(13)
ミリィがクロフォード邸を訪れた翌日から、シルヴィアは積極的に動くようになった。今まではフリッツやアッシュに言われるままの生活だったところから一転、行ってみたいところやしてみたいことの要望をよく言うようになった。
警備や機密の関係で叶えられないことも多かったが、シルヴィアはそれを当然のこととして受け止めているし、要望を口にするようになった彼女をフリッツは良い傾向として微笑ましく見ている。
二人で作った曲のヒット祝い、と称してクロフォード家で行われたささやかな祝宴では、アマリアの見立てで――ミリィでは過激すぎた――、シルヴィアは共和国スタイルのスカートを履いて見せたほど、変化は顕著だった。
ここ数日のシルヴィアの様子を見て、フリッツは彼女がなにか吹っ切れたようだと察していた。行動を見るに、共和国での経験や知識を積極的に帝国に持ち帰ろうとしているようだ。今までよりも提督府での機密事項の扱いには気をつけたほうがいいな、と思いつつ、逆にこれを利用してみようか、とも考える。少なくとも、今のところ彼女と自分の利害は一致しているはずだ。多少彼女の身を危険にさらすことにはなるが、ある程度は自分がコントロールできるだろう。そして、そうでない部分のリスクは――今更だ。
「フリッツ様、ここは」
提督府で昼食を摂った後、ちょっと出かけようか、とフリッツに連れてこられた場所で、シルヴィアは慄いた。
動揺したのか、呼び方が元に戻っているシルヴィアに、フリッツが苦笑する。
「そんなに緊張しないで。大丈夫だよ」
「いえ、大丈夫……ではないと。これ、これは」
「大丈夫じゃないものは、見せないよ。それにほら、これの動力は魔力だし、ここに居る研究員の多くは元帝国民だ」
目の前の機体を見つめて、色々な意味で顔色を悪くしているシルヴィアに優しく声をかけ続けるが、その内容は全くシルヴィアを安心させない。
「それ、は、亡命者、ということですよね?それに、開発中のものは動力がどうあれ立派な軍事機密では」
「アンジェ、君は帝国で軍事機密を知る立場になかっただろう?このくらいのものは、帝国も共和国も同じような知識と技術を持っているよ」
後半は嘘だが、シルヴィアがそれを見抜けるはずもない。想定を超えた怯えっぷりに、なんとか落ち着かせようとひねり出した方便だ。
見せられたものにうろたえてしまったが、フリッツが良いというなら、真偽はともかくそれを信じるしかない。あえて軍事機密を見せてシルヴィアを帰国できなくするような方法をとらずとも、フリッツはそれを達成できる立場にある。
前面に現しっぱなしだった動揺をなんとか抑えて、シルヴィアは目の前の機体を観察する。それは、少なくともシルヴィアの知る範囲では帝国にはない――飛行機だった。
航空機、という範囲であれば、飛行船などは帝国、共和国ともにある程度の実用化がなされているが、高度とコントロールの精度に問題があり、帝国と共和国間での軍事行動に使われることは滅多にない。山脈を越えられない以上、艦隊のレーダーと攻撃を避ける必要があるが、そこまでの機動性はないのだ。
シルヴィアの目の前にある飛行機は、それらの航空機とは明らかに見た目が違う。気球や飛行船などとは似てもつかない、むしろ鳥に似たフォルムで、素材は艦船のそれに近い。知識を持たないシルヴィアにも、それが航空戦力であることが見て取れる。
そして実際、帝国民が初めて見る戦闘機だった。
これが量産・実用化されたら、戦局は大きく変わる。帝都を直接攻撃される可能性さえ――。
冷静になればなるほど、不穏な未来が想像されて、シルヴィアの顔色はもっと青くなる。
「実用化にはまだ遠い。動力を魔力に頼ることで軽量化しているが、それでもまだ足りない。魔力で成功できたら、今度は魔力を使わない形で量産化したいんだけど、そう上手くはいかなくてね。魔力を使う以上、やはり元帝国民の力を借りるのが手っ取り早い――というので、帝国の亡命貴族を集めてここで研究しているってわけ」
