(1)
『貢物として〜』の最終章を書く前に短編で書こう、と思って書き始めたものです。
前作の反省点もうまく直せず……どうしてこうなった。
完結してから投稿したかったのですが、投稿しないと終わらせられなそうで。
興味を持っていただけましたら、お付き合いください。
「顔も見たくない」
陽光を紡いで糸にしたような金髪を掻き分けるように、片手を額にやって俯く。頭痛を堪えるような仕草に続いたため息とともに吐き出された言葉が、高級な調度が配された広い部屋に響く。
言われた側の少女は、険を含んだ眼差しで青年を見るが、額に当てた手で目元が覆われているため視線は合わない。
しばらくの沈黙ののち、少女は長いスカートを翻して部屋を出た。
同じ邸に住んでいる者同士、顔を合わせずにいようと思えば、出て行くほかない。
そう拡大解釈して、少女――シルヴィアは、あのやり取りの後、使用人たちの目をかいくぐって邸を出て、今は邸の外周をぐるりと囲む高い壁の外側を歩いていた。
実際は広大な邸のこと、使用人などはその雇用期間一度も主と顔を合わせないことは少なくないわけで、やろうと思えば顔を合わせずに生活することも可能だ。その上、先ほどの青年の言葉が、そこまで重大な意味を孕んだものではないことはシルヴィアにも分かっていた。
でも、とシルヴィアは車でしか通ったことのない邸の前の道を、ヒールをカツカツと乱暴に鳴らしながら口を尖らせる。最近のカルロはシルヴィアにあまり構ってくれない上に、会えば小言が多い。じわじわと不自由になっていく暮らしにストレスを溜めていたシルヴィアは、それに耐える目的を見つけられずにいた。シルヴィア本人が抜け出すつもりだったとは言え、誰にも止められることなくあの邸から一人で外に出られたということ自体が、カルロが家の中でまで護衛を付けたくない、というシルヴィアの気持ちを尊重したことの現れではあったのだが、頭に血が昇っていたシルヴィアがそれを理解した頃には、街と港への分岐点に差し掛かっていた。
帰らなくては、と思うものの、カルロが今の地位となるのに伴ってシルヴィアの中に少しずつ溜まっていたもやもやが、まだ帰りたくない、と主張する。
今戻ったら、しばらく外に出してもらえないに違いない。護衛を付けることも、もはや拒否できないだろう。それに、あそこまで言われてなお、会ったら自分から謝ってしまいそうなことへの不快感が、シルヴィアの判断を狂わせる。
折角ここまできたのだし、やりたいことはやってから帰ろう。
そう決意すると、くすんでいた景色が生き生きと動き出す。車を使わずに、少し大きめの荷物を抱えた家族や旅行者と思しき二人連れなどがちらほらと港に向かって歩いている。車を使えるような富裕層ではない彼らを見て、シルヴィアは港から庶民向けの船に乗ることを思いつく。
元々は軍港として整備されたこの港は、長く戦争状態が続いた共和国との平和条約締結を前に、一部民間にも解放されている。軍港であったときから、軍の要職についていることの多い貴族は私的に港を利用していたこともあり、民間に解放されたことでここを利用できるようになったのは、専ら平民だ。
ここ帝国は、ただ一人の皇帝を戴く専制君主国家だ。民は、魔力をその権力の根源とした貴族と、それ以外の平民に分かれる。大陸の西に位置する帝国は、極寒地に聳え立つ急峻な山脈を挟んで、東に共和国と国境を接している。山脈は高い標高を維持したまま南北を海まで貫き、東西を完全に分断している。山脈を定常的に越える手立てはなく、帝国と共和国は専ら船で行き来することになる。必然、戦争も海洋経由で行われてきた。
共和国は、そもそもの成り立ちからして帝国とは相容れない。帝国の専制君主制と、魔力を盾にした貴族の横暴に奮起した平民と一部貴族が、大陸の東側に進出、現地の民を従えて新たに国を名乗った。魔力を動力とする技術発展を遂げた帝国に対し、共和国では全く別の動力を用いる機関を開発して発展してきた。海を挟んで南西方面の諸島連合ともにらみ合っている帝国は、当初は共和国を黙認する形を取っていたが、共和国側から祖国解放を謳った宣戦布告がなされ、そこから帝国と共和国は長い戦争状態にある。時の皇帝によって様変わりする治世では、貴族の争いも激しく、長年の間には貴族の共和国亡命も少なくはなかった。
