(12)
「それで、家出して船に乗ったのですか、シルヴィアは」
喧嘩の経緯を聞いたバルトロメオが呆れたように深くため息を吐く。シルヴィア、カルロ双方に向けられたため息を、カルロが一身に受け止める。
「シルヴィアの失言はそうでしょうが、あなたも、そこまでの流れはどうにかならなかったんですか。そもそも、結婚しただけでどうして急にこんな――」
そこではっと口を噤んだバルトロメオが、信じられないものを見た、とでも言うようにカルロを凝視する。
「まさか、本当に好きなのですか?シルヴィアを?」
「初めからそう言っている!」
「いや、言っていませんよ。シルヴィアもわかってないでしょうし、私だって……」
あなたがこういった方面に疎いのは存じておりましたが、これほどまでとは。自身の鈍さも棚にあげて、バルトロメオは何度目かのため息をつく。くだらない痴話げんかで国を危機にさらさないでほしい、と考えて、目の前に居るのは私情で帝位簒奪まで果たした男であることを思い出した。
下町での縄張り争いに始まり戦争・内乱、そういった方面に天才的な力を発揮する幼馴染が、文化・恋愛面ではからきしなのは今に始まったことでもない。
アウグスト帝側の貴族による内乱も、カルロがもう少し貴族連中の情緒面に配慮できたら起きずに済んだかもしれない。結果として不穏分子を一掃したことで、カルロの治世にかなりプラスに働いてはいるが。
「シルヴィアが戻ったら、ちゃんと話をしてくださいね」
「……わかっている」
共和国側の反応は、カルロ達が望むよりも随分と遅かった。戦略として待つことは得意なはずのカルロも、今回ばかりは落ち着かない。
この件に関してなにもせずにはいられないカルロが、わざわざ海上を経由させた共和国の放送をヴィジョンに映しっぱなしにしている。
「軍事通信の傍受は別にしているでしょう。民間向けの放送を見てどうするんです」
民間向けの放送についても、担当官が確認して必要な報告をあげているはずだ。わざわざそのための艦を派遣してまでここでそれを見ようとするカルロに、バルトロメオが言う。
「ルヴィの情報は知らせてないから、担当官では気がつかない情報があるかもしれないし、あっちの世論の状況も見ておきたい。……ルヴィが同じ放送を見ているかもしれないし」
最後の本音にやれやれ、と息を吐くバルトロメオだったが、カルロがいつになく焦っているのが伝わってくるので自分は冷静で居られるという部分は自覚している。これで、いつもの戦場でのようにカルロが冷静だったら、自分が取り乱してカルロに食ってかかったかもしれない。
共和国の地方ニュースを読み上げるアナウンサーを横目に、諸島連合の動向を報告しようとバルトロメオがカルロに向き直ったとき、部屋がノックされる。
『賊は捕捉済みであり、すみやかに共和国の法に則って裁かれる予定である。同海賊に捕らわれていた民間人は国籍を問わず保護しており心配は無用である』
二人へ伝えられた共和国からの返答は、想定どおりであり、期待よりも簡素だった。
引渡しについての言及はなく、捕虜の中に駆け引きに使える人間が居るのか、こちら側の出方を見ているようだ。
休戦しているものの、共和国内では講和反対派が少なくない。現状のままいけば、帝国側に有利な講和条約になりそうなのもその大きな理由だ。共和国の現大統領は講和に積極的だが、国内での反対派を抑えるためにできるだけ有利な条件を引き出したいのだ。
「ルヴィは素性を明かしていると思うか?」
共和国から提示された捕虜の名簿には、アンジェリーナの名で記載がある。
「いいえ。明かしていればもう少し違った内容になっているでしょう。あの子も一応、帝国への影響は考えられるのでしょう。共和国には何かしら疑念を持たれている、というあたりかと。こちらに探りを入れてきているように思えますが」
「素性を明かしてくれていたほうが、安心できるんだがな」
素性を明かして「帰りたい!」とでも叫んでくれれば、共和国側もそれなりの対応をして、カルロもそれに応えたはずだ。ただし、帝国側の優位を大きく揺るがす形になるのは避けられない。
