒー片手に天井を見上げるフリッツ。
「知らなかったとはいえ、下から見上げるようになってしまって、かわいそうなことをしました」
目の前で潤んでいくシルヴィアの瞳を思い出していたアッシュは、マグカップを両手に抱えてテーブルに視線を落とす。
「アンジェリーナを検分させた亡命者の集まりに少し聞いてみたのですが、帝国の貴族女性が素足を見られるのは、胸部を見られるより恥ずべきこととか」
アマリアが感情を込めずに淡々と告げると、その場の男性二人は更に深くため息をつく。
「わざとだ、と思われたでしょうか」
貴族ではない、と主張したシルヴィアに対する意趣返しととらえられた可能性はある。
アッシュの呟きを聞きながら、フリッツは更に別のことを考えていた。「もう少し丈の長いスカートがいい」「ソックスが欲しい」その程度のことを、軍人ではないアッシュにさえ言うことができなかったシルヴィアの心境を思うと、長引くであろう共和国での滞在に小さい少女の心身がどれだけ耐えられるか。状況を改善しないと最悪の展開を招くことになりそうだ。
本日何度目かの、男二人の深いため息が、クロフォード家のリビングに響いた。
服を着替えて降りてきたシルヴィアが恐縮しながら謝罪すると、フリッツは「配慮すべきはこちら側だった」とシルヴィアに頭を下げた。いとも簡単に敵国の捕虜、しかも彼からみれば小娘に頭を下げたフリッツを見て、シルヴィアが戸惑いを隠せないでいると、アッシュがシルヴィアをダイニングに誘う。
「アンジェ、父はいつもこうなんです。きっと、父の職場の方が見たら怒られますよ、父がね」
「おいおい、アッシュ」
情けない顔で頭をかくフリッツと、てきぱきと食事の用意をするアッシュを見比べて、シルヴィアは思わず笑ってしまう。ようやく笑顔を見せたシルヴィアに、フリッツとアッシュが顔を見合わせて息を吐く。
その様子を見て、アマリアが職場に戻ることを告げると、フリッツがそれを引き止める。
「君も食事をしていったらいいよ」
「まさか。私の休憩時間はまだです。それに、処理すべき書類が溜まっています」
言外に、「本来あなたがするはずの」という意味を含ませると、それを察したフリッツが両手を挙げて降参する。
「わかった。僕が戻るまで、頼むよ」
「はい、閣下」
フリッツから離れたアマリアがシルヴィアの傍にくる。
「アンジェリーナ。必要なものや、困ったことがあったら遠慮なく言って。これから徐々にわかると思うけど、クロフォード様もアッシュ様も、ここではあなたを家族のように大事にしてくれるはずよ。大丈夫」
アマリアの微妙な言い回しと配慮を、シルヴィアは正確に受け取った。個人としてはフリッツもアッシュは信用できるし、シルヴィアに悪いようにはしないから頼ってよい、というメッセージと、共和国として対応する場合にはその限りではない、という警告を。
「はい。アマリアさん。ありがとうございます」
シルヴィアの返事にアマリアは頷き、クロフォード邸を後にした。