84話―再会の黄昏
バルジャットとアゼル率いるエルプトラ軍により、デイルシュルナが一夜にして陥落した。その知らせは、翌朝すぐに命都ヴィアカンザに届けられた。
建国以来、一度たりとて破られることのなかった城壁都市を落とされた衝撃は大きく、教会関係者たちはみなてんやわんやの大騒ぎ状態。情報が錯綜し、混乱をきたしていた。
「……ぬかったか。我が分身を単騎で滅ぼす猛者がいようとはな。少し、相手を見くびっていたようだ」
「ほ、報告によればエルプトラ軍は各町村を無視して真っ直ぐ命都へ向かっているとのことです! ど、どうすれば……」
狼狽える部下を尻目に、ゼルガトーレは思考を巡らせる。しばらくして、彼が導き出した答えは……。
「……そろそろ潮時だな。奴らを呼び出すとするか」
「や、奴らとは?」
「決まっているだろう? 偉大なるガルファランの牙の同志たちだよ」
ゼルガトーレはそう答え、指を鳴らす。すると、創命大神殿が揺れ始めた。しばらくすると揺れが収まり、何事もなかったかのように静けさを取り戻す。
次の瞬間、神殿の各地の床に魔法陣が出現し、その中からガルファランの牙の構成員たちが大量に姿を現した。ゼルガトーレがいる、聖刻の間にも。
「ほ、法王猊下、これは一体!?」
「だから、言っただろう。もう、貴様ら創命教会は用済みだ。例のネクロマンサーどもの仲間に、バリバルの聖女がいる。そいつに皆殺しにされるのが、お前たちの最後の仕事だ。連れていけ」
「な、何をする! お前たち、離せ! 離せと言っているだろう!」
もはや教会は役に立たないと判断したゼルガトーレは、彼らを切り捨てる判断を下した。神官は抵抗しようとするも、数人の牙の構成員に取り押さえられてしまう。
「あばよ。この三百年、楽しかったぜ。教会を掌握して、俺たち牙の隠れ蓑にさせてくれたんだからな。その礼だ、全員纏めて死んでこい」
どこかへ連れていかれる神官を見ながら、ゼルガトーレはそう呟く。そんな彼に、背後から声がかけられた。
「さて。残る駒をどう動かすかな? ゼルガトーレよ」
「! これはこれは、大教祖様。おいででございましたか」
ガルファランの牙を束ねる男、大教祖ガルファラン本人も姿を現したのだ。椅子から降りたゼルガトーレは、他の構成員ともども地に平服する。
「ハッ、まずは残る教会勢力をエルプトラ軍にぶつけ、消耗させます。そのための策も、用意していますので」
「なるほど。して、それをも突破してきた場合は?」
「例の一行だけを神殿に誘い込み、もろともに結界で封じます。脱出経路を塞ぎ、残る枢機卿をぶつけ……それでもダメならば、地底魔城へ誘導します」
ゼルガトーレの計画を聞き、ガルファランは顔を覆う垂れ布からはみ出ている口をニィッと歪め笑う。どうやら、彼の気に召したようだ。
「クックックッ、それでよい。例の末裔は我が請け負う。お前は……三百年に仕損じた仕事を、今果たすのだ。よいな?」
「はい。そのために、三百年もの間転生を繰り返したのですから。あの女……ディアナを仕留め損なったのは、我が最大の失態ですゆえ」
「任せるぞ。我は地底魔城にて儀式の総仕上げに取り掛かる。必ず、務めを果たすのだ。ゼルガトーレよ」
そう言い残し、ガルファランは消え去った。残ったゼルガトーレは配下に指示を出し、予定されていた配置に着かせる。アゼルたちを迎え撃ち、滅ぼすために。
「さて、報告通りならば明日の朝にはヴィアカンザに着くだろうな。来るがよい、末裔とその仲間たちよ。法王としてではなく……ガルファランの牙最後の幹部として、歓迎してやる」
呟きを漏らし、ゼルガトーレは不敵な笑みを浮かべた。
◇―――――――――――――――――――――◇
一方、デイルシュルナを陥落させたアゼルたちは勢いを増し、快進撃を続けていた。進軍を阻むために散発的に現れる教会軍を蹴散らし、その名をとどろかせる。
夕方になる頃には、命都ヴィアカンザまでもう少し、というところまで進むことが出来た。
「よし、今日はこの辺りで野営するとしよう。お前たち、近隣の町村から食料を買ってきなさい。くれぐれも、暴力沙汰はいかんぞ。愛を胸に、穏便に買い物をしてくるのだ」
「ハッ、お任せください」
バルジャットの指示の元、数人の騎士が大金を手に食料の調達に向かった。無抵抗な人民には危害を加えてはならないと厳命しているため、今回もスムーズに交渉が終わるだろう。
「ふふふ……今日もたっぷりと、憎き教会の悪徒たちの血を吸えましたね。明日になれば……もっと多くの血を、あなたに与えられますよ、ふふふふふ」
野営の準備をしているエルプトラ軍の騎士たちを尻目に、ディアナは己の得物たる巨鎚の手入れをしながら、心底楽しそうに呟く。
猟奇的な笑みを浮かべながら、先陣を切って教会と戦う彼女にいつの間にか異名が付いていた。『皆殺しのディアナ』という、禍々しい異名が。
「さて、これで手入れはもういいでしょう。ようやく、ようやく……皆の無念を、晴らせる。長い暗闇から、抜け出せる……」
「ディアナさーん……あ、いたいた。探しましたよ~」