共和国からの連絡の署名は、フリッツ・クロフォードとなっている。
「クロフォード……確かお前が唯一勝てなかった相手だったか」
「えぇ。海賊を捕縛したのが彼だったのでしょう。シルヴィアが彼の元にあるならば、ある程度は安心かと」
「そのように信用できる男なのか」
「そうですね。無用の殺生は行わないかと。当然、勝利のために最善を尽くすでしょうが、結果が同じであれば最小の犠牲を、という男のように見えます。あまり虚栄心や出世欲もなさそうで、そのあたり、共和国内では敵も多そうですが、逆に人望もあるかと。後々に悪影響を及ぼさない範囲であれば、我々側の人間もむやみに害すことはありません。捕虜交換で戻ってきたものの多くが、彼にとらえられたものでしたよ」
クロフォードに辛酸を舐めさせられたこともあり、直接顔を合わせたことがあるバルトロメオは、ある程度彼のことを調べてある。
「ですから今回も、共和国として講和を望むという方針が決まっていれば、シルヴィアのことは丁重に扱ってくれるでしょう。場合によっては、反対勢力からシルヴィアを守ってさえくれるかと」
「……焦らすのが、いいんだろうな」
長い間をあけて、カルロがぼそりと言う。
共和国に居るのが、シルヴィアでさえなかったら。他の誰であっても、カルロはそうしただろう。交渉の材料にはなりえないとわからせ、現状の優位を維持する。捕虜の返還は講和条約締結後でよい。それどころか、休戦合意を反故にすることさえ選択肢になりうる。
バルトロメオは答えない。カルロが捕虜返還の交渉を先送りにする判断をしたとしても、異議を唱えるつもりはない。
「ルヴィ……」
頭を抱えるようにして呟くカルロの肩に、バルトロメオが手を置く。
「焦らすにしろ、何かしら動くにしろ、一度ゆっくり休むべきです。こうなれば、一日二日で事態が変わることもない。シルヴィアが出て行ってから、碌に休んでいないでしょう」
「――今、なんと?」
「一日二日で事態が変わることも――」
「違う、ヴィジョンだ」
バルトロメオがヴィジョンに視線を向けると、ニュースが終わり国内のエンタメ情報に切り替わっている。映し出された女性歌手の姿を見て、バルトロメオが眉をひそめる。
――共和国の女性の服装は破廉恥すぎて目のやり場に困る。今日び娼婦でもこんなに露出の多い格好はしない
「この歌手が、何か?」
「今、アンジェと聞こえた」
ビジュアルに気をとられていたバルトロメオも、放送の内容に注意を向ける。
どうやら、ミリィという人気歌手が、新曲を二曲同時にリリースしたという話題で、今まで一人で作詞作曲していたところ、初めて連名となり、素性の知れないその人物がだれか、と話題になっているのだという。
アンジェという名前など珍しくもないし、本名とも限らない。それでも、二人はその番組に集中した。
1曲目が流れる。
スラングが多く、過激な表現にバルトロメオの眉がピクリと動く。カルロは表情を動かさずに真剣に聞き入っている。
帝国男性からしたら、女性が口にするには聞くに堪えない下品さではあるが、内容を意訳して許容範囲の帝国語に変換すれば、聞けないこともない。
『私のほうが相応しい』とビアンカに言われた――とシルヴィアは言っていたのではなかったか。
2曲目に入り、改めてその「連名」が表示される。
「アンジェ・ダルジェント」
二人がシルヴィアを思い浮かべるのには十分な名前だったが、1曲目の内容の過激さにどちらも言葉が出ない。
2曲目も――1曲目以上の真剣さで聞いていたカルロが、軽く目を見開く。これが、もしシルヴィアが関与しているのだとしたら。
たとえ恋愛感情はなかったとしても、同志として、皇后として隣に立つと、そう言ってくれているように聞こえる。
「バルトロメオ、どう思う?」
「これがシルヴィアだとしたら、戻ったら本気で躾けなおします」
バルトロメオは不快感を隠さずに言う。
「仮にシルヴィアだとしたら、歌詞に出てくるのはビアンカ嬢ですか。……まあ、さもありなん、という感じですね。彼女がいい性格しているのはあなたもご存知でしょう?」