その泥沼の戦争が、帝国に新たな皇帝が誕生したことで、遂に終わろうとしている。
ヒールでここまで歩いてきた足はつま先が痛む。一度も船に乗ったことがないシルヴィアは、このプチ家出で船へ乗ることを決意し、流しの旅客自動車を止めると港へ向かうよう頼んだ。
なにも別の都市に行こうというわけではない。外洋の島を回ってここへ戻ってくる船で、ほんの少し旅行気分を味わうだけだ。流石に連絡くらいはしないといけない、とは思いつつ、乗船前に連絡してしまってはカルロが船の出港自体を止める可能性がある。乗った船が出港してから連絡を入れよう、と決めてシルヴィアはいつも乗る車とは大分乗り心地の違うシートに身体を沈めた。
シルヴィアは、護衛艦を改造した旅客船の甲板で潮風を浴びて腕を伸ばしていた。ドレスではなかったといえ、平民には見えない服装のシルヴィアが一人で民間の旅客船に乗ろうとするのを訝しがるチケット売り場のスタッフをなんとか誤魔化し、乗組員に怪しまれないよう、出港まではトイレに隠れていたので、やっと大手を振って船内を歩けるのが嬉しい。艦艇を改造した船というのも、シルヴィアの心を揺さぶった。今まで兄やカルロが乗っている戦艦がどんなものか気になっていたけれど、当然乗せてはもらえなかった。彼らが乗るのはもっと大きな船だろうけれど、ここでも雰囲気は味わえる。初めてだらけの船上で、シルヴィアは上機嫌だった。出港したらすぐに、と思っていた、邸への連絡を忘れる程度には。
甲板から船内に戻り、飲み物を買って椅子にかけると、俄かに乗組員達が騒がしくなる。何事かと周りを見回していると、甲板から誰かの叫び声が聞こえる。それが「海賊」と言っていることが理解できた瞬間、船は大きな衝撃とともに激しく揺れた。
★
捕らえた海賊が帝国民を監禁していた。その上、助けた帝国民の中に、貴族と思しき令嬢がいる。部下のその報告を受けて、フリッツ・クロフォード提督は面倒ごとの予感に内心ため息をついた。
やっとこぎつけた帝国との平和条約締結。共和国内にも帝国内にも、それに対する不満分子は存在する。帝国側に関しては、内乱という形でその不満分子の大部分を一掃したが、共和国内はそうではない。
もし、件の令嬢が皇帝に近しい者だったら、逆に不満分子寄りの者だったら。そのどちらでも和平の障害となりうる。海賊による帝国民間旅客船の襲撃と、海賊が共和国領海内に潜伏していたこと全てが、この和平に反対するものの企みだとしたら。その令嬢の取り扱い一つで、もう一度帝国と全面的な戦争が起こりかねない。
海賊船にとらわれていた他の民間人と同じように、ある程度の自由を与えた上での準民間人捕虜という扱いでは問題が起こる可能性がある。現時点で既に別室に一人隔離している、という部下の報告に頷いて、フリッツはその部屋へ向かった。
一般の船旅から海賊船、そして敵国の軍艦内へ。想像もつかないようなルートでこの部屋に軟禁されている少女は、その経緯から推測される状態とは相反して落ち着いた様子で室内のソファーに腰をかけていた。
シルヴィアを一目見たフリッツは、「まずいな」と内心眉をひそめた。帝国貴族が皆優れた容貌と言うわけではないが、シルヴィアのそれは群を抜いて美しく、そして特異だった。艦内の人工灯にさえきらめく銀髪に、ルビーの瞳。整った容貌は数年後の美貌を確信させる。髪の先からつま先まで手入れが行き届いていることを隠しきれない、座っているだけの佇まいが、既に平民のそれではなかった。
なにより、フリッツを内心動揺させたのは、その令嬢の容姿が美貌の若き皇帝を思い起こさせたからだ。なにもその関連を示すものはないにも関わらずそう思ったのは、髪の色が皇帝の金髪と対に連想されるからだろうか。
フリッツが、数多の考えを巡らせた一瞬の間に、フリッツの入室を認識したシルヴィアがおっとりとした動作で立ち上がり、少し頭を下げて礼をする。
シルヴィアが立ち上がって頭を下げるまでの間、一瞬片足を後ろに引きかけたのに、フリッツは気がついていた。
「こんにちは、お嬢さん。今回は大変でしたね。私はフリッツ・クロフォード、共和国海軍大将でこの場での責任者でもあります。今回のことで、お嬢さんに少々お伺いしたいことがあります」
