茂木安左衛門記是参
家康
永禄7年4月。曳馬城の飯尾連竜は、今川家の包囲をかいくぐり遠江を脱出して三河へ向かい、徳川家康と面会した。今川の兵が曳馬城を包囲して、一年近く経つ。城内の兵糧も心もとない。連竜は家康に窮状を告げて援助を求めた。
「捨ておくわけにも参りませぬな。」
徳川家の臣酒井忠次が話していた。相手は家康であった。家康はまだ己れには今川家と決戦をする力はないと思っていた。相手は腐っても鯛なのである。ならばと言って、曳馬城の窮状を見捨てると遠江の豪族の心は徳川家から離れて行くであろう。家康は形だけでも曳馬城の援軍に向かうことにした。期せずして家康は今切口西岸の今川領に乱入、そのまま家康は今切口は渡らず、その西側に陣を取った。隙あらば今切口を渡り曳馬城へ兵糧を運び入れようとする構えであり、退こうと思えばいつでも三河に帰れる布陣でもあった。
「家康が出た。」
その言葉を聞いたとき、氏真は不思議な感覚を覚えた。夜道であのフウロとかいう物の怪に出会って以来、氏真は見る物、聞く物すべてのことが霧がかかった靄の中で幻想を見ているような感じに囚われていた。「家康」という言葉を聞いたとき、なぜかその靄が晴れたような感じに襲われた。
「曳馬へ向かうぞ。」
氏真はすぐに家臣に下知して、曳馬へ向かった。以前と同じく、駿府を発して4日後には曳馬へ着いた。家康は対岸に着陣しているという。曳馬城は今川の兵が囲んでいる。
「今切口の押さえは朝比奈に任せる。」
家康渡海の動きがあれば、対岸の今川兵から狼煙が上がる。氏真は、家臣の三浦右衛門佐を率いて、朝比奈の陣を視察に行った。
「(これが浜名の海か。)」
漁村の眼前に海が広がっている。その先に岸が見える。山々は春の緑に連なっている。
「(家康は見えないか。)」
見えるはずもなかった。家康に会えば、この頭の靄が晴れるかもしれないという期待であった。
「(頭が痛む。)」
氏真は頭を押さえながら、海を眺めていた。
その夜、曳馬城の兵に動きがあった。城内から一挙に西へ抜けて今切口を制圧し、その間に家康を招き入れようとする魂胆であった。
「町に火をつけよ。」
灯りが欲しかった。今川の軍勢は町に火を放った。その火は夜半の灯りとなり、飯尾の軍勢を足止めする炎にもなった。作戦は失敗し、生き残った飯尾の兵は城へ戻って行った。町の炎はまだ燃えていた。その炎を曳馬城東の本陣から眺めながら、氏真はこの光景を写す歌を詠んでいた。
今川の曳馬城包囲はこの年の10月まで続いた。対岸の家康の軍勢にも動きは見られず、戦況は膠着状態となっていた。曳馬城の飯尾連竜は氏真に講和を持ちかけた。
「よかろう。」
重臣の中には反対する者もいたが、氏真は連竜のその話を飲むことにした。今川の軍勢は駿府へ引き上げて行った。12月。飯尾連竜が曳馬から駿府の氏真のもとへ参上した。氏真が呼びよせたことである。
「殺せ。」
氏真は三浦右衛門佐に命じた。永禄7年12月。飯尾連竜は駿府でその生涯を終えた。
「(これでどちらにも面目は成った。)」
連竜が講和を持ちかけたとき、それを受け入れる者と反対する者がいた。
「(それならばその両方だ。)」
氏真の腹は最初から決まっていた。その後、城主を謀殺された連竜の家臣たち残党は、曳馬城に残って今川に抵抗し、やがて、家康に降伏することになる。
晴信
甲斐国では、武田信虎の子の武田晴信が国を治めていた。
「親父殿からの書状である。」
弟の武田信廉がそれを読んだ。
「親父殿は今、京の足利将軍に伺候しているそうな。」
「書状には、『天下ハ騒乱ト成リテ、下剋上罷リ成リ候、世ノ中ニ候。』とありまするが。」
