5.決心
今度は何を言い出したのかと思えば。過去に戻れるだって?
そんな俺の心の内を読んだのか、女神さまは少しだけ声を荒げる。
「この井戸に飛び込めば、あの子に会えますよ、と言っているの」
「ちょっと待ってくれ。この井戸に飛び込むと過去に戻れるだって? 冗談じゃない。からかうのもいい加減にしてくれ」
「あっそ。じゃあ、あの子に会いたくないわけね。まあ、私としてはあなたが拒否しても別に何の問題もないんだけど」
「でも、本当に井戸に飛び込むと、過去に戻れるわけ?」
「そう、まあ、いいから、いいから。」
女神さまは俺の背中を押して、無理やり井戸の中へ入れようとする。
「ちょっと、冗談でしょ! 死にますよ、俺」
「死にはしないわよ。ちょっと苦しいかもだけど、大丈夫」
「いや、大丈夫じゃないから。絶対に無理!」
「あのねえ、さっきのあの子にまた会いたいんでしょ。」
ギクッ。
ほんの少しだけ女神さまの背中を押す力が弱くなる。俺はそれに乗じて後ろを振り返る。
「ちょっと待って下さい。確かに俺はあの子に会いたくて、ここの神様に祈っていましたよ。でも、修学旅行のときに戻るってどういうことなんですか」
「あのね、あの二泊三日の東京での修学旅行が、君とあの子との恋愛のターニングポイントだったのよ。君はあのとき、勝負しなきゃならないはずだった。でも、それをしなかった。そのことを今もずっと後悔している。そうでしょ。ああ、もちろん卒業式のときに戻してもいいんだけど、卒業式はバタバタして、二人っきりになれるチャンスはそうそうないからね。だったら、修学旅行のほうがいい。そう思ってね」
「あのーちょっといいですか。神様だったら、過去のあの人じゃなくて、今のあの人に会わせてくれれば…」
「ダメよ。それは無理ね」
「どうして」
「そんなスキル、私にはないもん」
「だって、女神さまなんでしょ!」
「女神だからって、何でもできるわけじゃないわよ」
「そんなー」
「だから、わたしが言いたいのは、過去のあの人に会って、きちんと自分の想いを伝えて、今の状況を変えなさいってこと」
「それって未来が変わってしまうことだよね。ドラ〇もんにしても、〇ックトゥー・ザ・フィーチャーにしても、未来を変えてはだめっていうけど、それは問題ないわけ?」
「それって、アニメや映画の話でしょう。未来なんて、どんどん変えちゃってオッケーよ」
「本当に?」
「それに、わたしね、誰にでも手を貸すことなんてしないわよ。なぜなら、この神社が創建されて、今日の君のお参りが、なんと一〇〇〇〇〇〇〇〇回目の大記念日なの。呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン、てわけ。あなた、とてもラッキーなのよ」
何がジャジャジャジャーンだ。でも、本当に過去に戻れるのか。信じていいのか。これドッキリじゃないよな。誰かが俺を笑いものにするために仕掛けているんじゃないのか。もう4月1日は過ぎたぞ。でも、俺をはめてどうする。そもそも、井戸に飛び込むなんて正気の沙汰じゃない。神社の井戸で水死体発見じゃあ、あまりにも情けなすぎる。あれ、そういえば小野篁って人が、井戸の先には地獄があるとかないとか・・・地獄!?こんなときに何を考えてんだ、俺。あ、でも、まてよ。井戸の縁に手をかけて、少し水に浸かるだけならいいか。いざとなれば這い上がれそうだし。
俺にとって、あの子にもう一度会いたい気持ちが強いのも間違いない。騙されたと思って、やってみるか。騙されたなら騙されたで、将来笑いのネタにでもなるだろう。
「わかりましたよ。行きますよ」
もうどうにでもなれ。
女神様はふふふ、と笑みを浮かべた。
「ようやく決心したわね。でも、飛び込む前に君に伝えたいことがいくつかあるの。戻れる時間は、中学校の修学旅行の初日の一日目だけ。その日の午後11時になったら、強制的に今の現実に戻ってくるわ。それまでに片を付けて来なさい」