「クロフォード閣下。この度は、海賊からお助けいただいてありがとうございます。私はアンジェリーナと申します。お答えできることには、全てお答えします」
「では、ミス・アンジェリーナ。単刀直入にお伺いします。貴方は帝国貴族ですか」
「……いいえ」
答えるまでの一瞬の間を、室内の全員が観察している。
「何らかの密命を帯びて、ここにいらっしゃる?」
「いいえ。そんなことは、決して。帝国と、貴国の平和条約締結を、心より祈っております」
受け答えの仕方を、できるだけ平民に寄せようとしているのは感じられるが、残念ながらその努力は実を結んでいない。それに、内容がもはや平民の少女のものではない。今、何が問題になっているのかを的確に把握していて、その上で、フリッツが和平妨害派ではないことを見て取って答えている。
「分かりました。貴女の処遇については少し配慮が必要です。海賊船に捕らわれていたほかの人々とは、少し違った取り扱いになりますが、ご了承いただけますね」
「はい」
素直に頷いたシルヴィアを確認すると、フリッツは部屋を出るため踵を返す。それを、少女の声が追いかける。
「処遇について、どのようなものでも不満はございません。ですが、先ほどの受け答えに嘘はありません。私個人に対する配慮はなんら不要です」
それには答えず、フリッツは部屋を後にした。
アンジェリーナが貴族であることは間違いない。本人はそれを否定して、それについて深く追求することなく、互いの間で暗黙の了解として取り扱うことが、現状では最も適切だったはずだ。
それを、あえて「嘘ではない」と念を押す理由は一体なんだ。少女が見た目どおりの年齢であるなら、ただ、自分の嘘を肯定してほしくて、なんて理由も考えられるが、先ほどの問答からしてそうは思えない。
考えこんでいると、部下から控えめに声がかかる。
「閣下。あの少女、どのように取り扱いますか。さし当たっては、本日の宿泊先ですが」
保護した他の民間人は軍とパイプのある民間の宿泊施設にまとめて収容することが決まっている。アンジェリーナについては、監視と護衛の両面から滞在場所を検討する必要がある。軍施設内に留めおきたいところではあるが、和平反対派は軍部内にも少なくない。彼らからすれば、言葉は悪いが、(おそらく)帝国貴族の令嬢であるアンジェリーナには多様な使い道があるのだ。
散々悩んだ挙句、フリッツは結論を口にした。
「うちで面倒を見る」
返答を聞いた部下はその回答を待っていた、とでも言いたげな表情を浮かべたあと、姿勢を正して返事をし、手続きのために部屋を出た。
早めに仕事を切り上げるつもりが、保護した帝国民の処遇についての各所への伝達や手続きに時間を取られ、フリッツが帰り支度を出来たのは日付が変わる直前だった。部屋へアンジェリーナを迎えに行くと、最後にフリッツが見たときの体勢のままおとなしく待っていたらしい彼女と目が合う。
「遅くまでお疲れ様です。私達のせい、ですよね。申し訳ありません」
こんな時間まで待たされていた不満を言うでもなくフリッツをねぎらうアンジェリーナに、自宅で待つ義理の息子と似たものを感じる。どうも、自分は年下に気遣われすぎる気がする、とフリッツは苦笑しながら、アンジェリーナに遅くなった詫びを告げた。
フリッツはアンジェリーナを連れて帰宅するが、連絡を入れ損ねたせいで、出迎えた義理の息子を驚かせてしまう。
「フリッツ様、その方は」
「すまない、アッシュ。客人だ。暫くうちに泊まってもらうことになる。アンジェリーナだ。アンジェリーナ、息子のアッシュだ」
「アンジェリーナ・ディ・アズーロと申します。どうぞ、アンジェとお呼びください。急なことで大変申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。アッシュ様」
フリッツの息子、と聞いていたが、アッシュとフリッツの年の差は10と少しくらいにしか見えない。おまけに「フリッツ様」という呼びかけはどういうことだろう。クロフォード家は色々と訳ありなのだな、と思いつつ、自分のほうが余程訳ありの状態であるし、今後ともそこに触れることはしないでおこう、とシルヴィアは心に留めた。