勾玉を持つ娘
ナナイロは、昼間なのに眠らなかった。
ずいぶん上機嫌で笛のような音を出している。
歌っているのかな?
イワナの兄ちゃんはと言うと、南に下る流れを選んで、川が合流すると、川を登り分水嶺を南に下るのを繰り返し、大きな流れには下りなかった。
そして、ぼくは、今日の夜明け前に、北の国に到着した時の崖に戻った。
イワナの兄ちゃんもクマの道を避けながら崖の下まで来た。僅かに青く光っている。
海色の勾玉の光だ。
「イワナの兄ちゃん、海色。」
「あの者は、そなたを救い、そなたのために海色の勾玉を神剣から外し、
手柄を自分のものとせず、そなたが海色の勾玉を水から引き上げるように計らった。
我は、あの者に褒美として海色の勾玉の力を授けた。
あの者に見合った力だ。
あの者は、多くの生きる物から信頼され、知恵の翁となり、主となるであろう。」
ナナイロが、威厳のある声で、しかも優しさのこもった話し方で言った。
ぼくが、溺れて気を失った時に、イワナの兄ちゃん、頑張ってくれていたんだね。
イワナの兄ちゃん、どんなに大変だったか、考えると体が熱くなってきた。
「ありがとう!イワナの兄ちゃん。」
「オイオイ!ドジガラス!また目ぇデカくして固まってるのかよ!グズグズしてると日が暮れちまうぜ!」
「あっ!はい! しゅっ出発します!」
ぼくは、イワナの兄ちゃんに促されて飛び立った。
空は、「もう重くて持っていられない!」と言うかのように、たくさんの雪を放り出した。
綿みたいな大きな雪が、灰色の海にフワフワと舞い降りて行く。
雪で前はほとんど見えないが、黄金色に輝くナナイロを見ながら飛んだ。
薄羽陽炎なんて呼んで叱られたっけ。
あれは2個前の夜だったかな?
もう何年もずっとナナイロと一緒にいるような気がする。
ぼくは、色んな事を思い出しながら、一生懸命飛んだ。
そろそろ力が尽きてきたが、昨日の晩の船はいない様子。
ナナイロが、魚を獲る船を見つけてくれた。
ぼくは、失敗しないよう後ろの船縁にそっと下りた。
昨日の船よりずいぶん小さい。雪で前は見にくいが、それでも船の先が見えた。
船底を見ると大きな魚が横たわっていた。
他にも小さな魚が、たくさん跳ねている。
ぼくは、船底にピョンと下りて小さな魚を頬張った。
すると、突然、上から怒鳴り声がしたその瞬間、何かが振り下ろされる!
ぼくは、それをかわして飛び立った。
ビックリしたー!
ぼくは、頬張った魚を飲み込んだ。
そして、また自分を奮い立たせながら南に向かった。
やっとの思いで岬に着いた時には、雪のせいなのか、もう暗くなり始めている。
でも、もう少し進まないと。ぼくは、なぜか焦りを感じていた。
イワナの兄ちゃんは、山に入らず、海を回って南に下ると言う。
ぼくも、海岸沿いに飛んでみよう。
「ナナイロさん、勾玉を持った娘の所に行きたいです。
それは、ぼくが住んでいた安曇野から見える繋がった山ですか?」
「そうよ。安曇野とは反対側だけどね。
七夜が考えるように海岸沿いに進むのがいいわね。」
ぼくが飛び立つと、ナナイロは、黄金の勾玉から出て先を行った。
何度か羽を休めて進むうちに雪は小さくなり、雲は北の隅に固まって、向こうには青空が広がっている。
まだ夕方じゃなかった。
遠くに懐かしい山たちが見える。繋がった山、繋がり山だ。
ぼくは、待っているイワナの兄ちゃんに合図を送る。
イワナの兄ちゃんは、「良しきた!」とばかりに高くジャンプしてから、川を登り始める。
かっこいいよなー、イワナの兄ちゃん。
ぼくも山に向かって旋回した。
太陽が、空と雲の境界線を金色に描きながら西に傾いていく。
ナナイロは、繋がり山を越える手前で止まった。
降りてみると、細い道がある。道に沿って家も何件かある。
家々の前に、いろんな動物の彫り物が置かれている。
不思議な空気を感じる。
視線を感じてそちらを見ると、肩に届く揃えた髪、前髪も目の上で真っ直ぐに切り揃えた女の子が、珍しい着物を着て立っていた。
「こ、こんにちわー。」ぼくは、慌てて挨拶をした。
女の子は何も言わずに、何件か先の大きな家の中に走って行ってしまった。
ビックリさせちゃったかな?
