92話―平和な大地の片隅で
「よし、いくぞアゼル。ほれ、あんよが上手、あんよが上手」
「わっ、わっ、わっ……て、手を放さないでくださいね、リリンお姉ちゃん!」
「大丈夫、ちゃんと握っているから安心しろ、アゼル」
ガルファランの牙との戦いから、三ヶ月。最後の最後で両足が潰れるという大怪我を負ったアゼルは、足の治療をするべく帝国一のリゾート地を訪れていた。
自然溢れる湖畔を望むロッジの庭で、アゼルはリリンやアンジェリカの手を借りてリハビリに励んでいた。三ヶ月間の治療と療養のおかげで、足は順調に快復している。
「そろそろ休憩するか、アゼルよ。頑張り過ぎは身体に毒だからな」
「ふう、ふう……そうですね、ちょっと休憩します……」
「お二人とも、クッキーが焼けましたわ。ティータイムにしましょう」
リリンにお姫様抱っこされたアゼルは、ロッジに戻り椅子に座らせてもらう。アンジェリカ手製のクッキーと紅茶が、アゼルの前に差し出される。
「この三ヶ月で、だいぶ回復してきたな。もう少し頑張れば、また元のように歩けよう」
「そうですわね。ここは空気も綺麗で水も美味しいですし、身体にいいですもの。ここを貸し切りにしてくれた皇帝陛下には感謝してもし足りないですわ」
アゼルの療養のため、皇帝エルフリーデはリゾートがあるラバルタ高原一帯を貸し出してくれたのだ。そのことに、アゼルたちは感謝していた。
「そうですね。エルフリーデさんに何かお礼しないと。……それにしても、平和ですね。何だか、今までのことが夢みたいな……」
「ああ。ガルファランの牙がいなくなるだけで、こうまで穏やかな世になるとは。あとは、闇霊どもが滅びてくれれば万々歳なのだがな」
「ええ。そっちは今、兄さんが当たってくれていますけど……無茶はしないでほしいです」
紅茶をすすりつつ、アゼルとリリンはそんな他愛のない話をする。牙との戦いの後、カイルは闇霊たちを征伐するための旅に出た。
復讐を果たしたディアナもジェリドの元へ戻り、シャスティは崩壊した創命教会を再生させるため、アストレアと共にヴィアカンザに残った。
「カイル、か。奴はいまだに好きになれんな……まあよい。ところで、シャスティめはいつ戻ってくるのだ? もう三ヶ月も経っているというのに」
「この前来た手紙だと、もう少しで帰ってこれると書かれていましたわね。ま、首を長くして待っておきましょう。ね、アゼルさま」
「はい、そうで……あれ? 今、何か光ったような……」
その時だった。青い空の向こうで、何かが煌めいたのだ。流れ星のようにも見えるソレは、次第に数を増やし……七つの光が、地上へと落ちていった。
「おいおい、向こうには確かノルという町があったはずだ。あの光の正体が隕石であれば、とんでもない被害が出るぞ」
「これは様子を見に行った方がいいですね。リリンお姉ちゃん、アンジェリカさん、行きましょう!」
「ええ、分かりましたわ!」
念のためにと、アゼルはボーンバードを呼び出す。リリンたちに手伝ってもらい、骨の鳥の背中に跨がったアゼルは、ラバルタ高原のふもとにあるノルの町へ向かう。
三人を乗せ、光の群れが落ちた場所へ急行するボーンバード。何事もありませんように、と願うアゼルだったが……残念ながら、その願いは叶わなかった。
「な、なんだこれは!? 町が火の海に……」
「酷い匂いですわ……恐らく、住民ごと町が焼かれて……。まさか、あの光のせいですの?」
ノルの町は、惨禍に見舞われていた。町全域が炎に包まれ、濃い死の気配に満ちている。生存者は一人もいないらしく、生き物の気配は全くない。
……七つの光が落下した、一ヶ所を除いて。
「あそこ……町の中央から、強い力を感じます。上手く言葉に出来ないけれど……神々しくて、禍々しい……心がざわつくような、力を」
「全く、牙との戦いが終わったというのに……今度はなんだというのだ。まあよい、急ぎ近付くとしよう。正体を見極めねばならぬからな」
「ええ。もしあの光の正体が闇の眷属だとしたら、大変なことに……」