フリッツが軽い口調でシルヴィアに説明する。
「ヴォルフ、彼女に少し説明してくれるか」
飛行機に見入っているシルヴィアから少し下がって、部屋の隅に待機していた人物を呼び寄せる。
ヴォルフ、と呼ばれたのは、かなり大柄な隻眼の壮年男性でこの研究所で亡命者のまとめ役をしているという。魔力持ちということは、当然、元帝国貴族ということだ。
「これは、今話題の捕虜のご令嬢ですかね。なんでまたここに?」
「話題に、なってるかい?それは困ったな」
およそ困っているようには見えない態度で、フリッツが言う。
シルヴィアを検分させたのは、ここの亡命貴族だったからある程度は話が広まっているのは織り込み済みだ。
「研究も行き詰っているようだし、魔力のことなら帝国の民がブレイクスルーを与えてくれるかもしれない、と思ってね」
フリッツの言葉に、ヴォルフが鼻で笑う。
「進まない研究に当てこすりですかい。いくら魔力持ちでも、帝国の女子供じゃ話しになりませんよ。艦船なんかを扱うような魔力の出し方はそれなりの訓練が必要なんでね」
「まあ、彼女は貴族ではないらしいからね、魔力そのものをあてにしてるわけじゃないんだけど」
ヴォルフが眉をひそめる。
「貴族じゃない、だって?」
「本人はそういってる」
「――魔力測定は?」
「そんな機械、うちにあるとでも?」
ヴォルフがさらに顔をしかめる。
「そんな戯言信じたのか?」
「さあね。まあ、追求する必要性も感じなかっただけさ」
飄々としたままのフリッツに、それ以上言い募ることを止めたヴォルフは、シルヴィアに近づき声をかける。
「ヴォルフだ。帝国での名は捨てた。あんたにとっちゃ裏切り者だろうが、説明聞く気はあるかい?」
ヴォルフ、というおよそ帝国的ではない名前は亡命した際に新たにつけたものなのだろう。共和国的な響きにも思えないけれど、とシルヴィアは思うが、名前の由来などを尋ねる雰囲気でもない。
「ヴォルフ様。アンジェリーナ・ディ・アズーロです。もちろん、興味があります、お話、聞かせてください」
フリッツから許可されているレベルでの説明をしながら、ヴォルフは熱心に機体を観察するシルヴィアを見つめる。時折機体に手を伸ばし、触れる前に引っ込めるのは、魔力を流して構造を確認したいと思っているからだろう。
ちらりとフリッツを伺うと、小さな動きで許可を示している。
「やってみるか?」
「今なんと?」
「あんたが動かしてみるか、と聞いている」
「まさか、私は――」
「貴族じゃない、なんて嘘、閣下が信じていると思うのか。共和国の軍事機密に触れる機会なんて、もう二度とないぞ」
内緒話のように耳元で囁かれた言葉にはっとして、ヴォルフを見上げる。
ルーポ・ディ・アルドゥア。隻眼の大男で、アルドゥアの狼と呼ばれていた、北の海の異民族の血が入っているというアルドゥア辺境伯。懇意にしていた侯爵によって内乱に巻き込まれたけれど、バルトロメオとの敵対を避けて亡命したという。
シルヴィアは直接顔を見たことはなかったけれど、兄がその名を口にして、守れなかったと悔やんでいたのを覚えている。
罠か、それとも今でも帝国への忠心があるということか。
シルヴィアには見極められないが、この機会を逃せば二度とないのは分かる。フリッツが止めるところまでやってみよう。
「貴族ではありませんが、やります」
「強情だなあ、おい」
肩を竦めたヴォルフが魔力供給のためのコントロール版を示す。
「あんた、艦船に魔力供給したことは?」
「あるわけないじゃないですか」
「それもそうか。じゃあ、俺達もサポートとして魔力を供給する」
その言葉に、シルヴィアがぎょっとしてヴォルフを見上げる。
「個別設計していないのですか?それでは効率が――」
艦船を動かすために使う魔力は膨大だ。だから、ある程度それを動かす人間の魔力に合わせて調節した設計がされる。帝国軍の旗艦は司令官個人に与えられ、それはすなわちその司令官用に完全に設計・設定がされた艦であることを表す。