天下騒乱、下剋上とは永禄7年5月に、将軍足利義輝が暗殺されたことを言っているのであろう。
「『駿河国主ハ暗愚ナリ。』と書かれていますが。」
「分かりきったことを知らせる。」
この頃、晴信は長男義信と対立していた。義信の妻は今川義元の娘であった。晴信は早くから駿河進出を考えていたが義信がそれに反対していた。妻の実家を攻めることになるからである。晴信は次期当主である義信の意見を捨てておくこともできなかった。
「(情けは味方、仇は敵か。)」
翌年、晴信は長男義信を幽閉した。謀叛の企てありということであった。これにより家臣の多くも処断された。晴信は義信に代わり、四男の勝頼に織田信長の娘を娶らせた。織田と武田の同盟である。晴信は駿河侵攻の準備を着々と進めつつあった。
その頃、駿河の氏真は書物に読み耽っていた。屋敷で和漢の典籍を読み漁って、政務は専ら三浦右衛門佐に任せていた。
「(物語を読んでいるときだけが世の中を忘れられる。)」
氏真の頭の中の靄は相変わらず晴れることはなく、頭痛もひどくなっていた。書物の世界に入っているときは、その両方が若干和らぐようであった。
「(おや…。)」
ある書物を読んでいたとき、氏真の手が止まった。明国の『剪灯録』という書物である。瞿佑という人が書いた怪異小説であるが、その中に「風露」という記述があった。
「(フウロ…。)」
義真が夜道で出会った妖怪であった。
「(風露は凶兆なり…。)」
『剪灯録』にはこう書いてあった。
「『風露』は蒟蒻のような体をしている。その色は濃い緑色である。彼は人には憑かないが、道行く人の心に語りかける。風露に会った貴人の多くは没落していった。唐の王たちはこれを凶兆の験であるとした。」
「(没落する貴人の前に現れるか。)」
記述を見る限り、義真が夜道で出会った『フウロ』は『風露』であろう。
「(風の前の露と同じか…。)」
風前の灯火ということだろうか。
「客人がお見えにございます。」
茂木安左衛門であった。氏真は臨済寺から茂木を呼び寄せて家人にしていた。
「典籍をお持ちいたした。」
屋敷に上がってきた客人。それは齢は50近くになるであろうか。顎に髭を垂らした老人風の男である。
「わざわざ御足労痛み入りまする。」
一宮随波斎と呼ばれていた。義元が生きていれば、彼と同じ年頃であっただろうか。随波斎は弓馬礼法家小笠原家の一族で将軍足利義輝に仕えていた。義輝が暗殺されてからは京都を離れて、氏真のもとに寄宿している。京都を離れるときに、家書である和漢の典籍も一緒に駿府まで運んできており、氏真はそれを借りて読ませてもらっていた。氏真はこの白髪混じりの男に父や師雪斎の面影を見ていたのかもしれない。随波斎は兵法にも通じていた。
「そういえば都におったとき、武田信虎という男に会いましてな。」
随波斎は座敷にどかっと座わった。
「(信虎。)」
氏真の表情に陰りが見えたが、随波斎は意に関せず、続きを話し始めた。
「彼は甲斐の元国主であったらしいが、この駿府にいたことがあるらしいの。」
「彼は今川家に寄宿しておりましたればな。」
「今川家のことをよくは思っておらなそうだったの。」
それはそうだろう。こちらが彼を追放したのだから。しかし、彼もそれなりのことをしたのである。氏真は思ったが口には出さず黙って話しを聞いていた。
「何やらよく国元に書状を送っていたそうな。」
「おおかた、この駿河を手中に治めようとの魂胆でしょう。」
氏真は読書に戻った。
「お気をつけなされ。」
そう言うと随波斎は持っていた書物を置いて帰って行った。
「(武田信虎。)」