「その必要はない。我らは闇の底でうごめく汚らわしき者どもとは違うからな」
光の落下地点へ向かうアゼルたちの頭上から、落ち着いた男の声が聞こえてくる。ボーンバードを急停止させ、アゼルは頭上を見上げる。
宙には、フードが付いた純白のローブ身に付けた七人の人物が浮かんでいた。全員がフードを深く被っているため、素顔を窺い知ることは出来ない。
「……まさか、あの光の正体はお前たちなのか?」
「その通り。この町を焼き尽くしたのも、我ら……堕天神による裁きだ」
「堕天、神? あなたたちは、一体何者なのです! 何故ノルの町を破壊したのですか!」
「何者かだと? 聞いていなかったのか? ならばもう一度だけ言ってやろう。私は元審判神カルーゾ。貴様ら不遜なる大地の民に裁きを下すため、堕天せし者なり!」
七人のうち、中央にいた人物がそう叫ぶと、身に付けていたローブを脱ぎ去る。現れたのは、禍々しい装飾が施された灰色の鎧を着たかつての神、カルーゾだった。
「審判神!? そんな、まさか! 審判神と言えば、創世六神の一角とされる存在……それが何故こんな暴挙を!」
「ほう、お前は中々に博識なようだな小娘。我らが堕天した理由はただ一つ。自力で大魔公を退けるという、造物主たる我らの完璧さを損なう事態を、貴様らが引き起こしたからだ」
「大魔公を退ける……? もしかして、炎の聖戦のことか? だとしても、何故神が私たちを敵視する? 何一つとして理解が出来ぬのだが?」
アンジェリカの叫びに、カルーゾは答える。一方、リリンは臆することなく疑問を投げ付ける。あまりにも一方的で、傲慢極まりない言葉に立腹したのだ。
「理解出来ぬと? フン、これだから大地の民は嫌いなのだ。ならば分かりやすく言ってやる。貴様らが我ら神の手を借りず、独力で闇の眷属たちを打ち破った。その事実が気に入らないのだ」
「なんですか、それ。そんなの、ただの八つ当たりじゃないですか。そんな八つ当たりのせいで、町の人たちは!」
「八つ当たり? 違うな。貴様らは見せたのだ。我ら神への反逆の可能性を。闇の眷属をも退けるその力が、我らに牙を剥く可能性がある以上、貴様らは滅ぼさねばならぬ」
「そんなこと、絶対にさせません! 例え神さまが相手であろうと、ぼくは戦うだけです!」
話し合いは平行線。ならば、アゼルたちがするべきことはたった一つ。大地に脅威をもたらす者たちを、一刻も早く排除して平和を取り戻す。
そして、理不尽に殺されたノルの住民たちを生き返らせる。そのために、アゼルは凍骨の大斧を呼び出して構えるが……。
「本当に愚かなものだ。造物主に刃を向けるとは。ならば、その愚行の対価、命で支払ってもらおうか。ゆけ、伴神ベルルゾルクよ。反逆者たちに死の裁きを下せ!」
「かしこましました、カルーゾ様。ふむんっ!」
カルーゾの合図を受け、残る六人のうち一人が動いた。ローブを捨て去ると、両肩から槍のような突起が生えた黒い鎧を身に付けた長髪の男が姿を現す。
「我が名はベルルゾルク。偉大なる審判神カルーゾ様にお仕えする伴神が一人。ワレが司る神能は……『罪罰』なり! さあ、貴様らの罪に相応しき罰を与えてやろう!」
「やれるものならやってみなさい! まずはあなたから倒させてもらいます!」
「面白い。まずは肩慣らしだ。簡単にくたばってくれるなよ? 食らえ! パニッシュメント・スピアー!」
ベルルゾルクは、アゼルたちに向かって右手を伸ばす。すると、手のひらから槍のような突起が伸び、ボーンバードへと襲いかかる。
アゼルはボーンバードを操って攻撃を避け、ベルルゾルクへ接近する。カルーゾを含めた六人は、戦いを静観したまま全く動く気配を見せない。
「そこだっ! 凍骨の大斧を食らいなさい!」
ボーンバードから身を乗り出したアゼルは、ベルルゾルクへ向けて凍骨の大斧を振り下ろす。相手は腕を伸ばしたポーズのまま身動き一つしなかった。
いっそ不気味なほどに……あっさりと、凍骨の大斧はベルルゾルクの身体へと吸い込まれていった。




