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「フリッツ様。アンジェは、いつその彼に会えるんでしょう」
階段を下りながら、アッシュは目の前の背中に問いかける。
「アンジェの話しぶりからすると、最近の話のようです。まだ解決していないようですし、そんな状態で離れ離れというのは……」
「そうだね。ようやくこっちの出方は決まって、近日中に帝国側に引渡しの打診をすることになりそうだ」
身振りでアッシュにリビングへ入るよう促す。
ドアを閉め、上階からのピアノの音が途切れないことを確認してソファに腰を下ろす。
「――相手の男、誰だろうねえ」
中空をみながら、フリッツが呟く。
はっと、アッシュが姿勢を正した。フリッツと同じ道を、と志しているアッシュは、シルヴィアの恋の行方より、彼女の帝国側での立場を考えるべきだった、と思考を切り替える。
「相手のご令嬢の態度からするに、それなりに地位のある人物だ」
「そのようです」
「それに、アンジェの家族はその人物にそれなりの影響力がある」
「そうですね。もし、アンジェが貴族ではない、という話を信じるなら、有力な商人の娘、という辺りでしょうか。長い戦争と最近の内乱で、困窮する貴族も多いと聞きます」
「……普通に考えればそうだけど。相手の女性は間違いなく貴族だよね。貴族のご令嬢と商人の娘が直接会うことなんてあるのか、あの帝国で」
「それは……」
ある程度の情報としては知っていても、長い戦争で相手国の、しかも女性同士の交友関係のあり方など、詳しく知る機会がない。亡命者も圧倒的に男性が多い上に、共和国内では、直接戦闘に関わらない帝国のそういった風俗に興味を示す者は少なかったためだ。
商人の娘、というなら、共和国語ができるのもまあ納得がいくが、シルヴィアの立ち居振る舞いがどうも商人とは結びつかない。しかし、貴族女性への教育に大きな偏りがある帝国で、敵対国の言語を学ぶことができるとも到底思えない。
「あ~~やめよう。考えないほうがいいと思ってるのについ考えてしまうな。で、考えるとやっぱり考えない方が良さそうな結論に近づきそうになる」
う~ん、とソファーの上で伸びをして、フリッツが頭をかく。
「考えない方が良さそうな結論?」
「超有名どころのご令嬢とかね」
「有名どころ……」
「オルシーニ、ヴィドー、イヴィレーア……」
フリッツが、アッシュでも聞いたことがあるような名を上げていく。どれもここ数年の帝国との戦闘で名前があがった指揮官クラスだ。
「それから、ロッシ」
「それは、あの?――ですが、ロッシ卿は未婚で子も姉妹もいないと」
「まあ、われわれの情報網ではね。だけど――」
一度だけまみえた時の、彼の瞳を思い出す。
「ルビーみたいだな、と思ったよ」
「え?」
「――いや、なんでもない」
この話はもう止めよう、とフリッツが立ち上がる。
「折角、上のほうも余計なことしないで引き渡すって決めてくれそうだしね」
「う~ん、我ながら、良いでき!」
立ち上がったミリィが、ピアノの側板に手を掛けて、ぐーっと背中を伸ばす。
「ね、アンジェもそう思うでしょ?」
「えっと……」
出来上がった曲は、初めに作った歌へのアンサーソングだから、内容的にはシルヴィアからビアンカへ、だ。挑発的な歌詞で、要約するとこういうことだ。
――残念だったわね。あなた見る目なかったのよ。あなたが相応しくないって振った相手は、今はこんなに素敵なのよ、私の隣でね?指をくわえてみてればいいわ、彼と私の中睦まじい姿をね。お互いに、知らない景色を見せ合ってるの――
ミリィの曲だと思えば、とても魅力的な女の子の歌だと思うけれど、自分がこれを、と思うとその感想は逆転してしまう。口ごもったのを聞いて、背中をぐっとそらせたミリィがアンジェを見る。
「もっとさ、切ないとか、大好き!っていう可愛い感じの歌になるかと思ったんだよね。あんたの気持ちを聞いて作ったら。あとはほら、あの女誰よ!とかね?」
ふふ、とミリィがいたずらっぽくシルヴィアの表情を伺う。