かつて、氏真が嫌悪を抱いた人物である。彼がする話は猜疑と狡知に満ちたものであった。若き氏真はそんな話をつまらないものとして打ち遣っていた。それは今も変わらない。しかし、若き日よりも今は、その信虎の心根がよく分かるような気さえした。
嶺松院
永禄10年10月。甲斐国で武田義信は自刃して果てた。享年30歳。義信の父武田晴信は、今川義元の娘であり、義信の妻であった嶺松院を駿河へと送り返した。
「(13年ぶりか。)」
今川屋敷へ入る行列を眺めながら氏真は思う。天文23年に同じ場所で、甲斐国へ行く妹の輿入れ行列を見ながら氏真は「風そよぐ…。」という歌を詠った。その歌は今も古い帳冊子に書き留められているだろう。
「(これか…。)」
古い帳冊子を取り出して開いてみる。そのときのことを思い出そうとしても氏真は思い出せなかった。いや、その出来事は覚えている。しかし、そのときの氏真自身を思い出そうとしてもどうしても思い出せない。もはや自分とは違う一個の他人がその歌を書いていたようである。
「(何が起こったのだろうか。)」
最近、氏真は自分が自分自身ではないような感覚に陥る。思えばそれは、永禄6年に初めて戦場に立ったときからのようにも思えるし、もっとずっと前、桶狭間で父が戦死し、今川家の当主に就いたときからのようにも思われる。それ以来、氏真の意識と自我は外へ外へと出て行き、自分自身から離れていくようでもあった。
「(この感覚は何なのだろうか。)」
屋敷の外を歩いた。今後、妹は尼となり、亡き夫の菩提を弔う。氏真は寿桂尼の屋敷の前に来た。屋敷は空き屋敷となっている。寿桂尼は屋敷を去り、今は寺で生活している。妹の嶺松院も同じ寺に行くことになる。今はもう京都から来ていた公卿たちの姿も見かけない。駿河の不安な情勢を聞いて来る者はいなかった。氏真は一人、屋敷の縁側に座わり庭を眺めている。そこには屋敷の者と一緒に蹴鞠を楽しむ氏真の姿があった。
「(あの頃の俺は何を考えていたのだろうか。)」
しばらく考えていたが、分からなかった。
「お帰りなさいませ。」
屋敷へ戻ると早川殿が迎えた。
「(この者が来てからも13年経つということか。)」
これもいつからなのだろうか。氏真は早川殿のことを変わってしまったと思っていた。態度や仕草が変わったのではなかった。氏真の中で早川殿という存在が別の何かになったように感じていた。氏真にはそれが何なのか分からない。愛情を感じていないわけではなかった。しかし、何か得体のしれない別個の存在。そんな感じが拭えない。それは自分という存在が自分自身から離れて別の何かになっていく。それに似ていたのかもしれない。
「(其方は国へ戻らぬのか。)」
早川殿といるとき氏真は自分でも思っていないような言葉が自然と頭に浮かぶことがあった。しかし、それは決して口に出すことはなかった。それを口にすれば、妻が悲しむことが分かっていたからである。妻の前で氏真は無口になった。早川殿も無理には話かけない。以前では、夫はよく和歌や古典の話をしてくれたが、最近ではそういうこともなかった。氏真は話をしなかったのではなく、話をすることができなかった。それを早川殿がどう思っていたのかは分からない。何が夫を変えたのかも分からない。ただ、早川殿は氏真の身を心配していた。それは氏真に対しての愛情以外の何ものでもなかった。
