70話―デザート・ジャーニー
ゾーリートンを出発してから数十分後。一通り砂漠を闊歩し、ラクダの騎乗になれたアゼルたちは……砂を掘って作った広い穴の中に身を潜めていた。
「あの、ツィンブルさん……」
「ん、どうした坊や」
「どうしてぼくたちは、穴の中にいるんですか?」
アゼルが問うと、ツィンブルは外の様子を窺いつつ答える。
「夕方になるまで待ってるのさ。砂漠はな、昼は暑く夜は寒い。どっちも、移動するには向いてない時間だ。だから、こうして涼しくなるまで待つ必要があるんだよ」
「なるほど……確かに、この暑さのなかを旅したら、あっという間に干物になっちゃいそうですもんね」
ツィンブルの回答に、アゼルは納得して何度も頷く。実際、たった数十分砂漠を歩いただけで、アンジェリカがグロッキー状態になってしまったのだから。
「あー……身体が熱っぽいですわ。砂漠……恐ろしい場所ですわね。わたくし、少々侮ってましたわ……」
「身体が熱っぽい? む、それはいかんな。砂漠熱になりかけているのかもしれん。とにかく、冷えた水を飲め。それから、脇の下やももの付け根を冷やせ。身体に熱がこもるのはよくない」
てきぱきと指示を出すツィンブルを見て、アゼルは感心する。伊達に十八年もの間、砂漠で生きてきたわけではないということを、身に染みて理解したのだ。
ツィンブルの指示通り、アゼルの力で冷やした水入りの革袋を脇の下やももの付け根に当て、たらふく水分を補給する。すると、火照っていたアンジェリカの顔色が良くなってきた。
「ふー、楽になりましたわ。アゼルさま、ありがとうございます」
「悪いなぁ、嬢ちゃん。もうちっと出発の時間を遅らせるべきだったな」
「いえ、お気になさらず。ツィンブルさまは悪くありませんわ」
そんなこんなで時間も経ち、砂漠を照らしていた陽が落ち始める。アゼルたちは穴から出て、再びラクダに乗ってバラザットへの旅を再会する。
昼間に比べて、夕方は幾分か気温も下がり多少快適に移動出来るようになっていた。
「ラクダ~、ラクダ~、こぶこぶラクダ~♪ ぱかぱか歩いて楽だ~♪」
だいぶ余裕が生まれてきたらしく、アゼルはご機嫌な様子で鼻歌を口ずさむ。彼を乗せているラクダも心なしか楽しそうにしており、甘えるような鳴き声を出す。
「ご機嫌だなぁ、アゼルは。まったく、可愛すぎて心臓が止まりそうになるぜ」
「わたくしも同意見ですわ」
つんつくつんとリズミカルにラクダのコブをつついて遊んでいるアゼルを見ながら、シャスティとアンジェリカはそんなことをのたまう。二人とも、鼻からアゼルへの愛を垂れ流していた。
「そろそろ夜になるな。今日はここいらで野営するとしよう」
数時間後、すっかり日も落ち砂漠に夜がやってくる。雲一つない満点の星空の下、煌々と月が輝いているなかツィンブルは野営の準備を行う。
出来るだけ高い場所にある平らな砂地を選び、アゼルに手伝ってもらいながらテキパキと二つのテントを設営する。その間、女性二人は夕食の準備をしていた。
「いやぁ、助かったよ坊や。テントの組み立て、手慣れているようだね」
「はい。昔は、ぼくの仕事でしたから……」
「そうか……」
かつて、グリニオたちと共にいた頃を思い出しアゼルは苦笑いを浮かべる。それを見たツィンブルは何かを察したようで、それ以上何も言わなかった。
「おーい、飯出来たぞー。今日はシチューだ、早く食おうぜ」
「はーい、今行きま……サモン・スケルトンナイト!」
シャスティに声をかけられ、アゼルは返事をし……すぐさま、殺気を感知しスケルトンを呼び出す。そのすぐ後、腰から下げた黒水晶のドクロが叫びだした。
『警告! 警告! 闇霊『砂刃の王』マンドラン接近! 警戒セヨ! 警戒セヨ!』
「!? こんな所に闇霊だと!? みんな、気を付けろ!」
「わぁーってるよ、ツィンブルさん!」
闇霊の接近を告げる声が夜の砂漠に響き渡る。アゼルたちは戦闘体勢を整え、それぞれの背中を合わせ四方を見渡し警戒する。
「どこだ? 敵はどこから来やがる……?」
「気配だけは、分かりますわ。でも、肝心の敵の姿が見えませんわね……」
「いや、見えた……そこだ! 戦技、鉄斬カマイタチ!」
シャスティたちが敵を探していると、真っ先にツィンブルが発見しサーベルを引き抜く。そして、一見何もない砂丘の方へ向けて風の刃を叩き込む。
「おっと、もう見つかったか。目のいい奴だ、砂色の服を着ているのに見破るとは」
「ふん、こちとら生まれも育ちもエルプトラの砂漠でね。砂に紛れて襲ってくる盗賊どもの相手は慣れてるんだよ」
