元ドS担当編集と一つ屋根の下。
夕方。
一人街の中を歩きながら、雪華はため息をついた。
「はぁ……。またダメだったか……」
数十分前。
彼女は担当編集と次の作品に関しての打ち合わせをして来たのだが、プロットがまだ通らないでいた。
キャラクター性や構成はクリア出来ている。
だが今一つ工夫が足りない。
読者を意識しなければならない。
そう告げられた。
(そうは言っても、読み手の顔を浮かべながら書くのって難しいよ……)
一作目の時は何も考えずに、ただひたすらに物語を綴た。
あの時は病院で入院していた小説が好きな母の為に、母が楽しんで読んでくれれば良いと思って書いたものだった。
そんな母はもうこの世にはいない。
(でも、期待してくれているんだもん。頑張らなきゃいけないよね)
そう思い、雪華は茜色に染まる空を見上げた。
そんな時。
ガバッ
「雪華、匿え!」
突然、背後から誰かに抱きしめられて、動揺しながら、視線を横に動かす。
そこにはあの元編集担当の嵐山カイトの姿があった。
「嵐山さん!!」
カイトに後ろから抱きしめられている為、彼と雪華の身体が密着している。
あまりの突然な出来事に、雪華の鼓動は早鐘を打ち、動揺した。
「離して下さい!!急に何なんですか!?」
「今、生徒に追われてるんだよ!少しの間は恋人のフリをしろ」
「だって、私だって生徒……」
そう言いかけて、雪華はハッと自分が今私服姿だったことを思い出す。
雪華は仕事の打ち合わせがあると、学校の近くにある駅前のロッカーの中に私服を預け、
それに着替えてから、いつも打ち合わせに行っていたのだ。
「何も気にすることないだろう?すぐ済む。大人しくしてろ」
「ちょっ……」
カイトは後ろから抱きしめながら、雪華の顔へと自分を近づけた。
彼の顔が彼女へと迫る。
彼の黒い双眸が雪華を射抜くように真剣に見つめる。
キスまでの数センチの距離。
「先生やっぱり彼女いたじゃん~~!せっかく追い掛けてきたのにぃ」
「つまんなーい。もう、行こ。行こ」
雪華からは女子生徒の姿は見えないが、変わりに声と、彼女達がその場からバタバタと走り去る音が聞こえた。
「よし、もう行ったか……」
カイトは雪華の身体を離した。
(何これ。心臓の音が煩い……)
顔を赤くして、ドキドキと心臓が鳴る雪華。
そんな雪華の姿を見てカイトはふっと笑った。
「おい、雪華。お前がここにいるってことは峯岸と打ち合わせだったんだろ?今度の新作は順調か?」
「もう、担当ではないあなたにお話することはありません」
「お前、俺に対して詰めたくね?塩対応じゃん」
「別に、普通ですけど。私はもう帰りますので、じゃあ、さようなら先生」
雪華はカイトに冷たくそう言うと、踵を返してその場から歩き出した。
暫くして街を抜けたあと、閑散とした住宅街を雪華は歩く。
もうすっかり日は落ち、周りは薄暗かった。
そんな中。
街の中からずっとカイトは雪華のあとを着いてきていた。
最初は無言で無視を決め込んでいた雪華だったが、次第に痺れを切らして、キッとした顔でカイトの方を振り返った。
「どうして、嵐山さんが私の後を付いて来ているんですか!」
「だって、俺も帰る方向はこっちだもん」
「はぁ?だって、この辺マンションも、アパートもありませんよ?」
雪華の言う通り、この住宅地の周辺にはマンションもアパートも立ってない。
雪華が不思議そうに思っていると。
彼は意外な言葉を口にした。
「だって、俺拾われたんだもん」
「拾われたって?また私をからかってるんですか!」
カイトに詰め寄る雪華にカイトは平然と彼女に答える。
「いや、マジだって。まぁ、正確にはお前の爺さんにだよ。お前の自分の苗字って”有澤”だろう?」
「そうだけど……。何でおじいちゃんが嵐山さんを……」
「俺、この前まで外国に行って、最近こっちに帰ってきたばっかなんだけどさ、訳あって住むとこなくって公園で野宿していたら、お前の爺さんに会ったんだ」
「おじいちゃんに?」
「ああ。お前の爺さんが知らない不良に絡まれていたから、それを助けたら『住むところがないんだったらワシが拾ってやる』自分の孫娘の用心棒になれ。自分は家を開けることが多いから丁度良いってな」
「でも、私そんなの聞いたことない!」
(ん?……ちょっと待って確か、おじいちゃん……朝何かを拾ったって行ってなかった?)
雪華がそう思考を巡らせていると、カイトは一枚の紙を雪華に見せた。
「ほれ。これが念書だ」
雪華はカイトから受け取り念書に目を通す。
そこには、間違えなく祖父の宗次郎の字で、
『私、有澤宗次郎は暫くの間、自宅を嵐山カイト氏に貸し与えることを約束する』
そう記載されていた。
期限は記載されておらず、おそらく無期限。
ご丁寧に拇印まで押してある。
これは間違えなく有力となる書類。
(おじいちゃんめぇ~~~また、面倒なことを~~~!!!)
雪華は念書を持ちながら、怒りで手をプルプルと振るわせる。
カイトは雪華の手から念書を奪い取った。
「まぁ、そういうことだ。さすがにずっとお前の家に世話になる訳にはいかねーから、取り敢えずは引越し資金が貯まるまでは厄介にならせてもらうわ」
「嵐山さんはこのことも踏まえて、私の学校の臨時教師になったのですか?」
警戒しん剥き出しに言う雪華に、カイトは楽しそうな口振りで彼女に答えた。
「俺もそんなに暇じゃねーよ。出版社辞めて無職になったから、たまたま臨時教師の仕事の募集していたんだよ。俺、こう見えても教員免許の資格持ってるからさ」
カイトは雪華に近づき、彼女に笑顔で言った。
「今度は先生として宜しくな。雪華チャン」
「~~~~~ッ」
こうして、ドS元担当編集カイトとJK小説家雪華の奇妙な同性生活がスタートしたのだった─────。