それにしても、見た事のない佇まい。彫り物の他にも、何か書いてある布がヒラヒラ風に揺れている。
しかも、あの女の子が着ていた着物。あれは、若い女の子たちが神社にお参りする時に着る派手なのと違う。
短くて、寒いのに足が少し出ていた。着物の後ろは蝶々に結んで、走ると蝶々の先が跳ねていた。
ぼくが、考えていると、さっきの女の子が来て「こちらへ。」と言った。
キョロキョロしながら付いて行くと、女の子が走り去った大きな家の前に来た。
入り口の横に獅の形に掘られた真っ白い大きな石。
穏やかそうな優しい目。いろんな神社にある怖い顔の置物とは全然違う。
生きているみたいだ。
ぼくは、白い獅に釘付けになった。すると白い獅が少し青みを帯びて光ってきたような気がした。
「あなたの海色の勾玉です。」
ぼくは、自分の口から出た言葉に驚いた。
白い獅が、満足気な顔をしたように見える。
ここがあの娘の住んだ家なんだ! 他の全ての勾玉を持つ娘。
白い獅を見つめたまま固まっているぼくに、「ご苦労であった。入るが良い。」と、誰かが声を掛けた。
聞き覚えのある声だ。
目の前に、白くて後ろまで引きずる長い着物の若い女の人が立っていた。
えーっ!入っていいの?ぼく、人の家に入った事ないし。どうしよう。
「ナナイロさん、ナナイロさん、どうしたらいいの?ナナイロさん。」
心の中でナナイロを呼んだ。
「我はナナイロ。選ばれし者が使命を果たすための知恵となり力となる勾玉の精。
それぞれの勾玉の力によって変幻する勾玉の精だ。」
目の前の女の人がナナイロの厳かな声で言った。
ぼくは、ヘナヘナとそこに崩れ、足の力も羽の力もなくなってしまった。
ただただ涙が出て、なんだか分からなくなった。
「これ!しっかり立つのだ。そなたには、まだ、せねばならぬ事が残っているのではないか?」
そうだ!でも、力が出ない。その娘が、ナナイロ。その娘は、ナナイロ。
ぼくは、なぜ泣いているのだろう。嬉しいのではない。悲しいのでもない。
行かなくては!その娘、ナナイロが持つ勾玉を持って。選ばれし者の所へ。
ナナイロ!ナナイロ!ナナイロ!ぼくは頭の中でナナイロを呼び続けた。
チャポン と水の音がした。
白い獅の足元に流れる清水から顔を出したイワナの兄ちゃん。
「なんだ!そんな所に寝転がってよ!まだ夜までには一仕事できるぜ!」
「い、イタタタ!ここ転んじゃって、足を捻ったみたいでさ。」ぼくは、ごまかそうとした。
起き上がって、片足を痛そうに上げて立った。
「おほほほ、駄々子のよう。」着物の袖で口を隠して笑う娘。 ナナイロ。
ぼくは、上目使いでちょっと娘、ナナイロを睨んだ。
「イワナの君もご一緒にこちらへ。」
娘、ナナイロがそう言うと、二人の女の子が水瓶を持ってきて、白い獅の足元に置いた。
「仰せの通りに!」イワナの兄ちゃんは、恭しく言ったと思ったら、すぐに置かれた水瓶に飛び込んだ。
娘、ナナイロは、くるっと後ろ向きになると奥の方へ歩き出した。
二人の女の子が、イワナの兄ちゃんが入っている水瓶を持って、娘、ナナイロに続く。
ぼくは、仕方なくその後について行った。
娘、ナナイロの長い着物から衣擦れのサラサラした音が聞こえる。
腰まである長い髪を白い布で束ねているだけで他には何も飾りを付けていなかった。
白い着物の上に掛かった薄い衣が虹色に輝いている。夕焼けが反射しているのかな。
廊下の左側は部屋が仕切られていて、各部屋の女の子たちが、ぼくたちの通るのを、覗き込んで見ていた。
みんな、最初に見た女の子と同じに髪を切り揃え、短めの着物を着ている。
廊下の右側は断崖絶壁で、まるで家が宙に浮いているみたいだ。
廊下の角を何回か曲がると一番奥の突き当たりに開かれた大きな部屋があっていい香りがしている。
この香りは、ぼくの好きなヒバの香り。
娘、ナナイロは、その大きな部屋に入って奥にある座の前に跪いた。
そして、深く一礼すると立ち上がって、ぼくたちの方を向いた。
「改めて申す。海色の勾玉を探し当て、ここまで携えて来た事。誠にご苦労であった。 しばし休むが良い。 明日、夜が明ける前に選ばれし者に会う。
そして、七夜。そなたが、最後の大事を行のう。分かっておるな。 何をどう行のうかは勾玉が導く。我が共に行く。案ずる事はない。七夜は必ず成し遂げるであろう。」
娘、ナナイロが、厳かに言った。
続く