シルヴィアから言われるまで、ビアンカについてほとんど知らなかったカルロは、同意を求められても答えられない。
「知らないのですか。ほんとに周りの女性を見ていませんね、あなた。天使だなんだと騒いでいたわりに、碌に調べもしなかったんですか?私のほうは調べてしまったというのに」
すっかり友人同士の口調になっているバルトロメオは呆れた様子を隠さない。
「まあ、あなたに似ていなくもないので、そういう意味で興味をひいたのかと思いましたけど。外面は天使といえなくもないし」
「中身が俺だと天使じゃないのか」
「そりゃそうでしょう。戦場に出れば連戦連勝、相手が誰であろうと無慈悲な覇者のどこをどうとったら天使だと?」
わかったよ、と首を振ったカルロは、もう一度視線をヴィジョンに戻す。
「俺はこれがシルヴィアだったらいいと思っている」
思いの外真剣なカルロの声音に、バルトロメオはおや、と表情を変える。
もし、これがシルヴィアだったとしたら。
いつも横にいて同じ遊びをしてきたのに、いつからか後ろへ庇う相手だと思っていた。守りたくて囲い込んだのに、拒絶を恐れて気持ちを伝えることもしなかった。せめて今までどおりの関係は続けられると思っていたのに、傍に置いたことで今までどおりでいられなくなったのは自分の方だった。この数日で散々後悔をしてきたが、もし、この歌の様に、ルヴィがまだ隣にいてもいいと思ってくれているなら。
欲しい物は必ず手に入れる 邪魔するものは許さない そうやって皇帝にまで上り詰めたのに今更何を恐れるのだろう。
「バルトロメオ。共和国に捕虜の早期返還を要求する。足元を見られても構うものか。シルヴィアを取り戻した後、なんとでもしてやる」
「承知しました」
カルロの迷いのない言葉に、バルトロメオが応える。
「それから」とカルロが続ける「結婚を公表する。二週間後だ。裏で準備を進めつつ、共和国側にリークしろ」
「それは」
「今更ダメとは言わないだろう?結婚の立会いの署名はお前がしたんだぞ、バルトロメオ」
「ダメとは言っていませんが、シルヴィアに想う相手が出来たら別れる約束では?」
バルトロメオ自身は特にその約束にこだわりはない。どうやら反故にする様子のその約束についてどういうつもりなのか気になったのと、現在進行形で振り回されている形のバルトロメオから友へのちょっとした意趣返しだ。
「俺はそこそこ女性にモテる」
「えぇ、存じておりますよ。興味をもたれる度に、うっとおしそうに追い払っておいででしたね。そのせいで余計な敵を作ったりして」
「――っ!! 断るときの態度は途中から改めただろう!」
思わぬ方向から痛いところを突かれたカルロが少々うろたえる。
「それに、そういうお誘いを片っ端からお断りになるから、女性の扱い方がわからない、と」
「だから!いまそういう話をしているんじゃない!!」
くつくつと笑い始めたバルトロメオを、カルロが恨めしげに睨む。
「お前が怒ってるのは良くわかった」
降参、とカルロが両手を顔の横に上げる。
「つまり。全く魅力がないわけではない、と思う」
「えぇ、あなたは魅力的だと思いますよ」
「だから、何とかしてルヴィに好きになってもらう」
「……戦略もなにもあったものではありませんね。まあ、シルヴィアがそれでよいなら、私に異論はありませんよ。がんばってくださいね」
散々茶化しはしたけれど、大抵の場面で自信家な彼が、やっと恋愛方面にもその性質を発揮したようで臣下としては一安心だ。むしろなぜ今まであんなに自信がなかったのか不思議なくらいだ。
共和国とも、多少面倒なやりとりは発生するだろうが、カルロと共にであればそう時間もかけずに落ち着かせられるだろう。兄としては少々複雑ではあるが、落ち着くところに落ち着いてくれるならば良いことだ。
カルロの様子を見ていると、もしかしたらシルヴィアも同じように実はカルロを異性として好いていたのでは、と思わなくもない。
精彩を欠いていたカルロの瞳に、いつもどおりの光が戻ったのをちらりと横目に確めて、バルトロメオは共和国への連絡と、情報リークの段取りを考え始めた。