ツィンブルの攻撃を防ぎつつ、砂丘の一角から一人の男が現れた。各急所を守るプロテクターが付いた砂色の軍服を着た男、マンドランはニヤリと笑う。
「クッフフ、こいつは意外な相手と出会ったもんだ。ゾダンの命令でアストレアを探しに来たら、まさか例の末裔と出くわすとはなぁ」
「あ? なんでてめぇみたいな闇霊がアストレア様を探してんだ。まさか、法王の手先か!?」
「さあねえ。知りたいなら、俺を倒して聞き出せばいい。もっとも……俺たち霊体派の軍団を倒せればの話だがな! お前ら来い! 狩りの時間だ!」
マンドランが指を鳴らすと、彼の周囲の空間に計八つの魔法陣が出現する。その中から、まだ肉体と魂を分離していない霊体派のネクロマンサーたちが現れた。
二十人近くいる敵全員が長大な大鎌で武装しており、アゼルたちへ刃を向ける。
「チッ、なんつう数だ!」
「こいつらは、俺の本体を守るための守護者であり、貴様らを殺す兵隊でもある。お前らは四人と一体、こっちは二十四人。数の差を覆せるかな?」
「くっ……まずいですね。これだけの数で囲まれてると、追加でスケルトンを出す余裕も……」
マンドランが呼び出した者たちは、アゼルから見ても相当な手練れ揃いであった。出現と同時に、本体防衛役の三人以外はアゼルたちを包囲している。
一斉に襲いかかられれば、いくらアゼルといえどもスケルトンを呼び出す間もなく八つ裂きにされてしまうだろう。
「さあ、楽しい楽しい虐殺ショーを始めようか。演目は……そうだな、『愚者たちの最後』なんていいな」
「チッ、余裕かましやがって……!」
「行け、お前たち! 虐殺の時間だ!」
マンドランの合図を受け、霊体派のネクロマンサーたちが総攻撃を仕掛けようとした……次の瞬間。
「おやおや、これはいけませんな。そんな大勢で、子どもや女性を襲おうなどとは。実に、紳士的な行いではない」
「え……?」
「こ、この声……まさか!?」
穏やかでありながら、強い嫌悪感を滲ませる声にマンドランたちの動きが止まる。キョロキョロと周囲を見回していたアゼルは、なにかが近寄ってくることに気付く。
夜空の下に、揺らめく赤い炎が一つ。それが近付いてくるにつれ……アゼルたちは目を丸くする。
「お、おい! なんだあいつは!?」
「あ、頭が……頭がランタンの……人? 人……なんでしょうか?」
ザクッ、ザクッと砂を踏みしめ、歩いてきたのは一人の紳士。それも、ただの紳士ではない。赤き炎が灯ったランタンの頭を持つ、異形の紳士だ。
「あ、ああ~っ! そうですわ、思い出しましたわ!」
「なんだ、嬢ちゃん。何を思い出したんだ?」
「観光案内所で聞いた、ランタン頭の妖怪の正体……ようやく思い出しましたわ! 小さい頃、お父様に買ってもらった闇の眷属についての図鑑に、載っていましたの!」
「で、あのランタン野郎はなんなんだ!?」
紳士が近寄ってくるなか、何かを思い出したらしいアンジェリカが大声をあげる。そんな彼女にシャスティが問うと、驚きの答えが帰ってきた。
「闇の眷属たちが住まう、暗黒領域を治める魔の貴族たちの一人……ランタンの頭を持った光の紳士、ヴェルダンディー! それが、妖怪の正体ですわ!」
「ええぇー!?」
「ま、魔の貴族って……要するに、ラ・グーの同類だろ!? なんでそんなやべぇのがこんなとこにいるんだよ!?」
「おや、我輩のことを存じているとは。大地の民にも、博識な者がおるのですな。感心、感心」
「!? いつの間に、こんな近くに……」
アンジェリカの言葉に、アゼルとシャスティは驚愕する。闇霊の軍隊だけでも大変な相手なのに、それに加えさらなる脅威まで現れたのだ。
自分のところに真っ直ぐやって来たヴェルダンディーを見上げ死を覚悟するアゼルだったが……。
「ボン・ソワー、小さき者よ。何やら、お困りのようだ。弱者を救うのは紳士の務め。このヴェルダンディー、不埒な輩の成敗に協力しよう」
「へ? あ、ありがとうございます?」
なんと、ヴェルダンディーはアゼルへの助力を申し出たのだ。てっきり、殺されるかものだと思っていたアゼルは拍子抜けしてしまう。
ヴェルダンディーは手元に細長い棒状の炎を作り出し、レイピアへと変化させる。得物を構え、高らかに宣言する。
「さあ、とくとご覧あれ。紳士の、紳士による、紳士のための華麗なる悪党退治を!」
これが後々にまで続くことになる、アゼルとヴェルダンディーの友情の始まりであったことを……少年は、まだ知らない。




