(14)
医務室のベッドで眠るシルヴィアを、フリッツは壁にもたれながら見下ろす。
正直、シルヴィアがここまでやるとは想定外だったし、魔力量に関しても想定の範囲を超えていた。フリッツが狙ったのはシルヴィア帰国後の穏便な情報リークと、亡命貴族の集まりに放り込むことで、亡命貴族が何かことを起こすほうだった。ヴォルフはその筆頭で、もしシルヴィアが帝国の現王朝に近いところにいるならば、未だ帝国に心を残している様子のヴォルフがなにかしら無理をするのではないかと思ったのだ。
蓋を開けてみれば、ヴォルフが動くより先にシルヴィアがやったわけで、その思い切りの良さには驚くばかりだ。
フリッツが求めるのは共和国の勝利ではない。
シルヴィアの睫毛が小さく動いて、その目覚めをフリッツに告げる。
ゆっくりと目を開けたシルヴィアの視線が自分を捕らえる前に、声をかける。
「アンジェ、具合はどう?魔力切れだって聞いたけど――」
フリッツの声にびくっと反応して、飛び起きるように身体を起こしたシルヴィアが、謝罪と共に頭を下げる。
「フリッツ様、あの、私――」
何に対する謝罪なのかを言わないまま謝罪の言葉を述べた。頭を下げたままのシルヴィアの手は小刻みに震えている。その様子に『仕方ないな』とでも言うように表情を緩ませながら傍に寄ったフリッツが、彼女の肩に手をおいて、落ち着かせるように優しく叩く。
「大丈夫。今回のことは、実験中の事故で処理する。開発にも行き詰っていたみたいだし、壊れたことを勘定に入れても、進展だよ」
事故で処理する、という言い方に、事故ではないという確信を感じ取ったシルヴィアがパッと顔を上げた。
正念場だ、とシルヴィアは思う。どこまで気が付かれていて、どこがバレていないのか。敵国の将軍ではあるが、恩人と言って差し支えないフリッツに対して不義理だと思いつつも、口にすべき言葉を必死で考える。不安げな表情になるのは演技だけではない。
「あれ、やっぱりわざとだった?」
「……ごめんなさい。あれが実用化されたら、と思うと、怖くて」
嘘ではない。本心からそう思っているが、それが全てではない。
目が合ったら全てバレてしまう気がして、ぎゅっと目を閉じたシルヴィアの額を、ふっと笑ったフリッツが、トン、とつつく。
「ダメだよ、最後まで誤魔化してくれないと」
フリッツの態度では、どこまで誤魔化されてくれたのか、どこまで承知しているのか、シルヴィアには読み取れなかった。たたき上げで大将にまで上り詰めた人物と駆け引きをするなんて身の程知らずだったかもしれない。
上昇と飛行は魔力量の影響が大きいが、着陸はそのコントロールが物を言う。だから、シルヴィアが持ち上げた機体を、研究員が着陸させることが出来たのだ。
シルヴィアは、自分が持ち上げたときの周りの反応を見て新しいデータを共和国に提供してしまったことを悟り、ヴォルフの介入直前でメインの仕組みをその魔力で暴発させたのだった。
「あの、フリッツ様は、あれを実用化して戦争に勝とうとは思われないのですか?」
あそこまで出来上がっているのなら、実用化にこぎつけるまで平和条約締結を阻止したいと考えるものではないのか。と、おずおずと切り出したシルヴィアに、フリッツが軽く目を見開く。
「勝つ、ね。勝つ、をどちらかの無条件降伏、と定義するなら、それはかなり困難だ。本土攻撃は不可欠だろうが、どちらも国が大きい。体力がある故に互いに首都が直接攻撃でもされないと無条件降伏とまではいかないだろうね。あれを実用化したとして、帝国がそれを易々と許すとは思えない。逆もね。今まで何度もしているように、互いの領土をいくばくか切り取るくらいのことはできるだろうけど、そこまでだ。互いの被害が大きくなるだけでメリットは小さい。今回進めているように、講和を結ぶのが現実的だよ。完全勝利――帝国側の無条件降伏を夢見ている連中は多いけれど、長く続く戦争で軍も国民も疲弊している。あれの開発成功は、講和に悪い影響を及ぼすだろう。条約締結目前に、そんな横槍は勘弁だね」
提督府内でさえない、軍の研究施設内でするには大分危うい発言だ。まるで開発を進めたくないように聞こえる。
