9話
翌日。慌てて家村さんたちが散らかしたビール缶などを綺麗にして証拠を隠滅した部屋に小さく顎髭を生やした男がやってきていた。
「すんませんね。家村さん。うちの若いのが」
猫背が目立つ男性は溜息を吐き俺が出したお茶菓子をそっと口に放る。
「いいえ。僕の方こそ、彼女を利用してしまったので」
この男。名を烏丸竜胆と言う。横では昨日と違い、申し訳なさそうに頭を下げて落ち込んでいる蕾の姿があった。
「そもそもお前がすぐに探偵なんかを頼るから悪いんだろが」
「すみません」
痛くない程度に軽く蕾の頭を小突く。
烏丸さんは落ち着きがあって、厳格で、しかし、決して威圧感があって他を寄せ付けぬわけではなく。物腰の柔らかい。俺にとって尊敬する人の一人である。
「というわけで、聞かれちまったからには協力してほしい」
「報酬は?」
「……俺のポケットマネーからだな」
「坂田さんとこで烏丸さんがキープしてる日本酒も付けてもらおう」
「なっ! あれは俺の仕事後の楽しみなんだぞ!?」
「こっちだって依頼人を裏切るような真似をしなきゃならないし、裏家業への仕事はリスクが高いんだよ? 金銭の報酬だけじゃあ足りないね。特に烏丸さんのポケットマネーじゃあ心もとない」
「くっ……なら代わりに蕾のポケットマネーからも出そう!」
「はぁ!? ちょ、ちょっと烏丸さん。そりゃないっすよ!」
「元はお前が撒いた種だろう!」
「で、でもぉ。自分の酒を守るために部下を売るんすか?」
「仕方ないですねぇ」
烏丸さんの弱点は酒である。酔うからとかではなく、とてもこだわりがあるのだ。貴重な酒を酒屋でキープして仕事の終わりに、その時の自分の気分に合わせて行きつけの数軒の中から厳選して向かうのである。
そしてその全てを家村さんは把握している。
「坂田さんとこの酒は諦めます」
「他のところもダメだぞ」
「はいはい。しかし、リスクが高いのは事実です。報酬はきっちり。それと僕が飲むからではなく、調査のために使いたいので、未開封の烏丸さんのコレクションから一本いただけませんか?」
「何に使う?」
「そりゃ、お供えですよ」
「……仕方ない。手配しよう」
折れた烏丸さんはがっくりとした顔をした。
その場で行きつけの店に電話して、自分がキープしている酒を今から俺たちが取りにいくと連絡している。
「じゃあ、若林くん。後はよろしく」
「はいはい」
「そうだ。森崎さんも連れていってよ」
家村さんはにこやかな顔で言った。満面の笑みが逆に不気味だ。
考えていることはわかる。今からさらに深い話をしなければならない。だから間違っても無関係の、しかもまだ幼い森崎さんに帰ってこられるわけには行かないのだ。
彼女は今学校に行っている。
家出少女も学校には行くのだ。学校に行かないと、教師が家に連絡をして家出していることがバレるかもしれない。
過去に家出少女を探す依頼を受けたことがある。その時は大学生だったので、出る授業には出て、後は友人の家を何軒か転がり込んでいたらしく、その時の家出少女に事情を聞いた時に、意外に家出先から学校に通っている者は多いと聞いた。
まぁ、そもそも、まともな親ならば学校に娘が来ていないか連絡をしているはずなので、この作戦は破綻するはずなのだが、そうならない家庭環境だからこその家出なのだろう。と複雑な気分になる。
森崎の携帯に『仕事だ。学校が終わることに校門前にいた方がいいか?』と打ち込むと
『絶対にやめてください』と冷たい文章と怒っている顔文字が添えられていた。
『じゃあ三村屋に行っといて』と打ち込むとすぐに
『了解♪』とご機嫌な文面が届く。
というか、今は授業中なのではないか?と考えたが、森崎さんはそこまで生真面目な娘ではないのであろうと伺える。
「女子高生連れてバーに行くのもからかわれそうだし、先に俺だけで取りにいくかぁ」
溜息を吐いて、俺は先に烏丸さん行きつけのバー『羅生門』へと赴いた。
「あっ、若林さんお疲れさまです」
三村屋に入ると、イートインコーナーで座っている森崎さんがこちらに手を振っていた。