魔力はそれぞれに違った特徴をもつので、個別の設計がされていないと無駄に消費される分が多くて戦闘どころではない
緊急避難的に複数人で魔力供給を行うことはあるが、初めから何人もの魔力を受け入れる設計など、無駄が多すぎて使い物になるとは思えない。
自分ではない別人用の設計であっても、複数人の魔力を受け入れる設計よりはまだ良い方だ。
「一人の魔力ではとても足りないんだよ。最近は、亡命しようって貴族が少ない上に、潤沢な魔力がありゃ帝国を離れたくはない。内乱で、もっと高位の貴族が亡命してくるかと思ったが……皇帝陛下はそんな甘いことを許す方ではなかったな」
亡命の隙を与えず、内乱に加担した貴族を粛清したカルロへの非難を含む言い方だ。
「わかりました。ですが、魔力のサポートは不要です。私一人で」
混ざる魔力が増えれば増えるほど、流した魔力を辿って構造を理解するのは難しくなる。
シルヴィアの真意を知ってか知らずか、一歩下がって手を出さないことを表したヴォルフが、周りの研究員にも手を出さないよう視線を送る。
シルヴィアが、ゆっくりと魔力を供給し始める。
領地内への魔力供給は、貴族の義務として行うけれど、ヴォルフが言っていたように艦船等特殊な魔力の使い方は、一般の貴族子女は行わないし訓練もしない。シルヴィアは、兄たちが戦争に行ってから、共和国共通語の勉強とともに、バルトロメオが使っていた訓練器具を使った魔力供給の訓練をこっそり行っていた。そのため、恐らく魔力の回路としては艦船を参考にしているであろう目の前の機体についても、ある程度は動かせるだろうと思っていた。
しかし、実際に乗り込まずに遠隔で魔力供給をするのはロスが大きい。その上汎用タイプの設定とあって、構造を探りながらのそれは想定以上に急激な魔力消費だった。
機体がぴくりとも動かないうちに既に魔力切れの兆候を見せているシルヴィアに、声がかかる。
「おい、時間かけすぎだ」
「大丈夫です。黙って」
ヴォルフの声かけに集中を乱されたシルヴィアは言葉を取り繕うこともできない。
ようやく全体の構造を把握できて、魔力出力が落ち着いたシルヴィアが機体を浮かすと、周囲がどよめく。
「おい、よせ」
数mほど機体を浮かせた段階でよろめいたシルヴィアを、ヴォルフが制止する。しかし、シルヴィアはそのまま15mほどまで機体を上昇させ続けた。
意図しない急激な魔力切れは負荷が大きすぎる
艦船を動かすような場合には当然魔力切れの対処も訓練するものだが、シルヴィアは家での独学でそこまでの経験はない。
着陸させる前に倒れる、と予測したヴォルフが、慌てて横に立って魔力を供給する。
――瞬間、爆発音がして浮いていた機体の胴体部から煙が上がる。
「てめえ……っ!」
隣のシルヴィアを怒鳴りつけようとしたヴォルフが、意識を失って倒れる寸前の彼女を見て舌打ちする。片手にシルヴィアを支えて、上空でバランスを崩した機体に魔力を注いで着陸を試みる。
「おまえらも手伝え!」
周りの魔力持ちの研究員に怒鳴りつけると、それぞれから魔力が供給され、機体は墜落を免れ着陸に成功する。何とか機体以外の被害を出さず、胴体の一部を焼いただけで済んだ。
「閣下!」
シルヴィアを抱えたヴォルフが、この状況でなんら焦りを見せずに状況を観察していたフリッツに叫ぶ。
「彼女を医務室へ。ヴォルフ、今のは彼女が?」
他の所員によって医務室に運ばれるシルヴィアを見送って、フリッツがヴォルフに問いかける。
「……いえ、彼女が一人で制御しているところに急に割り込んだので、一部分に魔力が集中して焼ききれたのだと。申し訳ありません。初めから複数人で行うべきでした」
フリッツはそれには言葉を返さず、頭を下げるヴォルフを興味深げに観察する。
「実験中の事故で処理する。その方針で報告書を」
「承知いたしました」
頭を下げたまま、ヴォルフは答えた。