「でも違った。あなただけ見つめてるからこっち見て、じゃなくて、隣に立って違う方向見るから、一人じゃ見切れない景色を二人で分けよう、って。そういう歌」
はっとして、シルヴィアはミリィを見つめ返す。
歌詞の自信に満ち溢れた様子とシルヴィアから見たら過激な表現に気をとられていて――ビアンカへの歌だと思ったから余計に――、ミリィが今説明してくれたようなところまで、気がつけていなかった。
シルヴィアの表情をみて、ミリィがふふっと笑う。
「このくらい強気でいかないとね。アンジェ、あんたも」
ぽん、とシルヴィアの肩を叩いたミリィが、ついでの様に言う。
「この曲明後日発表するから」
「あ、はい」
こういった業界の手順に詳しくないシルヴィアは、それが一般的なことなのかどうか分かりかねて、間が抜けた返事をしてしまう。
呆れた、とでも言うように肩をすくめたミリィが、ずい、とシルヴィアに顔を近付ける。
「分かってる?アンジェの名前も入れるからね」
「はい。ん?ええ!?」
「作詞作曲の両方に、私と連名でアンジェって入れる」
「ミリィさん、ダメです。私なにもしてない」
「そんなことない。ここのフレーズも、ここの進行も、ここの歌詞はまんまアンジェの言葉だよ」
「どうして……」
「だって、相手に届いた方がいいじゃない?」
「あ、相手に!?」
共和国で人気の歌手の新曲に連名で名前が載ることだけでも大事なのに、そこにさらに別の目的まであることを知らされて、シルヴィアは目を白黒させる。
口をぱくぱくさせるだけで言葉にならないシルヴィアを見たミリィが、その理由を別の意味にとる。
「名前そのままだと流石にまずい?じゃあ、ちょっとだけアレンジしよう。見る人が見たら分かる名前。ん~~そうだ、アンジェ・ダルジェント、でどう?」
名前の後ろに「銀の」と付けられて、あまりにそのままでシルヴィアが思わず苦笑する。
別にいいか。共和国<ここ>では、誰も私を知らないし、歌を咎める人もいない。
帝国内の音楽にさえほとんど興味を示さない兄達が、共和国の音楽を聴くはずもない。
「アンジェ・ダルジェント」
口の中で、その名を転がしたシルヴィアを見て、ミリィが得意げな顔をする。
「ね、いいでしょ。おじさまには、私が許可もらっとくから」
同じ屋敷の音楽室に居ただけなのに、怒涛の一日だったな、とシルヴィアはベッドの上に座ってほっと息をついた。歌って、あんな風にできあがるのか、と昼間にミリィと作った曲を小さく口ずさむ。歌詞を少しずつ帝国語に置き換えて、リズム感を損ねないように言葉を選ぶけれど、そう簡単にはいかない。途中で止まってしまったシルヴィアの口角が少し上がる。
「ちょっと、すっきりしたかも」
あの歌の様に堂々と、カルロの隣に居られたらどんなに良いだろう。
ミリィが言ってくれた言葉を思い出す。
自分があんな風に思っているなんて、ミリィが聞き出してくれなければずっと気がつかないままだったかもしれない。カルロの隣に立ちたい、補い合いたい、なんて。カルロと兄にずっと守られていた自覚はある。それが嬉しくもあり、不満でもあったけれど、それ以外のあり方は想像できなかった。
カルロは后となるものに、自身の補佐や助けになることなど期待していない。それこそ、周囲の思惑はどうあれ、世継ぎを生むことさえ必要だとは思っていないように、シルヴィアには見えていた。真っ先に後宮を廃し、貴族から后候補を次々と送り込まれる前に、とっととシルヴィアで手を打ち、その煩わしさから逃れようとしている。そのあたり潔癖なカルロのこと、生涯女性自体を必要としていないとすら思える。
もちろん、カルロが妹のように可愛がっているシルヴィアを、自分の都合だけで振り回しているわけではない。今やカルロにとって替えの効かない副官、忠臣中の忠臣であるバルトロメオの妹、そして皇帝の覚えのめでたい女性として、シルヴィアの価値は急速に高まった。以前はその特異な見た目と美しさ故に、当時の皇帝からの一方的な召し上げを警戒しなければならなかったが、今やシルヴィアの見た目が今世一の醜女だったとしても縁故を得たい者からの求婚は数多あることだろう。シルヴィアを政争の具としたくないカルロからすれば、自身との婚姻は、どこからも横槍の入れようのない、鉄壁の守りに違いなかった。