イートインコーナーと言っても駄菓子屋の中に雑な椅子と机が合って、そこで子どもたちがいつもお菓子を買い食いしているだけのスペースである。
「よぉ、若。なんだい? 最近はこういうしみったれた駄菓子屋で逢瀬をするのが流行りなのかい?」
三村さんは豪快にかっかっかと笑う。
「からかうのはやめてください」
苦笑いをしながら森崎さんの向かいに座る。
森崎さんの前には既に食べたであろうチョコマシュマロが四袋ほど散らばっている。
「駄菓子って久々に食べると滅茶苦茶美味しいですよねえ」
森崎さんは恐らく四個目であろうチョコマシュマロを頬張りながら満面の笑みで言う。
そういう顔をされるとこちらも食べたくなってくる。
一度席を立ってポテトフライジャガ塩バターとおやつカルパスを買う。
「破裂させてくかい?」
「もちろん」
三村さんと俺の会話の意味がわからずこちらを見つめている森崎さんは、レンジに放り込まれたおやつカルパスを見つめる。
しばらくするとぱあん! と激しい音と共に放りこんだおやつカルパスが破裂する。
「わっ!」
驚いた森崎さんが声をあげる。レンジを開けて、おやつカルパスを取り出す
「あっちっち」
そのまま口に放ると、じゅっと熱い肉汁が溢れてくる。これがたまらないのだ。
「本当にそういうところ家村に似てるぞ?」
「やめてください」
俺は顔を歪ませて元の席に戻る。
「あの、若林さん」
「ん? 何?」
ポテトフライを開ける。
「その持ってきた瓶はなんですか?」
「あぁ、俺が任された仕事」
「じゃあ私とこれからする仕事は?」
「ここで待機」
「そうなんですか?」
「おっと、それは大事だな」
レジから声をかけてくる三村さんは心配そうに話している。彼は家村さんと付き合いが長いからこそ、彼が俺たちをここに置いて行くことの意味を理解している。俺も入社してすぐの頃にまるで保育所のように、三村屋で待機しているように言われたことがある。
「まぁ。蕾がしょい込んじゃって」
「こないだ言っていた話ですか?」
「うん。流石にバイトの君には任せれないし、情報を与えてしまうと危ないと言うのもあって、君が事務所に来ないように頼まれたの」
隠し事はせずに丁寧に森崎さんに伝える。
森崎も流石に状況を理解しているのか納得した様にポケットに入れていた五つ目のチョコマシュマロを口に放り入れる。
「じゃあ、そうですね。しばらくここでゆっくりしていたらいいんですか?」
「そうだね」
「だったら本当にデートみたいですね」
森崎さんが悪戯した子どものように笑みを浮かべる。
不意打ちの言葉に俺は目を丸くする。その様子を三村さんが爆笑している。
「はっはっは! 後輩にもからかわれちゃあ締まりがねぇな若!」
そういうと三村さんは棚からペペロンチーノを二つ取り出してお湯を注いだ。
「ここでゆっくりしねぇといけねぇんだろ。ならそれはおごりだ。所詮七十円ぽっきりだけどな」
「いえ、それでもありがたいです。ご馳走になります」
「ありがとうございます」
二人して三村さんにお礼を言って、ペペロンチーノが出来上がるまでの三分をじっと待つ。
女子高生ともう成人した男が二人。およそ七十円のペペロンチーノを食べてほっこりしているこの光景はなんとも言えぬ空気が流れた。
「私ラーメン派なんですよねえ」
「俺は堂々とパスタだけどね」
「家村は少しだけ汁残すんだとよ」
「あぁーそれも美味しそうですね」
和気あいあいとする三村さんと森崎さん。
俺はそんな二人を見ながらペペロンチーノを啜る。彼女は十分この探偵業の関連者とも上手くやっていけそうだなと勝手に先輩風を拭かせる。
その時、携帯から連絡が届く。もう打ち合わせが終わった。という連絡であった。
森崎さんのペペロンチーノを見つめるともうなくなっていた。
「森崎さん。じゃあ家に戻ろうか」
「はい。わかりました」
「戻ったらちょっと僕と家村さんは出かけるから、家でお留守番してもらえたら助かるよ」
「はい。わかりました」
「じゃあ、三村さん。ありがとうございました」
「あぁ! 今後もご贔屓に」
三村さんにお礼を言って、三村屋から事務所へと向かう。
帰っている途中で森崎さんは猫を四匹ほど引き連れて帰った。