「あら、アゼル様。私にご用でしょうか」
一時間後、手入れが終わり暗い感情に浸っていたディアナに声がかけられる。スルッと思考を切り替え、ディアナは明るい声でアゼルの言葉に答えた。
「はい、そろそろ夕御飯の時間になるので呼びに来ました。騎士の皆さんが、親交を深めたいと言っていて……よかったら、一緒に食べません? いつも、一人で食べているようですし」
「……ありがたい誘いではありますが、遠慮させていただきます。復讐のためとはいえ、私は進んで手を血で汚す虐殺者。誰かと食卓を囲み、ささやかな幸福を味わう権利はありませんから」
「そう、ですか……」
食事の誘いを断られ、アゼルは悲しそうにうつむきしゅんとしょげてしまう。その姿を見て罪悪感を覚えたディアナは、しばし迷った後話しかける。
「……分かりました、分かりましたよ。そこまでしょげてしまわれると、私も申し訳なくなってしまいます。流石に騎士の方々と一緒に、とはいきませんが……アゼル様とであれば……」
「本当ですか!? じゃあ、今日は一緒にご飯食べましょう!」
今泣いたカラスがもう笑った、とはこのことを言うのだろう。今にも泣きそうな顔をしていたアゼルはパアッと明るい笑顔を浮かべ、配給の食事を取りに行く。
「……全く。アゼル様は本当に可愛らしい」
「だろ? アタシもそう思うよ、本当にな」
「あなたは……シャスティさんですか。人の呟きを盗み聞きとは感心しませんね」
「わりぃわりぃ。いつも仏頂面してるあんたが、珍しく楽しそうに笑ってるもんだからなつい、な」
アゼルの帰りを待っていると、見回りを終えたシャスティがやって来た。彼女の言葉に、ディアナは驚きで目を丸くする。
「……笑って、いた? 私が?」
「ああ。あんた、アゼルのことになるとよ……まるで、弟を見るみたいにあったけー顔してんだわ。自分で気付いてなかったのか?」
「……そう、ですね。アゼル様を見ていると……教会に殺された、弟を思い出すのです」
隣に腰を降ろしたシャスティに、ディアナはそう語る。共に戦ったことで、仲間意識が芽生え始めているのだろう。自分の過去について、ポツポツと話しはじめた。
「……以前話した通り、バリバルの悲劇の濡れ衣を着せられた私は、目の前で家族を殺されました。父も、母も、弟妹たちも。ちょうど、弟……ハリルは、アゼル様と同じくらいの歳でした」
「……」
「いつも、お姉ちゃんお姉ちゃんと私の後を着いて歩いて……教会の神父になって、私と一緒に働くのが夢だと。いつも、そう、言って……」
次第に、ディアナの声が震え始める。大好きだった家族を、守れなかった。その罪の意識が、呪縛となってディアナを苦しめているのだ。
シャスティは何も言わず、ただ黙って彼女の言葉に耳を傾けていた。
「それなのに、私は何も出来なかった。目の前で、ハリルが苦しみながら死んでいくのを見ていることしか出来なかったのです。あの子は……最後まで、ずっと耐えていました。痛みにも、苦しみにも、絶望にも……!?」
「……もういい。もういいんですよ、ディアナさん。一人で苦しまないでください。その苦しみを、ぼくたちにも背負わせてください。血塗られた道を歩む、仲間なんですから……」
その時だった。いつの間にか戻ってきていたアゼルが、ディアナを後ろから優しく抱き締めた。暖かな人肌の温もりが、冷たく凍り付いたディアナの心を溶かしていく。
心を縛り付ける苦しみの鎖が、音を立てて軋み……少しずつ、壊れ始める。アゼルの、純粋な優しさで。
「アゼル、様……」
「経緯は違うけれど……家族を失う悲しみは、ぼくにも、シャスティお姉ちゃんにも分かります。だから……一人で抱え込まないで。人は、一人だと潰れてしまいますから」
「私、は……私は……!」
ついに限界を迎えたディアナは、アゼルを懐に引き寄せ号泣しはじめる。かつて守れなかった弟の面影を感じる少年の胸の中で、ぐちゃぐちゃになった感情を吐き出した。
「こいつも、辛かったんだよな……。痛みってやつぁ、そう簡単には消えねえもんな……」
「ええ。でも、その痛みを共有出来るなら……きっと、苦しみも薄れると思うんです。かつて、ぼくがリリンお姉ちゃんに救われたように……ぼくも、ディアナさんを助けたい」
「リリンねえ。あいつ、どこほっつき歩いてんだろうなぁ。いい加減、戻ってきても……」
「なんだ、呼んだか。この私を」
赤子をあやすようにディアナの頭を撫でているアゼルを見ながら、シャスティは呆れ気味に呟く。次の瞬間、彼らの頭上から懐かしい声が聞こえた。
驚いたアゼルとシャスティが上を見ると、そこには……とても懐かしい、仲間の姿があった。
「リリン、お姉ちゃん……!?」
「ああ、私だ。正真正銘、本物のリリンだ。全く、探すのに手間取らせおって。そなたらを追って、あちこち移動するのがどれだけ大変だったか……」
そう文句を言いつつ降りてくるリリンの表情には、言葉とは裏腹に笑顔が広がっている。彼女を見るアゼルの顔にも、喜びの笑顔が広がっていた。