せめて。女として好意を持っていると言ってくれたなら。
憧れていたし、恋してもいたけど、兄はカルロを、カルロはただひたすら上しか見ていなかったから。妹、としての立場を存分に利用して、二人の傍にいた。二人共を兄として接し、未婚の男女としてはおよそ相応しくないスキンシップを、わかっていない振りをして楽しんでいた。同じように返してくれるカルロから、少しでも男女間のそれを感じ取れたなら、シルヴィアもそれなりに腹をくくれたかもしれない。男と女としての生々しさを少しも感じさせないまま、プロポーズさえなく、シルヴィアはカルロの妻の立場に収まってしまった。
反対していたバルトロメオが折れたのは、結局彼が心配しているのはカルロであってシルヴィアではなかったからだ。
だから、いつまで経っても――妻になってさえ――私のことを妹としてしか見てくれないカルロに不満を募らせたのだ。そして、ちょっとした喧嘩で飛び出してしまった。
カルロが手のかかる妹としてしか見えないのも仕方がない、と思う。少なくとも、シルヴィアが共に帝国を背負って立つ伴侶としては全くの力不足であることは確かだ。恋愛対象どころか同士としてさえ足りない。特別な立場として許されるのがせいぜい「妹」ということだ。
そしてそれは、ビアンカにも指摘されたことだった。
ミリィやフリッツたちには話さなかったビアンカとの会話がある。
「ねえ、私がどうして、貴女にこのような態度を取れるか、お分かりになる?貴女がお兄様に今日のことを話すだけで、家が窮地に陥るかもしれないのに」
シルヴィアの返答がないのを確信して、それでもビアンカは間を取る。
「貴女がそれをしないと、知っているからよ。貴女の善意を信じているのではないわ。そんな度胸も覚悟もないと、確信しているの。私は、できるわ。陥れることも、諂うことも。家のために、陛下のために。私を皇后とすることが、帝国と陛下のためになる」
それに、と声音をより一層甘くして、ビアンカが囁く。
「そのようなメリットがなくても、陛下は私を好いてくれていらっしゃる。腹心のバルトロメオ様に遠慮して、そうできないだけですわ。父が処分を免れたときも、私のことを気にかけて、今でも気持ちは変わらないと仰ってくださった。」
あの時、ビアンカ嬢はどんな顔をしていただろう。カルロなら、そしてビアンカ嬢も逆の立場なら、きっとああいう場面でも相手や周りの様子をしっかり伺っていただろう――しかるべきタイミングでの反撃のために。
カルロとビアンカは似ている――と思い返してシルヴィアは思う。的確に相手の弱点を見抜く洞察力とそれをあっさり口にする口の悪さ(と度胸)はそっくりだ。そして、そうではないときの外面の良さも。
「覚悟が足りない」
小さく、口に出して呟いてみる。
後ろ向きな思いに捕らわれそうになって、ミリィの歌を思い出す。
「カルロが見てないものを見る――」
私に出来ることがあるだろうか。
たとえ、カルロにとって恋愛対象じゃなくたって、同士になることはできる。
共和国で出会った人たち、魔力を必要としない仕組み。少なくとも、帝国の貴族令嬢に、共和国での経験などあるわけがない。
ここで、できるだけのことを吸収して帰ろう。そのくらいのことで、ビアンカとの差が埋まるとも思えないけれど、ないよりマシだ。
少し上向いた気持ちにほっとするけれど、すぐにまた別のことを思い出す。
「でも、顔も見たくないとか言われたし」
もうすっかり馴染んだクロフォード家のベッドの上で膝を抱えて、シルヴィアは最後に見たカルロの姿を思い浮かべた。
翌々日、ミリィの宣言どおり、クロフォード邸の音楽室で作られた二曲は、ライブで新曲として紹介され、瞬く間に共和国内で話題になった。
ミリィ初となる二曲同時リリースと、謎の「アンジェ・ダルジェント」の話題で、共和国のエンタメ業界は暫くにぎわったのだった。