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そんなユウが『枝』になってから、一ヶ月ほどの日数が経過した。
この地では、時間が静かに、穏やかに過ぎていた。
日中、頭上から降り注ぐ太陽の光は白く。
その光を枝から生える葉で遮り、黒い影の模様を草の生える地表に映す。
ランダム性のある影の模様は、まるで万華鏡のようにきらめき。
見ていて飽きがこなかった。
しかし、そう思うのは彼だけのようで。マコトがつまらなそうに呟く。
「飛行機でもいいから、飛んでこないかねえ」
そういえば。枝になってから、飛行機を見ていない。
空を見上げて見つけるのは、様々な種類の鳥だけで。
人工物が飛んでいるところは見たことがない。
だが、この場所から動けない彼らは。
たとえ飛行機が飛んでいたとしても。枝である以上、一生見られない可能性が高かった。
「風船とか、飛んできたらいいのになあ」
リョウタも、空を見上げてぼやく。
すると、ハセガワが思い出したように言った。
「何年も前に、風船が大量に飛んでいるのは見たぞ」
「マジ!? いいなあ」
「その時、どこかでトランペットの音も聞こえたな……何かのイベントがあったんだろう」
ハセガワの話によると。
風船には様々な色があり、風に乗って飛んできたと言う。
その内のいくつかは途中で割れ、この雑木林に落ちてきたらしい。
「その風船のせいで、最終的に折れた枝も何本かあったらしいな」
「ひぇー……やっぱ風船、なくていいや。日光最高」
折れる恐怖に怯えるリョウタ。
ユウはまた、空を見上げた。
雑木林の木漏れ日、木陰、梢のさざめき。
この景色を、ユウはどこかで見た覚えがあった。
しかし、覚えのあるその景色は、今よりずっと暗い色をしていた。
「……ずっと昔も、森の中にいた気がする」
ユウが小さく言葉を口にすると、マコトが言った。
「それ、前々世じゃないか?」
「前々世?」
「人になる前のお前も、森の中にいたんじゃないのか?」
言われてみれば。この場所に来た時は驚いた、けれど……。
ユウは、まだ一ヶ月しか経っていないはずなのに、この環境に馴染んでいる自分がいることに気付いた。
ハセガワも納得するように「なるほど」と言ってから、話しだす。
「人によっては、前世だけではなく、もっと前の人生を思い出すこともあるらしいぞ」
「まさか……前世人、前々世枝の、今世枝!?」
驚き、大きな声を出すリョウタは、自分の発言がツボに入ったらしい。
リョウタは数秒、笑うのを堪えていたが。
結局吹き出すように笑いだして、周囲の冷めた視線を浴びているのだった。
「前々世も枝、か……」
小さく呟き、ユウは自分の姿を見る。
どこからどう見ても、ただの枝。
葉はまだ一枚もないけれど、もう若芽がいくつかついていた。
そんな自分の姿に、不思議と違和感を持たないのは、前々世の影響なのか。
「だからどうしたって感じだけどな」
マコトに言われて、ユウも苦笑で返す。
「前世がどうだろうと。結局、今は枝なんですよね」
「そうそう。もしかしたら俺たちの前世も、何代か遡れば枝だったかもしれないし」
マコトの言葉に、リョウタは再び吹き出し。ハセガワから笑いすぎだとたしなめられた。
ユウが枝になって二ヶ月が経った頃。
木漏れ日の模様と鳥のさえずり以外、代わり映えのないこの森に。
一人の少女がやってきた。
青い瞳に金色の短い髪を持つ、活発そうな少女は。
木の近くまでくると、土や草の汚れなんて気にしない様子で地面に座った。
「珍しいですね、子供?」
「ああ、たまにくる子だな。いつもこの辺りまで来て、愚痴っている」
「愚痴?」
マコトの説明にユウが疑問符を浮かべていると。少女は空を見上げてから、叫んだ。
「師匠の、バカー!」
それから近くの樹木を、拳で殴りつけた。
「何が、まだまだじゃ、なのよー! アタシの、苦労を! バカにしやがってー!」
「おわっ! 今日は俺の木!?」
母体の木が殴られる度に、リョウタが枝先を揺らす。
「やや、やめろって! 聞こえないだろうけどやめろ! この、暴力女ー!」
揺れる度にリョウタが、枝にしか聞こえない声で叫ぶ。
その声を聞いた他の枝たちは、リョウタが珍しく焦っている様子を見て笑っていた。
「痛みはないんだ、許してやれ」
「そうだけど! そうなんですけどお! 理不尽だー!」
ハセガワの言葉に、リョウタが叫びながら答える。
リョウタの悲鳴が、殴打される度に揺れて、妙な声質に変わり。
その変わりようがおかしくて、ユウも思わず吹き出していた。
聞けばこの少女は、昔からよく一人で雑木林にやってくるらしく。
何か嫌なこと、不満なことがあれば。
林の中で愚痴を叫び、発散させて帰って行くらしい。
「ストレス発散で木を殴るなんて……まったく、迷惑な話だぜ」
殴り疲れたのか。
肩で息をしながら座り込む少女を見下ろして、リョウタがあきれたようにため息を吐く。
多くの枝が彼女の顔を知っているようで。
誰もが、大声で誰かの愚痴を叫び続ける少女を眺め。
そのやかましさをうっとうしく思っているのだった。
他の枝と同じように少女を見下ろすユウは、疑問を口にする。
「やけに力の強そうな子ですね……普通じゃないですよ、あの怪力」
少女は怒りの表情を滲ませたまま、近くの樹木を蹴り続けている。
少女の蹴りは素早く、凄まじい威力を持っているようで。
蹴りつけられた木が大きく振動し、数枚の葉を落としている様子が見て取れる。
成人の男性でも、こんなにも力強い蹴りはなかなか出せないだろう。
「『道場』に通ってるらしいぜ」
「道場?」
マコトが言うには、少女は格闘道場に通っており。
学校に通っているはずの時間帯は日々、師匠と呼ぶ男と共に『特訓』をしているらしい。
ちなみに年齢は、今年で十二歳なんだとか。
「異様な馬鹿力だよなあ……師匠って奴は見たことないけど、きっとムキムキだぜ?」
リョウタはそう言い小さく笑ったが。
母体の木が殴られた後は疲れてしまうのか、口数が少ないままだった。
「ハセガワさんから見ても、あれは異様だと思いますか?」
ユウが尋ねると、太い枝のハセガワは「ああ」と短く答えてから、続けた。
「俺のいたところにも、あんな子供はいなかったな。成人なら殴り合ったこともあったが」
「うわあ……ハセガワさんって、武闘派だったんですね」
「……まあ、機械いじりは苦手だし。他に長所が無かったからな」
ハセガワの話に、マコトとユウは畏怖の眼差しを向けるが。
ハセガワ自身は「誰にだって、長所はあるだろう」と真面目な口ぶりで返すのみだった。
それからしばらくして、少女はひとしきりストレスを発散し終えたのか。
満足げな笑顔を浮かべて、雑木林から去っていく。
突然やってきて、去っていった彼女の後ろ姿が見えなくなった頃。
ユウはふと、呟いた。
「いいなあ」
「ん? 何が」
呟きを聞きつけたマコトの疑問に、ユウは答える。
「自分の足で、こんなところまで来られるのが、羨ましいなあって」
少女を羨むユウに、マコトは苦笑気味に言った。
「しょうがないだろ、無理なものは無理なんだから。諦めろ」