夜半、氏真は変わらず太刀を振った。安左衛門はいない。こうして太刀を振ることが何の役に立つのかも分からない。すべては分からないことだらけであった。しかし、氏真は太刀を振った。その姿は氏真ではなく義真であった。「今川義真」。彼自身が創った存在。それは東海に覇を称えた今川義元の子に相応しく、家中をまとめあげていく存在。文武に優れた武士。戦場で頼りとされる存在。その存在を氏真は今川家当主の座に就いたときから自分自身の中に持っていた。そうあらんと、そうでなければならないとした。しかし、実際の「今川氏真」は家中をまとめることはできず、家臣からの不信も買っている。信じられる者はおらず、疑心に満ち、自分自身も信じることはできず、彼は孤立した。かつて栄華を極めた今川家の没落は「今川氏真」という存在自身を否定した。周りの者に嫌われ、裏切られたくないという恐怖と自身の未来への恐怖は、「今川義真」という存在を肥大化させて表に現れると、それは外へ外へと向かって行き「今川氏真」という存在を崩壊させていった。「今川氏真」という存在は靄に隠れていく。それが今の彼であった。
「(今川氏真…。)」
そう思い義真は太刀で空を切った。
薩埵峠
永禄11年12月。甲斐の武田晴信は軍勢を率いて駿河国に侵入した。同じ頃、三河の徳川家康も遠江国に侵入していた。
「(武田晴信。)」
武田軍は富士川の東に布陣している。今川の軍勢は、その数1万数千余り。先陣は鹿原安房守や朝比奈駿河守に従って、駿府の東の薩埵峠に布陣していた。薩埵峠は駿府と由比の間に位置する急傾斜の断崖で天然の要害であった。今川軍はこの峠で武田軍を迎え討つ手はずだった。
義真の本陣は興津の清見寺にあった。清見寺はかつて、雪斎が住持を勤めたこともある。
「(武田晴信。)」
義真は見たこともない相手の大将の名を呼んでいた。戦場で義真の頭の中には怒りと憤懣が駆け巡っていた。義真の頭は自分自身に迫り来る未来の恐怖から逃れようと先へ先へと物事を捉えていく。それは更なる恐怖を生む。追いやられる自分、死に行く自分の姿を想像させる。峠の東側の由比付近で戦いが始まった。
「今川家はもう終わりよ。」
薩埵峠を守っていた主将の一人朝比奈駿河守は峠から戦闘の幕開けを見ながら、大きなひとりごとを言った。朝比奈氏には遠江国と駿河国のふたつの系統があり、遠江の朝比奈は朝比奈泰朝。駿河の朝比奈は朝比奈駿河守。のちの朝比奈信置である。
「陣をまとめよ。引き揚げるぞ。」
朝比奈駿河守は既に武田家に寝返っていた。朝比奈駿河守が戦いに参加することはなかった。その他にも既に富士川周辺の城将の多くが武田家に寝返っていた。その数は21人とも言われる。勝敗は始まる前から決していた。
「駿河守殿ら多くの者が武田に寝返ったようにございまする。」
そう伝令が伝えた。
「(駿河守め…。)」
義真が気がついたときには遅かった。寝返った今川の将兵たちから興津や駿府へ抜ける山間道の存在を知ると、晴信は武田の将兵を走らせた。薩埵峠を無視して、直接、義真の本陣へ武田の兵士たちが押し寄せた。
「早くお逃げ下され。」
本陣の兵が武田軍を防ぐ中、義真は近習の者に引き連れられながら、命からがら駿府へと落ち延びて行った。
「(どういうことだ…。)」
その乱戦の中で、ただ一人状況を理解できない者がいた。義真自身であった。
「(何故こうなったのだ…。)」
馬の手綱を引かれながら思いを巡らせる。
「(何故、彼らは裏切ったのだ…。)」
朝比奈駿河守ら家臣の多くの心は既に義真から離れていた。彼らからすれば、裏切ったのは今川家であった。自分たちの所領や利益を保証してくれない相手とはともに歩むことはできない。それは道理であった。武田家は彼らの所領や利益を保証してくれた。
「(何故、彼らは今川家に尽くさない…。)」
彼ら臣下は主家のための物であり、それが家臣という機能である。義真の心はそう認識していた。それは暗に、義真自身に対する呪いでもあった。今川家に尽くさないといけないという呪い。しかし、氏真も家臣たちも一人の存在であった。
この小説はフィクションです。