「では、そのために私を……?」
「多少はそれも。現状、帝国に有利な状態だから、この情報を君に持って帰ってもらうことでそちらのお偉いさんに情けを乞おうと思ってね」
どこまでが冗談でどこからが本気か悟らせない軽さでフリッツが言う。「でもまさか、君がここまでするとは思ってなかったよ」と悪戯っぽく睨んでみせるフリッツに、再度謝罪を試みたシルヴィアを、フリッツが身振りで制した。
「ついさっき、情報が新しく入ってね。皇帝の成婚についてのなんらかの発表が、近々あるらしい。まだ帝国内にも知られていない情報らしいが――アンジェ?」
話を聞いているシルヴィアが、大きく目を見開いて驚きを表したあと、その瞳を昏く翳らせる。続く情報への前振りとして軽く告げた話題が、想定外の反応を引き出してしまったフリッツが言葉を途切れさせる。
「どうしたの?皇帝に憧れてた?」と茶化しては見るが、フリッツもシルヴィアの表情が、憧れの王子様が結婚してしまうというショックにしては深刻そうだとわかっている。
何とかして無事に帰らなくては、帝国のために――
そう思っていたけれど、私とカルロの婚姻はお兄様と教会のごく一部の人間しか知らない。共和国との和平を望むのであれば、たとえ私が戻らなくても、何事もなかったことにして講和を結ぶことができる。皇后などいなかったし、そもそもロッシ家に娘はいない――
考えこんでしまったシルヴィアの意識を逸らすように、フリッツが話を続ける。
「こっちが本題だったんだけど、君たちの引渡しについての交渉が本格的に始まりそうだ」
告げられた言葉にはっとしてフリッツの顔を見上げる。
「帝国側は交渉に随分前のめりでね。逆に少し不安になるくらいだよ」
ぼやき混じりに続いた言葉を聞いて、シルヴィアは考え方を改める。
自分とは違う誰かとの結婚話かと思ったけれど、そうじゃない。共和国との講和条件が不利になっても、早期の帰国を実現させようとしてくれているのだ。事態が進展しなければ、結婚を発表することで私の立場を共和国に知らしめようとしている。私への対応によっては、もう一度全面戦争を辞さないと。
表情が変わったシルヴィアに、フリッツがほっと息をつく。
「身体が大丈夫そうなら、そろそろ帰ろう。ヴォルフが心配していたから、ちょっと声をかけてあげるといい」
フリッツに促されたシルヴィアが、医務室を出て探すと、すぐ目の前の廊下の突き当たりで煙草をふかしているヴォルフを見つける。
「ヴォルフ様。先ほどは助けていただいてありがとうございました。それから……壊してしまって、申し訳ありませんでした」
「ふん、わざとやっておいて白々しい」
近寄ってきたシルヴィアをちらりと一瞥すると、また窓の外を向いて煙を吐き出す。
「魔力切れ、ねぇ……」
窓の外、遠く連なる山の彼方を見るようにしながら呟かれた含みのあるそれを、シルヴィアは受け流すことにする。
「亡命者の中には、亡命が本意ではなかった方も居ると噂に聞いております。ヴォルフ様は帝国に戻りたい、とは?」
さらっと話題を変えたシルヴィアに、少し興味を惹かれたようで、ヴォルフはシルヴィアに視線を向ける。
「ここで、そうだと答えたら、そのまま大将殿に筒抜けで、俺は処刑、って寸法か?」
「いえ、そのようなことは……証明は、できませんけれど」
「ふ、冗談だ。どちらかといえば、チクられてまずいのはあんたのほうだ。違うか?」
あっと言う間に戻った話題に、シルヴィアの眉がピクリと動く。
「魔力持ちが少ないからばれないとでも思ってたのか?俺と、あと何人かは、お前が何をしていた気がついていたぞ」
あんなあちこちに無駄な魔力這わせてれば、見るやつが見りゃわかる。と、ヴォルフが続ける。
飛行機の爆破についてはフリッツに知られていることは承知していたが、魔力で内部構造を探っていたことまでばれているとは思っていなかったシルヴィアは、今更怖くなる。
青い顔をして指先を震わせるシルヴィアを見て、ヴォルフがこれ見よがしにため息をつく。
「そんなに怯えるなら何故やった。スパイでもないんだろ。本当に事故でここに来たんなら、余計なことしないのが身のためだ。あの男、穏健派で優しそうに見えるだろうが――実際あんたには優しいんだろう――あれでもここの海軍のトップに上り詰めた男だぞ。無駄に人死にを出すのをよしとしないだけで、非情な判断もできる男だ」
真剣に聞いている様子のシルヴィアを見て、「脅かすのはこれくらいで十分か」と考えて、再度窘める。
「俺も、他のヤツもわざわざ御注進したりはしない。数日中にばれることもないだろうが、無事に帰りたいなら、今後はおとなしくしとくんだな」
「はい」
「まあ、閣下も早期の講和を望んでいるようだからな。そもそも今日アンタをここに連れてきたのが閣下だからなぁ……どこまであの方の想定範囲なのかはわからんな」
話しながら、シルヴィアに身体を向け、正面から彼女を見据える。
「乗っていた船が海賊に襲われて、その海賊が共和国領海に、っていう話だったか。民間船に乗っていたってのは解せないが……あんた、ヴァレリオの関係者か」
急に振られた話題に驚きはしたものの、シルヴィアもここで顔色や表情を変えたりはしない。
「ヴァレリオ……ロッシ卿のことですか。なぜ?」
「おいおいおい。そんなナリしてしらばっくれようってんなら無理だぜ。魔力持ちでその瞳、間違いなくロッシの血筋だ」
口調と態度が砕けるほど、話の内容が危うくなり、シルヴィアは努めて表情を固定する。
「そうでしょうか。魔力があることと貴族であることがどんなときでもイコールとは限らないのでは」
「まあな、届出がない非嫡出子とか?だが、アンタはどっからどうみても貴族だよ」
まだ気持ちを残している故郷の、恐らく友の血縁者である少女の力になりたいと思っていたはずが、つい、虚勢を張る小動物を軽くいたぶるような愉しみが出てきてしまう。
「ヴァレリオが認知しないとは思えないからなぁ…分家のどっかか?それとも優秀なご子息殿が、どこぞで子供でも作っちまったか」
ニヤニヤ、とシルヴィアの顔色を伺うが、シルヴィアは意地でも表情に出さない。先ほどから遊ばれているのも感じるので、少し驚かせたくなる。
「アルドゥア辺境伯様」
お、とヴォルフが面白そうに肩を揺らす。
「気がついていたのか」
「はい。ロッシ卿があなたを守れなかったと、それは悔やんでおりました」
「ロッシ卿、ね。そうか、悔やんでたか」
先ほど窓から山の方を見ていたときのように、遠くの何かを思い出すような色を浮かべてヴォルフの目は、今シルヴィアを映していない。
結果的に、先ほどのヴォルフの問いを肯定したことになるが、相手はほぼ確信しているようだし、兄の後悔を伝えたかった。今後二人が会える可能性は低い。
「そういや、もう一つあったな。あまりに目立ちすぎてて盲点だった」
もう一度その目にシルヴィアを映したヴォルフがにやりと笑う。警戒したシルヴィアが思わず身構える。
「なんのことです?」
「貴族じゃない魔力持ち、の話だよ」
今までで一番人の悪そうな笑みを浮かべて、ヴォルフが言う。
「陛下を、貴族とは言わねえよなぁ」
「皇帝陛下」ではなく「陛下」とだけ表したヴォルフの意図はシルヴィアに明確に伝わる。
「と、するとだ。公示してないってのがなんか訳アリだな。民間船に乗ってたのもそこらへんの事情か?あ~いいいい、そんなことに首をつっこみたいわけじゃねえんだ。だがな、それなら一層のこと、おとなしくしとけ。アンタが無事に帰ることが、帝国と共和国の和平の鍵だぞ。身体をはって講和条約締結を阻止したいわけじゃないんだろ」
本心からの忠告に、表情を緩めたシルヴィアは再度謝罪と感謝を述べて、フリッツのところへと戻った。
「まさか、あれがアウグスト帝退位の理由だったりしてな」
シルヴィアの後姿を見送ったヴォルフが、親友の息子とその盟友の姿を思い浮かべて呟いた。
それから間をおかず、帝国―共和国間で、捕虜の引渡しが決定する。
帝国との講和を急ぎたい大統領と海軍大将でありアンジェリーナ監視の責任者であるフリッツの意向によるところが大きい今回の決定は、最小限の関係者にのみ、その決定と日程が知らされるものとなった。
講和反対派との調整はあえて行わないことでスピードを重視。受け渡しの日程や場所については緘口令が敷かれ、当のアンジェリーナやアッシュにも知らされなかった。